偽装工作・1
仮の『駆け落ち相手』として第三者の男性を引きずりこむアイディアはラウドから出されたものだ。計画立案や情報収集の担い手として。
最終的に『袖にする』のが前提なので、実行するかしないかはエミーリアに任された。
もちろん、その案に乗った。ラウドに目をつけられないようにするためなら、何でもするつもりだった。
人選には難航した。
必要とする情報を洩れなく収集でき、『実行可能な駆け落ち計画』を立てる能力がある事。そして立てた計画に注文をつけても気分を害さない心の広さがある事。
舞い上がりやすく、なおかつ口が固い事。
そして、できれば実行直前になって怖気づいてくれるような人。
そんな都合のいい条件を満たしてくれるような人材は、さすがにいなかった。殊に舞い上がりやすさと口の堅さを同時に満たす、という条件は厳しすぎた。だから、条件の方を、少し変えた。
『駆け落ち』につきあってくれなくてもいい。必要なのは情報収集能力、そして計画立案能力、だ。
『結婚に不安があるので、少しの間、世間や家族から身を隠して考え直したい。それで、少しの間隠れる場所を提供して欲しい。もしくは隠れる手伝いをして欲しい』
そういう話のもって行き方で、引っかかった男がいた。
その男が今、待ち合わせ場所にいるはず、だ。
サムエル・プルードンはプルードン家の三男坊だ。
貴族社会において、三男などある程度以上の大家でないと単なる『無駄飯食い』になりかねない。長男は跡取り、二男はその補佐、それ以降はスペアだ。もしくは他家への養子要員か。
養子となるためには、見栄えのする容姿、優れた洞察力、卓越した身体能力、などの『売り物』になる長所が必要だ。
サムエルには、その『売り物になる何か』が欠けている、と本人は考えていた。
容姿はまあ、見栄えがする方だと思う。だがそれは貴族であれば人目を引く容姿であるのはありふれたことだし、人の好みもあるので何とも言えない。
プルードン家は基本的に文官の家なので、武器の扱いは嗜む程度だ。
だからといって学識に優れているとか、事務処理能力が高いかとか言われれば……まあ、人並み以上だとは思っているが、『卓越した』と言える分野はない。強いて挙げれば、楽器の演奏が巧い、というところだろうか。歌の方はからきしだが。もっといい声をしていたなら、様になったろうに。
そう、彼は自分の声に大いにコンプレックスを持っていた。なまじ子どもの頃『天から降ってくるような』と評された美しい声を持っていたのが更に深く彼を傷つけた。
結果、彼は『ぼそぼそ自信なさげにしゃべる男』になった。
その話し方が、実際の実力よりも周りからの評価を下げ、それがまた彼の自信のなさにつながっていた。
待ち合わせの店で、サムエルは途方に暮れていた。
この場所を指定したのは、エミーリアだ。正確に言うとエミーリアが指定したのは、どんな場所がいいか、であって、具体的な場所は指定していない。だが、サムエルが見繕った場所で条件に合致するところは一か所しかなかったのだ。
だが、この場所にいる自分が、妙に『浮いている』のは否めない。この場所にいる客の八割が女性、しかもその半分が未婚と思われる若い女性なのだ。いたたまれなくて仕方がない。
ごほんごほん、と湿った大きな咳が聞こえ、サムエルは顔を上げた。背の高いほっそりしたドレスに外套を羽織った人が、危なっかしい足取りで店に入ってきた。
「エ……!」
声を上げて立ち上がった男の方に顔を向けて、エミーリアはほっとしたような表情になった。
覚束ない足取りで男のいる方へ歩き出す。慌てた男が足早に駆け寄り、エミーリアの体を支える。
「ごめんなさい……ありがとうございます」
冷え切っているかと思われたエミーリアの体は、外套越しにもほんのりと温かい。男を見上げる顔がほんのり赤らんで潤んだ目をしている。小さく咳込んでいることに気が付かなければ、喜びで上気しているのかと勘違いしてしまいそうだ。
そのままエミーリアの腕をとって席の方に導く。
「ええと……あの……外套はどこに預ければ……」
外套の胸元に手をやって、戸惑うようにサムエルに問いかけるエミーリア。
「自分の席まで持って行くんです。こういう店では」
さも以前から知っていたように言うが、実はさっき自分も店員に同じ事を訊ねてそう返されたのだ。
席について外套を預かろうとエミーリアの方に手を伸ばしかけてふと手を止める。
「……もしかして、体調がお悪いのでは?」
「はい。お恥ずかしい話ですが、昨日の雨で熱を出してしまいましたの。ですから」
「ダメじゃないですか。休んでいなくちゃ」
思いがけない大声に、エミーリアが目を丸くする。
侮っていたつもりはないが、こんな大声で叱責されるとは思わなかったのだ。
「……ええ、ですから、予定を先延ばしにしてはいただけないかと」
「そんなもの、誰かを使いによこせば」
「だめですわ。事が事ですから、うちの者を使いには出せません」
「……ああ。そうだったな……」
ひとり言のようにそうつぶやく。
ふと気付くと立ち尽くしている自分たちに、店中の目が注がれている。
「と、とにかく座りましょう、いったん。ああ、熱があるなら、外套は身に着けたままがいいでしょう」
椅子に座ると、離れて様子を窺っていた店員の少女が、注文を訊きに近寄ってきた。平静を装ってはいるが、好奇心が抑え切れない顔だ。
「えーと……何か体が温まるものを」
そういえば、咳をしていたな、と思いつけ足す。「のどに優しいのをお願いします」
立ち去る店員の方を見送り、エミーリアに目を向けると、目を閉じてうなだれ、こめかみに手を当てている。
「大丈夫ですか? とにかく一杯飲んだら宿までお送りしましょう」
大丈夫じゃない。自覚していたよりも具合が悪い。何が悪かったんだろう?
宿まで送ってくれるというなら、それに甘えてもいいんじゃないか?
……いや、だめだ。
「いえ……そんなご迷惑をかける訳には」
サムエルの言う『宿』は、アウレリス家が定宿にしてる方だ。あそこに戻ったら、深夜抜け出した意味がない。
「迷惑とか言ってる場合ではないでしょう」
また叱られた。ことさらに声を荒げる訳ではないのに、妙な迫力がある。
「一人で帰してしまって、万一何かあったとしたら、僕はきっと後悔します。だから、送らせてください」
ごめんなさい。これからその『万一』を起こす予定なんです。
だから、気にしないでください。
――そう、言えればいいのに。
ああ、どうやってこの男を振り切ろう。この男の言うように、すっぽかせばよかったのか。
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