真実の名
|「ちょっとここから街道を外れます。このあたりは、ある意味危険なので」
「ある意味?」
「……わたくしの顔を見分けられる人に出くわすかもしれない、という意味です。わたくし自身はもう長い事こちらには来ていませんが、この外套の元の持ち主はそうではないので」
エミーリアの回りくどい言い方を、クラウディアはちゃんと理解した。
「そんなもって回った言い方をなさらなくても、『ここはうちの領地だ』って仰れば解りますのに。……そんなに似てらっしゃいますの? お兄様とは」
「今は、それほどでも。でも、子どもの頃はしょっちゅう間違えられていました。主に、初対面の相手に」
「……歳の離れた双子、って?」
「まあ、そんなところです」
正確には、「アウレリスの奥方は、双子を時間をおいてお産みになることができるようだ」と、母親に向けて言われたのだが。まあ、母親の方も同じ言葉を六回も繰り返されたら、聞き流すしかなかっただろう。
「『何年たっても大きくならないアウレリスの坊ちゃま』は、領民たちの間では怪奇現象として恐れられていました」
そう言うとクラウディアは声をあげて笑った。
アウレリス家の墓所は、領地を見下ろす丘陵地の一角にある。
「えーと……ここは、……お墓?」
クラウディアの問いに答えはなく、華奢な背中は墓所の一隅を目指して行く。
普段と違う様子に戸惑いながら、クラウディアは後を追う。
彼は墓所の一番隅にある石碑の前で足を止めた。
「……これ……?」
クラウディアはその傍らに並び、彼が目を落としている碑銘に目を走らせた。
名前と生没年が記されている。生年と没年が同じ年のものもかなりある。よく見ると、『男』『女』とだけ書いてあるものも。たぶん、死産した子供のものだろう。一番新しい碑銘もそれだった。その上は……
「……『クラウド・アウレリス』、享年は……」
生没年から計算してみる。
「……九歳……?」
もっと小さい時期だと思っていた。九歳、といえば、そろそろ男女の違いが出てくる時期だ。
……まあ、現在の彼を見れば、九歳時点でも『少女』で通ったろうとは思うけれど。
「成人前に死ぬと、皆ここに葬られるんです。遺体があろうとなかろうと。……『クラウド』の場合は、死因が『流行病』だったので、焼いてから、でしたけどね」
「…………なるほど」
クラウディアが呆然とつぶやいた。
そりゃ、呼びにくかったはずだ、『ラウド』とは。
「本当の『エミーリア』は、その弟と一緒に、ここにいます。二人分なので、ちょっと量が多かったと思うんですが、まあ、なんとかしたんでしょうね」
「この、エミーリアと、面識は?」
「……わたくしが、ですか?」
腕を組んで人差し指を口元へ当てる。
「……あった、かもしれませんね。物心がつくころには、毎冬訪れるのが習わしのようになっていましたので。でも、こちらは名乗った覚えはないですけど。……それが何か?」
「いえ、何も、とくに、意味は」
クラウディアが慌てたように首を振る。
再び足元に目を落とした彼が、おもむろにポケットに手を突っ込んだ。取り出したものは、折り畳みナイフだ。
背中に流している髪を片手でうなじにまとめ、ナイフの刃を当てる。
「な……?」
いったい何をするのするのか、という問いを言い終える前に、ナイフがプラチナブロンドに食い込む。
呆然と見守っているクラウディアの目の前で、彼は苦労しながら自分の髪を切り落とした。
「思ったよりも、切れにくいですね、髪って」
不満げに彼はつぶやいて首を振り、おもむろに膝をついた。そして、たった今自分の髪を切り落としたナイフを芝生に突き立てる。
「『エミーリア』は、彼女に、返さないと、ね」
言いながらナイフで手のひらほどの大きさの芝生をめくり上げ、下の地面を掘り返しはじめた。手伝った方がいいのか、全部自分でやるべき『儀式』なのか判断がつかなくて、クラウディアはそれをじっと見つめていた。ナイフの刃が傷むんじゃないかなぁ、と思いながら。
やがて、十分な大きさになったと判断したのか、疲れてこれ以上掘るのをあきらめたのかは判らないが、彼は掘るのをやめてナイフを傍らに放り投げた。
そして膝の上に抱えていた髪の毛の束をざっと整えて、その穴に丁寧に横たえた。
それから、手が汚れるのにも構わず、掘り返した土を穴に埋め戻す。
最後にめくり上げた芝生を元に戻したが、埋めたせいか掘り返したせいか、きちんと平らに戻らない。
「……ディア、すみませんが」
ぶかぶかと地面から浮き上がる芝生を押さえつけながら、困ったような顔がクラウディアを見上げる。
「……ちょっとばかり、芝の根を伸ばす手伝いをしてはいただけませんか?」
「特別サービスですよ」
クラウディアが彼の横に膝をつき、浮き上がった芝の上に手のひらを置く。しばらくすると、手のひらを中心に、周辺の芝がむくむくと伸び始める。やがて、墓地全体の芝が同じくらいの厚さにまで伸びる。心なしか、芝生の緑がより鮮やかになったように見える。
「特別、って……サービスのしすぎでは?」
普段魔法を使うようお願いすると、何か文句が出るのに、今日に限っては二つ返事だ。しかもこの大盤振る舞い。どういう風の吹き回しか。
「何かご不満でも?」
俯けていた顔を上げたクラウディアが、少し不満げに問い返す。
「いえ……不満というわけでは。……ただ、……食料の残りを、少しばかり危惧してしまっただけで」
「ああ。魔力なら、いただきましたので」
「……え? どこから?」
「内緒」
以前、『使い方を知らないだけで、たいていの人は魔力を持っている』とクラウディアが言ったことを覚えていないのだろうか?
発熱していたせいか、あるいは眠りかけで記憶に残っていないのだろうか?
いずれにせよ、彼が『エミーリアの葬送(なんだろう、たぶん)』に使った髪を分解してしまったとは知られないほうがいいだろう。
……それよりも。
「年齢、詐称してたんですね」
『クラウド』の生年部分を指差して軽く睨み付ける。
「詐称だなんて、人聞きの悪い。エミーリアは二十歳ですよ。生きていれば、ね」
「クラウド・アウレリスは、エミーリアよりも、三つも年下だったんですよね」
という事は『エミーリア』より二つ下のクラウディアよりも、さらに年下。
「どうやってごまかしたんですか?」
九歳の男の子と十二歳の女の子。
すり替えるには無理があるんじゃないだろうか?
「さあ? 何しろわたくしは何か月もの間寝込んでいたので。……本当に、ですよ?」
そのころから何か企んでいたように思われるのは心外だ、という顔をして彼が念を押す。
長患いの後ならば、多少容貌や言動が変化しても気づかれない、とでもいうのだろうか?
……案外そういうものかもしれない。
何しろ、それで通ってしまっているのだから。
クラウディアが釈然としないで黙っていると、彼がおもむろに口を開く。
「『クラウド』は死人の名前だし、『エミーリア』も返してしまいました。だから」
クラウディアの手を取り、優雅なしぐさで口づける。唇を離した彼の緑色の目が、射抜くようにクラウディアを見つめる。
「これからはあなたの好きなように呼んでいただいて構いません。わたくしはそれに応えますから」
名付けろ、と言う。
どんな名であれ、自分はそれを受け入れるから、と。
「……いいの?」
魔法使いが名付けを行う意味は、出会ったころに聞いているはずだ。ほとんど雑談のような形だったけれど。
……いや、少しばかり歪んだ形で伝わっていたのだったか。
でも、このひとのことだ、どこかで正しい意味を聞きつけているのかもしれない。
「だって、それは現状の追認に他なりませんから」
まあ、確かに。
偽名とはいえ、ここしばらくクラウディアが呼び名を決めている。……彼自身はクラウディアのことを頑なに『ディア』としか呼ばないのだけれど。
「エミーリアをやめる、と決めたのは、あなたの言葉がきっかけですし」
そういえば、そうだった。
「……それともわたくしは、支配するに値しない存在ですか?」
誰かを支配したい、などと思ったことはない。
……たぶん。
「少し、考えさせてください」
……それでも。
名付けるのなら、間に合わせでない、彼に相応しい名を付けるべきだ。
なるべくならば、『力』を込めやすい名を。
そして、できれば、他人には支配されにくい名を。
「急かしたりする気はありませんが……なるべく早めに決めてくださいね?」
急かしてるじゃないか。まったくこの人は……
見上げると、緑色の目が柔らかく微笑んでいる。
『力』のこもった、緑色の貴石……はどうだろう?
……エメラルド、は避けた方がいい。馴染んだ名前を口にしてしまいそうだし。そもそも、男性の名には聞こえない。
他には……
「…………《翡翠》」
「え?」
「いえ、ジェイド、はどうでしょう? 緑色の宝玉です」
「知っています。守り石として一つ持っていました。……いいんじゃないでしょうか」
『翡翠色』とは緑色のことだけど、翡翠の地の色は白いんですよ。
だから、……白皙の肌にプラチナブロンド。あなた自身が翡翠細工のようだ、と思って。
……でも、それは、言わない。
たぶん。
この二人のお話はここで一旦終了です。
続きのお話とか、小ネタとかもありますがそれはいずれ(書けるといいなあ)。
この話は、大まかなプロットは同じですが、いろんな視点で書いた、ちょっとずつ違うエピソードが入った下書きが複数ありまして。
それらをつぎはぎしながら矛盾が無いように調整して書いたのですが、もしかしたら見落としがあって、採用していないエピソードを前提にした記述などがあるかもしれません。もしそのような記述を発見したら、ご一報ください。




