挿話・送別会
「ラウドぉ、ちょっと、いいか?」
明日には邸を離れるという日、使用人部屋のドアをたたく音がした。
「何でしょうか?」
ドアを開けると廊下には酒瓶とグラスを持った団体さんがいた。庭師仲間だ。……いや、厨房のメンバーも一部混じっている。
「……また、飲み比べですか? 明日は早いんですが」
こんな時刻は人の部屋を訪ねる時ではない、と暗に非難する。
「いいじゃないか。勝ち逃げはずるいぞ」
そうだそうだ、と同調する声。
勝ち逃げ、とは人聞きの悪い。
一方的に賞品を賭けて勝負を挑んできたのはそっちの方なのに。新入りの通過儀礼だぁ、とか言って。
弱冠十六歳の、しかもちびで痩せっぽちのラウドに負けたのが、そんなに悔しかったのだろうか? ……たぶん悔しかったのだろう。その後も事ある毎に呑み潰そうという試みが繰り返されたのだから。
だが、飲み比べに十回も負け続ければ、いい加減に気付くんじゃないだろうか?
『ラウドはザルだ』と。
実際、故郷の村の人たちや学生仲間はそういう試みは無駄だと心得ている。
というか、ラウドがザルな理由を承知している人は酒を勧めようとさえしない。もったいないからだ。
この邸でも、『魔法使い』の台帳を目にする機会のある人物ならば、ご同様だろう。
「だけどな、同じ『飲み比べ』でも、今日は送別会だからな、呑み潰すのが目的じゃないんだ。それぞれ秘蔵の酒を持ち寄ってきたから、利き酒をやろうって、な」
「送別会、って……私の?」
「他に誰のが?」
ラウドは狭い使用人廊下に集まった人たちを見まわした。そういわれれば、『飲み比べ』には参加しそうもない人の顔も見える。
不覚にも目の奥がツンとした。
たぶん、この先一生顔を合わせることはない人々だ。
「…………ありがとうございます。単なる口実だとしても、嬉しいです」
仕事の上での交流はあまりなかったが、別れを惜しんでくれるのなら、素直に嬉しい。
「そんな顔するなよ。ほら、食堂の方に席を設えてもらってるからさ」
使用人食堂には五・六人ほどの下働きが既に座っていた。ラウドが押されて真ん中の席に座る。
「……ところで、利き酒って、どういうルールで?」
正直利き酒には自信がない。記憶力に頼る部分が大きいからだ。初めて飲む酒の名前を当てろ、などと言われたらお手上げだ。
「あれ? 利き酒って、やったことない?」
「ありません。飲み歩きの趣味とか、持っていませんし」
「おぉ」とか「勝った」とかの歓声が上がる。
聞くところによると、小さいグラスに酒を注ぎ、その見た目、香り、そして味を覚えておいて、時間をおいて出されたグラスの中身が何かを当てる、という事らしい。
覚える酒は十種類。そのうち三つを判定する、というルールになった。正式な利き酒は、口に含むだけで嚥下せずに吐き出すのだが、それはいかにももったいないので飲み込んでよし、というルールも追加された。
そして。
「すみません、勝たせていただいて」
勝負は一対一の総当たり戦だった。
初めの何試合か、ラウドは全くと言っていいほど当てることができなかった。だが回数を重ねるにつれ勝率は上がり、終いの方では100%の正解率を続けた。
時間が掛かれば、ラウドの勝機が上がるというのに、皆気がついていなかったのだろうか?
……それとも、勝負とは関係なく、ただ、『秘蔵の酒』と長く楽しみたい、ということだったのだろうか?
勝者であるはずのラウドは、きっちりグラスと空き瓶の後片付けを済ませて、潰れている何人かをまだ足元が確かな人に託し、きれいに一礼して食堂を出て行った。
「はぁ……あいつと呑むのも、これで最後か……」
「無愛想だったけど、そこさえなきゃキレイドコロとして申し分なかったのになぁ……」
「慣れてくるにつれ『肴』としてのイジリ甲斐が減ってくるのは残念だったけどねー」
「そこはしょうがない。奴ときたら懐いたからって甘えてくるタイプじゃないし」
「あー」「だよねー」「残念」
介抱係として残った男たちは口々に残念そうにつぶやくのだった。
部屋に戻ったラウドは靴も脱がないままばったりとベッドに倒れこんだ。
「……小腹が、空いた……」
いくら【癒しの手】でも、あれだけ大量のアルコールを分解したのだ。腹が減るのは致し方あるまい。
しかも今日は『利き酒』だからつまみなしだったのだ。いつもなら何らかの食べ物があるのに。
明日は早起きして、多めに朝食を摂らないと、《学院》までもたないかも……
ラウドは眠りに落ちながらそう考えた。
冬休み最後の日。
卒業認定試験目前。
卒業できるかなあ、などという心配を一切していないのは自信があるのか、『中退』扱いでも構わない、という開き直りか。
時期的には真冬、ということになっているので、寝るときはちゃんと靴はいてベッドにもぐることをお勧めします、よ。
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