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エミーリアの秘密

「約束した事を、覚えておいででしょうか?」

 晩秋のある日、庭の一画に蹲って越冬作業をしているラウドの背中に、エミーリアがおずおずと声をかけてきた。

「ええと……申し訳ありませんが……約束って?」

 ラウドは怪訝そうに問い返した。

 顔を合わせたの半年近く前の一度だけ。その時も約束めいた言葉を交わしたことなどなかったはずだ。

「あの……温室を」

 ああ、とラウドが口の中でつぶやく。

 『約束』したのはエミーリアではなく、その婚約者であるところの、ここの末息子なのだった。


「……そうだ。庭師として勤めている、というと、温室は君の管理になるのかな?」

 茶会の終わりに立ち去る足を止め、何かのついでのようにラウドに話しかける。

「そうですが……長らく放置されていたようですので、まだ整備中です。とても人様にお見せするような状態では……」

 立ち去ろうとする一行に向かって下げていた頭を上げ、ラウドがそう応える。

「……おん……しつ?」

 それって何? という様子でエミーリアが問いかける。

「ええ。裏庭に先祖が道楽で作った温室があるんです。一年中花を絶やさずにいられるように、年中一定の温度を保てるようになってるんです」

「……それは……魔法で?」

 エミーリアがもの問いたげにラウドの方を見る。専門的なことはそちらに訊ねた方がよさそうだと判断したのだろう。

「温度を保つ仕組みの部分は、魔法ですが、花を絶やさずに育てるのは、庭師の領分です。そこのところをおろそかにしてしまったので、今のように荒れる羽目になったのです」

「心して聞いておこう。ところで、僕の出立までに整備は終わりそうかな?」

 ラウドが考え込む様子で少し俯く。

「急げば整備は終わらせることはできるかもしれませんが……満開の花を、とお望みでしたら、それは無理だ、と申し上げておきます」

「魔法の力をもってしても、か?」

「実体のない、幻影の花でしたら、いくらでもご用意できますが。温室なぞ使わなくとも。あるいは植物の生長を促して花を咲かせることは可能かもしれませんが、これからの季節、わざわざ温室に出向かなくとも庭に花はあふれているかと存じます」

 丁寧ではあるが反発の籠った声でラウドが応える。

「……どうやら何か気に障る事でも言ってしまったようだね。整備が終わったら、知らせてほしい、と思ったまでだが……赴任先で珍しい花でもあれば送れるように」

 苦笑の混じった声に慌ててラウドが表情から反発の色を消す。

「それは……申し訳ありません。要らぬ事に気をまわしてしまいました」

 あわてた様子で頭を下げるラウドに、苦笑が大きくなる。

「そんなにむきになって謝る事はないよ。第一、君に辞められてしまっては、せっかく整備しかけた温室がまた荒れてしまう。……ああ見えて、気難しいんだよ、あの温室は」

 温室が生き物であるかのように言う言葉に、その場に大きな疑問符が浮かぶ。

「……解らないのであれば、それは君が温室に好かれているってことだから、気にしないでいいよ」

 そう言って苦笑を収めた末息子が自分の婚約者の表情に目を止める。

「ああそうだ。整備が終わってからでいいから、時々このエミーリアにも、温室の中を案内してやってくれないか?」

「それは構いませんが……花が咲く前の温室は、はっきり言ってそう面白いものでもないと思います。お嬢様に園芸の趣味がある、というなら別ですが」

「園芸の趣味があるかどうかは判らないが……興味を惹かれたようなので」

 興味深げな姿勢を集めたエミーリアは、「あ、あの……お邪魔にならなければ、一度、拝見したく存じます」と、俯いて消え入りそうな声でそう言った。


 夏中かかって温室内を片付け、掃除し、壊れた個所を補修して、ようやく秋口になって温室が使えるようになった。少しずつ植物を増やしているが、まだ花を咲かせるには至っていない。

「園芸には興味がなさそうでいらっしゃいますのに……それに、今日はお付きの方はいらっしゃらないのですか?」

「興味がない、だなんて、どうしてそう言いきれますの?」

 面白がるような表情を浮かべたエミーリアが詰問口調で問い返す。

「理由の一つは、手です。あなたの手は、土いじりや植物いじりには慣れていません」

 そう言われてエミーリアが自分の、綺麗に手入れされた手に目をやり、ラウドの泥で汚れた手と見比べる。

 小柄な体に見合った、小さい手だが、毎日土いじりをしている割には荒れていない。何か特殊な手入れ法があるのか、それとも【癒し】の力の恩恵か。

「……それだけ?」

「理由の一つ、と申し上げました。他の理由は……ちょっと言葉で言い表すのが難しくて」

「魔法使いの勘、というもの?」

「どちらかと言えば、庭師の、でしょうか」

「ふうん……」

 興味があるのかないのかわからない様子でエミーリアが首を傾げる。

「それで、温室は見せていただけませんの? あの方の赴任先から実家の方に、『綺麗な花の苗をいくつか送ったので、見てほしい』という手紙が届いているので、期待していたのですけど」

 確かに苗は届いていた。十日ほど前に。だがそれは業者の扱いが雑だったのか、見るも無残な状態になっていた。

 無事な部分を選り分けて、弱った株を保護してやって、なんとか植えられそうな気配が見えてきたばかりだ。まだ、人の目に触れさせるような状態にはなっていない。

「でしたら、お返事には、『今度からは運送業者はきちんとお選びください』と担当が苦情を申していた、とお書き添え願えれば助かります」

「……業者?」

「実物をご覧にいれた方がよろしいですね。……ええと……少々お待ちいただけますか?きりのいいところまで作業を片づけてしまいますので」


 温室に案内されたエミーリアは、中に入ると、ほう、と溜め息をついた。

 見る見るうちに寒さに蒼褪めた頬に血の気がさしてくる。透き通るように白い肌が淡い薔薇色に染まる様は、なるほどしおれた花が甦ったように美しい。

 体が弱い。殊に寒さには弱い、という噂は、どうやら本当らしい。

「……これが……その、苗、ですの?」

 庭師が案内した、温室の一角にしつらえた棚に並ぶものたちを見て、不思議そうにエミーリアが言う。

 平たい器に入った、緑色のもやもやしたものから、ちいさな葉っぱが生えているところは、確かに『苗』には見えない。だが、このまま半月も培養すれば、やがて茎や根が生えてくる、はずだ。

 別の容器には、培地に挿した葉っぱから、直に根が生えている。こっちはもう少し早く定植できそうだ。

「そうだ、とも言えるし、違う、とも言えます」

 奇妙な『苗』の様子を一つ一つ確かめながらラウドがそう言うと、エミーリアが怪訝な顔をする。

「おそらくは、生きた植物の取り扱いに不慣れな業者を使ったんだと思います。厳重に梱包されていて、大半は根腐れしていました」

「ねぐされ……?」

 高そうに見える容器に植えられていたせいだろう、容器が割れないように厳重に梱包されていて、ろくに陽に当てられもしなかったのかもしれない。あるいは、風通しが悪かったのかも。

 とにかく、容器にはひび一つ入っていなかったが、苗の方はほとんど死にかけていた。

「それで、無事な部分だけ切り取って……やっとこれだけ回復してきたんです。……庭師としては、少々禁じ手を使いましたが」

 憤りを抑えた、苦さの混じる声でラウドがそうつぶやく。

「禁じ手……魔法ですか?」

「有り体に言えば。ですから、次からもそれを当てにされると困るんです」

「どうして、ですの?」

「私は臨時雇いで……本業は学生なんです」

 エミーリアがわずかに目を瞠る。

「今は、温室が順調に稼働するまで、という事で休学してこっちに来ているんですが……って、私の事情はどうでもいいですね。とにかく、次からは、なるべく種か球根にしてもらえるように頼んでおいてください。できれば、判る範囲の栽培法なども添えて、と。輸送中に腐らせてしまうのは、何より植物がかわいそうです」

「学生さん……だったのですか。園芸を教える学校なんて、ありましたでしょうか?」

「……園芸の技術は、別に学校で教わった訳ではありませんが。……学校で教わった事が役に立たない、というわけではありませんが、それしか職業にできないとしたら、下層の者たちは、大変困ってしまいます」

 むっとした様子でラウドが応える。

「まあ……それは、そう……ですわね」

 不機嫌な様子のラウドに、エミーリアがちょっと怯んだ様子を見せる。

「それで、こちらにはいつまでいらっしゃいますの?」

 妙な事を聞かれる、という顔をしてラウドが答える。

「一応、春になるまで、ですが……それが何か?」

「いえ。……では、これらの花が咲くところは、見られないのですね? あなたは」

「…………そうなりますね。一応、期末の休みにはまた、ここにお世話になるつもりでいますが」

 どういう訳か、エミーリアが顔を綻ばせる。

「……まあ、卒業までは、ですが。その頃には、あなたもご婚儀ですよね?……ところで」

「何でしょうか?」

 改まった口調に何を言われるのかと、興味津々な様子で緑色の瞳がラウドに向けられる。

「男性に嫁ぐことについて、抵抗はございませんか?……その、同じ男性の、あなたが」

 エミーリアが目を瞠り、口元に手をもっていく。

「……どうして、そんな……」

 恐ろしい事を聞いたというような震える声。宥めるようにラウドが手を上げかけると、エミーリアが言葉を続けた。

「……事が、判ったんですの?」

 ラウドがその場で固まった。爆弾発言を先に口にしたのはラウドの方なのに。

「……他の誰も、気付いた人はいなかったのに」

 エミーリアがさらにとどめを刺す。

 微笑むエミーリア。

 表情を消したまま固まるラウド。

 時間だけが過ぎてゆく。

「ええと……本当に?」

 ようやく立ち直ったラウドが、困惑気味にそう口に出す。

「触ってごらんになる?」

 エミーリアが『可憐な令嬢』には似つかわしくない妖艶な微笑を浮かべて言う。

 何を触れ、と言われたのかとうろたえたラウドは、遠慮しときます、と口の中でもごもご答えた。

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