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 朝7時。


 ケータイのアラームが鳴り、俺は一人で目を覚ます。

 だるい体に鞭打ち、いつも通り着替えをした後、欠伸をしながらキッチンに向かった。

 今日はまだ月曜日。

 仕事は多分、部品の発注が終わった今月から忙しくなる。

 朝から溜息をつきながら、俺はキッチンのドアを開けた。


 いつもなら、そこで「おはよう!」という妻の声が聞こえてくる筈だった。

 そして、ドアを開けた途端に漂ってくるいれ立てのコーヒーの香り。

 それが今日は違っていた。

 キッチンはまだ明かりも付けられておらず、部屋中、ヒンヤリと冷たい。

 俺は瞬時に気が付いた。

 本来なら、そこで俺の朝食と弁当の用意をしている筈の妻の姿が見当たらないのだ。


「アイツ・・・寝過ごしたのかよ!」


 お世辞にもしっかり者とは言えない妻は、時々、こうやって寝過ごしてしまう。

 同じ部屋なら起こしてやれるが、部屋を分けてからそれもできなくなった。

 アイツが自分の部屋に引き篭ってしまったら、こちらも成す術がない。

 とりあえず、妻の部屋までダッシュして、ノックもせずにドアをバーンと開けた。


「おい!まだ寝てんのか!?今日、月曜日だぞ!・・・って、うわっ!」


 そう怒鳴った俺は、そこで変わり果てた妻の姿を目撃して息を呑んだ。


 パソコンが置いてある妻の机。

 その机の下で妻は倒れていた。

 椅子はそのまま立っている所を見ると、彼女だけが転げ落ちたらしい。

 床の上で、妻は腕だけを机に伸ばしたまま行き倒れたような格好で眠っている。

 その手は今だ何かを掴もうとしているかのように、パソコンに向かって広げられていた。


 まさか、死んでる!?

 びっくりした俺は部屋の中に飛び込んで、倒れている妻を抱き起こした。


「おい!大丈夫か!?生きてるか!?」

「・・・あ、あたし・・・?」

「あたし、じゃないだろ!大丈夫か!?どっか悪いのか!?」


 妻は薄っすら目を開いて、朦朧としながらも俺を見た。

 何とか生きてるみたいだ。

 ホっとした俺の顔を見て、彼女は掠れた声で言った。


「か、神が・・・」

「は!?何だって!?」

「神が降臨したの。あたしに書けって・・・。どんどんアイデアが溢れてきて・・・もうトランス状態だった。気が付いたら短編を3本同時にアップしてたの・・・」

「・・・お前、何言ってんだ!?しっかりしろよ!」


 マジで意味が分からなかった俺は、妻がラリってるのかと思って彼女の頬をペシペシ叩いた。

 妻はその俺の手を払い退けると、恍惚とした表情を浮かべてニヤリと笑う。

 その顔が完全にイっちゃってて、俺はぞっとした。


「どうしたんだよ?」

「あたし、あの後,小説を書き始めたのよ。あなたが教えてくれたあの『小説家になろう』で。

そしたら、今まで感じた事のないようなインスピが降りてきて、アイデアがどんどん浮かんできて、とにかく本能の赴くままに書きまくったの。あれは神よ。小説の神様があたしに降臨したに違いないわ。もしかしたら芥川龍之介・・・いや、夏目漱石だったのかも。とにかく、操られるように書いてたら、意識がなくなってしまって・・・気が付いたら・・・あたし」

「・・・寝てたってわけか?ざけんな!バカか、お前は!」


 完全にキレた俺は、まだニヤニヤ薄ら笑いを浮かべている妻に怒鳴りつけた。

 バカにもほどがある。

 心配して損した俺は、妻の襟首を猫みたいに掴んで引き摺り立たせた。


「つまり、三文小説を意識がなくなるまで書いてたせいで、俺の朝メシがないんだな?今月から忙しくなって外に食いに行けないから弁当頼んだんだけど、覚えてる?」

「ごめん。今日はもう無理だわ。神が降臨すると体力消耗するの・・・コンビニでお弁当買って行ってよ」

「ふざけんのもいい加減にしろ!あんた、専業主婦だろ!?旦那の弁当作るくらい当然だろうが!?」


 そこで俺は地雷を踏んだ。

 それまで朦朧と泳いでいた妻の視線が、突然、焦点が合って俺をキっと睨みつける。

 ああ、いらん事言っちまった。

 働いてもないくせに、妻はこれを言われるのが嫌いなのだ。


「ねえ、それってどういう意味?主婦の仕事をバカにしてるでしょ?洗濯したり、掃除したり、庭にお花植えたり、ハンカチにアイロンかけてるのは、あんたを支える為のタダ働きなのよ!?どうせ私の事なんて『俺が養ってやってるんだ』くらいに思ってるんでしょ?一人じゃパンツも洗った事ないくせして、偉そうに言わないでよ!」

「そりゃ、分かってるよ。ってか、そう思うんだったら、弁当作ってくれよ」

「物事には優先順位があるの。あなたのお弁当はサークルKで何とかなるけど、私の作品は今、脂が乗ってる時なの。神が降臨している今書かないと、もう、あんな作品は生まれてこないのよ!」

「つまり、あんたの旦那の弁当は三文小説より劣るって事だな。どんな作品だよ、ふざけんな!」

「今はまだ見せられない・・・でも、確かに神を感じたの!」


 俺は呆れ返って、バカみたいに真剣に俺を睨んでいる妻の顔を見た。

 妄想だけでなく思い込みも激しい妻がこうなったら、もう何を言っても無駄だ。

 俺は溜息をついて、彼女の襟首から手を離した。


「分かったよ。今日は何とかするから、晩飯と明日は頼むよ」


 大人しく諦めた俺に、妻は満面の笑顔で言った。


「分かってくれてありがとう。印税入ったら家政婦さん雇うからね!」




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