結婚前夜
虐待シーン今回もあります。今回で終わりです。
婚約が成立してから二ヶ月が過ぎ、クリフォードとサラの結婚式が翌日と迫っていた。
クリフォードとサラは舞踏会以来一度も顔を合わせていなかった。勿論、突然来訪をやめると不自然になるからとエマは時折遊びに来ていたが、彼女が手紙を運ぶ事はその間一切なかった。
所謂政略結婚の場合は結婚する男女が結婚式まで会わない事は普通の事であった。結婚する若い二人の父親のやり取りだけで全てが決まっていくのである。
このガレス王国には国教がない。故に神の前で式をあげる習慣は定着していない。勿論宗教の自由が法律で守られており、己が信じる神の前で式を行う夫婦もいる。
基本的に式を仕切るのは貰う立場にある家族になる。なのでウォーグレイヴ家の行いたい形式で計画が進んでいた。
その形式は自宅婚。無宗教や多神教の家庭がよく選ぶ形式で、自宅に招待したい人達を招き、その人達の前で結婚を誓うものである。
アルフレッドは現在財務大臣である。息子のクリフォードは悪い噂の持ち主ではあったが、今は父の下で懸命に働いている。
そんな将来エリートコースを歩むであろう息子にアルフレッドは豪勢な結婚式を許さなかった。あくまでも二人の結婚を祝う式であると親族以外の招待は一切しなかった。また、自宅婚という選択をしながら式を挙げるのは高級住宅地にある屋敷ではなく、郊外にある別荘の予定である。
それがサラの父には面白くなかった。
「公爵家には相応しくない式だ。男爵家と思って馬鹿にしているのか?」
サラの父は招待状をテーブルに叩きつけた。
公爵家の結婚式は権力を示すかのように沢山の人を招き、豪勢に挙式するのが一般的である。サラの父はそんな結婚式で沢山の人達と知り合いになりたかった。
「あなた、落ち着いて下さいませ。アルフレッド様の事ですから一人呼べば何百人と呼ばざるを得なくなるので、あえて親族だけにしたのではありませんか?」
「む、それは確かに一理ある」
「何百人もの貴族の方々がいらしては挨拶するだけで疲れてしまいますわ。そういう事情を考慮して下さったのではないのでしょうか?」
サラの母は優しくそう言いながら、叩きつけられた招待状を整えてテーブルの上に置き直した。
「それにあれだけの条件を提示されているのですから、これ以上望んでは贅沢というものですよ」
サラは母の言葉で落ち着いていく父を見て母の偉大さを感じながら、条件のよさがどれほどなのか気になって仕方がなかった。
「今あの条件を白紙に戻されるのは困るから結婚式はこれで我慢するしかない、か」
「えぇ。私達には想像もしていなかった暮らしが待っているのですから、焦らずゆっくりでよろしいではないですか。サラも少人数の方が緊張しなくていいわよね」
サラの母は優しくサラに微笑んだ。彼女もつられて微笑み返す。
「えぇ。一度に何百人とは覚えられませんので、失礼がないようにするには少人数の方が宜しいかと思います」
「ふむ。そういう考え方もあるな」
サラの父は妻と娘の意見に納得したように頷いた。サラの母はその様子を確認して微笑んだ。
「こうやって家族で過ごすのもあと一日なのですから、笑って過ごしましょう」
サラは何故だか寝付けず、ベッドに腰掛けてドレスを見つめていた。
サラは家財道具を殆ど持たずに嫁ぐ。持って行くものと言えば式で着るウェディングドレスと身の回りの使い慣れたものくらいである。
他は全てウォーグレイヴ家が用意する事になっている。結婚する事はその家の人間になる事とこの国では考えられているので、迎える側が準備するのは当然であった。
サラの両親は彼女の為に男爵家では考えられない、けれども公爵家では常識である高級なドレスを用意した。
サラはそのドレスを見つめながら長いようで短かった十八年間を思い返していた。
父親の暴力から逃れたくて色々と努力をした。元々父親が貴族に憧れている部分があり、習い事も沢山してきた。それはきっとこれからの人生で役に立つだろう。
父親から注がれた歪んだ愛情。母親から注がれた真っ直ぐな愛情。サラはこれから訪れる生活に期待と不安を抱いていた。
公爵家の人として不自然なく振舞えるだろうか?
母のようにクリフォードをずっと支えていられるだろうか?
彼に相応しい女性で居続けられるだろうか?
そして誰も殴らずにいられるだろうか?
明日の為に早く寝なければと焦れば焦るほど、心の中の不安が膨らんでいた。
予想していなかった扉を叩く音が静寂を破り、サラの背筋に緊張が走る。
「ワシだ、少しだけいいか?」
「はい」
サラの返事を聞いてサラの父は扉を開けた。サラはベッドから立ち上がり彼に椅子を勧め、自分も向かいの椅子に腰掛けた。
「寝付けないのか?」
「明日からの生活が想像出来ず、不安が募ってしまって」
サラは言葉を必死に選ぶ。サラの父がこんな時間に尋ねてくる用事は一つしかない。しかし明日はクリフォードの元に嫁ぐのだ。絶対に痣など作りたくなかった。
「ワシの事を恨んでいるだろうな」
サラの父は珍しく落ち着いた声だった。サラは父の様子を必死に伺う。
「いいえ。前例のない事に不安はありますけれど、公爵家の暮らしはきっと素敵でしょうから」
「お前は賢い。上手く振る舞うだろうな」
サラは父が何を言いたいのかわからず言葉を返せなかった。
「本当にお前は最後まで可愛くない」
父は立ち上がるとサラの腕を引っ張り、彼女を椅子から落とした。彼女は床に倒れた後、急いで身体を起こす。
「今夜だけはやめて下さい。先方に不審に思われますから」
「うるさい!」
サラの父は身体を起こしたサラの腰を蹴る。彼女は再び床に倒れ込んだ。彼女が口答えをしたせいか、いつもより力を込めて彼女を殴り蹴る。
その時扉が開き、サラの母が慌てて部屋に入ってきた。
「あなた! いけません。もう暴力は振るわないとこの前約束したではありませんか」
サラの母はそう言いながらサラの前に出て盾になる。勢いよく振り上げられていたサラの父の拳がサラの母の頭に直撃する。その痛みの衝撃にサラの父は我に返る。サラの母は痛みに顔を歪めながらも、立ち上がってサラの父を抱きしめる。
「あなた、戻りましょう。ね?」
サラの母の言葉にサラの父は力なく頷いた。サラの母はサラを振り返り申し訳なさそうな顔をすると、サラの父を連れて部屋を出て行った。
サラは暫く動けず床に倒れ込んでいた。思わず口答えしてしまったのがいけなかった。強く蹴られたところは間違いなく痣になる。用意したドレスは相変わらず全身を覆うものだから心配はないが、その後痣が消えるまで隠し通せるだろうか。
部屋をノックする音が響き、サラの母親が再び部屋に入ってきた。彼女は床に倒れたままのサラを起こすと、ゆっくりと立ち上がらせてベッドに座らせた。
「ごめんなさい。まさか今夜こうなるとは思わなくて」
「お母様、大丈夫です。もうこれで最後ですから」
サラは俯いたまま弱々しくそう言った。そんな彼女をサラの母は優しく抱きしめる。
「貴女は幸せになっていいのよ。お金で買われたと中傷する人もいるでしょうけど、気にせず生きていきなさい」
「はい、ありがとうございます」
サラも母を強く抱きしめた。
「お母様、頭は大丈夫ですか? 鈍い音がしましたけれど」
「大丈夫。私は石頭だから。私の事など心配しないでもう寝なさい。寝不足はお肌に悪いわ。明日は大切な日なのだから、ね」
「はい」
サラの母はサラから離れると微笑んだ。サラも微笑みながら頷いた。