入れ替わったお姫様 (輝美side)
棺は屋外まで運ばれ、搬送用の馬車に乗せられる。
あたしは遺体搬送用の馬車とは別の、葬祭用の黒い馬車に押し込められた。たたらを踏んだあたしが馬車の中で転ぶ。
「姫様! お気を確かに! 気をやるのは後に」
あたしを気遣って馬車内に入って来た白い法衣は確か『聖女様』と呼ばれていた女性だ。燃える様な赤い髪を肩で切り揃えており、雰囲気はとても厳格な感じがする。あたしの足から転げ落ちた靴を拾い上げ、無表情であたしに靴を履かせてくれる。
聖女と呼ばれる女は鉄面皮を保ち、馬車内の空気が硬質を帯びる。葬式の鬱々とした空気と相まって、沈黙が重苦しい。あたしは聖女の横顔を見ながら、威圧感に負けて押し黙ってしまった。
あたしはこの場所では、どうやら『お姫様』という役柄になっているらしい。
色の無い、王族専用の霊廟までの暗いパレード。牛歩の速度の馬車と人々が重苦しく街道の直線を歩む。
街道に連なる庶民の視線が葬列に集中している。国民の誰もが、崩御した『女王』の最後の花道を見送ろうと整列しており、あたしが乗る馬車にも頭を垂れる。
葬儀の雰囲気に流されて完全に言葉を失ったあたしは血色を失ったまま、黙って葬列に参加し続けた。
遺体搬送用馬車などを誘導する騎士の一団を、窓越しに言葉も無く眺める。騎士を率いる『団長』と呼ばれる男は女王の弟だそうで。全く見覚えが無いけど、長髪を束ねた髪の色が自分と似ている気がする。
自分の周囲にいる者たち、遺体の女王を取り巻く環境が何なのか未だ把握出来ない。
あたしが一つだけ葬列の彼らに言いたい事、それは「自分は王女ではない」事実だ。あたしは王女本人と間違えられて墳墓までの道を進んでいる。
あたしの名は天神輝美という。定食屋の一人娘で跡継ぎ。確か自分はお姫様ではなく、普通の女子高生だった筈だ。
「何であたしはここにいるんだろう……?」
自分への問いが外にいる民衆の万歳と共に掻き消えていく。
隣に座る聖女は仮面のような表情を保ち、前方を見つめたまま沈黙を保っている。まるで美しい女性の彫像が無機質に瞬きをしているようにも見えて不気味だ。
距離を考えると聖女に話し掛けるのが適当に思えるが、果たして会話が通じる相手なのか表情と雰囲気では察し難い。あたしはこの手の人間が苦手だ。
先を進む馬車をずっと見ているのは先程の凄絶なミイラを連想させて怖いので、隣に座る聖女の凛とした横顔を凝視する。女の呼吸音が私を安心させた。
棺が入る馬車を取り囲むように進む周囲の人間は全て生きており、御伽噺にあるような作り物ではない。震えるあたしの左手に触れる聖女の右手に体温と軽い圧を感じる。
葬列は郊外まで続き、女王の別れを惜しむ民衆の列も街の外まで延々と続く。
あたしは葬儀の雰囲気に未だ流されているようだ。何も喋れない。
晴れやかではない周囲と、死者と関係が無い自分に激しい違和感。それから喉の奥に詰まる様な疑問の数々。沸き起こり続ける不安と焦燥で目が回って吐きそうだ。
止め処なく溢れる疑惑の感情を押し殺し、『女王』の埋葬を騒がず見守る事にする。それが故人への弔いの最低限のマナーかも知れないと思ったから。
遺体は霊廟の内部にあるカタコンベと呼ばれる遺体安置所に静かに置かれる。
聖女が最後の祈りの歌を捧げ、足早に関係者は引き上げる事となった。
あたしは『団長』という騎士の男に肩を抱かれて足早に霊廟を去る。
霊廟からの帰りも馬車で。
たった一人で王侯貴族用の馬車に押し込まれたあたしは、馬の蹄と車輪の音を聞きながら不安な面持ちで座席に座っている。帰りは『聖女』とは一緒ではないようだ。
完全に参った……。
「あたしはあの子と入れ替わってしまって間違えられているんだ」額を押さえる。
不安を独り言にして吐き出すと、一層不安が募った。
あたしは今、異世界にいる。
自分と同じ容貌の王女と立場が入れ替わり、なぜかその王女の母親の葬儀にいきなり参列する羽目になった。
あたしと入れ替わった王女は、あたしが今まで生活していた世界にいる。状況を把握しているのは残念ながらそれだけだ。
自分の正体をこれから周囲にどうやって話すべきか迷う。
あたしと入れ替わった『姫』を取り巻く環境は複雑かつ、孤独に満ちているように感じる。
半日のうちに掴んだ状況というのは、権力と虚勢を振りかざした大人が忙しなく動いていて、王女に対して聞き耳を持たない状態であるという事だ。
やり辛いのは目に見えて解っているが、まずは自分が王女では無いと説明する必要があると思っている。
幼い頃に憧れた御伽の国のお姫様の姿は、既にあたしには下らない虚像にしか映らない。
現実の世界で若いながらも世知辛い思いをして世渡りをしてきている。年輪を重ねている訳では無いので、酸いも甘いもまだ全てを把握していないが、我ながら擦れた感覚でしか物事を捉えられずに育ってしまった。枯れてオバチャンみたいだと友人に言われている女の子。それが天神輝美だ。
何とか周囲に自分が王女では無いと説明して元の世界へ帰らねばならない。これだけはやらなくては、両親にあたしの消息が知られないままのたれ死んでしまう。そんなのは絶対に嫌だ!
最初に王女として識別された部屋へ連れ戻される。
王女の居室はあたしが暮らしている住居の敷地よりも物凄く広く感じる。
白と淡い青を基調とした豪華な調度品が清潔に並んでいる。どこと無く寒そうなイメージのある色調に、持ち主の息苦しさが伝わってくる。
あたしがメイドに声を掛けようとすると、いきなり身包み剥がされた。
「なっ? 何すんのよ?」戸惑いが隠せない。
脱がされた黒いドレスは控えていたメイドが抱えている籠に押し込められる。
「ささ、姫様、お清めの時間です」
半裸のあたしは使命に忠実なメイドに無理やり備え付けのバスルームへ連行された。
下着のまま、泡の張った湯船に放り込まれ、自分の体をメイドが勝手に洗う。
「ちょ……、やめなさいよ! じ、自分で洗うからっ!」身じろぎする。
勝手に肌を見知らぬ者に触られるのは不快だ。しかも、下着のまま風呂に入るのは気持ちが悪くて仕方が無い。
「どうなさいました?」体を洗っていたメイドが訝しげに尋ねる。
彼女は王女の体を清めるのが仕事みたいで、洗浄を拒むあたしをただ不思議そうに見つめている。なんて厄介なメイドだ。
「すみませんが、体くらい自分で洗いますから。皆さん出て行ってくれますか?」
濡れたキャミソールとブラジャー、パンツの生地が泡を纏った水分と一緒にくっ付いている。衣類を着た人間が洗濯をされているようで嫌だ。
「……御意にございます」メイドは大人しく頭を垂れる。
自分の体を洗ったメイドと控えのメイド達はすごすごとバスルームから退室する。
メイドの気配が去ったのを確認すると、濡れた下着を全て脱ぎ捨てて湯船に飛び込んだ。泡が飛び散るが、この際気にしない。
映画のような泡風呂は憧れだったが、湯船に浸かる心境は憂鬱だ。
「あー、最悪……」
湯船の泡をすくって一気に吹いた。
このおかしな状況を楽しめるような気分には今のところなれそうも無い。
風呂から上がると、既に着替えが用意されている。
新しい下着を着たあたしが、メイドによって素早く着付けられていく。
「もうどうにでもなりやがれ……」
半分諦めたあたしはマネキン状態でされるがままにされる。
寒色を基調にしたお姫様然とした豪奢なドレスを着せられたあたし。ドレッサーの前で自分を別人だと疑い始める。
鏡台に映り込む少女はまさに淑やかな王女。いつものポニーテールがトレードマークの元気な定食屋の娘はどこに行ったのだろう?
髪を高く結い、毛先をカールさせ、ティアラを載せればお姫様が完成する。
「あたしは誰なのよ?」
独り言のような疑問はメイドに届かない。