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01

ぱちり、と。

まるでシャボンが割れたようだった。

頭をぶつけたとか、何か決定的なアイテムを見つけたとかそういったことはない。敢えて言うなら父親に呼ばれていると侍女に知らされソファーから立ち上がっている途中だった。何故、今なのか。


何の予兆もなく、なんとも軽く。まさにシャボン玉が割れたかのような気安さで、恐らく前世と呼ばれる記憶を思い出した。よく物語で聞くような痛みも不調もない。例えるなら大人になったときにそういえば小さい頃にあんなことあったなぁと思い出す程度だ。何もかもを思い出したわけではないからかもしれない。記憶というものは風化するものだ。


「お嬢様、どうかなさいましたか?」

「いいえ、なんでもありません」


そういえば、お父様に呼ばれていたのだった。扉を開けてこちらを待っていた侍女の訝し気な声に慌てて部屋を出る。前世の自分の名前は何だったかなと思考を巡らせてみるけれど、全く思い出せない。まぁ、その程度なのだろう。


父親の書斎に辿り着き、挨拶をして中へと入ると久し振りに見るお父様が居た。前世を思い出したからといって、彼が他人には思えないことになんとなく心中でほっと息を吐き出す。

まぁ、常日頃から仕事で忙しくしているお父様との関わりは非常に薄いのだけど。それでも、彼は私の父親だ。


実の娘に対して冷たい視線を向けているけども。あれ、私もしかして嫌わ…なんでもない。


「コーデリア」

「はい」

「明日、お前を連れて王妃様の茶会に参加することになった」

「はい?」

「失礼のないように」


話しはそれだけだ、というように机の書類に向かい出したお父様にやっぱり私嫌わ……………なんでもない。ソファーに座ったまま固まる私になど気にする様子のないお父様を思わずじっと見つめた。


二人きりだ。

室内が、ではなく。体の弱かったお母様は私を産んですぐに亡くなられた。お父様は仕事が忙しくて殆ど帰ってこない。前世と違って金持ちなこの家には使用人が沢山居るけど、彼等は使用人なのだ。はっきり言ってしまえば金で雇われている他人。昨日までの私はそれが当たり前だった。だけど、前世の記憶を思い出した私はやはり昨日とは違う。


自分の名前だって思い出せないけれど、両親がどういうものかは知っていた。知ってしまった。


「……まだ居たのか?」


不意にお父様が顔をあげてこちらを見る。

切れ長の瞳に睨まれて、どうして、と無意識に言葉が落ちた。今更になって記憶が混濁する。


愛してくれた両親と、お父様が頭の中でぐちゃりと混ざった。過去の私にとって、親は絶対的な味方だった。何をしても許されると思うぐらいには。…実際に何かをやらかす気はないけれど。


だけど、お父様は違うのだろうか。

私のことが嫌い、なのだろうか。


唐突に視界が滲む。

感情が、爆発した。


「うあああああああああああああああああんっっ」


大泣きである。

前世抜いて、物心ついて今までここまで大泣きしたことはない。そもそも隠れて静かにひっそりとしか泣いた覚えはない。自分で言うのもなんだが、私は大人しい子だったのだ。泣いて誰かを煩わせることを良しとしない程に、子供らしくはない子だったと前世の記憶で思う。


いいや、そう成らざるを得なかった。

お母様は私のせいで死んだと誰かが話す声が耳にこびりついている。まだ幼かった私には理解されないと思っていたのだろう。だけど、そんなことはなかった。ただそれだけの話し。


だからお父様は家に帰らなくて。

だから私はいつも一人で。


だからせめてこれ以上嫌われないように。


だから。だから。

我慢していた思いが、閉じ込めていた思いが溢れて止まらない。涙が、声が、制御出来ない。


だって私は。

コーデリアはまだたったの5歳。

これが当たり前だと思い込んで耐えていたのに、そういえば違ったなぁなんて思い出してしまったから。これ以上の我慢は出来ない。


嫌いにならないでほしかった。


ただそれだけ


お父様


お父様


ごめんなさい


両親の顔が、浮かんでは消えていく

絶対的な味方は、もうどこにも居ない。








ぱちり、

と、目を開いた。目が重い。一度目を閉じて瞼の中で目を動かす。鼻を啜って、そういえば大泣きしたんだったと思い出した。


ぱちり、もう一度目を開く。

横になっているので散々泣き疲れて寝落ちしたのだろう。最悪だ。完全にお父様に嫌わ……元から嫌われてたんだろう。認めたくなかった事実を漸く認めてまた泣きそうになった。一度壊れた涙腺は脆いらしい。両手で目を擦ろうとして、そこで漸く何かを掴んでいることに気付……え。


「……え」


お父様が居た。

お父様が隣で眠っていた。

お父様が……お父様!?


「……ん。起きたか、」


見つめ過ぎたせいか、目を開いたお父様が欠伸を溢す。そんな姿初めて見た。ぽかんと口を開ける私をお父様が抱き起こす。


「悪かった」

「???」


頭を下げるお父様に何も返せないまま、ただひたすらに理解出来ない状況に頭を巡らせる。どんなに巡らせても答えは出ないけれど。何が、起こっているの?


「…子どもの扱いは、分からないんだ」


いつも通り鋭い目付きだけれど、眉が少しだけ下がっている。これは…困ったように小さく笑って…いるのだろうか。そもそもお父様と顔を合わせること自体が少ないから分からない。そっとお父様の指先が私の目元を撫でて、ぴくりと体が揺れた。即座に離れていきかけた手を、思わずがしりと掴んだのは咄嗟のことだったけれど。びっくりしたのか、お父様がまた、多分、いや確実に、小さく笑ってからおずおずと目元を撫でる。

泣きすぎて腫れているからだろうか。やけに冷たいお父様の指先が心地好い。


だから、少しだけ頑張ろうと思えた。


「おとうさまは、わたしのこと、きらい、ですか?」

「大好きだよ」

「ほんと?」

「あぁ」

「ないたの、おこってないですか?」

「怒ってないよ」

「ほんと?」

「あぁ。少しだけびっくりしたけどね」


本当に子どもの扱いは、分からないんだ。とお父様は先程と同じ言葉を繰り返した。


「私は顔が怖いらしいから、子どもは勿論、時には大人も逃げてしまうからね」


確かにいつもは表情が殆ど動かないし切れ長の瞳は睨まれているかと思っていた。ただでさえ身長が高いのに、子どもの目線だと更に見下ろされているから余計だ。でも、そっか。そうではないのか。


ほうっと息を吐き出して、だけどこれだけは聞かなくてはいけない言葉をそろりと吐き出す。


「コーデリアのせいでおかあさましんだの、うらんでない、ですか?」

「………」


返事は、なかった。

息を飲む音がやけに響いて、それが心臓に突き刺さるかのような絶望を感じる。聞かなければ良かった。たっぷりとした沈黙の後、お父様の掠れた声が届く。


「…コーデリア、」

「はい」

「それ、誰かが言ったのか?」

「……」


少し躊躇ってからこくんと頷いた。

低く長い溜め息にそろりと顔をあげると、今までと比ではないほど恐ろしい顔をしたお父様が居て、思わず体が竦む。


「いつ、誰が言ったか分かるか?」

「ううん。もうずっとまえだから」

「そうか……………そうか」


ぎゅっとお父様が私を抱き締めた。

少しだけ力が強すぎて痛いけれど、初めて抱き締められた驚きに文句の言葉は何一つ浮かびもしない。


「おとうさま…?」

「恨んでない。お前が産まれたことを神に感謝しこそすれ、恨むなんてことは絶対に有り得ない」

「ほんと?」

「あぁ」

「……おかあさまも、うらんでないとおもう?」

「もちろんだよ」

「ほんと?」

「絶対に」

「……そっかぁ」


じんわりと胸に温もりが広がっていく。

抱き締めたままだったお父様の体に漸く私も腕を伸ばした。そっかと心の中でもう一度。潤む視界に目を閉じると、肖像画でしか知らないお母様が優しく笑う。……そっかぁ。


会ってみたかった。

その声を聞いてみたかった。

悲しい。


淋しい


今更どうしようもない願いに、喉の奥が痛むような心地がして声には出せない。苦しい。だけど、代わりのように涙がぽろぽろ溢れていったから。今までずっと重かった心が、少しだけ軽くなった気がした。

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