三話「同行者と探索と第一階層」前編
翌日。BARムゥトゥの隅にあるソファでベリルが目を覚ました時、既に太陽は登りきっていた。
「……オイオイオイ」
ソファから飛び起きて首を振る。壁に掛かっている時計を見ると十一時。探索者ギルドが動き始めるのは朝の六時。アンカルジアの迷宮は深くかつ広大だ。迷宮内で夜を明かす危険の大きさから、大抵の探索者は日帰りの帰還を目的とする。故に迷宮の探索申請の受付は朝六時に始まり、夕方六時で閉まる。カウンターの方に目を向けると、マスターは座って自治府日報を読んでいた。彼は立ち尽くすベリルを見て声をかける。
「ほう、昼起きか。大したモンだな。一流の迷宮探索者は何時寝ようが、日の出と共に起きるというがお前さんはそうじゃないらしい」
「どうでもいいけど、なんで起こしてくれなかったんだ」
「昨日の夜の流れだったら、普通自力で起きるだろ」
「……とりあえず、一本くれ」
「モクモクは仲間見つけるまで断つんじゃなかったのか」
「一本くらいは必要な犠牲だ。状況を立て直す」
マスターと向かい合うにように座り、唸るように注文するベリルにマスターはモクモクを一本置く。寝ぼけ眼でノロノロとパイプに詰めるベリルを見ながら、マスターはため息をついた。
一時間後、そこには迷宮踏破を夢見る若き探索者。ベリル・ザトーの精悍な姿がそこにあった。その顔は自堕落な生活を送り先程まで寝ぼけ眼だったとは思えないほど鋭く、野心に満ちている。
装備は戦闘時の防御力というよりは、探索時の汚れや擦れに対して有用な丈夫な茶色のズボンと緑色のジャケット。腰のベルトには小物入れが幾つかと、手頃な大きさのフライパンが一つ、吊り下がっている。
このフライパン。見た目こそ普通だが、実は遺産文明時代の遺物である超合金。アダマント鋼で作られた逸品であり、並大抵の武器よりも強力な得物足り得るのだ。背には二日分の必要物資が入った鞄を背負っており不測の事態に対しても油断はない。それを見たマスターが感心しながら呟く。
「過程はともかくお前のその切替の良さは感心するな。で、どこから始めるんだ」
「今日は適当に暇そうな探索者捕まえるのが目標だ。二層の入り口辺りまでの運動程度に抑えておくさ」
「ま、無茶しない程度にやれや」
マスターの見送りを受けBARムゥトゥを出て商業区画を抜けると、ベリルはアンカルジアの中心である探索者ギルドへと向かう。
アンカルジアは迷宮の文字通り真上に作られた街だ。その為迷宮の入り口もそれをまとめる探索者ギルドも中心に存在する。そこから放射状に探索区画、行政区画、商業区画、居住区画等に分けられて広がっている。
ベリルが探索者ギルドにたどり着いた頃には、二層以降に潜るような探索者や表層目的の者でも勤勉な者はとっくに迷宮入りしている。
今ギルドにいるのはベリルのようなのんびり屋がまばらにいる程度だ。ベリルはその中から、奥にあるパーティー募集、参加希望者を募る掲示板へと向かい、とりあえずは一通り見る。
パーティー結成を円滑にする事を目的としたこの掲示板だが、実は余り意味が無い。パーティー募集条件のほとんどはコードトーカー資格を有している事を求めているからだ。
コードトーカーはコードを扱う専門資格取得者の事だ。ただコードを使えるというのと、コードトーカーの資格を持っているのでは迷宮探索者としての需要に格段の差がある。ベリルも当然取得の為に勉強をしているが、今のままでは知識力を測る筆記試験で落とされるのがオチだろう。
参加希望者はコードを使えこそすれコードトーカーは資格取得に向けて努力中と書いてるのが精々の者ばかり。これで相手から是非にと声がかかる可能性は低い。大抵の迷宮探索希望者はここで躓く。
ベリルは運良くパーティーに入れたが、そんな場合でも与えられた役割はアタッカー。どのような敵や危険に対しても真っ先に行動し、状況を判断するという命懸けの役割だ。パーティーで死者が出る場合、全滅で無ければ大抵はこのアタッカーが死ぬ。
もしくはアタッカーが逃走を判断した時やパーティーが壊滅の危機に陥った時、殿を務めるという同じく命懸けの役割であるディフェンダーが存在し、これがアタッカーに次いで死亡率が高い。
ベリルはパッとしない掲示板を一つずつチェックしていく。コードトーカーで無い場合でも、必要とされる技能はいくらでも存在する。
特定の高難易度コード。例えば「帰還」や「結界」が使えるならば、それだけで戦力たりえる。最もこの二つは習得している者が極めて珍しいので除外。
コード以外の技能もある。問題解決能力、戦闘能力、人脈、知識。探索者に必要な技能は資格として明示されたものに限らない。培ってきた技能は無駄にならず、その実力を見せればパーティーとして迎えられる事は充分に可能だ。
後は、このアンカルジアでパーティーアタッカーやディフェンダーを務め明確な結果を残す事だ。ベリルも「ゴンドラ」が解散してすぐの頃は、幾つかのパーティーから声がかかった。しかしそれも、一年も経ってしまえば無きに等しい実績であるが。
逆に言うと、それら全てが無い者は命を賭ける他無いという訳だ。非情ではあるが、パーティーとして必要とされるには理由がいる。
遺産文明時代に残された妖精技術の遺物を探し求める。聞こえは良いし、誰もが一度は憧れる職業であるが、その実態は何てことない。ただシンプルな、人が明日を生きるために為さねばならない仕事。夢を見れるのは、ロジャード・ノクトバーグのような本物の実力者かもしくは本物の馬鹿だけだ。
運が良かった過去と比べるのはやめよう。一通り見終わったベリルは仲間の獲得を諦める。また明日、早朝に起きて人の多い時に探してみよう。コードトーカー獲得は最優先案件だが容易な事ではない。まずはある程度気の合う仲間を見つけるくらいから始めるべきだろう。
気を取り直して窓口に向かうと受付の男が暇そうな顔をしていた。探索者であれば迷宮探索を行うのは自由であるが、生還と死亡を管理しやすくするために迷宮侵入時と帰還時には申請する必要がある。
どうやら先客がいるらしく、一人の女性が書類とにらめっこしながら項目を埋めている。セミロングの赤毛をお下げにし、眼鏡が似合う物静かそうな顔立ちであるが、ベリルが注目したのは彼女の顔よりも、その服装だ。
大量のポーチがついた大型のベルトは彼女自身の私物なのだろうが、古めかしくも格調高い明暗二つのベージュで構成された厚手の布と革製のコートに茶色のデニムパンツ。
そして頭には、知恵有る者の証である大ガラスの羽根がアクセントとして付いた三角帽子。間違いない。王立遺産学院の制服だ。
大陸の西に存在する大国オルフォン。遺産学院はそこに存在する遺産文明研究の最高学問機関だ。遺産文明の解明を目的として大陸中から優秀な人間を集めており、その卒業生の多くは遺産管理局と呼ばれる上部組織へと就く。
このアンカルジアで収集され、買い取られた遺物もギルドを仲介して遺産管理局へと向かう。アンカルジア支部の遺産管理局は迷宮の大きさと希少品の発見も多い事から規模が大きい。
彼女が学院の制服を着ている事からおそらく新任の遺産管理局員なのだろう。こんな場所まで書類仕事とはご苦労な事である。
「おはようジョゼフさん」
ベリルが気軽に話しかけると、受付の男は表情を変えず見る。
「ん、ベリルか。いつも通り鈍い始まりだな」
「レベッカさんの日ならもう一時間早く来てたよ」
アンカルジアの迷宮受付は今目の前にいる探索者を引退した中年男のジョゼフの他に、ベリルと同時期にこの街に来てギルド勤務になったレベッカという女性がいる。当然ながら、探索者のウケはレベッカの方が何倍もいい。容姿もそうだが、愛想の良さが段違いなのだ。ベリルもレベッカとは立場は違えど同期という事もあってそれなりに親交がある。
「それでも鈍いから言ってるんだよ」
文句を受け流しながらベリルは今日付けの探索者名簿にサインしながら昨日の二人組を思い出し尋ねる。
「あ、そうだジョゼフさん。今日新しい冒険者登録しに来た奴に、とんでもない美人二人組がいなかった?」
「お? 何だお前。こんな遅い出のくせに耳が速いじゃねえか。多分朝一に来た二人の事だろうな。いや、すごかったなアレは。美人なのもそうだが、剣士の方は相当な手練だろうよ。今のお前じゃあ到底敵わないんじゃないか?」
「実際、昨日の夜叩きのめされたんだよ。それで目が覚めてね。今日から本気出す事にした」
「今日から本気ねえ、だったら早く起きろって言っていいのか?」
「そっちは明日から本気出す。今日は運動だ」
「信用ならねえ発言だな。一年前までゴンドラのアタッカーだったっていう事実が無ければ笑ってる所だぜ」
「今も笑ってるじゃねえか」
互いに笑って近況を話し合う。あのティーとセラを名乗る二人組は、探索者紹介の業者を使って卒なくギルドに登録を済ませたようだ。その対応は事務的なもので、問題を起こすようには見えないものだったらしい。昨夜は単に虫の居所が悪かったのか、彼女の逆鱗に触れたか。
そして彼女達はそのまま仲間を集めずに二人でダンジョンへと潜っていったとの事だ。どうやら何か目的の代物があって、その為だというのはかろうじて聞いたらしい。あの美貌でやはり朝はそれなり以上に話題になったらしいから、もしかしたらこの街に新しい風を呼び込む事になるかもしれない。
今度迷宮内で会った時には挨拶の一つくらいするべきだろう。話も適当に切り上げてベリルが出ようとする所に、先程の遺産管理局員と思わしき女性が戸惑い気味に紙をジョゼフに差し出す。
「あの、すいません。これで大丈夫でしょうか?」
「おっと、今確認しますよ……大丈夫です。でも、本当に間違っていませんよね? これは迷宮探索者登録で、遺産管理局の手続きは別所ですよ?」
「いえ、大丈夫です。私、探索者になるために王国勤務を蹴ってここに来ましたので」
小さく静かに。だが自信有げに言う彼女に、思わずベリルは目を向ける。
「え? 何? 彼女、探索者希望? 遺産管理局の新人局員じゃなくて?」
そうなんだよと、ジョゼフが困ったように頷く。しかも聞いた限りだと王国勤務を蹴って? それがもしオルフォンの本国勤務を指すなら、学院卒業生の中でも一流のコードトーカーのみが許される就職口を蹴ってきた事になる。
「あ、はい……えっと、貴方は探索者さんですよね?」
「え。あ、まあそうですが」
いきなりこちらを見つめられて若干しどろもどろになってしまう。おとなしい顔つきだが整った美しい容姿だ。どうにもベリルは、このアンカルジアでは昔から美人に縁がある。
「私、ここの遺産管理局員をしている先輩を頼って来たのですが、どうやら探索者になるには同じ探索者の紹介が必要との事なので……」
そしてそれは、いつだってベリルの歩みを前に進めるキッカケとなってくれた……どうやら、今日から本気を出したのは間違っていなかったらしい。
「あぁ、それなら紹介してもいいですけど……失礼ですが、遺産学院卒業生と見受けられるので、コードトーカーである事を証明するものを見せてもらえませんか?」
改まった態度で丁寧に尋ねるベリルに、彼女は思い出したように言う。
「あ、そうでした。先輩にもコレを見せたら大丈夫だって言われて……」
荷物の中を探すと一枚のカード。探索者なら誰もが憧れる光り輝くコードトーカー免許を見せて、優しく微笑んだ。
「私、メア・ベルトシュタインと申します」
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