第2章 第1話「闇の声」
暗い広間の両隅に灯されていた炎が、一度大きくゆらめいた。途端それはふっと消え、微かな火の粉が舞い散る。
「ーーどうしたマガット。失敗でもしたか」
バルコニーの窓から差し込む朧げな月の光が、広間に現れた男の姿を映し出した。
「申し訳ございません。マルデード様の仰っていた小娘は把握いたしましたが、奴め、もう一人連れていたもので…。ただの人間上がりの魔法使いだとは思いますが、念のため調べようとしたところ、私の蟲が小娘に殺られました。三軍を連れて赴いた私の不覚です」
とつとつと述べながら、男は床に片膝をつきこうべを垂れた。
「いや、いい。お前が不完全なまま赴くのはいつものことだろう」
くく、と少年は喉の奥で笑う。
広間に一つだけ置かれた椅子には王座といっても過言ではない程の装飾が施され、そこに座る少年もまた、その椅子に似つかわしい風貌をしていた。
少年がふと頬杖をしていた左手を外し指を鳴らすと、消えていた炎がまた明明と燃え始める。
「ところでマガット。我が姫君は強かっただろう?」
からかいの混じったその口調に、男は淡々と言葉を紡ぐ。
「ですから先程申し上げたように私の不覚です。確かに魔力は強そうですがあのくらいの小娘、私が相手になれば一秒でカタがつきます。それよりも私としてはあの地に」
「一秒とはまた、随分な強がりだな。我が姫君をあんまり甘く見ない方がいい。どうせお前の目にした魔法は一つだろう、彼女は知恵がある分簡単にはいかないと思うが?」
「しかしっ・・・!」
「それにマガット、お前は後を考えない上に詰めが甘い。人の心をよむのも下手だろう?だからあの地にはお前をとどめないのだ」
明らかに的を得たその言葉に男の反論する余地はなく、少年は楽しそうに笑った。
「まぁとりあえず、引き続き監視を頼む。学校内ではロージアが他の魔力者の特定をしているはずだが、あれは目的のためなら何をしでかすか分からないからな。やり過ぎになるようなことになれば、お前が止めてくれ」
「御衣」
男が深々と頭を頭を下げかけると、少年はふと思い出したように付け加えた。
「ああそうだマガット。次の報告の時には、もう少し上手く来てくれ。今日は空気を揺らしすぎだ。炎が消えてしまっただろう。それだと姫君にも早々に気付かれてしまうのがオチっ・・・くっ・・・」
再び笑いがこみ上げてきたのか好相を崩した少年の様子に、男はみるみるうちに顔を紅潮させると、
「ーー仰せのままにッ!」
そう怒鳴るとマントを翻した。
そして遠慮のなくなった笑い声を背中で聞きながら広間を出た彼は、一度も振り返ることはなく、ただ足音を響かせて廊下の向こう側へと消えていく。
その律動的な足音もやがて消え、また広間に深い静寂が訪れた。男の気配が完全に消えたことを確認した少年は、低い声で何かを呟くと、一つ大きな吐息をついた。
「子供っぽい上に血が熱い、か・・・・・・」
まったく俺の側にいる奴等はどうして皆ガキっぽいんだろうーー彼が頭を抱えるのは毎度のことだ。
「っとに・・・・・・マガットは昔からああだがロージアも無駄にプライドが高いところはまだまだだしな・・・・・・。双子にいたっては自己中心の典型的な例もいいところ、あぁまともなヤツはいなかったか」
結局いつも結論が変わらないのは少々悩みではある。
少年はひとしきりぶつぶつと文句を垂れると、もう一度大きな吐息をついて窓の外を見やった。
朧げな月の光は、どこか怪しげでうっすらと紅に染められている。
「さて、我が姫君よ。次はどうするかな?」
少年は、街で出会った少女のことを思い出して薄く笑った。その顔には、さっきまでの楽しげな感情はない。そこには打って変わった冷たい瞳が、広間で明明と燃える炎をくっきりと映し出していた。