第3章 第4話 「はじめまして」
椿が寮内放送で呼び出される、約六時間前、昼休み。
風音ときららは、霙谷椿の靴箱にそっと手紙をしのばせ、教室へと戻ってきた。
椿の寮の部屋だけでなく、靴箱の位置まで把握しているのだから、風音は本当に侮れない。というか、この学校のセキュリティはどうなってるんだ、とむしろそっちが気になってくる。
「ねー、風音ちゃん。霙谷さん、本当に来てくれるかな?」
薄い水色のブラウスの袖をまくりながら、きららは問いかけた。
「さあねぇ。性格にもよるけど、まぁ五分五分ってところかしらね」
それに対して答える風音の口調は、完全に他人事だ。おろしている漆黒の髪が、窓からの風に緩やかに靡いている。
今日のような日を、五月晴というのだろう。
少し目を細めて空を見上げる風音をちらりと見て、きららはまた聞いた。
「でも何で、企業のことなんて書いたの?」
きららが言っているのは、手紙の内容だ。
ー『霙谷医療機器さんのお話を伺いたく思ったから』
手紙には、そう書かれていた。
“運命の魔力者”かどうか見極めることと、企業の話は関係なく思える。かと言って、風音が霙谷医療機器に興味があるとは到底考えられない。
ああ、そのことね、とどうやら風音は思い出したようだ。
「あれは単なる口実よ。いきなり魔力の話したいですーなんて、引くでしょう?まあ、勿論会った瞬間本題を切り込みはするけど」
真っ青な空を、一羽の鳶が横切る。黒と茶の混ざった体は小さいが、二つの翼を広げて飛ぶ姿は堂々としていた。
新緑に染まった山の向こうへ消えていく影を目で追いながら、風音はふっと笑った。
「せっかくのチャンスだもの、早々に本当の“運命の魔力者”かどうか確かめたいじゃない」
黒い瞳がくるりと動いて、きららに向いた。口の端が少し上がった、いたずらっぽい笑顔。こんな顔でさえ様になる。
「“運命の魔力者”を探す手がかりも掴めるかもだし、使えるものは使わなきゃね」
「……風音ちゃん、いちいち怖すぎじゃない」
「ええ?そんなことないわよ?」
風音は、顎に手を当ててすっとぼけた顔をした。
「……」
きららは呆れた視線をくれたが、風音はにっこりと微笑んだ。
窓の外を見れば、一筋の雲が空に溶けていく。
薄い絹の糸が集まってできたような雲だ。遠くに行けば行くほど、白い雲は空の色に溶け込んでいく。かすんで淡い水色に染まりながらも、それでも絹は絹のままで。どこまでも、雲のままで。
「ま、とにかくやるしかないわね」
風音はそう言うと、急に歩き出した。
「えっ⁉︎ちょっと待って、どこ行くの⁉︎」
慌てて追いかけたきららに、風音はくるりと振り向くとまたいらずらっぽく目を細めた。
「どこ、って…お手洗いだけど?」
「えええ⁉︎」
きららの呆れたような声を無視して、風音はまた歩き出す。
廊下は、昼休みのために生徒でいっぱいだ。決して背が高いとは言えない風音は、男子生徒だけではなく女子生徒の中でも埋もれてしまう。
でも、ときららは思った。
たくさんの生徒の中できららが風音を見失ったことは一度もない。
どこにいても、どこへ行っても、風音は誰にも埋もれない。誰とも溶けはしないのだ。
いつだって、どこでだって。
風音はずっと風音のままで。
***
風音、きらら、そして椿の三人は寮のフロントで初対面を果たした後、ロビーの隅っこに移動した。
さすがお金持ち学校は、寮内の設備もなかなかに充実している。広いロビーの両端には、ゆったりしたソファや机が何組か置かれ、それはホテルのロビーを思わせるようだった。
落ち着いたモスグリーンのソファに腰掛けて、風音はさて、と切り出した。
「霙谷さん、突然のお願いを聞いて下さってありがとうございます。お忙しいと思うので、早速本題に入ってもいいですか?」
完璧な笑顔で話す風音に、きららは隣で愛想笑いをするしかない。
ーなんだかなぁ、風音ちゃん、お嬢様じゃないよねやっぱ。
「あ、はい、大丈夫です」
そう言って戸惑ったように頷く椿に、きららは内心で同情した。
「ありがとうございます」
風音は軽く頭をさげると、静かに切り出した。
「実は、わたしたち、霙谷さんの魔法ー氷の魔法、その魔力について話が聞きたくて。いつから魔力があるか、どんな魔力か、魔法を使うときに何か変わったことはなかったか、話をしてもらえますか?」
ーえ。待って、私の家の話じゃないの⁉︎
突然のことに困惑する椿をよそに、風音は続けた。
「お願いします。わたしたち、あなたの魔力に興味があるんです。もしかしたら、わたしたちの探している人かもしれなくて」
そして徐に手帳を取り出し、付箋のついたページを開く。
「確認したいんですけど……霙谷椿さん、魚座のB型。生まれは三月一日。学校の測定魔力値は、属性が氷でレベル21ーで、いいんですよね?」
「え、あ、はい、」
しどろもどろに答えつつーって、ナニその手帳⁉︎私について何調べてんの⁉︎待って待って、全く意味がわからない!その前に、この人神童の美人編入生じゃないの⁉︎
椿の顔が引きつったのが見えたのか、きららが困ったように笑った。
「ごめんなさい、ホント。風音ちゃんって、情報取集が趣味みたいなところあって……。魔力について調べてるのは、ちゃんと理由があって」
たぶん、という語尾はしょぼしょぼと消えた。
風音は、きららの手助けに小さく口の端をあげて微笑む。
ーあ、これは噂通りかもしれない。頭も良さそうだし、育ちも良さそう。あれ、けどクラスメートが噂してた話によれば、すっごく清楚で優しい雰囲気だったはずじゃ……。
「で、わたしたちが話を聞きたい理由ってのは」
生じてきた疑問を考える前に、椿の思考は断ち切られた。
ーあぁ、理由、理由ね……。
早くも部屋に帰りたい衝動に駆られながら、一応頷く。
風音はパタンと手帳を閉じた。
「じゃあ話しますけど。一つだけ、話す前に忠告しておくわ」
椿を見つめる瞳が、急に鋭くなる。
「これから話すのは、結構突拍子もない話になるわ。信じるか信じないかは、仕方ないけれど霙谷さん次第になってしまう。でも、この話は他の生徒には内密で頼みたいんです」
そこでふう、と一息つく。
「本当に勝手な頼みではあるんだけど…もし、ぽろっと漏らすようなことがあれば…」
にっこり、と風音は満面の笑みを浮かべた。
「ま、後悔すると思うからやめてくださいね?」
「ー……」
一瞬で、周りの空気が凍った。
「かっ、風音ちゃん、何言ってんの⁉︎」
きららが慌てて風音を止める。それに構わず、風音は笑顔のまま椿を見つめた。
ー呼び出しなんか応じるんじゃなかった。
今後悔してももう遅い。現に、苦手そうな相手は目の前にいる。
今までのつまらない人間とは、また違った意味で嫌いになりそうなタイプだ。
ーとりあえずお嬢様とか清楚とかじゃないっての。
内心で、噂をしていたクラスメートに悪態をつく。
そして椿は、顔色を変えないように注意を払いながら頷いた。
「口は堅いと思うから」
これは真実だ、と自分でも思う。まぁ、ペラペラと口が軽いような人間が単純に嫌いってだけではあるのだが。
ーさあ、聞いてやろうじゃない。そして、さっさと私を解放して。
風音は軽く一礼して、切り出した。
「霙谷さん、世界が二つあるのはご存知ですよね」




