七話「理想と妥協と物語の始まり」前編
サボっていたツケを支払う必要があるのかもしれない。ベリルは額から伝う血を舐めて、気付けとする。
正面の澱みを見据える。十二度打ち込み、八度燃やし、三度雷鎚を落とした。通常の澱みであれば三体は消滅し切るだけの攻撃量だ。しかし、目の前の巨体は未だ本来の澱みよりはかなり大型に見える。
それでも、目に見えてその体躯は最初より小さくなっていた。このままひたすらに戦い続ければベリルの勝ちだ……ひたすらに戦い続ける事が出来れば、の話だが。
疲弊するベリルに対して、澱みにそのようなものは一切ない。
「瞬発力よりも、勘よりも、体力だな。こりゃあ」
ベリルが呟き、澱みの攻撃が来る。フライパンで受けながら、無理に抵抗するでなく身を任せて吹き飛ばされる。ゴムボールのように宙に浮きながら、ベリルは身体を回転させて虚空を蹴って澱みにアプローチを仕掛ける。
空中を飛ぶベリルに対して脚の迎撃。ベリルは空を蹴り、迫りくる脚をいなして懐へ潜り込む。
そして回らない頭でそれなりにフライパンを巨大化させ、そこそこの力で攻撃し、まあまあの火力で澱みを焼く。
その一撃は初撃の果たして何分の一の威力だろうか。コードの精度も落ちている。ここから更に体力が減る事を考えれば勝利どころか救援が来るまで持ちこたえるのも厳しいだろう。
かと言って攻撃の手を抜けば、手痛い反撃となってベリルを戒める。この額から流れる血はつまり、少し前のベリルに対する罰だった。
肩で息をするベリルを澱みが見下ろす。何故か攻撃を放ってこないが、それは嘲りや侮りではないだろう。澱みに明確な意志というものはない。資源スライムもそうだが、迷宮の生命活動によって生じる過剰エネルギーに過ぎない。
だが、過剰エネルギーが集まり歪ながらも生物の形を取る事が、まず不可解にして未解明。
もしかしたら澱みにすら意志はあるのかもしれない。ならばそれは、迷宮の意志の現れなのだろうか。
「どうなんだろうな?」
息を整えて、ベリルは笑って澱みを見る。澱みからの返答は突進で返された。前動作無しの突発的な攻撃。そして不自然な間。これ幸いと身体を休めていたベリルが、この突進に対応出来るはずも無かった。
廃墟一つを丸ごと突き破って、ベリルは吹っ飛ぶ。衝撃を吸収するように受け身なぞ出来るはずもない。
「ぉごっ」
脳が震え、身体に痛みが走る。それでも、得物のフライパンは手放さない。これを手放せば、反撃の機すら無くなってしまう。瓦礫に埋もれて倒れ込むボロ雑巾のようになったベリルの顔目掛けて、澱みのトドメを刺す一撃が飛ぶ。
フライパンを持つ右腕に力を込めて身を守ろうとするベリル。
しかし、その前へと迫る澱みの脚が……不可視の力によって弾かれて攻撃が逸れた。
「……ぁ?」
来るはずだった攻撃が来ない事にベリルは疑問符。そして弾かれた当の澱みはゆっくりと敵対者をベリルから弾いた張本人を探し出す。
一体と一人から十数メートル離れた所で、メアは澱みを指差し睨む。先ほどの澱みの一撃がどれくらい本気で放たれたかは分からないが、自身の「障壁」で弾けたのは間違いない。メアは大きく息を吸うと、あらん限りの声で叫ぶ。
「私が相手ですッ!」
その声に、澱みはメアを優先排除対象と認識しベリルを放って走り出す。
「……!? な、なんで?」
一方のベリルは余りにも想定外の助けに驚いた。何故? どうして? 戻ってきた? 戦えないと言ったのはメア自身だ。自分を助ける為に? 理由にはなるだろうが、そのために負うべき代価が重すぎる。
しかし、彼女の助けがなければ今ベリルは生きていなかっただろう。どれほど無謀で愚かであろうと命を助けられた以上、その恩には報いなければならない。ベリルは打開の手を打つべく起き上がった。
澱みの突進と、メアの前面に展開された障壁コードが激突する。そしてかかる圧倒的質量攻撃に、メアは両手を突き出し歯を食いしばる。
「んぐぐっ!」
不可視の障壁を張るこのコードは、地面から壁をだす「土壁」の類よりも数段強力だ。メアが扱える戦闘転用可能なものでは最強のコードと言っていい。
しかし所詮は壁。防御は出来ても反撃出来る訳ではない。澱みは障壁を突進で破る事をやめると、八本の脚を踏ん張り空中へ飛ぶ。
「あわっ!」
障壁は全方位ではなく一方向にしか展開出来ない。メアは慌てて障壁を解除しながら走り出し、そのままジャンプ。ふわりと身体を浮かせて廃墟の屋上へと着地して澱みを見る。
飛んだ澱みは別の廃墟へとしがみつくと、メアへと方向転換。再び跳躍して襲いにかかる。
「ここに、妖精へ告げる……っとぉ!?」
詠唱を中断して、廃墟から飛んでメアは逃げる。その後ろで澱みは廃墟へと着地。嫌な音が鳴るが、廃墟は押しつぶされて崩壊するような事は無かった。
メアが用いる詠唱は、数ある詠唱でも儀式がかった妖精賛歌形式。当然ながら一瞬一秒が生死を分ける戦闘に向かない詠唱である。
大抵のコードを無詠唱や簡易挙動で扱えるメアにとって詠唱はこだわりであり、他を無理に学ぶ必要はなかった。
しかし探索者は違う。詠唱によって少しでも威力を上げ、尚且つそれらは手短に行使されなければならない。
戦闘用のコードにしたってそうだろう。例えコードトーカーであっても、遺産管理局員ではなく探索者となるならば戦う時は必ず出てしまう。
自身の命を守る為の最低限のコードさえあればいい。戦闘用コードはコードの本質ではない。その考えは変わらない。だが、必要不可欠なモノであるのだ。誰かを傷つけたくなくても、剣を取らなければならない時はある。迷宮という地に脚を踏み入るならば尚の事である。
「きゃあぁああ!」
思考中断。澱みの追撃をメアは跳ね回って逃げる。後悔をしている場合では当然無い。今出来る手段で何とかするしかない。
しかし、どうすれば? 覚悟を決めるべきだと勇み足で来たのはいい。ベリルを助ける事が出来たのはとてもいい。だが、その後は? 攻撃手段はなく、大掛かりなコードを行使する隙も無い。その状態でこうやって逃げ回って、果たしてどれくらいの時間を稼げる? ……正直な所、既に体力的には辛いものがある。
メアが行使できる肉体強化コードは身体を羽根のように軽くして身軽さを上げるタイプ。体力や膂力は当然、防御も上がらない。
強固な戦闘用の肉体強化コードを行使しているであろうベリルがああなるのだ。澱みの攻撃を受ければ……間違いなく死ぬ。
澱みの突撃。避けきれないと判断して両手を突き出す。障壁が行使され、勢いのままに澱みが激突する。しかし咄嗟の行使で一度目の障壁程の強度が出せていない。澱みも衝突時の手応えでそれを分かったのか、強引に障壁を突破しようとする。
「も、もう駄目、かも……」
弱音を吐くメアの隣にいつの間にかフライパンを構えるベリルが立ち、詠唱する。
「……いいや、勝ち筋はここに成った。ハーゲン・ガリィ・ソウ・パル・バー」
氷塊のコードが行使され、突如地面から出現した巨大な四角柱の氷が澱みを吹き飛ばした。驚くメアに対して、ベリルは微笑む。
「やっぱり、少しでも休憩したら違うな」
「ベリルさん、怪我は……?」
遠目にはどう見ても少し休憩した程度で動けるような状態には見えなかった。実際、額は乾いてはいるものの血がこびり付いている。しかしベリルは軽くフライパンを振り回し、不調ではない事を示す。
「怪我? ああ、気にするほどでもない。あの澱みを倒すのに必要な授業料だ」
ベリルは軽口を叩いて、頭を下げる
「……正直一人じゃ死ぬ所だった。ありがとう……ここに来たなら、頼りにしていいって事だな?」
「ええ、その為に来ました」
メアは頷き、二人は澱みを見る。立ち上がる澱みの様子からして、氷塊の一撃も余り効いてる様では無さそうだ。
「でも、ベリルさん。アレに本当に勝ち筋あるんですか? 出来る事はしますけど、私の出来る事は限りがありますよ?」
ベリルはそれを聞きながら、澱みを見据える。澱みもまた。こちらを見るように身体を向け、ゆっくりと動き始める。
「何で探索者はパーティーを組むと思う?」
唐突に、ベリルはメアに尋ねた。突然な質問にメアはほんの少しだけ悩んで答える。
「え? ……みんなで助け合う為に、ですか?」
月並で当然な答えだったが、ベリルは大きく頷く。
「その通りだ。どれだけ優秀な人間でも、一人では出来ない事がある。どうしょうもない間抜けな人間でも、二人いたら出来る事がある」
澱みが走り、そして飛ぶ。ベリルは構える。
「時間は多少かかっていい。手段も問わない。奴を身動き出来ない状態にしてくれ。そこに必殺コードを叩き込む。その間の時間は俺が稼ぐ……任せた」
背中を押され、メアは何も言わずに落ちる澱みへと跳ねた。そしてすれ違いざまに澱みの身体に爪先のみで着地すると、そのまま羽根のように更に飛ぶ。
着地する澱みがメアへと向かう前に、ベリルはフライパンのプレートを燃やし、殴りつける。最後の戦闘が始まった。
「ここに、妖精へ捧げる言葉を」
メアは優しく囁き、激突するベリルと澱みの周囲を円で囲むように軽やかに飛ぶ。
「在りし日の夢、栄光輝きし過去、失われゆく刹那を永遠に留める事を望むモノ」
転々と廃墟の屋上に着地しては、つま先で床を叩き印を付けていく。
「すなわちそれは鎖。すなわちそれは楔。すなわちそれは縁」
円を描き終わって、メアは澱みを見る。
「誰もが求め、逃れる事は出来ない。彼の者もまた然り。理から出る事叶わず。されど安らぎのあらん事を」
メアが描いた円が印を結んで輝き陣を為す。もし、これが駄目なら……考えかけて、メアは自身の後ろ向きな感情を否定し、コードを行使する。
コードトーカーならば、自ら歌った妖精の囁きを疑うな。
体力を温存しながらも澱みと打ち合っていたベリルは、自分達の周囲が光るのを見る。どのような手段で動きを封じるかは知らないが、ここまで来れば彼女を信じるしか無い。手段を問わないと言ったのはベリル自身だ。
脚の攻撃を振り払って、後ろへと退く。澱みは追い打ちを掛けるため前進しようとして、その動きが止まった。
澱みは前に進もうと足掻くが、脚が動くのに進まない。どころか、地面を引きずるように少しずつ、後ろに下がっている。違う、引き寄せられているのだ。メアが作り出した陣、その中心へと。
このコード。本来ならば巨大かつ不安定な建造物や調査対象に扱う故「固定」という名を持つ。しかし、固定では自ら動き回る物体を捉える事は出来ない。
故にメアは、詠唱した。円形に構成した陣。その中にいるマーキングした対象を円の中心点へと繋ぎ止めるコード。
これ、名を「因果」なり。
「百点満点……なら次は俺の番だ、な!」
ベリルは既に中心点に繋ぎ止められた澱みへと走り出し、フライパンを振り上げて地面に突き刺して、棒高跳びのように高く跳ね上がる。
限界までベリルは空中を回転しながら飛ぶ。そしてその一回転ごとに、ベリルの両足が燃え上がり、閃光が走り、その周囲が凍りつく。炎と、雷と、氷。相反する三属がベリルの脚に纏っては、その爪先に収束されていく。
九度目の回転で一際脚が輝き、ベリルは澱みへと飛び蹴りを繰り出す。
「ハーゲン・ガリィ・ソウ・パル・バー」
飛び蹴りが澱みへと当たった瞬間に、その弾力を感じながらベリルは詠唱。
「ダ・サン・ジャク・ナン・ダー」
ベリルはそのまま連続で澱みを蹴りつけながら、詠唱を続ける。
「ディア・フラン・ヴェー」
九度蹴りつけた後、ベリルは強く勢いを付けて飛んで地面へと着地する。三度の詠唱をしておきながら、澱みには何の変化もなければ、攻撃が通ったような素振りもない。
だが、ベリルは澱みに背を向けて、地面に突き刺したフライパンを拾う。そしてそのまま、フライパンを元のサイズに戻してベルトに吊り下げてしまう。
その直後に、澱みは突如膨れ上がったかと思うと内側から爆発した。
「ふぇっ!?」
果たして攻撃が通っているのかと不安になっていたメアが驚く。澱みはよろめくと、更に爆発。内側からの攻撃を、振り払う事が出来るはずもない。澱みがベリルへと脚を伸ばそうとすると、今度は澱みの内側から閃光が走ってその身体を内側から焼く。
爆発と閃光が内側から澱みをえぐり取っていく。だが、澱みは穴だらけの胴体を揺らし、地面を引っ掻きながらベリルへと向かおうとして、動きが止まる。
澱みの身体が白く凍てつき、砕けた。
次回更新は水曜日予定です