新生活の始まり
馬車が止まり、御者席からヘンリーが降りる。玄関前に控えていた召使が馬車に近付き、踏み台を置いて扉を開ける。クリフォードは踏み台を使って馬車を降りるとサラに手を差し出した。彼女は彼の手を掴み、ドレスの裾を持ち上げて踏まないように気を付けながらゆっくりと降りた。
サラは目の前に見える扉の大きさに驚いた。両開きのその扉はサラの家の二倍以上はある。そんな驚きを察してかヘンリーが彼女に近付いてきた。
「詳細は中で説明させて頂きます。とにかく今は胸を張って堂々として下さい。サラ様はもう男爵令嬢ではありません。公爵家の嫁なのですからそのように」
サラは頷いたものの、公爵家の女性など見かけた事もなく、どのように振る舞っていいのかわからない。しかしそれを尋ねようにも既に召使は扉を開け始めており、ヘンリーも離れていってしまった。クリフォードが相変わらずにやけた顔のまま腕を出すので、彼女はとりあえず彼の腕に手を添えた。
玄関が完全に開くとそこには使用人が全員集まっているのかと思うくらいの人数がずらっと並んでいた。彼らは一斉に一礼する。
「おかえりなさいませ」
「ただいま。皆にやっと紹介出来る日が来て嬉しいよ。彼女がサラ。皆宜しくね」
「サラです。宜しくお願いします」
サラは会釈をした。堂々と言われてもどうしていいかわからない。
「宜しくお願い致します」
使用人達が一斉に一礼する。サラはこれに慣れる日が来るのか不安で仕方がなかった。
「さ、各自持ち場に戻って下さい。エマ、サラ様をお部屋にご案内して着替えを手伝って差し上げて。マシュー、クリフォード様を一時間ほど監禁しておいて下さい」
使用人達が持ち場に移動する中、ヘンリーの言葉にクリフォードが反応する。
「監禁って何だよ!」
「私は少しサラ様とお話があります。クリフォード様がいると話が進みませんから、その間に政治学でも勉強なさって下さい」
「嫌だよ。ヘンリーがサラと二人きりになるのを許すと思ってるの?」
「許す許さないの話ではありません。マシュー、いいから連れて行って下さい」
マシューと呼ばれた男は頭を下げるとクリフォードを廊下の奥へと連れて行った。サラは事情が呑み込めず、ただやり取りを見ていた。
「失礼致しました。そのドレスでは動き難いでしょうからまずは御着替え下さい。彼女エマはサラ様の侍女になりますので、何なりとお申し付け下さい」
「エマと申します。宜しくお願い致します」
エマはまるで初めて会ったかのように一礼をした。サラも何も知らないと言った表情で微笑む。
「サラです。宜しくね」
「着替えにどれくらいかかりますか? 出来れば早めでお願いしたいのですが」
ヘンリーがエマに問う。彼女は物怖じせず彼の瞳をまっすぐ見つめた。
「適当に私が着せてもいいのでしたら五分で結構です」
「それで構いません。では五分後伺いますので宜しくお願いします」
ヘンリーは一礼すると廊下の奥に消えていった。サラはエマに案内されてこれから過ごすであろう自室へと向かった。
その部屋はサラの実家の部屋の二倍程あった。ソファーにテーブル、衝立があり、奥には鏡台にベッドがある。そしてその奥に扉があった。
「こちらが衣裳部屋になります。詳細は後からヘンリーさんよりお話があると思いますので、とりあえず今着替えるものを選びますね」
エマが開けたその扉の奥には一瞬では数えきれない程の衣服が並んでいた。普段着からドレスまで並んでいるその中からどれを選んでいいのかわからない。そんなサラの迷いを感じたのか、エマは迷いもせずに一つのワンピースを手に取った。
「出来たら一人で着替えたいのだけれど」
ここでドレスを脱がされれば痣を見られてしまう。サラはそれを避けたかった。
「上流貴族は着替えを手伝われるのが当たり前ではありますが、絶対というわけではありません。今後必要な時だけ声を掛けて下さい」
「ありがとう」
エマはサラにワンピースを手渡した。
「では私は外で待機しています。ウェディングドレスはそのハンガーに掛けておいて下さい。明日責任を持って洗濯致しますので」
エマはそう言うと一礼をして衣裳部屋から出て行った。扉が閉まるのを確認し、サラはドレスの後ろの釦に手を伸ばす。彼女は実家でも誰かに痣を見られるのが嫌で一人で着替えていたからか、背中に釦があろうと着替えられるのだ。エマが手渡してくれたワンピースは少し胸元が開いているものの、長袖で踝丈である。サラはほっとして着替えた。
着替え終わり扉を開けるとエマが扉の傍で待機していた。
「そろそろヘンリーさんがいらっしゃる頃です。ソファーに腰掛けてお待ち下さい」
「先程の監禁とはどういう事なの?」
サラはソファーに腰掛けながらエマに尋ねた。何故自宅で監禁という言葉が出てくるのか彼女にはわからず、一体クリフォードはこの家で何をされているのか不安だった。そんな不安を吹き飛ばすかのようにエマは微笑んだ。
「マシューさんはクリフォード様の従者です。クリフォード様が部屋から逃げ出さないよう見張りを頼むというだけの話です」
「別に彼の家なのだから部屋に閉じ込めておかなくても」
「サラ様を寝室に連れ込まれると困るのですよ。せめて夜までお待ち頂かないと」
エマの言葉にサラが困惑の表情を浮かべた時、部屋にノックの音が響いた。
「ヘンリーです、宜しいでしょうか?」
「どうぞ」
扉が開き、ヘンリーと侍女らしき女性が一人部屋に入ってきた。その女性はカートを押しており、カートには茶器が乗せられている。
「彼女もサラ様の侍女を務めさせて頂きます」
「メアリーです。宜しくお願い致します」
「サラです。宜しくね」
サラは微笑んだ。メアリーは一礼するとティーポットを手に取り紅茶を淹れ始めた。サラは立っているヘンリーに腰掛けるよう手で勧めると、ヘンリーは一礼してサラの前のソファーに腰掛けた。紅茶を淹れ終えたメアリーがサラとヘンリーの前に紅茶を置く。
「それでは私はこれで失礼致します。何かありましたらお呼び下さいませ」
メアリーは一礼するとカートを押して部屋を出て行った。
「エマ、貴女も下がりなさい」
「しかし」
「身分を弁えなさい。貴女が聞いていい話をするわけではありません」
淡々と言うヘンリーにエマは悔しそうな顔をする。
「そんなに強く言わなくても。エマは友達のように親しくしてくれたのに」
「サラ様、そのような発言は二度とおやめ下さい。エマは侍女です。友人ではありません」
ヘンリーは無表情のままだ。エマはサラに微笑む。
「ヘンリーさんの仰る通りです。一旦下がります。失礼致します」
エマは一礼すると部屋を出て行った。サラはその扉を悲しそうに見つめていた。
「クリフォード様に伝言をお願いしたはずですが伺っておられないのでしょうか?」
「聞いたけれど」
弱々しいサラの言葉にヘンリーは冷たい視線を送る。彼女は身構えた。
「まず態度を直して頂かないとなりませんね。使用人達に対してもっと堂々と振る舞って頂かないと」
「でも貴方は私より身分が高いでしょう?」
家宰は爵位を継ぐ事が出来ない貴族男性がする職業である。公爵家の家宰となれば侯爵家か伯爵家の生まれのはずである。その相手に対し、堂々とする事にサラは抵抗があった。
「確かに私は伯爵家の生まれですが、今はこの家の家宰です。クリフォード様に嫁がれたサラ様の方が身分は上です」
無表情のままそう言われてサラは抵抗する事を諦めた。ここで逆らったとしても勝ち目はない。とりあえずこの家宰の言う事を一旦聞いておく方が賢いだろうと判断した。
「わかったわ。それでエマの前で話せない事とは何かしら」
「それは勿論この結婚についてでございます。エマは確かに手紙の配達をしていましたけれど、肝心な所は知りません。サラ様もどうか御内密に」
「それなら私にも内緒にしておけばいいと思うのだけれど」
「そういうわけにはいきません。この結婚にあたってこの家が何をしたか。サラ様にはその価値分だけこの家に尽くしてもらわなければなりませんので、知って頂く必要があるのです」
サラは困惑の表情を浮かべる。それをヘンリーは無表情で受け止めた。




