日常 (セレーナside)
謁見の間と呼ぶ空間に≪精霊≫を容れた水槽のような円柱が外壁として玉座を囲む。
この国の女王の髪やドレスからは装飾と見紛う無数のコードが延びており、それを円柱と繋いでいる。玉座に昼夜問わず縛り付けられた女王は役職だけの飾りに過ぎない。
先ほどから元老院が何やらうるさい。王国の傀儡である母に老人達が立て続けに難しい話をしている。
女王の側で控えている娘、セレーナは元老院と呼ばれる組織の話を聞き流してスケッチブックに筆を走らせている。在りし日の母の姿を描きとめる為、あらゆる角度から女王の姿を観察する。ありのままの姿ではない、理想の母親の姿が紙に浮き上がる。
自分の母親は既に助からない。十年余りもの間、この姿を保ち続けている。
世界の元素を司る精霊を掌握し、制御するのがこの国の王の務めだといい聞かされている。現女王が即位して十年。母親は玉座と呼ばれる制御装置に座らされ、決して動く事を許されなくなってしまった。
円柱には≪大精霊≫と呼ばれる獣や虫の形状を取る各精霊の属性を司る中継役の精霊が収められている。四大元素の火水風土の他に、光を操る精霊が鎮座する。女王は五つの精霊を掌握し、この世界の理を支配し守護している。
艶やかであっただろう黒髪はすっかり色が抜け落ちてしまっている女王。彼女は元老院の話を虚ろな瞳で聞くだけ。実年齢より遥かに老けた容貌はまるで枯れ木のようだ。
セレーナは老婆のような母親の肖像を若く描き続けていた。
祈るような筆遣いで、本来の姿であろう若い容貌の母親を紙に具現化する。
謁見の間に規則的な高い靴音が鳴り響いた。
元老院の長であるスカーレットが遅れて入ってきた。彼女は国が信仰する光教会では『聖女』と呼ばれる妙齢の美しい女性だ。
スカーレットの白い法衣がふわりとなびく。女王に一礼をして向き直る。
「セレーナ姫様、少しですがお席を外しては頂けないでしょうか?」威圧的な語気。
「わかりましたわ」セレーナは従うしかない。
王族は元老院に飼い殺しにされているも同然だ。
「お母様、ごきげんよう」挨拶をして画材をまとめる。
廃人の同然の母親に返事は無かった。
セレーナは踵を返して足早に謁見の間を去る。
画材を小脇に抱えた王女の足取りは重い。
杞憂なら良いのだが、日に日に女王の老化が早まっている。精霊の強大な力を幾つも制御していると若さを失ってしまうのか、それとも生命力自体を奪われているのかは定かではない。しかし、女王の死が迫っているのは外見から窺い知れた。
母親が死んでしまう。その恐怖は真綿で首を絞める感覚でじわじわと追い詰めるようにやって来る。
気を抜いたら発狂して泣いてしまいそうだ。
セレーナの親は女王しか居ない。父親は現女王の母親が即位前に精霊の王として崩御した。父親の最期は壮絶だったらしいが、物心が付かない幼いセレーナに記憶は無い。
想像が付くのは、自分の母親は父親と同じ運命にあるという事実だけだ。
そして、それはいずれ自分の運命にも関係する。
決められた死に方が待っている。
生まれた時から死刑が宣告されているようで生きた心地がしない。
死にたくない!
自分が次の女王になれば死期が早まるだろう。
謁見の間で会った母の姿を思うと、涙が滲む。その涙を周囲の誰にも悟られないように、廊下を駆けて自室へ戻ろうとする。
不意に何者かの背中に額をぶつけた。
「うわっ!」ぶつかられた使用人は盛大に花を廊下にぶちまける。
セレーナは衝撃で後ろにひっくり返る。
尻餅をついて見上げると、セレーナの見慣れた顔があった。
「セレーナ様、ご無事ですか? お怪我はありませんか?」
真っ先に王女を心配して手を差し出す使用人は、セレーナと年が近いまだ少年と呼べる美男子だ。洗練された動作で優雅にセレーナを起こす。
「…………ヨシュアで良かったですわ」瞳の下に涙の粒が浮かんでいる。
ヨシュアはまず、綺麗にプレスされたハンカチを取り出し、素早くセレーナの涙を拭った。彼女の無事を確認する。そして、
「何か嫌な事でもあったんですか?」セレーナの気持ちを察して訊ねる。
「いいえ。それよりも、散らかしたお花を片付けなくてはいけませんわ」
セレーナはヨシュアに気持ちを悟られたくなく、画材を床に置いてその場にしゃがみ込み率先して花を集め始める。
「も、申し訳ございません!」慌ててヨシュアも花を集め始めた。
セレーナは集めた花を無言で押し付ける。続いて散らばっていた画材を拾った。
「ありがとうございます」面食らった表情でヨシュアが花を受け取る。
ヨシュアの言葉を聞くと、セレーナは満足して通り過ぎる。笑みは返せない。
数歩過ぎたところで、
「俺で良かったら愚痴でも何でも聞きますから。泣かないで下さい」
頼りない言葉を投げ掛けられたが、振り向きたくは無かった。
セレーナはヨシュアの母親を乳母として育った。いわばヨシュアとは幼馴染なのだが、身分とプライドが邪魔をして何も知らなかった幼い頃の様に気安く話せないでいる。使用人風情と会話をすれば周囲に何を小言でうるさく言われるかわからない。
自ら自分の殻に篭り切った王女は心というものをとうに閉ざしている。
誰にも自分の気持ちは解らないと、目を伏せながら自室のドアを開けるのだった。