Side.王妃さま
私がクロエと出会ったのは、物心ついてすぐのことだった。両親を亡くしたばかりのクロエは縁あって我が家の保護下に入ることになり、私の友人として一緒に暮らすことになった。銀糸のような髪に、深い海の色をした瞳。身体が弱く、今にも折れてしまいそうな儚さ。自分で言うのもなんだけど、煌めくような金髪に薔薇の如く真っ赤な瞳。やがて王妃になれるようにと強かに育てられた私とは全くもって正反対だった。見た目も、そして心も。
成長するにつれ貴族世界の汚さを学んでいく私と、いつまで経っても子どものように純粋なクロエ。身体が弱くあまり社交の場に出なかったせいもあるのかもしれない。だけど、きっとそうではなく、心根の奥底からクロエはそういう人間だったのだ。歯向かう者には容赦しない気高い私と、誰かの庇護無しでは生きていけないか弱いクロエ。本当に、何もかもが正反対。
だけど、その綺麗な心で私を姉と慕ってくれるクロエと、そんな彼女を眩しくも妹のように思っていた私達は実の姉妹に劣らないほど仲睦まじいものだった。
私の少し後ろをついてまわり、いつだって無垢な眼差しを向けてくるクロエ。私の大切なクロエ。
あぁ、クロエ。
あなたは私のたった一つの宝物だったの。大事に大事に守っていた私のとっておきの蕾。出来ることなら誰にも見せず、触れさせず、私だけが愛でていたかった。
だというのに。
あぁ、忌々しい!ヴィンス!ヴィンセント=ナイトクランツ。
当時、婚約者候補だった私が避けては通れない王子の御友人。ナイトクランツ公爵家の正統後継者にして、類い稀な魔法使い。そのうえ、恐ろしくも美しい美貌は王子の隣に並び立つに相応しく非の打ち所のない男。
そんな男に、クロエが恋をした。
悔しいことにヴィンセントが最初ではないのだ。最初はクロエ。クロエが彼に恋をした。私が王子と一緒に居ればいるほど、王子の横に立つヴィンセントと私の後ろをついてまわるクロエも必然的に共に過ごすことになる。そして、その恐ろしい顔に怯むことなく、冷たい態度にめげることなく、不器用でいて真っ直ぐな彼の心をクロエは愛した。愛してしまった。
私が大切に大切に守ってきた蕾は、ヴィンセントの元で咲いてしまったのだ。あぁ、なんて憎らしい。私のお兄様とでも結ばれてくれれば、本当の姉妹になれたというのに。お兄様がヘタレなばかりに!もうっ!
悔しくて悔しくて何度ヴィンセントに辛く当たったことか。それを歯牙にもかけないのだから本当にあの男は憎たらしい。しかも健気にもヴィンセントを恋慕うクロエをあの男は何度、本当に何度冷たく突き放したことか!あの儚さの塊のようなクロエを!!
正直あまりにも脈のなかった頃、私はヴィンスはもしかして王子狙いでは…?と疑ったこともある。現に仲の良かった王子に相談して凛々しい彼の顔を真っ青にした。今では彼も笑い話しにしている。勿論笑われるのはヴィンスだ。
やがて儚いながらも芯の強いクロエの想いに、ヴィンセントの閉ざされた心はゆっくりと絆されていった。それはまるで氷がじわりと溶けていくように。冷たかったヴィンセントの眼差しが、クロエを見つめる度に甘く優しくなっていく。
二人の愛が育まれていくほどに、泣きたいほどに悔しく、そして泣きたいほどに嬉しかった。
私の大切なクロエ。
出来ることならば、ずっとずっとあなたのそばにいたい。誰にも見せず、誰にも触れさせず、私だけが愛でていたかった。
だけど、ヴィンセントの隣で幸せそうに微笑むクロエは何よりも美しく。その姿こそをずっと眺めていたかった。だから、心からの祝福を。祈りを、願いを。陛下と国民に渡すべき全てを。
クロエが幸せでいますようにと。
王妃となって、許される権限の全てでクロエの体調を気遣った。王妃である私のため、友人であるヴィンセントのため、そして陛下自身が妹のように接していたこともあってなんとか許されていた。まぁ、許されなくても暇さえあればナイトクランツ家へと押し掛けていたけれど。勿論、体調が良ければクロエを城に呼んだ。
きっと誰も彼もが分かっていた。
私もヴィンセントも陛下も。そして他ならぬクロエ自身だって。
彼女の身体がいかに弱いのか。
それでもクロエはその儚い見た目に隠された意志の強さでもって、やがて身籠った子どもを産むことを選んだ。母子ともに健康で居られる保証なんてどこにもなくて、最悪二人ともが助からないかもしれない。もしものとき、ヴィンセントはクロエの命を取った。だけど、クロエは子どもを取った。
医師の反対を押しきって、クロエが産んだのは彼女によく似た女の子。母と同じ銀糸のような髪。両親の深い海と星空のような瞳を併せ持った赤ん坊。
……見たのは一度だけ。
私の守り続けた蕾は、ヴィンセントの元で咲き誇り、愛しい子と引き換えに儚く散ったのだ。
悲しくて、悲しくて。クロエがもうこの世界に居ないことに絶望して、彼女が残した子どもを直視することすら出来なかった。私は、幼いコーデリアから逃げたのだ。この国の女の頂点に立つべき王妃がなんと情けないことか。だけど、どうしても現実を受け止められなかったのだ。
…結局、再び会うことに私は5年の歳月も掛けてしまった。
何度も国民の前に笑顔で顔を出すこの私が、たった一人の女の子の前に立つことに緊張して前日から眠れなかったのは私と夫だけの秘密だ。真夜中からそわそわしては意味もなく歩き回り、お茶会の時間が迫るほどに逃げ出したくなり━━その前に陛下に捕まって我が子に引き渡され逃げ道を塞がれていた━━漸くクロエの子どもと再会したとき。
目元を赤く染めたコーデリアに私の庇護欲は爆発した。
昔、何度もヴィンスに向けた冷たい眼差しは、あの頃はてんで効果がなかったというのに、今となっては彼の分かりにくい顔色を青褪めさせるほどの効果がある。散々コーデリアに背を向けていた自分を棚上げにして、ちょっと顔貸せよゴルァと叫びたいところを王妃としてオブラートに包んでコーデリアを我が子に任せた。ちらちらと何度もこちらを振り返るコーデリアのなんてクロエに似たことか。ヴィンセントに似てなくて心の底から嬉しいわ。
結局ヴィンセントと話す間もなく、我が子が馬鹿やらかしたせいでコーデリアはすぐに帰ってしまったけれど。おかげで5年もうだうだ悩んでいた気持ちはどこかに消えてしまった。
私の大切なクロエ。
クロエが残した泣き虫なコーデリア。
今度こそ。
今度こそ、守らなくては。ヴィンセント一人になんか任せておけない。あの不器用な男に似てしまったら大変だわ。
可愛い可愛いコーデリア。
元々お茶会は我が子達の婚約者候補、友人候補を見繕うのが目的だった。
もし。もしも、コーデリアがエリオットかレオナルドのどちらかと結婚すれば、晴れてあの子は私の義娘になる。
あぁ、なんて素敵なのかしら!
そうと決まれば早速行動しなければ。
「文を用意して頂戴。ナイトクランツ家の令嬢に先日の非礼を詫びるわ」
「恐れながら王妃さま」
「何かしら」
「ヴィンセント=ナイトクランツ様より陛下を経由してお詫びは不要。関わることを禁じるようにと知らせが参っております」
「………」
「噂によると嫁にはやらんと陛下に直接宣言なさったそうです」
あの野郎。
そっちがその気ならこちらだって受けて立つわよ。かつてと奪われる側と奪う側が反対になったけれど今度こそ絶対に負けない。
コーデリアは私の義娘になるのよ!
クロエクロエ言い過ぎて私の中でクロエがゲシュタルト崩壊。
そんなわけで王妃さまの場合
悪役令嬢を狙う理由:義娘にしたい