3-2
それは、後ろめたさというわけではない。ただ、城野綺羅が斑鳩家に現在奉仕中であることはあまり沙希には知られたくなかった。もちろん、さらっと流されるのがオチなのだろうがそれなら聞かれるまで言わなくてもいいだろうという判断を彼は下したのである。
綺羅もそれには同意を示していた。その心の内はよくわからないが、同意してくれるのならば良いのだろう。
「いや参ったよ、ただのゲーマーになっていた人には何を言っても無駄なんだと思い知らされたものさ」
結局、昨日不登校の生徒の家に行ったのだが収穫は散々だったらしい。部屋に通されたが無口を貫いてひたすらにパソコンに向かうその姿は外界からの干渉を完全に拒絶しており、ヘッドホンを無理やり離して話しかけると強引に腕を掴まれヘッドホンを奪い返されたという。
「いやね、腕を掴まれたときは正直驚いたよ。このまま押し倒されるのかと思ったのだけど、その生徒はヘッドホンを無理やり奪い取ってまたいそいそとパソコンを続けるのだから、逆に手に負えないというものさ」
思ったよりも沙希は先日、危ない瀬戸際に居たのだと思い知らされる。もちろん押し倒されても彼女なら何とか対処しただろうが、昨晩男の部屋で2人きりでいたのだと考えると柩の心にもやっとしたものが浮かんだ。
「彼のような人間を更正させるにはどうすればいいのだろうね。君、思いつくかい?」
正直、ゲームに関してはお手上げだった。ほとんどゲームをしたことが無い柩と沙希からすればそこは未知の領域なのだ。
だから、専門家を呼ぶしかない。
「実は――」
木造の高い門をくぐって、庭を通り抜ける。その間沙希は物珍しそうに辺りを観察して楽しげに歩いていた。
「ふむ、君の家に来るのは初めてだね」
くるりくるりとあちこちに移動しながら庭を楽しんでいる沙希を見て、こういうところは子供っぽいなと彼は思う。
「やはり大理石を使ったものが多いんだね。どうも、美学のようなものを感じる」
「まぁ、高そうに見えるしね」
おそらくその辺りの含蓄は沙希のほうがあるのだろう。やがて玄関についてとあることを思い出す。
「あ、まぁ気を確かにもってね」
「……うん?」
そしてゆっくりと扉を開ける。
「おかえりなさいませ、ご主人……さま……」
「おっと?」
2日目だ。ちょっと慣れもあって今日は吹っ切れたように挨拶をしようとしたのだろう。張り付いた笑顔が見る見る赤くなり、沙希の姿を見てわなわなと震え始める。
「綺羅、君はそう言う趣味の人だと思ってなかったよ。いやなに、似合っているじゃあないか」
フォローをしているつもりなのかはわからないが、沙希のそんな言葉に返事もせずに遠くへと走り去っていく。涙を流していたような気もするが、あとでフォローしておかねばならないだろう。
「うん、気にしないでね。まだ慣れてないみたいだから……あ、こっちだよ」
そしてしばらく赤絨毯の敷き詰められた廊下を歩く。ところどころの通路に置かれている熊のぬいぐるみや甲冑兵などを指差して喜ぶ彼女を見ると、柩も少し嬉しくなる。
2人はやがて突き当たりにたどり着いた。"さつきのおへや"という札がかかったその扉は他の扉と違い金属製で、重そうである。
「防音性なんだよね。だからここにあるインターホンを押さないと妹には聞こえない」
そう言って柩は扉の横にあるぬいぐるみの鼻を押す。
『ふぁっきんなの! 頭使えバカヤロー!』
それと同時にオープンになった回線からそんな声が聞こえてきた。
『ん? あれ、にぃ? ……と、隣の人は? まぁいいの、今忙しいから入ってなの! あっこのクソヤロー!』
声こそ可愛らしいものであったがその口調はどうも似つかわしくない罵詈雑言であるように思われる。
「皐月。あとどれくらいで終わる?」
入ってすぐに見えたのは光るパソコンのディスプレイとその光で影を作っている小さなツインテールの少女のような人影であった。真っ暗で明かりはディスプレイしかなく、部屋の様子は良く見えない。
「5分待ってなの。すぐ片付けるの」
そう呟いてきっかり5分後、皐月と呼ばれた少女は大きく伸びをして顔をぶんぶんと振った。
「で、ご用件は何なの?」
そういいながらスイッチのようなものに手をかけて、初めて部屋の中が明るみに晒される。
「おっと……」
部屋にあるのはゲームと漫画、CDなどの娯楽用品だけであった。ベッドの上には大量に積み上げられた漫画、床にもいくつかゲームが散らばり奥に見える箱には乱雑にCDのケースのようなものが集積されている。
「紹介するよ、生徒会長の風中沙希。――えっと、妹の斑鳩皐月」
「ほほう? めんこい顔してるの、どうやってだましたの?」
「だましてません」
そのやり取りを聞いて、沙希はくすくすと笑う。その様子を見て皐月は一度きょとんとするが、満面の笑みを浮かべなおした。
「今回はゲーマーの皐月に用件があってきたんだ」
「へぇ、ゲームでわかんないとこでもあるの?」
彼女はほぼ一日中ニートのようにゲームをしている。学校にも行かずに、だ。
しかし皐月はニートではない。れっきとした国から予算を貰ってゲームの研究を進め、なにかの役に立たないか調べるようなプロジェクトの一端を担っているといえばわかりやすいだろうか。
「いや、ゲーマーで引きこもりをどうやって学園に引っ張りだすかって話なんだが」
「んむ……それは無理なの」
皐月はすぐに断言する。
「どうして?」
「ゲームより楽しいことが、現実には無いの」
そして即答だった。
「皐月みたいな人間は非日常を求めるの。仮想敵とみなした人間の打倒、誰かと協力して何かを倒す、ゲームに求める細かいものは人それぞれだけど、根本はみんなそう。例えば、その"不登校の彼"がなんのゲームをしてるか、わかる?」
「ふむ、彼の母曰く魔法などで敵を倒すゲームや、銃を扱って人を撃つゲームだと聞いているけど……」
「その2つからわかるのは"特異性の保持"と"爽快感"なの。前者は主に特技が無い人間が陥りやすくて、人に誇れるものが無い人間がゲームの中だったら胸を張れるから、抜け出せなくなる。リアルでは魔法なんて無いし。で、後者からわかるのは文字通り快感なの。人なんて、現実じゃ撃てないからゲームの中で撃ちまくる。人によっては嫌いな人間を投射して撃って、気持ちくなる人も多いって統計が出てるの」
なるほど、ゲームに求めているものは人それぞれなのだろうが、根本にあるのは"非日常"という一種の逃避なのだ。もちろんそれ自体が悪いことでは無いだろうし、逃避が精神を安定させるための防衛機制の1つであることは周知の事実である。
それでも、学校へ行かないほど逃避していいとは誰も言っていないだろう。
「ゲームがうまいなら、何かに使えそうなものだけど」
「そういう話はたまーに国会のワーキングチームで上がるの。工場ラインのラジコン化、コンビニの店員のアバター化、そうやって雇用を増やそうって発想はあるけど、そのための経費を出す会社なんて無い。補助金でも出さないとそんなめんどくさい雇用施策を実行なんてしないの」
確かに、工場ラインだってコンビニの店員だって、今現にバイトを雇うことで解消されているのだ。それなのにニート、引きこもりの雇用のためにわざわざコントローラーのようなものを導入する理由はまったくなかった。
「ゲームで銃を撃つ人間に実銃を持たせる、というのはどうかな? もちろん命の危険はあるけれど……」
「それも上がったけど、そもそも体力がなさ過ぎるの。そのために体力錬精なんて行ったって"ゲーム"がやりたい人の集まりなんだからみんな辞めてくのは目に見えてるの。それに兵士の数は困って無いし、今の安全保障上必要なのは一騎当千の勇者よりも抑止力の代名詞である頭数なの」
確かに、昔の戦争と今の戦争は違う。森の中で一人ひとり撃たれるくらいなら絨毯爆撃で焼き尽くすようなこんな時代であるし、昨日綺羅が言っていたようにロボット兵などというものも出てきている時代なのだ。
ゲーマーは体力が無いが、燃料があればロボット兵は動く。それは個体差が無いからこそできる殲滅戦なのだろう。
「あれ?」
柩は間の抜けた声を上げる。眉をひそめていた沙希がふと顔を上げて彼の顔を見ると、興味深そうに覗き込んでくる。
「ねぇ。もしもの話なんだけれど――」
「ん? 言ってみたまえなの」
柩のその話を聞いた皐月は徐々に、顔色を変え、最後には生気を抜かれたような青い顔をしていた。
沙希がインターホンを鳴らす。その横に柩が立って、後ろで皐月が足をとんとんとしていた。
『はい、どちらさまでしょうか?』
「度々申し訳ありません、昨日伺った風中沙希と申します。息子さんとお会いしたいのですが、よろしいですか?」
『……はい、少々お待ちください』
しばらくして出てきたのは少しやつれているように見える女性であった。素朴そうな親であるし、そのやつれは引きこもり生徒が原因であることは容易に伺える。
「失礼します、息子さんに用件があり参りました」
沙希は丁寧な口調でそう言うと、"どうぞ"という言葉と共に家の中へ案内される。
「ここです」
案内された2階の部屋をゆっくりと沙希は開ける。皐月が背伸びをして覗き込もうとするが、どうも身長が足りないらしかった。
「ちっ……」
彼らの来訪を認識したらしいゲーマーは、聞こえるように舌打ちした。そしてまるで意にも介さないというようにゲームをし続ける。その後ろから、そっと皐月が覗き込む。
画面に映っているのは、一人称視点で銃を持って敵を倒す"FPS"と呼ばれるジャンルのゲームであった。カチカチと巧みに操作をして出てくる敵を倒していくその様子は確かに爽快で、よほどやりこんでいることが伺える。
「……ないの」
「え、何?」
皐月がぽつりと呟き、聞こえなかった柩は聞き返す。皐月は大きく深呼吸をしてもう一度口を開いた。
「このゲーム、知らないの」
「ふむ?」
ゲーマー皐月、その仕事はあらゆるゲームを掌握し研究を進めることだ。その皐月が知らないゲームとなると、一体どんなゲームなのだろうか。皐月はひどく険しい顔をして画面を睨みつける。やがて、残弾が切れ格闘戦を行っていた彼も集中力が切れたのか遠くからの対戦車弾に直撃し画面が真っ暗になった。
「ああ、もう!」
机を叩きつける、確かに皐月もそういうことをすることは多々あったが、ここまで激高することはなかった。
「っつーか、お前ら邪魔なんだよ! いつまでいるんだ、集中力が途切れるだろ!」
「そのゲーム、死んだらリスポーンしないの?」
柩は片手に持っていた携帯でリスポーンの意味を調べる。
"リスポーン(respawn)とは、ゲームで倒されたり死亡したりしたキャラクターが所定の位置 で再スタートすることである"
「しねーよ! 自機は1だけ、死んだらクライアントが落ちてログイン画面に戻されるけど戦績だけは残ってんだから、そういう仕様なんだろ!」
「このゲーム、どこで手に入れたの?」
「郵送で送られてきたんだよ! ったく、何なんだよもう!」
そう言ってこちらに袋を投げつけてくる。その中に入っているのは、真っ白で円盤状のデータ媒体であった。
「コレ、借りてもいいの?」
「帰ってくれるならもっていけ! その代わり二度と目の前に姿を現すんじゃねぇ!」
それは綺羅とは違う口の悪さであった。子供のように喚き散らす彼よりも、皐月のほうがよほど大人に見える。
「じゃ、帰るの。ばいばーいなの」
3人はお互いに見つめ合って頷く。そして彼の母に挨拶をして、一度斑鳩家へ戻った。