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一夜明けて

 東に向いた部屋だったらしく、鎧戸から差し込む朝日が、ベッドの上に細い縞模様を描く。

 『エミーリア・アウレリス』という名で世間に知られた青年は、眩しさで一旦上げかけた瞼を細めた。眩しさから逃れるように寝返りを打ち、そこに柔らかくて温かい何かがある事に気付いた。

 そろそろと目を開けるとまず、朝日をはじいて金色にきらめく長い髪が見えた。淡いピンク色の耳介がその間に垣間見え、髪を透かしてまろやかな頬が見える。

 少し体を離して、その寝顔が見えるよう、距離を置く。伏せた瞼、頬に影を落とす長い睫、小作りな鼻、ふっくらとした赤い唇。

 その顔が腕の中にある事に驚愕し、ついで唇の端をゆっくりと持ち上げる。それから改めて周りを見回す。

 自分が見覚えのない部屋にいる事を認識し、前夜の行動を思い返す。


 霙まじりの雪に濡れたベランダの手すりの冷たさ。スカートの裾が濡れて重くなり、だんだんと歩きにくくなったこと。やっとたどり着いた宿の入り口が、上り階段の上にあって胸の中でひそかに舌打ちしたこと。

 歩いている途中で発熱し始めた自覚はある。だが、『エミーリア』をすり替えるための工作の下準備は、ぬかりなく行った。……と思う。後で確認しなくては。

 宿に着いてからの記憶は、とぎれとぎれにしかない。温泉の湯が温かくて、寝込んでしまいそうになったとか、階段を上るのがつらかったとか、ベッドが硬くて眠れるかどうか危惧したけど、この体調なら取り越し苦労だったな、と思った事とか。

 そう、寝間着に着替えて、ベッドに潜り込んだところまでは、現実にあった事と記憶している。だが、その後は……夢だったのか現実だったのか判然としない。

 ……そうだ。

 いつものように熱が上がり始めたので、きっと悪い夢を見る、と思ったのだが。

 いや、途中まではいつもの夢だったと思う。だが。


 今夜だけ、ですからね。


 そう言って水でできた女がするりと寝床に入り込んできて、……それから。

 昨夜の夢の内容を思い返し、下半身を強く意識する。

 『彼女』を抱く夢なら何度も見た。夜着を汚したことも一度や二度ではない。

 だが、昨夜の夢は……

 何もかもが生々しかった。

 視覚だけはうすぼんやりとあいまいだが。

 感触も、音も、匂いも、まるで実際にあったことのようだった。

 その上、今ここに、『彼女』が、居る。

 しかも、どうやら裸だ。たぶん自分も。

 ……という事は……?


 不意に、腕の中の体が身動ぎした。



 怠い。

 眠い。

 体の芯がじんわりと痛い。

 眠りの底から浮き上がってきたラウドが感じたのは、そんな不快感だった。

 何より、疲れ過ぎていて【癒し】を使う余裕もない。睡眠だけでは疲労が回復しきれなかったのだ。こんな事はずいぶんと久しぶりだ。補給も十分じゃないのに、魔法を使いすぎた。その上……

 目を開けると、艶麗な顔が覗き込んでいた。

 元凶だ。

 こんな清浄そのもの、といった顔でどうしてあんな事やこんな事が平気で……

 『あんな事』『こんな事』を思い出すと顔に血が昇ってくるので、目を瞑ってそれらを頭から振り払う。

 ゆっくりと目を開けてみたが、目の前にある顔は変わらない。

「……何、見てらっしゃるんですか?」

 精一杯の不機嫌な声を作ったが、相手は動じなかった。

「えーと……あなたの、寝顔? 可愛いなあ、と思って?」

 なぜ疑問形。

 だが、数多の貴公子を骨抜きにした、という噂の笑顔でそう言われると、妙に面映ゆいものがある。

「……どうせ、コドモっぽい顔ですよ」

 実年齢より、二つ三つ、幼く見られるのは、もう慣れた。だけど、五歳も若く見られた時は、さすがに堪えた。ハーグリーヴス医師は平謝りだったが。

「そういう意味で言った訳じゃありませんよ?」

 エミーリアがそっと手を伸ばし、ラウドの頬に触れる。輪郭をなぞるように指を滑らせ、頤に指をかける。

 妖艶な表情を浮かべながらの動作に怯みかけるが、その指先の熱さに、わずかに顔をしかめ、反射的に額に手を伸ばす。白くて滑らかな額は、見た目に反してじんわりと熱を持っている。昨夜解熱したはずなのだが。

「熱、下がってませんね?」

 危険なほどの熱さではない。

 だがこの熱では動きまわるのは無理だろう。そう思ったのに。

「そう? あまり熱っぽい感じはしないのだけど」

 本人は可愛らしく首を傾げて、こともなげに言う。

 もともとの体温が高いのだろうか?

 それとも自分の手が冷えていて熱く感じるだけなのだろうか?

 ラウドは自分の頬に手を当ててみた。ついで額、首筋、と触ってみる。

 そのどこよりも、エミーリアの額の方が熱い。

「やっぱり熱がありますよ。今日は休んでいた方が……」

「昨日冷えたから、反動が出てるのだと思います。大丈夫、じきに下がります」

 華奢な指が再びラウドの柔らかな頬を撫でる。たじろいだラウドが身を引くのと、ラウドの胃袋が空っぽだ、と主張したのは、ほぼ同時だった。

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