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出会いのお茶会

 季節は初夏。緑はすくすくと伸び、それに伴って害虫のはびこりだす、庭仕事の忙しい季節。

 一方で、ただ庭を眺めるだけの者には暑くもなく、寒くもなく、緑滴り花の綻ぶ、散策にはもってこいの季節。


 その日、当主の末息子が、並みいる競争相手を蹴落として、ようやく婚約までこぎつけた、その相手を伴って庭を散策していた。

 一通り庭を案内して、四阿で休息をとる末息子が、庭師に茶を所望した。


 本来であれば、そのような仕事には、専用のメイドが当たる。

 だが、この中庭に於いては、その仕事はこの庭師に振られることが多い。

 庭師の紹介状に「茶を入れるのが異様に上手い」などと書かれていたせいだ。

 春先に屋敷に奉公にあがってから、庭での散策の折りや、ちょっとした知人の集まりを庭で開く際などによく茶を所望され、挙句には専用のお仕着せまで支給されていた。

「せっかく見栄えの良い容姿をしているのだから、それを鑑賞しないのはもったいない」という当主の一言によって。おかげで他の庭師からは『茶汲み庭師』などと呼ばれる羽目になっている。

 ともあれ、その場で庭師は、めったにしない失態を犯した。


「あつ…っ」

 カップに口をつけたエミーリアが小さく叫んでカップを取り落す。弾かれたように庭師が動き、床に落ちる寸前でカップを拾う。ほとんどのお茶は――幾分、不自然な動きをして――四阿の床を濡らすことなく、カップの中に納まったが、ほんのわずかだけ、エミーリアの左手の甲と膝の上に零れてしまった。

「申し訳ありません…っ」

 カップをテーブルの上に戻した庭師が慌てた口調でそう言いながらエミーリアの手に触れる。数回撫でるうちに、赤くなり始めていた肌が元の色に戻った。【癒し】の力だ。

「……ほう?」

 面白がる響きのある男のつぶやきが聞こえる。このささやかな茶会を開いた男のものだ。

 次に庭師は、茶器を乗せたワゴンからナプキンを取ってエミーリアの横に跪き、跳ねた茶の滴を拭き取り始めた。さほど多くはないが、何箇所かに散っている。ナプキン越しにスカートを摘んで、水分を移す。

「あ……あの……大丈夫、ですから」

 太腿のかなり上をつままれ、困惑のあまり上ずった声でエミーリアが止めに掛かる。

「ですが、お茶のシミは、放置しておくと……」取れなくなってしまう、と言いたいのだろう。茶葉は染色に使われる事もある素材だ。だが、それを制する声がエミーリアの傍らから上がった。

「うちにもシミ抜きのプロはおります。お構いなく」

 年配の侍女のとりなしで、跪いていた庭師が、スカートのしわを伸ばして立ち上がった。

「……誠に申し訳ありません」

 新しく淹れなおした茶を配りながら、庭師が深く頭を下げる。すると、自分の婚約者と庭師がともにうろたえるのをおもしろげに見ていた末息子が、苦笑を零しながら応えた。

「良いよ。実質的には被害はなかったんだろ?」

 薄い笑みを浮かべたまま、組んでいた長い脚を解いて、庭師の方に向き直る。

「……それにしても素早かったなあ。手際も良かったし。君、名前は?」

 庭師の肩が軽くこわばる。

「主のご家族に名乗るような名は、持ち合わせておりません。お叱りならば、この場で受けたく存じます」

 俯いたまま硬い声で庭師が応じる。

「顔を上げたまえ」

 言われておそるおそる、といった様子で顔を上げる。端正ではあるが、やや幼さの残る顔が気まじめにこわばっている。

「何も叱責しようってわけじゃない。君のような能力のある魔法使いが、どうして下働きに近いような事をしているのかと思って」

「能力がある、だなどと……過分なご評価にございます。わたくしはここでは庭師としてお勤めさせていただいておりますゆえ、庭仕事は当然の事にございます」

「庭師として?」

 答えを聞いて男が眉を吊り上げる。

「……まあ、何やら事情がある、という訳か」

 庭師があいまいな微笑みを浮かべる。

「だが、名乗りたくない、というのであれば、調べるだけだが? 『魔法使いの庭師』というのは、そう多くはあるまい」


 たしかに、邸で働いている者で、『魔法使い』として働いている者はそう多くはない。だが、力の多寡を問わなければ、魔力を有している使用人は意外と多い。そしてそのすべての名前と出身、そして使える魔法の種類は、専任の魔法使いが管理している。

 しかも、庭師がこの邸に携えてきた紹介状には、麗々しく【王立魔法学院】の印が捺してあったので、当然その名前と出自は、件の魔法使いの管理下にある。

 当然この男はそれを知っているのだろう。名を訊ねたのは、本当に知らなかったのか庭師に対する嫌がらせなのかは定かではないが。

「……親しい者は、ラウ、もしくはラウド、と呼びます。名の他の部分については、ご寛恕願います」

「……他の部分?」

 ようやく落ち着きを取り戻した様子のエミーリアが怪訝そうに尋ねる。

「ああ、魔法使いの習慣でね。名のすべては明かさないんだ。力のある魔法使いだと、名前のすべてを知る事ができれば、相手が支配できるんだそうだ」

「……それは……恐ろしいですわ」

 まあ、そんな魔法が使える者は、今は、ほとんどいないけどね、と末息子は笑って説明する。


 《真実の名》というのは非常に古い魔法原理で、人に限らず、そのものの本質を示す名を呼ぶことで、相手を支配し、時には操る、というものだ。それはわずか数音節の連なりであることもあれば、うんざりするほど長いこともある。総体的に、力のあるものほど長い名を持つ傾向にあるが、もちろん例外、というものはある。

 力のある魔法使いならば、数多ある呼び名の中から《真実の名》を見つける事ができるし、十分に力のあるものならば、人に知られていない名でも読み取る事ができる。

 そして。

 十二分に力があれば、《真実の名》を書き換える事さえできる、という。

 そのため、魔法使いを生業とする者の多くは、個人を特定できる二つ名を名乗り、普段から用いている。また、多少なりとも魔力のある者たちの間では、たとえ名前を知っていても、相手が呼んでほしいと希望する愛称を用いる。

 だが、実際のところ、名前を呼ぶだけで相手を支配できるほど力のある魔法使いは、それほど多くいる訳でもなく、そのような事を試す必要もない現在においては、本当にただの習慣となっている。


「…ところで」

 とその場の雰囲気を変えるように末息子は表情を改めて、自分の婚約者の方に向き直る。

「『いいなずけ』というのは、婚約者の事を示す古い言葉なんだけど、相手に自分の名を教えて、自分を支配してもいい、という許しを与える、という意味なんだそうだ」

「まあ……」とエミーリアがはにかんだよう頬を染める。「支配、だなんて……畏れ多い」

 その様子を見て末息子が満足げに微笑み、その場が和んだ。

 庭師が『ラウド』という呼び名にこだわる理由はそのまま流され、ラウドは給仕に徹してそのささやかな茶会は終わった。



 その後まもなく、件の末息子は外国へ赴任し、エミーリアとラウドが言葉を交わす事はもう無いかと思われた。


 だが。

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