第1章 第6話「ふたりめ」
「きららっ、伏せてぇ‼︎‼︎」
風音がきららに向かって大きく手を伸ばした、その瞬間ーー!
「いやっ、来ないでぇぇぇぇえ‼︎‼︎‼︎‼︎」
『バリバリバリッッ』
きららの悲鳴とともに、爆音が辺りに響いた!
目を開けていられないほどの白い閃光が、一瞬にして二人を包み込む。
「眩しっ・・・」
一体、何が起こったの・・・⁉︎
まばゆい光の中で目を細めながら、風音はゆっくりと右腕を前にかざした。とっさに叫んで伏せた時も、風を集めるのは止めていない。
そのまま、溜め込んだ力を一気に解き放つ!
「吹き荒れよ・・・・・・《Windy‼︎‼︎》」
風音が唱えた瞬間、右腕を中心に大きくなった風の渦が、一斉に放たれた!
その風は辺りを包む光を切り裂くように吹き荒れる。自らを中心とした風の渦とはいえ、四つんばいの状態で地面にしがみつくのがやっとだ。
“WIndy”、その名も強い風。
自分を中心として風を集め起こすこの魔法は、風音が使える戦闘系魔法の中でも一番得意で、おそらく力としても一番強いものだった。最近は魔法自体を使う回数がめっきり減ってはいたものの、その質と力は変わってはいないはずだ。
「それでも、間に合わなかった・・・」
10秒程してようやく風が止み、次第に視界が開けてくる。風音はゆっくりと立ち上がり、制服の裾をはたいた。ぱんぱん、という乾いた音に砂埃が舞い上がる。
蟲の大群も二人を包んでいた光も、風とともに跡形もなく消え去った。足元に散った黒いバラの花びらが異様に移るほど、辺りは何事もなかったように静まり返っている。さっきまでと同じはずなのに、その静けさがかえって不気味だった。
「か、風音ちゃん」
きららが地面にへたり込んだまま、小さく風音を呼んだ。まだ、身体が小刻みに震えている。
「きららっ」
風音は慌てて、きららの隣にしゃがみ込んだ。
「大丈夫⁉︎怪我はない⁉︎」
「あっ、だ、だいじょぶ・・・・・・」
震えている手を優しく包むと、きららは少しだけ笑ってそう言った。とりあえず目立った怪我がないことに安堵する。
「ねっ、ねぇ、あの、蟲、みたいのって」
「もう大丈夫。消えたわ」
思い出して怯えた顔をしたきららに、風音は強い口調で言った。そして落ち着かせるように背中をさする。
「大丈夫。絶対、大丈夫」
半ば自分にも言い聞かせるように繰り返す。そんな風音の手も小さく震えていた。
どうして闇の魔獣が。
ーー“気をつけなよお嬢さん。ここはもう、ヒトの世界じゃないよ”
この地に来る途中迷った路地裏で、突然声をかけてきた少年。その顔がさっきから何度も脳裏を横切る。思えばあの少年も、人間ではない気配を纏っていた。魔力を持つ人間はもう稀ではないから、大して気に止めずにいたけれど。
「でも、もし」
もしあの少年が、向こうの世界から来ていたのだとしたら。そして、わたしもまた同じ世界から来た魔力者だと知っていたのだとしたら。
もし、わたしを“運命の魔力者”だと分かっていたのだとしたら・・・ーー
「風音ちゃん?」
「えっ、あっ、なに?」
「えっと、なんか、気が抜けたような顔してたから・・・大丈夫?」
「あ・・・。ええ、大丈夫よ」
何で逆に心配されてるのよ、と苦笑しながら風音は自分を叱った。
こんな状況で気にかけるべきはきららの方じゃない。わたしが心配されていたらダメじゃないの。
「わたしは怪我もしてないし・・・きららこそ、本当にどこも」
「あっ、うん、全然大丈夫だよっ!」
弾ませたその語調が、必死で明るくしようとしたものだと丸わかりで、風音はごめんねと呟いた。何も知らないのに、何も関係ないのに、危険な目にあわせてごめんね、と。
そしてきららの瞳を何気なく見てーー気づいた。
普段は濃い茶色の瞳が、まるで星屑をちりばめたように、黄金色に輝いていることに。
それは、わたしが風の魔法を使うとき、瞳が銀色に輝くのとよく似ていて、
ーーと、いうことは。
風音の頭の中を、一筋の光が駆け抜けた。
さっき、辺りを包み込んだ強い光は、確かに魔力の気配がした。けれど、司る属性が違うために蟲も風音も使えない、それは光の魔力で。
あの場で他に魔力を持つ者はいなかった・・・ただ一人を除いて。
「きらら」
「えっ?」
どうしたの、と風音を見上げる瞳は、まだキラキラと輝いている。その輝きが何よりの証拠だった。
きららは光を司る、“運命の魔力者”だ。
自分では気がつかないうちに一瞬にして解き放った光は、辺りを飲み込むほど大きくて強い。そして今も、きららは自分の魔力の大きさに気がついていない。
「きらら」
「うん?」
意を決して、風音は口を開いた。
「これからわたしが話す事、突飛な話だけど、聞いてくれる?」
自分が無茶苦茶なことを言っているのは分かっていた。来たばかりの編入生が、突然運命だの何だの話したって、そんなの。信じてもらえないのは百も承知だ。
わたしだったら、絶対に信じないだろうし。
それでも、風音は話そうと思った。
もし、あの少年が風音の正体を知っているのなら。
少年が敵側であろうがなかろうが、きららまで危険に巻き込まれるのは時間の問題だ。マルデード側も、やっきになって“運命の魔力者”を特定しようとしている。
幸い、きららは素質はある。まあ運命と言わしめているのだから、当然といえば当然だが。それならできるだけ早く、共に他の魔力者を探した方がいいと思うのは風音だけだろうか。
唇をぎゅっと結んで見つめると、きららは二、三度目を瞬かせながら恐る恐る口を開いた。
「い、いいけど、あの、まず、帰らない・・・?」
「・・・・・・」
予想もしなかった返事に今度は風音が驚いて、そしてぷっと吹き出した。
「えっ⁉︎あたし、何か変なことをっ⁉︎あ、もしかして東棟、行ってから、とか」
「それはどうでもいいわ」
「えええっ⁉︎」
「いやいや、違うのよ、ちょっとわたしが構えすぎてただけみたいね。そうね、早く帰りましょ。もうだいぶ暗くなってきたみたいだしね」
こぼれてくる笑いを抑えながら、風音はきららを立たせると背中を押した。と、思い立って足元の黒い花びらを一枚右手に包む。
「あのっ、あたしほんとに何かっ⁉︎」
「いやきららは何も・・・ふふっ、本当に変なことは言ってないから大丈夫よ。わたしが少し考え過ぎていただけで、ふふっ」
ますます混乱したきららを押しながら、風音は一人笑った。
本当に、もう、この子はどれほど素直なんだろう。
一人で構えていたけれど、そんなものはいらないのだと気付かされた。きららはわたしじゃない。こんな素直な子に、遠回しな言い方は必要ない。真面目に聞いてくれるであろうきららに、わたしもただ、ちゃんと話せばいいのだ。素直なだけに与えてしまう衝撃は計り知れないが、それでもきららは聞いてくれるのだろう。
「きらら」
「うん?」
「きららは、この学校は楽しいと思うの?」
ふいに口から出た質問に、きららはうーんと考え込んだ。
「あたしは、魔法も勉強も得意じゃないんだけど・・・でも、みんなすごくて、仲良くて、賑やかで楽しいと思うよ!風音ちゃんも、きっと、楽しいよ!」
きららが考えて選び出した言葉に、風音は微笑んだ。人付き合いも馴れ合いも、表面上ばっかりで正直面倒だったはずなのに、少しだけ楽しみな自分がいた。人は信じないと決めたはずなのに。この子には、なんだか心を開いてしまいそうだなんて。
薄暗くなった空の下。握りしめた右手の中で、黒い花びらは静かに壊れると春の闇へと溶けていった。
(第1章 終)