2-1
今日はいつもよりも生徒会室に到着するのが遅れてしまった。そろそろ学園は受験対策と称して補講を行うことが多くなり、少しずつではあるが受験モードへと突入していくのである。あたりの空気は進学先や偏差値、大学別の傾向の話でもちきりになり、あまり進学先に選択肢がない彼としては片身の狭い思いをすることになっていた。
だからこそ、早めに生徒会室に行きたいと思うのも自然なことなのだろう。全国模試で100位以内に入る彼女は決して勉学の話をすることはなく、彼から話を振ってもさもつまらなさそうに溜息をついて返してくるのだ。そんな彼女を見ていると教室に居る受験生のような学生が滑稽に見えてくるが、おそらくは沙希が特別なだけだ。
「遅れてごめん」
そう言いながら生徒会室の扉を開ける。もちろん、彼がいない間に書類をすべて片付けて優雅にくつろいでくれているわけもなく、沙希は大きな生徒会長の机の上だけを片付けて何かをいじっているようだった。
「いや、構わないよ。大方、補講か何かだろう? あの手の補講には復習しか入っていないからやる必要がないね」
頭をあげずに机の上を見ながらひたすら手を動かす彼女を見て、彼は首を傾げた。小さな金属の当たるような音が断続的に聞こえ、工作をしているようにも見える。
「何を作ってるの?」
「ふむ。これはね、爆弾だよ」
「そっか」
それを聞いて何やら安心したように息をふうっと吐くと、彼は散らかった棚の中からコーヒーのドリップを1つ取り出してカップに放り込み、ポットでお湯を沸かし始めた。
彼女が何かをしているときは、邪魔をしてはいけない。その行為がいくら謎でも、あとから納得できる説明はあるはずなのだ。だから彼は、まるで遠征へ行った夫を待つ妻のように落ち着いて、いつもの場所に座り直した。
それに、もはや危なっかしい工作をしていようが彼には関係のない話であった。実は風中沙希がテロリストの主要メンバーでこの学園に爆弾を仕掛け籠城しようとしていると聞いても、おそらく彼は沙希を止めたりはしないだろう。それほどまでに彼女の行うことは好奇心をくすぐるようなことなのだと、ふと彼は考える。
外は穏やかな夕暮れだった。最近は日の落ちが早い、すぐに冷えてしまうにも関わらず窓が全開なのは何か意味があるのだろう。彼は暖かなコーヒーを淹れたにも関わらず手に握ったまま、なかなか飲まなかった。
「ふむ、うまく行くと良いのだけれど」
息を吐いて工具らしきものを机に置くと、彼女は小さな小さな箱を天井に上げてみせた。満足そうに頷くあたり出来は良いらしい。
「大丈夫じゃない?」
励ましにもならないような言葉を投げかけると沙希はこちらを向いて微笑む。彼女が丹精込めて作ったものが、まさか失敗作に終わるわけがないだろう。
「それじゃ、行こうか」
「え?」
彼は間の抜けた声を出す。テロを行うなら日が高く、校内に人が溜まっている時が一番良いだろう。そのほうが取れる人質も多くニュースにもなりやすい。
「ふふ、まぁ付いてくるといいよ。気になるんだろう?」
「……わかった」
どうやら彼の思いつかないようなテロを起こすらしい沙希は、穏やかに微笑むとその小さな箱を持って廊下に出る。それに続くようにして彼も立ち上がり、名残惜しそうにコーヒーカップを机の上に置くと部屋を出た。
「さて、これをどこに仕掛けるのかだけれど、君はどこがいいと思う?」
自称物騒な物を持ち運びながら沙希は楽しげに柩に尋ねる。もちろん、彼にも意見がないわけではない。最も人が集まる場所なら教室かどこかの部室だし、権力を持つものを脅すなら校長室など考えられないこともない。もちろん全ては抑止力であり爆発させる気はさらさらない前提ならば。
だが彼女の手に持たれた自称爆弾には、持ち運べる無線のスイッチのようなものが付随していた。つまりその前提がひっくりかえっている可能性がある。
「そのスイッチから考えるに、まず爆発させる前提がある。そして生徒会長であるということから考えると生徒は殺傷しない。ということは沙希の行動はそもそも、爆発させることを目的としているというのが濃厚だよね」
「ふむ?」
それを聞いた沙希は驚いたように目を丸くする。彼はその反応を見て一旦言葉を止めた。
「いや、続けてかまわないよ」
「うん。……つまり、誰かに何かを知らせる――または、それを壊すことに意味があるんじゃないかな」
「ふむふむ。いや、思ったよりも考えてくれていたみたいで嬉しいよ。上のやることに盲目になって従うのは愚者と犬だけだからね」
犬が入るのなら猫もそうではないのかと思うが、沙希にとっては違うのだろうことだけはわかった。どうやら彼女のやろうとしていることに近しいことを言い当てれたようで少しだけ彼は嬉しくなる。
「いやなに、犬には知性を認るけども、猫には知性が認められないというだけさ。……そして僕は今から、屋上へ向かうというわけだね」
そんなことを言う頃には、彼らの足は屋上の冷たいコンクリートを踏んでいた。風が容赦なく吹き付ける中で先ほどの暖かなコーヒーを思い出す。可能ならば早く帰りたいというのが本音だが、好奇心がそれを許さない。
「見なよ。ここからならいろんな部活の活動が見えるね。陸上部、野球部、テニス部、ラグビー部……」
沙希の言うように下を見れば、確かに様々な生徒が様々な部活を行っていた。その中から彼女は、無言で陸上部を指差してこういう。
「知った顔もチラホラと居るみたいだ。陸上部の彼女は僕と同じクラスなのだけれどね、彼女の身体能力はすごく高いんだ。体育の時間はいつだって彼女の独壇場なのだけれど、それを誇る素振りすら見せない」
それは謙虚で良いことだろう。自分の能力や立場に慢心して向上心がなくなるのは長い目で見るとその人にとって損でしかない。
「そう、彼女は城野綺羅というのだけれど……」
そう言いながら、まるで手馴れているかのように屋上の手すりの部分に爆弾を紐で巻きつけた。その箱がまさか爆弾だろうとは誰も思わないだろうし、誰かが屋上に忘れた弁当箱のようにすら見える。
「人は上空で爆発が起きた場合どうするんだろうね。君ならどうする?」
「そうだな……逃げる、かな」
言い合いながら彼らは屋上の、弁当箱を取り付けた反対側まで移動した。遮蔽物は上がってきた階段を取り囲む壁だけだ。
「そうだね、僕もとりあえず安全を確保するだろう――それっ」
そして沙希は手に持った赤いボタンを、テレビでも付けるような様子で押した。
「――っ!」
大きな音があたりに鳴り響く。その後、他の音が聞こえなくなりキンという耳鳴りが頭の中を十秒ほど駆け巡った。いくら屋上の反対側と言っても100メーターあるかないかほどの距離である、沙希がどれほどの爆薬を投入したのかは分からないが、相当量であることは伺えた。
そもそも今更ではあるが、この国では一定量以上の火薬を扱うには資格が必要ではなかっただろうか。
「思ったより、響くものだね。耳栓を用意しておけば良かったよ」
苦笑いを浮かべると、沙希は目を一度だけしっかりとつむってから立ち上がった。遠くから風に乗って生徒の騒ぐ声が聞こえる。その声を無視して、沙希は静かにその場にとどまった。
やがて5分ほど経過した頃だろうか、突然大きな音が聞こえた。屋上の扉が開かれたらしい。扉とは反対側にいた彼らは誰が来たのかはわからなかったが、沙希は"待て"の動作をしたまま隠れるようにコソコソと移動を開始する。
「おい! 誰かいんのか?!」
それは荒々しい言葉ではあったが、間違いなく女性の声であった。凛とした通る声が聞こえ、隠れる沙希の方をうかがうと、彼女は小さく手でオーケーを作っていた。
「うん、俺はいるよ」
聞こえるように言葉を返すと、その声の主であろう女子生徒が走ってこちらに寄ってくる。
「見たところ怪我はないみてーだな。ありゃあ爆発か?」
気づけば沙希はどこかにいなくなってしまっていた。この先は流れで、ということなのだろう。
目の前にいる生徒を見ると、どこかで見たことがあるような気がする。着ている服は陸上部のもので、冬だというのに半袖の上下を着ていた。
先ほどの沙希との会話を思い出す。城野綺羅と言っただろうか、沙希が話していた運動が得意なクラスメイトとは彼女のことで間違いないだろう。
「うん、のんびりしてたら爆発みたいな音がして……危ないかもしれないからここにいたんだけど」
「バーカ、爆発が収まったならさっさと建物から出ようとしろ。柱がやられてたらいつ崩壊するかわかんねーだろ」
ばつが悪そうに頭をかきながらそうぼやく彼女はさながら男と言われても信用できなくはなさそうだが、胸にやたらと女性を主張する部分があるためやはり女なのだと確信する。
「うん、ごめんね。ありがとう」
「ッ……ったく。ま、爆発は手すりをちょっと抉っただけだから大丈夫だが、次から気をつけろよ」
さて、問題はこのまま彼女を返していいのかどうかだろう。沙希ならばここで不謹慎なジョークの1つでも飛ばすだろうが、柩にそんなセンスはなかった。何も言われていない以上このままでいいのだろうし、事前に城野綺羅の話は聞いていたのだから目的は達されたのだろう。
「あと、あんまり遅い時間に帰るんじゃねーぞ。最近は物騒なんだからな」
喋り方にしては、どこか彼女はお母さんのようなことを言うな、と思う。そもそも爆発したから野次馬として来た、と言うにしては開口一番"誰か居るか"と心配をしていたし、人は口調によらない。
「城野さんって、優しいね」
「ぬ、あっ……い、いきなりなんだよ。くそっ、俺は帰るからな」
半袖のパンツの中に両手を入れて城野綺羅は顔を背ける。耳の辺りがほのかに赤くなっているようにも見えたが、おそらく見間違いだろう。昨今、漫画のように耳まで赤くなる人など存在しないに違いない。
結局城野綺羅は振り返ること無く屋上を去った。彼は首を傾げて先ほどの言葉を思い出す。
「……"俺"って言った?」
彼女の一人称は、口調に違わず男らしいものであった。