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5.紗羅の手紙

 次の日の放課後、僕は探偵部室に一人で行った。しょっちゅう鍵を持ち帰っていた法月さんは、けれども昨日、職員室に鍵を返していた。鍵のコーナーは目立つ場所にあるから、もしかしたら入り口の横の棚にでも置いていたのを、他の先生が気づいて戻したのかもしれないね。五条先生はそう言った。こっそり侵入したような時にわざわざ鍵を返したのはどうしてなのか。あの状況で、どうして突然部室に用事があるなんて言って、別行動をとったのか。部室で彼女は何をしていたのか。――僕は法月さんのいる部室に入ることがほとんどで、自分で鍵を開けて一人で入ったことは数えるほどしかなかった。しんと静まり返った暗い応接室。僕は扉を閉め、電気をつけた。黒い革のソファ。テーブル。そのテーブルの上に、封筒が置いてあった。宛名はなかった。中に入っている手紙は、手書きではなくて、パソコンで打ったものを印刷したものだった。




渡瀬敦様


 この手紙は渡瀬敦様宛に書いたものです。別の方がこれをご覧になっている場合は、彼に渡していただけると幸いです。けれどもその前に、あなたもこれを読むかもしれませんね。それもやむをえません。これが人目に触れると言うことは、私に何かがあったという、そういうことなので。


 さて、渡瀬くん。

 あなたには、大変迷惑をかけました。

 あなたには、大変感謝をしています。

 私に何かあったら、たぶんあなたはひどくいやな気分になっていると思うので、せめてものお詫びに、手紙を書いておかなければいけないと思いました。ここのところの私は、とてもまいっていて、それはやっぱり夏のせいだと思う。真梨亜との思い出は、いいものも悪いものもなぜか夏のものが多い。夏祭りとか、田舎の祖母の家に行った時のことだとか、旅行の時のできごととか。いろんな記憶がつぎつぎによみがえっては、その時の気分に今の私をひきずりこむ。今の自分は、単なる壊れた記憶再生装置みたいです。それが本当の記憶なのか、私の捏造なのか、そこのところはわかりませんが。


 さておき、今日は突然遅い時間におじゃまして、申し訳ありませんでした。用事があると言っておきながら、結局それについて話さなかった。こういうのって、あとから妙に気になるものです。なんだったんだろう、と、あなたは思っていると思います。でも、ちょっと言いにくかったのです。

 おはじきの噂が流れ始めました。たぶんあれは、真梨亜が流したのだろうと思います。でも、証拠はありません。単なる危険な被害妄想かもしれません。ともかく、あの噂は、私にはとても困るものでした。私はいつも細心の注意を払って、他の人には見つからないような場所におはじきを置いていた。校内でおはじきを見た、と言っている人が何人もいたようだけど、それはたぶん私が置いたものではなく、真梨亜が噂広めの一環としてやったのだろう、と後で思いました。けれどももしかしたら、私が置いたものを見つけてしまった人も、いないとは限らない。そう私が思ってしまうこと、それがとても困る。

 これは本当に馬鹿馬鹿しい、おまじないのようなものなのです。私は自分の記憶や認識に、自信が持てないことがある。調子が悪いと、特にその傾向が強まる。そんな時に、私は自分がおはじきを置いた、という記憶にすがるのです。あそこにおはじきを置いた、という記憶があり、そこに確かにおはじきがあれば、私の記憶は正しかったということです。私はまだ、狂ってはいない。不安を抱えながら探しに行き、自分が思っていたとおりの場所におはじきを見つけた時に感じる悦び、あのほっとする気持は、私の心を落ち着かせてくれます。でも、もしもおはじきが思ったとおりの場所になかったら?それは私にとって、ひどい恐怖です。誰かが拾ってしまったのかもしれない。噂が流れたことで多くの生徒が関心を持ち、だから拾われる可能性は上がってしまったと、私は知ってしまっている。その論理に、私はすがりつく。でも、本当に?元々おはじきはそこには置かれていなくて、私の記憶がまちがっている。その可能性も捨てきれない。可能性の迷宮に閉じ込められて、私は出られなくなってしまうでしょう。私はとても怖かった。


 昨日、あなたは先に帰った。私は自分の中に漠然とした不安感が蓄積してきているのを感じていて、おはじきを探しに行こうかどうしようか迷っていた。記憶の混乱を回避するために、私は二度と同じ場所にはおはじきを置かない。けれどあなたと初めて会った時に私が探していた中庭の繁みの向かい、あなたがしゃがんで覗いていた花壇のところに、私は少し前におはじきを置いていた。向かって右、縁のレンガの下のコンクリートの小さな割れ目の中だから、他の人に発見される可能性はとても低い。私はそこに足を向けた。けれどもそこには人がいて、その人に話しかけられたので、私は結局、おはじきを探せなかった。彼女はまるであの時のあなたみたいに、花壇に向かってしゃがみこんでいました。ただ、あなたとちがうのは、あなたはあの時花を見るふりをしていたにすぎないけれど、彼女はふりではなく、実際に見ていたということです。それは、あなたのクラスメイト、持田メイさんでした。私が花壇に近づこうかどうしようか迷っていると、彼女は人の気配を察して振り向いて、私を見て、あっと声を上げました。ひどく驚いていて、たまたま人が来たような時の反応とはちがうので、私もとまどいました。

「法月紗羅さんですよね」と彼女は言いました。立ち上がると、自分のフルネームを名乗り、渡瀬くんのクラスメイトなんです、と言いました。クラスメイト、ということばを発した時に、微妙な感情がにじんでいました。これを私が書くのはどうかとも思うけれど、こんなことになってしまった今となっては、それも許されるのではないかと思う。それにあなたは、たぶん気づいていると思うので。持田さんはあなたに好意を持っていて、あなたの彼女になることを夢見ている。そういう気持は、正直私にはよくわからないものなのだけど、私も一応女子として、「わからない」が多くの女子には通用しないらしいということは知っている。持田さんはとてもいい子だという印象でした。私をいやな気持にさせないよう細やかに表現を気遣いながら、純粋な好奇心を装って、私と一緒にいる時のあなたがどんな感じなのか訊いてきました。そうして、敵意も嫉妬も見せずに、笑顔で、私とあなたの関係がどのようなものなのか、「つきあっているのか」ということを訊きました。私はそれを否定して、彼女を安心させることばをいろいろと付け加えました。彼女は最後までとても感じがよくて、私は好感を持ちました。気持よく別れを告げて、私は家路についたのです。


 私はあなたが誰とつきあっても、いいと思う。でも、私は助手のあなたに執着がある。持田さんの発する感じのいい空気ですっかり気分がよくなっていたはずなのに、彼女と別れたとたん、不安がまた心の中で増殖し始めました。おはじきを結局探せなかったことも、おはじきを隠したすぐ近くに人がいたという事実も、すべてが不安要素になって、心の中でごちゃごちゃと絡み合い出しました。だんだんいてもたってもいられなくなってきた。どうにかなってしまいそうだった。それで私は、今からでも学校に行っておはじきをとれば少しは気分がよくなるのではないかと思い、制服を着て電車に乗りました。けれどもおはじきがなかった時の自分の心を想像すると、怖くて叫びだしそうでした。学校の最寄り駅に着いたけれど、私は降りることができなかった。電車の扉はすぐに閉まってしまった。何をやってるのだろうかと思ったけれど、私はこのまま乗っていれば、あなたの家の最寄り駅に行くのだと気づいた。あなたがいれば、たとえおはじきがなかったとしても、私の心はどうにか保てるのではないかと、そう思いました。それで私は、ひどく非常識だと思いながらも、あなたの家に向かいました。そうして会ってからのことは、あなたも知っているとおりです。「持田メイは学校にいる」という、私の筆跡で書かれた手紙がポストにあった。私は持田さんに放課後会って、話をしたことを鮮明に覚えている。別れを告げた記憶もあるけれど、でも、その時のやりとりは型通りのもので印象が薄い。あれこれ考えていたので、以降の現実の行動に関する記憶はどれも曖昧でした。ほぼ無意識で通学路を歩き、電車に乗り、家に帰った。そのはずだけれど、話をした後、実はあの後、何かしたのだったろうか。何か記憶が抜け落ちているのだろうか。いえ、こんな考え方は馬鹿げています。そうではなくて、最後に会った時の持田さんの言動から、今彼女がどのような状況にあるかヒントを探し、冷静に推理をするのが探偵のあるべき姿です。でも、記憶のような曖昧なものではなく、思考のように見えないものでもなく、明確な現実として目の前にある、私の字による手紙という事実のインパクトは絶大で。私は、平静を装うのが精一杯でした。


 教室の電気が点灯して、屋上への矢印を示した。電気は基本的には各教室で手でつけたり消したりするけれど、管理室にはすべての電気の制御盤がある。時間設定をして、あるいは監視システムにタイミングをプログラムしておくことで、私がそれをすることも可能であることを、私は知っている。屋上の鍵のスペアを、私は以前作ったことがある。だから全部今回のことは、私がやろうと思えばできることだ。


 真梨亜が存在するのかしないのか、わからない。

 真梨亜がもしも存在するとして、今回こんな事件を起こして屋上に私を誘ったのだとしたら、たぶん真梨亜は私を道連れにして死のうと考えているのだろう。

 もしも真梨亜が存在しないとして、今回のことすべてを私自身がやったのだとしたら、私はもう、生きていたくはない。常に自分を疑いながら生きてきたけれど、その疑いが実際に本当で、私は自分を把握もできず、制御もできない狂人だというのなら、私は自ら命を断つことを選ぶ。


 どちらにしても、私は今から行く屋上で、死ぬ可能性が高い。

 きっとあなたはひどく後味が悪いと思う。だからせめて、手紙を残すことにしました。あなたに会えてよかったです。あなたと一緒に探偵部の活動ができて、本当によかった。

 ありがとう。さようなら。

                                    法月紗羅


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