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6.花壇の前で

 須田くんが、教えてくれた。

 法月さんは、欠席扱いになっているらしい、と。

 あの日の騒ぎは公表されなかった。僕たちは確実にお咎めの対象だったと思うけれど、そんなことより先生たちは、僕たちがショック状態にあることに配慮をしてくれた。事情はもちろん訊かれたけれど、それは五条先生を中心とした、外部のカウンセラーも交えてのものだった。優しく、辛抱強く、彼らは話を聞いてくれた。誰も僕たちを叱らなかった。けれどもたぶん叱られたとしても、僕は何とも思わなかったと思う。他人の怒りや悲しみにひどく鈍感になっていて、何を見ても何を聞いても、それが心の中にまでは届いて来ない感じだった。

 須田くんと、高橋さんと、持田さんと話をした。僕たちは、法月さんと、法月さんにそっくりの少女が屋上から落ちるところを見た。けれども彼女たちの身体は、どこにもなかった。彼女たちは行方不明となっている。その認識が全員一致していることに、僕はほっとした。けれどもその一方で、こうやって話している彼らは、僕の願望が作り出したものなのではないか、とどこかで思ったりもした。でもそれを言ったら、話している彼らよりも、あの夜の屋上でまるでお芝居の一場面のようにもみ合っていた法月さんたちの方が、よほど夢みたいだった。実際あの時は、目の前で起こっている時ですら、現実感がなかった。というかそもそも、法月紗羅なんて存在したのか?と思うこともたまにあった。僕は少し、法月さんの不安が理解できた気がした。僕は部室にあった手紙を後生大事に持っていたけれど、でもそれは、単なる印刷された紙切れだった。こんなの誰だって打ち込むことができる。いくらでも、創作することができる。こんなもの、存在の証明になんてならない。おはじきが、書かれていた場所にあるかどうかを確かめて、少し安心した。でも、それだって、法月さん以外にもできることだ。中庭の花壇のところへ行き、割れ目のおはじきを取り出す。そのつるつるした表面を指で撫でて、存在を確かめる。それから、法月さんが帰ってきた時のために、それを元の場所に戻す。毎日そんなことをしていた。そうこうしている間に、終業式になった。通知簿をもらい、諸注意を受け、別れの挨拶をして、解散となった。僕はいつものように花壇へ行って、ひととおりおはじきの確認作業をして、そのままぼんやりと、しゃがみこんで花を眺めていた。

「隣、いい?」

 声をかけられて、うん、と答えた。持田さんだった。こんな風に二人になることは、事件以降はじめてのことだった。やって来て隣にしゃがみこんだ彼女に、法月さんだったらよかったのに、と僕は少し思ってしまった。僕は持田さんといると心が落ち着くし、法月さんがこんなことになってなかったら、僕は彼女のことが大好きだったろう。今だって、彼女を包む柔らかな空気が好きだ。けれども何かがわだかまる。あの日の屋上でもそうだけど……僕はきっと、ひどい奴なんだと思う。

「あのね、渡瀬くんに言わなきゃ、と思っていたことがあるの」

 持田さんが言った。僕は目の前の花壇のサルビアの赤を見つめたまま「うん」とだけ言った。

「あの日、ここで、法月さんと話をしたの。あ、紗羅さんの方と」

 手紙に書いてあったことだろう、と思った。僕はやはり、ただ「うん」という。

「それで……それでお話をして、一度別れたんだけど、その後しばらくして戻ってきたの。それは本当は、紗羅さんじゃなかったんだけど」

「うん」

「それで、その……もっといろんな話をしたいから、屋上に行こうって言われたの。屋上に入るの禁止されてるし、と思ったけど、大丈夫だからって。ともかく一緒に行ったの。それで、しゃべってたら急にチェーンを巻かれて、移動できなくなっちゃったんだけど、でもそれでも、あの子はずっと優しかった。ちょっと事情があるからこうしててね、って言われたけど、トイレに行きたいと言ったら一度はずして行かせてくれたし、お尻痛くならないように毛布をくれたし、パンと飲み物も買ってきてくれた。メイって呼ぶから、紗羅って呼んで、って言われた。それでいろいろおしゃべりをしたの。あの子は、片想いの気持がよくわかるって言ってた。自分も片想いをしてるんだって言ってた」

 僕はぼんやりと、花壇を見つめ続けた。サルビア。マリーゴールド。あと、あれは……あれは何て名前だっただろう?

「……だから、紗羅さんは、少ししたら帰ってくるんだと思う」

「え?」

 僕は思わず持田さんを見た。

「ごめん。ちょっと……ちょっとぼうっとしてた。ごめん。今、なんて言ったの?」

 僕はすごく失礼でひどい奴だ。けれども持田さんは気を悪くする様子もなく、答える。「えっと、だから、紗羅さんは、少ししたら帰ってくるんだろうな、って」

「その……ほんとごめん。その前からお願いします」

 僕が言うと、持田さんはちょっと笑った。

「だからね。あの女の子……真梨亜ちゃん?は、片想いをしていて、その相手を連れて行きたい場所がある、って言ってたの。夏の思い出を作るんだって」

 連れて行きたい場所。それはあの世とか、そういうものを指しているようにも思える。でも……夏の思い出?

「片想いって、恋愛に限らないんじゃないかな、って、後から少し思ったの。どうして二人が屋上から落ちたように見えたのかはわからないけれど、でも、下にはいなくて、どこにもいなくて、学校は欠席扱いっていうことは、つまり実際にお休みってことで。そのうち帰ってくるってことだと思うから。その……いない間は、渡瀬くんは淋しいとは思うんだけど」

 持田さんは、気遣うような笑みを浮かべた。

「あのね持田さん」僕は言った。

「僕は最近、ちょっとおかしいんだ。ごめん。目がおかしいというか、涙腺が変というか」

 そのまま声が詰まって、話し続けることもままならなくなってしまった。持田さんは、いいよ、と微笑んだ。

「私もね、法月さんに早く帰ってきてほしいんだよ」

 持田さんは言った。

 僕は涙をぬぐい、その隣でいつまでも一緒にしゃがんでいた。

 夏の日差しが、僕たちを照りつけていた。

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