1.おはじきの噂
「困ったことになった」と法月さんが言った。
法月さんは依頼人が「困ったこと」を携えてやって来るのが大好きだったし、何か問題が起こった時でも、大抵の場合はむしろそれを解決すること自体を愉しむ方だったので、そんな風に言ったことはなかった。なので僕はびっくりした。
「どうしたの」
「妙な噂が流れてるんだ」
「噂?」
「校内に、おはじきが落ちていることがある。それを拾って七つ集めると、願いが叶う」
「……それでどうして法月さんが困るの」
「話すと長い」
「……そう」
自分から話題を振ったくせに、と思わなくもなかった。が、僕はスケッチブックの上で鉛筆を動かすことに熱中していたので、特に深追いしなかった。法月さんはパソコン画面に向かって何やら打ち込んでいた。
ざわめく教室の中で、その噂をはじめに聞きつけたのは高橋さんだった。活発な彼女は、「なになに、なにそれ?」とその話題の中に入り込み、ひととおり情報収集すると、僕たちのところに戻ってきた。
「ガラスのおはじきを七つ拾い集めると、願いごとが叶うんだって」
「おはじき?」けげんな顔で問い返したのは須田くんだ。
「おはじき知らないの?」
「いやおはじきは知ってる。しかし、そんなものそこいらに落ちてるか?」
「それがね、校内でたまに落ちてるらしいの。で、それを拾って七個揃うと」
「神龍が出てくるのか?」
高橋さんは神龍を知らなかったので、須田くんがひととおり説明をした。
「でも、おはじきって懐かしいね。小さい頃、よく遊んだな。きらきらしてて、綺麗だよね」
持田さんが言った。僕が相づちを打っていると、横から高橋さんがおののいたような顔をして言った。
「私、おはじきで遊んだことなんてないわよ。メイ、私たまに思うんだけど、あんたほんとにうちらと同い年?」
「おばあちゃんに教えてもらったんだ」持田さんはにこにこして言う。
「しかし中学生にもなってそんなの信じたりするんだな」と須田くん。
「シェンロン?が出てくるなんて思ってないけどね」
「え?高橋さんも信じてるのか」
「別に害はないでしょう?」高橋さんは勝気な笑みを浮かべ、持田さんに意味ありげに目配せした。
「好きだな女子は。こういうの」
「渡瀬くんはどう思う?」高橋さんが僕に振った。
「……この噂で得する人と困る人って、どんな人かな」僕は言った。
「ダメだ。思考があさってに行ってる」
高橋さんが、「オーノー!」と両手のひらを上向けて大げさに嘆くようなジェスチャーをした。
「おはじきを売ってるお店が得をして、買って落とした人は損をする、かなあ?」持田さんが、うーん、と考えた末に言ってくれた。
「落ちてるってのは、うっかりで落としてるのか?」須田くんがつっこむ。
「ええと、じゃあ、お店の人が、おはじきの綺麗さをみんなに知ってもらうために蒔いてるとか」
「お店の人は学校には入れない。おはじきのよさを広めたい人が蒔いている……わかった、メイ、さては犯人はあんただな?」
高橋さんがポーズを決めて持田さんを指さしてみせた。持田さんが「え~?」と笑う。その時チャイムが鳴ったので、僕たちは席に戻った。
「おはじきの噂、僕も聞いたよ」
探偵部室で僕は言った。その日も依頼人の予定はなかった。法月さんは、紅茶を淹れているところだった。
「法月さんは、おはじきで遊んだことってある?」
「ないな」
「小さい頃、どんな遊びした?」
法月さんは、ティーポットを高く掲げてカップに紅茶を注ぎながら、「スージーズ」と言った。
「なにそれ」
「数字を擬人化して、彼らを動かして遊んでた」
「……人形遊びってこと?」
「人形はない。想像の中で動かすんだ。0から9までいた」
思い出して来た、と法月さんは十人のキャラクターについて説明し始めた。0はぶかっとした異世界風の服を着た色素の薄い男の子。1は元気いっぱいの男の子。2はツインテールのおしゃまな女の子。3は気障な男の子。4はおしとやかな髪の長いお姉さん。5は眉毛の太い男の子。6は腰の低い着物姿のおかっぱ少女。7は目立ちたがりのマント姿の長髪男。8はちょっとふっくらした、しっかり者の着物の女の子。9は陰気なお兄さん。
「懐かしいな。彼らの生年月日と血液型まで決めてたよ」法月さんが、スケッチブックをめくっている僕の前にティーカップを置いてくれた。ありがと、と言いながら、
「想像ってことは、一人で?」訊ねると、
「いや」法月さんはソファの僕の隣に腰かけて、自分のティーカップから漂う香りに微笑んだ。「真梨亜と」
彼女の名前が出たことに、僕は少し身構えて法月さんを見た。法月さんは平然とした表情で、ティーカップを傾けた。
「私は0がお気に入りだったんだけどね。真梨亜は2にいっぱい喋らせるのが好きだった」言いながら、法月さんは僕を見て、ちょっと困ったように笑った。「空想の中で作った彼らと、真梨亜のこと、はっきり区別できる。だから真梨亜は存在していたと、私はそう思いたいんだけどね」
はじめて「真梨亜」の存在について聞かされた時から、ひと月近く経っていた。学校施設内が冷暖房完備であることが心底ありがたい、そんな蒸し暑い、夏休み目前の頃だった。ちょっとした依頼がたまにあっても話しただけですぐ解決したりして暇な日が続いていたけれど、法月さんはおとなしかった。はっきり言って、元気がなかった。夏が苦手なんだ、と法月さんは言っていた。こんなに快適な学校でどうして、と思った。冷房が苦手なの?と訊くと、それもあるけど、と言った。編入後に新しく買った僕のスケッチブックは、二冊目に突入していた。
「そういえば昨日、おはじきの噂は困るって言ってたよね。なんで困るの?」
「……それ」
法月さんは脇に置いてある棚の上を指さした。初めて探偵部室に来た時から置いてある、金属製の小鳥の置物と、……ガラスのおはじきがいっぱいに入った金魚鉢。
「おはじき……え?」
僕はそこにおはじきがあることを知ってはいたけれど、これまでほとんど意識したことがなかった。今の今まで、「噂」と結びつけてもいなかった。
「え?まさかそれ全部、校内で拾ったおはじき?」
僕は驚きの声を上げたけど、法月さんは首を振った。
「ちがう。……その逆」
「逆?」
「校内に落ちているおはじきというのは、元はここにあったもの。私が……置いたものなんだ」
「置いた?なんで?」
僕は訊ねた。法月さんは、平静を装うようにティーカップを傾けてひと口飲むと、言った。
「初めて会った時、私が探し物をしていたのは覚えてる?」
「もちろん」
「あの時探していたのは、このおはじきなんだ」
初めて彼女を見た時、彼女は繁みの中を這いつくばって覗いていた。彼女はそれを、「僕の興味をひくため」であると同時に「実際ちょっとした探し物をしていた」のだと言っていた。でも……
「ちょっと待って。校内で見つかるおはじきは、法月さんが置いたものなんだろう?それを何で探すの?」
法月さんは、ティーカップをテーブルの上に置くと、唇を結んだままじっと僕を見た。僕は意味がわからず、けれどあまりにもまじまじと見るのできまり悪くて視線をそらした。
「……この話はまた今度」そう言うと、法月さんはぷいっと顔をそむけるようにして立ち上がった。




