01
帰り道。
友達の少ない僕はいつものように一人で家にさみしくゆっくりと帰っていた。
途中、そういえば今日は月曜日だなと思いだし、毎週楽しみにしている週刊少年ジャンプを読みにコンビニへ立ち寄った。
もちろん買わない。立ち読みだ。
完全おこずかい制の僕は、バイトもしていないわけで常に財布の中身は空に近い状態だった。
高校生の懐は寒いのだ。
そんなわけでコンビニに入って奥にある雑誌コーナーへと向かう。
これってあれだ。もしこの雑誌コーナーがレジの前にあったら絶対立ち読みできない。
奥にあるからこそ店員に見られることなくゆっくりと立ち読みをすることができるのだ。
まあ奥にあるから大丈夫だというわけではないのだけども。実際、今僕は立ち読みをしているが、店員にガン見されている。
ガン見だ。
ところでガン見って一体何の略なのだろうか。
ガンガン見る。とか。
国語辞典を開いてみても載ってなかったし、俗語であることは確かなんだろうけども。
まあこれが俗語じゃなければ少し驚くところもある。
「ガン見はじっくり見る、ジロジロと見る。とかそういう意味の言葉らしいわよ」
「あ、そうなんですか。どうも」
「気にしないで。たまたま私のバイト先のコンビニで立ち読みしていた愚かな荻野君が、ガン見の意味を知りたそうにしていたからわざわざ仕事中にもかかわらず今はやりのスマホでその意味を検索してあげたに過ぎないわ」
「………」
荒川ミズハ
僕と同じ高校に通い、そして僕と同じクラスの女子高生だ。
成績優秀スポーツ万能。さらには透き通るような白い肌につやのある真っ黒なロングストレートヘア。身長も172センチとモデルのようだ。当然ながら脚も長い。胸も大きすぎず小さすぎず、ちょうどいい。美乳と呼ぶにふさわしいおっぱいだ。揉みたい。
まさに才色兼備という言葉がふさわしいと感じる人間だ。
もう彼女のためにこの言葉があるのではないだろうかと感じる。
「荻野君。荻野千尋君」
「人をジブリ映画の名作に登場してくる主人公、荻野千尋の名前と一緒にするな。僕の名前は博人だ。ごちゃまぜにしないでくれ」
「あら、そうだったかしら。間違えたわごめんなさい。ところでゴミクズ」
「わざとだよな。もう名前ですらねえよ」
「そんなこと言ってもいいのかしら?世の中には五味さんという名字の方もいるのよ?」
「もし僕の名字が五味だったとしても僕の親はそこで名前をクズにするよるような人間じゃない!」
「本当にそう言い切れるの?もしかしたらあなたのお母さんお父さんはあなたのことをごくつぶしのできそこないのクズ野郎だと思ってるかもしれないというのに。いえ、思ってるわ」
「そうだったの!?」
荒川ミズハ
荒川ミズハだ。
彼女は見た目が良く、スポーツもできて頭も良い。正直言ってモテそうだ。
いや、本来なら絶対にモテている。
だが彼女の周りに人は集まらない。
彼女はいつも一人だ。
お察しの通り。
性格に問題があるからなのだが。
というか性格に問題がある。
大アリだ。
悪い。
悪いってものじゃない。悪すぎる。
だが昔は一部の男子に人気があったらしく、あまりにも美人な彼女から発せられる顔に似合わない毒舌を聞きたいという変態思考の男子が寄ってくることはあったらしい。
しかし、それも"昔"の話だ。
うっとおしく感じたのか荒川ミズハは寄ってくる男子を全員、半殺しにしたのだ。
友達同士で使われる「お前半殺しにするぞ?ワロリンガル」とかそういうふざけたものではなく、本当に半分殺したのだ。
半殺しだ。
流血事になった。らしい。
いや、あくまで噂なのだが。
その半殺しにされた男子生徒達も何があったか何も答えなかった。
両親や教師、さらには警察にも事情聴取されたらしいが、それでもかたくなに口を閉ざした。
結局真実を知る者は誰もいないのだ。
ちなみに荒川ミズハは空手初段だ。
しかも空手だけでなく柔道、そしてキックボクシングも習っているらしい。
うん。
いやまあ荒川が犯人でもおかしくないような気がしないでもない。
でも2,3年前の話だ。もう終わったことだろう。
実際、それからその男子生徒達も荒川に一切近づくことはなかったらしい。
そんな恐ろしい(?)過去を持っている荒川スズハに今。絡まれている。
しかもよりによって彼女のバイト先のコンビニで立ち読みをしているのだ。
これは死んだ。
まだ死にたくないのですが。
ああ。考えてみれば僕の人生って本当に薄っぺらいものだったなぁ。
エロ動画とかインターネットで見るときの『あなたは18歳以上ですか?』の確認くらい薄っぺらい人生だった。
「ちょっとまってグランルーゼ伯爵」
「僕の名前は荻野博人だ。誰だよそのかっこいい名前。むしろそっちに改名したいよ」
「じゃあ明日からあなたのことはそう呼んであげるわ」
「気遣いありがとう荒川さん。ですが丁重にお断りさせていただきます」
「いいえ。明日から私は絶対あなたのことをクズ虫大臣と呼ぶわ」
「やめてくださいあと変わってるから!」
クズ虫大臣になってるから!
クズ虫の中のクズ虫になってそうだよクズ虫大臣。
「五味屑君にはぴったりのニックネームだと思ったんだけど」
「悪いが僕の名前は荻野博人だ。何人の名前を勝手に改名してくれてるんだ。しかもクズ虫大臣ってあだ名だったのかよ」
「当然でしょ?そんなださい名前誰がつけるのよ」
「自覚あってのことだったのかよ!」
「ニックネームでも呼ばれたくないわね」
「僕のことはそう呼ぶのに!?」
「まだ呼んでないのだけれど。ああ、そういうことなのね。わかったわ。暗にそう呼んでほしいという事だったのね。私としたことが気づいてあげることができなくてごめんなさい。明日から、いえ今からあなたが死ぬまでずっとクズ虫大臣。そう呼び続けるわ。安心して」
安心できない。
死ぬまでって一生かよ。
つまりあと70年くらいはずっとそう呼ばれ続けるのか。
おじいちゃんになってもあだ名で呼びあえる仲。素敵じゃないか。
「いいえ、あなたはおじいちゃんになる前に死ぬわ。明日くらいに不慮の事故で」
「僕死ぬの!?」
「誰かに後ろからバールのような物で殴られてね」
「それ事故じゃないじゃん!事件だよ!殺人事件だよ!」
しかもバールのような物ってバールじゃん。
「大丈夫。証拠は残さないわ」
「犯人お前かよ!」
「ところで荻野君」
「普通に呼べるんじゃねえか…」
「あらごめんなさい。クズ虫大臣」
「めんどくせえ!」
「料金」
「え?」
「ジャンプ。読んだでしょ?料金」
「………」
「まさか立ち読みしてそのまま帰ろうとなんて、紳士的な荻…クズ虫大臣はしないわよね」
なぜ言いなおした!
「別にそのまま帰ってもかまわないのだけど、そうした場合、あなたに明日はないと思いなさい」
殺されるんですね。
後ろからバールのような物で殴られて。
「で、払うの?払わないの?」
「払います」
コンビニを出るころには外は土砂降りの雨だった。
いくら愛雨の精神を持っている僕でさえ神に怒りを感じてしまうほどの雨だった。
ゲリラ豪雨みたいだ。
というかそれ愛してないじゃん雨。
それに、今手に持っているジャンプがもしなかったらここまでの怒りは覚えていなかったかもしれない。
なるほど。だから荒川ミズハは僕にレジ袋をくれなかったのか。
この大雨でジャンプをびしょぬれにしてしまい、読めなくしてやろうという戦法か。
「どうせクズ虫大臣の買った本でしょう?わざわざ袋に入れるようなことはしないわよ」
と言われたしな。
ひどい話だ。
いや、というか。今このゲリラ豪雨状態だと知っていてやっただろう。荒川ミズハ!
仕方なくコンビニに入りなおし、傘を買いに行く。
ない。
傘がない。
「あらどうしたの荻野君?もしかして傘を捜しているの?だったら残念だけど、たった今完売してしまったわ」
「さっきまで僕以外に客なんていなかっただろうが!」
しかも呼び方が戻っている。
それは喜ばしいことなのだが。
「私は今特別良いことがあったから、特別あなたの呼び方を荻野君にしてあげようと思っただけよ。何?それとも博人君と呼んでほしい?別にいいわよそれくらい。ねえ?博人君?」
「いや…だからさぁ、傘を」
「何度も言わせないで。13本の傘はたった今完売したわ。しつこい男と荻野君は女の子に嫌われるという言葉を知らないの?」
「じゃあ僕何に気をつけても意味ないじゃないか!」
しかも一瞬のうちに13本も完売したのかよ!
今日の荒川ミズハは元気いっぱいだ。
それに反比例して僕の元気は失われていく。
「せいぜいずぶぬれになりながら愚かに汚らしく酸性雨を浴びならが地面を這いつくばって帰ることね」
「普通に走って帰るよ!」
「言ってくれれば傘くらい貸すわよ?」
「貸してくれ」
「いやよ汚い」
これだもん。
だから言いたくなかったんだ。
しかも荒川ミズハ。満面の笑みである。
こんなに表情豊かな子だったのか。知らなかった。
今日は彼女の笑顔を見れたということでよしとしよう。
「じゃあね博人君。帰り道、気をつけてね。もしかしたら途中で血まみれのセーラー服を着た中学生に出くわすことになるかもしれないけど、その時は博人君、唾を吐きかけて鼻で笑いながら帰るんでしょうね。」
「そんなことしねえよ!?」
「博人君最低ね。そんな人間だとは思わなかったわ」
「まだしてねえよ!」
「これからするの?」
「もういやだこの女!」
「ああそうだ博人君。もしよかったらそのジャンプ、私が預かってあげてもいいわよ?どうせ雨の中持っていくと濡れて読めなくなるでしょう?」
荒川ミズハの手にはハサミが握られていた。
預けるのはやめておこう。荒川シュレッダーにかけられるよりは水に濡れたほうがまだ読めそうだ。
「いや、やめておくよ。僕が自分でもって帰るさ」
「死ね」
「なんで!?」
傘を手に入れることができなかった僕は荒川ミズハの罵声を浴びながらコンビニを出た。
ところで罵声の罵って昔馬だと思って馬声って書いていたことがある。
馬声。
どうでもいい話である。
コンビニを出てできるだけジャンプを濡らさないようジャンプを大切そうに抱き、雨の中走る。
途中、タイミング悪く信号が赤になる。
この大雨の中立ち止まって雨を受けながら信号を待つとか嫌過ぎる。
しかも腹にはジャンプを抱えているのだ。
ジャンプ濡れねーかなぁ。
大丈夫かなぁなんてことを心配していると、僕の隣を、スッと、小さい、身長は、そうだなみたところ150センチあるかないかくらいの小さい子供、セーラー服を着た子供が、まだ青信号になっていない横断歩道を横断し始めた。
あまりにも自然すぎて止めることができなかったのだが、この時、僕は止めておけばよかったと心から後悔することになる。
彼女は。雨で濡れて肌に張り付いて肌の色が少し見えている状態のセーラー服を着た少女は。その瞬間横から走ってきていた大きな車。トラックに思い切り跳ね飛ばされたのだ。
人が轢かれたところなんて見たことないからわからなかったが、あれは「轢かれる」なんて表すより撥ねられると表したほうがわかりやすいと思った。
その一瞬は悲惨であるはずなのにあまりにも静かで、あまりにも激しかった。
少女は5mほど斜めに宙を舞い、そのまま壁にぶつかった。
トラックの運転手は一度はドアを開けて大丈夫かと車から出たが、血まみれの少女の姿を見ると焦ってトラックに乗りなおし、アクセルを踏んだ。
トラックはすぐに見えなくなった。
雨のおかげで血の海であったはずの少女の周りの血は流されており、セーラー服に染みついた血だけがその壮大さを物語っていた。
腹に抱いていたジャンプが、バサッと地面に落ちる音が降りしきる雨の中かろうじて聞こえた。
誤字脱字アドバイス等々おねがいします