偽装工作開始
魔法使いはおおむね見かけによらず大食いである。
一般的に言って、操る魔法の大きさと必要とする食糧の量は比例するが、それはあくまで『そういう傾向がある』にすぎない。同じ魔法を使っても、初心者と熟練者では消費する魔力に差があるし、適性、というものもある。
だが、いずれにせよ、腹ペコの魔法使いというものは、いったいどこに入るのかと思うほど、食べる。放っておくと、食器まで食べてしまうんじゃないかと危惧するほど。
潜在的な魔法使いの数は多いのに、『魔法使い』を生業とするものがさほど多くないのも、こんなところに原因があるのかもしれない。
ラウドの食べる様子を見ながら、エミーリアはぼんやりと考える。
……昨夜も思ったけど……食べるのが、本当に早い。大食い、というより、早食い?
決して見苦しい食べ方ではない。
だがものを口に運ぶ手は、よどみなく動いている。
ちゃんと味わっているらしい事は、表情で判る。熱いものは、ちょっと苦手なようだ。食べる速度が落ちる。
……そういえば、昨日も一昨日も、ちゃんと食事をさせてなかったような気がする。反省しなくちゃ。
エミーリア自身は、食が細い性質だ。殊に朝は、お茶とかスープくらいしか喉を通らない。侍女がついていなかったら、一日くらい食事を抜いても気にならないかもしれない。
今も、運ばれた朝食のほとんどは、小柄なラウドの胃袋に収められつつある。
「……ごちそうさまでした」
小さく呟いてラウドが食器を置く。
たっぷり四人前はあった(ようにエミーリアの目に映った)朝食は、一杯のスープを除いて、すべてラウドの胃の中に収まってしまった。
だが、何か物足りなそうな表情でラウドの目が空になった食器の上に注がれている。
「もうおしまいでよろしいのですか? おかわりを頼みましょうか?」
言われたラウドが慌てたように顔を上げる。
「いえ。結構です。……朝からあまり食べると眠くなってしまって、行動に支障が出るし。……それに、エミーリア様がスープ一杯ですのに小間使いがおかわりを頼むのは……」
そうだった。とりあえず、今のところはそういう役割だった。
格式の高い宿でなら、使用人が女主人と一緒に食事を取る、などという事はない。何らかのアクシデントでそういう状況になったとしても、同じテーブルで、このように食事を摂る事は、まず、ない。まして女主人が小間使いの食事のおかわりを頼むなんて事はありえない。
「忘れていました。今のあなたは小間使いに扮していたんでしたっけ」
自分から楽しそうにその役を割り振ったくせに、とラウドは思ったが、黙っていた。
「では私、片付けてきますね。……何か宿の方に言づけておく事は?」
「……そうですね……」
エミーリアがほっそりした人差し指をあごに当てて俯く。
「わたくしが熱を出している、というのは伝えてあるのですね? でしたら、今日はちょっと動けそうにないから、出発は延期したい、と伝えてください。あと、部屋の周りでは静かにしてもらえると助かる、と」
「……それだけでよろしいんですか?」
気の利く宿屋なら、おそらくその伝言で人払いしてもらえるだろう。何か小細工するにしても、相談事をするにしても、ひとの耳目は遠ざけておいた方がいい。
「とりあえずのところは。後でまた伝言を持って行ってもらうかもしれないですが」
わかりました、と答えたラウドが朝食の載っていた盆を持って部屋を出ていく。
エミーリアは頬杖をついてそれを見送りながら、今後の予定の修正を頭の中で組み立てる。
熱を出したことで掛かる足止めと、当初の筋書きとの齟齬。そこから派生する筋書きの修正。『エミーリア』の痕跡がこの町の中で途絶えてしまうのは、まずい。とにかくいったん、町から出さなくては。それには……ラウドの協力が不可欠だ。また魔法を使わせる事になってしまうが。
まあ、最初から魔法を全く当てにしない、という案は立てていないが。約束が違う、と怒られたらそれまでだけれど。
ラウドを小間使いとして『お使い』に出し、しばらくしてから、外出着に着替えて階下に降りる。『エミーリア』としての最後の幕最後の幕を上げよう。
「あの……すみません。――へは、どう行ったらいいのでしょうか?」
『待ち合わせ』に使う店の名を告げる。この町の地図は把握している。主な施設や店舗も、だいたい頭に入っている。地図上では。だから、件の店がここから大分離れていることは解っている。
「お客さん、熱があるのにお出かけかね?」
「はい。……あの、……待ち合わせしていて……」
宿の主(たぶん)が首を傾げる。投宿時にした話では、『馬車が壊れたので、ここまで歩いてきた。代わりの馬車が迎えに来るまで滞在したい』という事にしてあったからだ。
「あの……ええと……」
困った顔をつくって口籠ると、主は『わけあり』と解釈してくれたようだった。
「詳しい事は訊かないがね、具合が悪くなる前に戻ってくるんだよ」
そう言って主は目印になる店を教え、親切にも店の外まで見送ってくれた。
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