八話「理想と妥協と物語の始まり」後編
そして、戦場には八本の巨大な脚だけが残された。ベリルはゆっくりと一本の脚の傍まで行き、触ってみる。滑らかで頑丈。だが、重要なのはそこではなかった。
「妙だな。なんで脚が残る」
澱みは過剰エネルギーから生じる不純物で構成されている。澱みが消滅した以上、脚だけが消えないというような事はありえない。
いや、逆なのか?
「こんな所に澱みが出たのも、無闇にデカかったのも、やけに強かったのも、この脚が原因だった?」
ならば問題はこの脚の出処と、どのようなモノであるかという事だ。ベリルには調べようのない事だが、幸いここには「専門家」がいる。
ちょうど件の専門家であるメアがパタパタとこちらに走ってきた。ベリルは手を振って応えた。
「お疲れさん。あんたのお陰で一件落着だ。と、言いたいんだが救援が来る前に、もう一仕事して欲しいんだが……」
ベリルが言い終わる前に、メアは返事も無く座り込んで荷物を下ろし物色し始めた。出てきたのはノートにベリルには理解できない文字で書かれた分厚い本、筆記用具。薬品の入った小瓶。メアは革手袋を取り、薄く白い手袋に付け替えた。ベリルはメアの方まで歩き、声をかけ直す。
「おーい」
「……へ? あ、ベリルさん」
メアは一瞬ベリルの方を向いて間の抜けた声で答えるが、すぐに澱みの脚へと視線を戻した。
「よくまあさっきの今で考えを切り替えれるもんだな……」
自分達を殺しかけたモノだろうに。というか、労いの一言とか、互いの功績を称え合うとか、そういうのは無いのか。
あの命を捨ててでも自分を助けてくれようとした少女メアはすっかり消え、今此処にいるのはいけ好かないコードトーカーメアであった。
「何か言いましたか?」
メアが事もなく聞き返すので、ベリルはもはや突っ込む事を諦める。幸い、目的は一致している。
「いや、これの出処とこれが何なのかを調べてほしかったんだ。分かるか?」
「それはこれから。でも、これがどういうものかは分かりますよ」
ペンでコツンと脚を叩き、メアは上機嫌に答える。
「本当か?」
生真面目で整った顔を邪悪に歪ませてメアが笑う。
「ええ……分からないという事が分かります。フフフ、スゴいですよ。この子は。切断が可能なら、手頃な大きさに切って一つ欲しいくらいです」
「さいですか」
まあ、彼女がいなければ今回の勝利は無かった。救援が来るまでは好き勝手させて問題無いだろう。ベリルは黙々と調査を行うメアの邪魔にならないよう、隣に座って彼女の調査を眺める。
「そういえば、言うべき事がありました」
作業はそのままに、口を開く。ベリルはメアを見た。
「何だ?」
「助けた男の人から、貴方の事。昔の話を聞きました」
「そうか」
突然の告白にも、ベリルは眉根一つ動かさず無表情に言葉を返す。そして続ける。
「当時を知ってる人間なら、有名な話さ。これからも組むなら言うつもりだった。説明する手間が省けたよ」
ベリルは抑揚無く語ったが、それが却って彼の無念さを表しているようだった。
「私……」
メアが口を開き言いかけた言葉は、こちらへと向かってくる足音で中断される。救援にしては早い到着だ。余程実力のある探索者が澱みを倒す為に先行したのだろうか。二人が足音の方へと振り返ると、ベリルはその表情を歪める。
「げっ」
目の前にいたのは、金髪碧眼の女剣士。昨夜ベリルを完膚無きまでに叩きのめした女。ティーだった。
「随分な挨拶だな」
彼女はムスリとした顔をする。そして、転がっている八本の黒い棒を見て称えるでも嘲るでもなくベリルに尋ねる。
「倒したのか」
「ああ。さっきな。救援に来たなら、一歩遅かったな」
ベリルの返答もまた素っ気ない。
「あの、お知り合いですか?」
小声で聞くメアに、ベリルはボソリと言う。
「知り合い。まあ、昨日知り合った人間を知り合いというならそうだ」
「は、はあ」
その割には随分と険悪な雰囲気だと、メアは正直居心地の悪さを感じる。
「ここに来るまでの途中で、救助対象の怪我人がいたはずだ。そっちはツレのお嬢様が対応してくれてるって事でいいんだな?」
「ああ、セラ様が救助を行っている。問題はないはずだ」
「ならいい。助かった」
ベリルは礼を言うが、ティーは気にせず質問を続ける。
「報告に来た男は、規格外の澱みと聞いていたんだが」
「そうだ。でも倒した。俺と、そこの優秀なコードトーカーのお陰でな」
ベリルはやる気なさげな顔でメアを指差す。ティーはここで初めてメアを見て、その無表情を崩す。
「王立遺産学院生……しかもその大羽根、主席卒業者か」
「あ、はい……えと、私。メアです。メア・ベルトシュタイン」
「メア・ベルトシュタイン?」
その名を聞いて、ティーは慌てて頭を下げる。
「ならば、御無礼を許しください。オルフォンでも有数の才女たる貴方の噂は、私のような剣に生きる者にも届いております。私は……故あって今はティーとだけ名乗っております。お見知りおきを」
「そ、それはどうも」
自分を知っている。そして剣に生きる者という彼女の発言から、おそらく騎士階級の者なのだろう。オルフォンにおいて女性の騎士は少なくはあるが珍しい程でもない。王位継承権を持つ王子達に一人付くと言われる「姫騎士」は有名な存在だ。
「まさか貴女ほどの方が、この地で探索者になっているとは知りませんでした」
「自分で望み進んだ道ですので」
「……そうですか」
ティーは思う所があったのか、少しだけ顔を曇らせる。が、すぐに意識を切り替え表情が戻る。
「今日からという事は、まだパーティーも決まっていない状況では? どのような経緯で組んだかは知りませんが、その男は酒場でモクを吹かすような与太者。貴女と組むに相応しい存在とは言えません。より良い探索者を探すべきでしょう」
その物言いに、ベリルは嫌な顔をする。
「そこまで言わなくてもいいだろう」
「事実だ」
ティーは事もなく切り捨てる。ベリルの反応と言い方からして、嘘では無いのだろう。昨日一体どんな初対面をしたのだろうか。メアには想像出来ないが、しかし問いに対する答えは既に決まっていた事だった。
「助言、ありがとうございます。ですが、私は彼と一緒に迷宮踏破を目指そうと思います」
そう言うと、ベリルに寄って顔を近づけ、瞳を真っ直ぐに見つめて更に畳み掛ける。
「そうですよね? ベリルさん?」
「ん……うん。そうだな」
彼女の答えは少し驚きであり、だが理想の言葉であった。当然、彼女には問題が有る。探索者としても、コードトーカーとしても。
しかし、問題がなくて実力が無難な者よりも、大問題を抱えていようと一点秀でた実力者を重用すべき。そうベリルは師であるスピネから学だ。故に、ベリルの答えは一つしか無かった。
「彼女は俺の、このパーティーの仲間で、コードトーカーだ」
ベリルの自信ありげな言葉を、ティーはかなり不服そうな目で見て……しかし反論する事無く二人に背を向けた。
「同意あっての事ならば、私から言う事はありません……が、ベリル・ザトー」
首だけ振り返って、ティーが名を呼ぶ。確かに名乗ったが、まさか覚えていてくれたとは驚きだ。
「なんだ、ティー様」
「ああも断言するならば、彼女をしっかりと守れ。彼女を失うのは王国の重大な損失に繋がる」
「分かりきった事を言うな。ティー様は」
「それと、私に様は付けなくていい。私は所詮、一介の剣士だ」
皮肉を込めて茶化しただけだったのだが、ティーは生真面目に言う。お前みたいな一介の剣士がいるか、とベリルは言い返したかったが、そう言うからにはそうしておいてやろう。
「一介の剣士になら、言っておく。あんたにはもう一度、喧嘩を売る。首を洗って待っておけ、ティー」
それに、その方がこうやって挑発も吹っかけやすい。
「……ハッ!」
ベリルの言葉にティーは驚いて、一笑に付す。小馬鹿にした笑いなのに、笑った彼女は恐ろしく可憐だった。
ティーは地面を蹴ると、信じられないようなスピードで去っていく。見送って、ベリルは一息ついた。メアが感心する。
「なんだか、すごい人でしたね」
「まあ、本当にすごい奴だからアレで許されるんだよ。それより、本当に良かったのか?」
さっきはその場の勢いに任せて言ったように見えたのでベリルが聞くと、メアは不思議そうに見返す。
「? 私の方こそ、ベリルさんに同じことを聞きたいくらいです。私は、迷宮踏破と謎の解明という夢の為に、貴方を巻き込んだのですから」
迷宮の踏破、謎の解明。それは二年前のベリルが抱いた野望でもあった。迷宮王ロジャード・ノクトバーグを超えるという、大きな夢。
しかしベリルにはそれが出来なかった。最高の仲間。万全の準備。研ぎ澄まされたと自負出来る実力。その全てが、足りていなかった。かつての仲間たちは、その現実にそれぞれの折り合いを付けた。
だけど、それでも、ベリルは納得出来なかったのだ。
「難儀な道だぞ」
簡潔な一言。メアはそれがどれほど困難であるかの一端を知った。もしかしたら、最初から不可能な挑戦であるのかもしれない。
しかし、だからこそ、メアの好奇心はこの迷宮の奥深くに向いたのだ。
「でしょうね」
故にメアも、一言肯定した。ベリルは笑う。
「なら俺も、もう一度夢を見ようかな」
望むならば、それが良い夢でありますように。ベリルはメアの調査が終わるのを待ってから帰還を開始。月が半分程登った頃に、無事アンカルジアへとたどり着く。
探索者ベリルとコードトーカーメアのパーティーの初探索は、波乱を含みながらも無事終了した。
深夜、アンカルジアに多くある安ホテルの個室の一室にセラとティーはいた。あの後、ティーが急いでセラの元に戻った頃には、セラは既に怪我人の護送を終えて、ギルドで一人紅茶を飲んでいた。正直な所、片時もセラの元を離れたくないティーからすれば気が気でなかったのだが、セラはどこ吹く風である。
「そうですか。昨日の彼と、あのベルトシュタインさんが」
「驚かれないのですね」
「彼女とは、何度か話した事がありますが……目的の為なら手段を選ばない子ですよ」
ブラシでその美しい銀髪をときながら、セラは楽しそうに語る。ティーは直立不動。万が一の外敵に備えていた。
「彼女が私達に気づけば、それを他者に喋るでしょうか?」
「あの子はそのような事をする人ではありませんよ……ですが、脅威にはなるかもしれません」
「脅威?」
「競争相手として、ですよ。もしかしたら彼女は、このアンカルジアの地下に眠っているモノが何かを知っているとすれば」
「『妖精の遺体』ですか」
極めて小声で、ティーは答える。セラはいたずらっぽく微笑む。
「そんな大した秘密ではないでしょう。迷宮は全て、妖精技術の賜物。ならば、技術の提供者のミイラの一つや二つあって然るべきでは?」
当たり前のようにセラは言うが、妖精の遺体。その存在が決してそのような安易なモノで無い事はセラ自身が最も良く理解している。
それは世界を覆すに足る遺物なのだ。
「遺体は今の私達にとって必要不可欠なモノ。他者に渡るような事は、あってはなりません」
「ええ、もちろん。ベルトシュタインさんには申し訳ないですが、譲る事は出来ません。競争ですね」
競争。つまり、メアを事前に排除するのは好ましくないという事なのだろう。
彼女がこの迷宮にあるモノを知ってアンカルジアに来たのか。それともただ、大陸一の迷宮都市である事に惹かれただけなのか。見極める必要が、あるのかもしれない。
その美しい顔の眉間に皺を寄せ考え込むティーに、セラは聞く。
「あら、貴女でも不安ですか?」
「……いえ。不安となるような事も、不安にさせるような事も万に一つもありません」
ティーはセラの前に跪くと恭しく自らの主、オルフォン王国第二王子の名を呼ぶ。
「セラフィ・ナスタシャ・オルフォン様」
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