それは子供が罹る病、では?
打ち合わせ相手を見送って、遅い昼食を平らげながらあれこれと考え事をしていると、女将の呼ぶ声が聞こえた。
「お客さーん! お連れさんがお目覚めだよー!」
……そんなに大声を出さなくてもここは二階なのだからちゃんと聞こえるのに。
声が若干裏返っているのは、何かに動揺しているのか。まあ、その『何か』は大体想像がつくが。
階段を下りて『連れ』を寝かせている厨房の方に入ると、途方に暮れた、というか怪訝そうな、というか、キレイな顔にまあ情けない表情を浮かべたやつが半身を起こしかけていた。
「よぉ」
馴れ馴れしげに声を掛けると、眉間に皺が寄る。……かと思ったが、どういった修練の賜か、眉を寄せても眉間に皺は現れない。
そして熱で潤んだ目や上気した頬が危ない色香を醸し出している。昔からよく熱を出すガキだったが、いつからこんな色気を振りまくようになったやら。
「ちょっとこんな薄着で出歩くには早すぎるんじゃねぇか? お前寒さに弱いんだし」
おもむろに手を伸ばして額に触る。一瞬目に浮かぶ怯えた色がまたアブナい。
「ヤベぇな。さっきより熱が上がってる。……起き上がれそうか?」
「……たぶん」
ふらつきながら身体を起こす。と、さっきから後ろの方で準備していた女将が熱冷ましの入ったマグを差し出す。
「はい、熱冷まし。これ飲んで、とっとと休みな」
客商売のくせに妙にぶっきらぼうな物言い。これって……
……まさか? だよな?
女将って、見かけ年齢不詳だけど、確か子持ちだったよな?
……旦那はどこでどうしているかって聞いたことないけど。
「ありがとうございます」
飲み干したコップを返して礼を言う。ほんのり浮かべた微笑は、やつとしてはごく普通の態度だったのだろう。
だが、無駄にダダ洩れな色気に中てられて、女将が顔を赤らめる。
「……すげぇな。ユーサー並みだ」
『疾走する炎』と同時代の者に称されたというゲオルギア王家の始祖は、相当な誑しとしても有名である。全部が全部とは言わないが、その末裔にも男女を問わずその片鱗を見せるものは多い。……らしい。あいにく彼のやんごとなき方々とは面識がないので何とも言えないが。
「……何か仰いましたか?」
低い、妙に静かな声が言う。不機嫌なのかそれとも体調が悪いせいか。
「いや、別に。……ざっと見た限りでは頭とかぶつけた様子はなかったが。どこか痛いところとかないか?」
険しかった顔が、ゆっくりと和らぐ。
「大丈夫です。……多少頭がふらつきますが。心配かけて申し訳ありません、ウィル」
おや。初めて名前が呼ばれた。……っていう事は、今まで俺が誰だか判ってなかったのか?
三年ぶりとはいえ、ずいぶんじゃないか? ……まあ、熱のせいだ、ということにしておこうか。
「そうか……ところでお前、苺舌熱って罹ったことあったっけ?」
『苺舌熱』はだいたい十歳くらいまでの小児が罹る病気で、地域差はあるが大体七~八年周期で流行る。
「ちょっと、覚えがありませんね」
「じゃあ、きっとそれだな。今この地方で流行ってるんだ」
「……は? でもそれって、こどもが罹る病気じゃ……」
「大人でも罹るやつは罹る。たいていは罹っても軽く済むがな。それにしても、流行病はもれなく拾うんだな、お前って」
若干の揶揄を込めた冗談を言うと、いったん緩んだ顔がまた険しくなる。
この手の冗談は不謹慎だったかもしれない。
「ま、冗談はともかく、……宿まで歩けそうか?」
「……休み休みなら、あるいは」
エミーリアがどこに宿を取っているかは知らないが、こんな格好で出歩いているってことはアウレリス家が定宿にしている中心部のホテルではあるまい。
先日親父が寄越した手紙によれば、こいつはどうやら家出をもくろんでいるらしい。
それもなんと『駆け落ち』だとか。
家出にせよ駆け落ちにせよ、普通に独立じゃないところが七番目の辛いところなんだろうが……
それにしても、思い切ったもんだ。こいつときたら、箱入りもいいところなのに。
……まあ、あのまま親の言う事を聞いていたとしても、早晩限界が来るのは見えていたが。
「じゃあ、戻るとするか。……世話になったな」
女将に部屋の賃貸料と昼食代の支払いを済ませる。毛布の借り賃は? と尋ねるとタダでいい、と応えられた。ありがたい。
外へ出たエミーリアが眩しそうに空を見上げる。そして街の中心の方に向かってふらふらと歩き始める。
「ところで、宿はどこにとった?」
後を追いながら聞いてみると、街はずれにある宿の名を答える。だがそれは。
「街の反対側じゃねぇかよ。何だってまたそんな…」
この街は二本の街道が交差する場所に位置している。一本は王都から貿易港へ至る道。もう一本は王国の南東部から北西部へと続く大街道。件の宿は大街道の西側に位置している。そしてここは街の東側にある。
「でもその宿は今日にも引き払うつもりです。宿の者にも、そう伝えてあります」
「何でだ?」
「『エミーリア』の足取りは掴めないようにしとかないと、後々面倒だから」
マジか? 確かに今のヤツを見て『エミーリア・アウレリス』と同一人物だと直ぐに判るやつはあまりいないだろうが。
「……本気だったのか。駆け落ちって。……にしてもまたこんな土壇場の、こんな時期に」
「相手にも事情があって、ね」
溜め息を吐いて肩を竦める。その拍子に眩暈でも起こしたのか体が揺れ、その場で立ち止まる。熱冷ましが効き始めるまで休んでいた方がよかったか? でもあれは眠くなるタイプだし。
……しょうがない。うちで休ませるか。
「その調子じゃ、宿に着く前に日が暮れちまうぞ。近くに俺が借りてる部屋があっから、そこで休め。宿に残ってるヤツには俺が知らせとくから」
「申し出はありがたいですが……」
「こっちがまどろっこしいんだ。それに、その『駆け落ちの相手』ってやつにお目にかかりたいしな」
「……あげませんよ?」
うわ。目がマジだ。本気の『駆け落ち』らしい。
「取りゃしないって。唯々諾々と親の言う事に従ってたお前に、こんな思い切った行動を起こさせるようなヤツがどんなのか、見てみたいだけ」
……それにしても、本気になると、執着するタイプだったんだな、こいつ。




