19
一風呂浴びてサッパリするどころか、更に悶々としながら、俺は部屋に戻った。
ドアを開けた途端に、カタカタとキーボードを叩く音がした。
聞き慣れたこの音を、まさかこんなとこでまで聞く羽目になるとは・・・。
俺は溜息をつきながら、部屋に入った。
海がよく見える窓辺にテーブルをくっつけて、ヤツは座椅子に腰掛け、一心不乱にキーボードを打っている。
俺はノートパソコンの画面を見ないように務めながら、ヤツと並んで座椅子に座った。
傍から見たら奇妙な光景だ。
夫婦が並んで窓に向かい合っているのに、かたやパソコンに夢中で、俺はただ、ぼんやりと海を眺めていた。
しばらくの間、俺達は無言のまま、並んで座っていた。
こんな風に並んで座ったのって、考えてみれば久し振りだ。
付き合い出した頃は、お互い黙ったまま、手なんか繋いで歩いたりしたっけ・・・。
あの頃は、無口な俺に遠慮してたのか、ヤツも今ほど思ったままに喋りまくる事はなかった。
でも、こんな沈黙も、俺は嫌いじゃなかったな・・・。
横目でチラリとヤツの横顔を盗み見ると、同じようにチラリとこっちを覗き見たヤツの視線とぶつかった。
視線が合った途端に、ヤツは何故か顔を赤らめて、慌ててキーボードに視線を落とす。
「・・・何だよ?」
「・・・何でもないよ。南クン、お風呂早かったね」
「いいんだよ、メシ食ったらまた入るから。あんたこそ入れば?」
「・・・ヤダ。だって・・・なんか・・・さ」
「何だよ?」
「恥ずかしいじゃん・・・」
「は?」
何言ってんだ、いい年して・・・と言いかけて、俺は慌てて口を閉じた。
サラサラした髪の間から、うつむいた妻の赤くなった頬がチラチラ見える。
この天然女が、マジに何かに照れている!?
だが、何に照れているのかは、俺には理解できなかった。
「意味分かんね・・・何が恥ずかしいんだよ?」
「だって、だってさ。南クン、かっこいいんだもん」
「は!?」
付き合い始めてから10年以上経った今、初めて言われたその言葉に、俺は驚愕というより唖然とした。
そう思ってくれてたなら、何でもっと早く言ってくれなかったんだ?
「南クンはかっこいいんだよ」って、もっと早くから言い続けてくれてたら、俺のネガティブな性格も少しは改善されて、モテキも来たかもしれないのに・・・。
取り敢えず、リアクションに困った俺は、濡れた髪をガシガシ掻いてから的外れな返事をした。
「あ、まあ、ありがとう・・・って、俺は別にかっこよくねーよ!若い頃ならまだしも、今じゃ、ただのちっちゃいオッサンじゃねーか」
「かっこいいよ。南クンは気がついてないだけで・・・」
「だったら、もっと早く言ってくれよ・・・てか、何、今更言ってんだよ?恥ずかしいって、何年夫婦やってんだ?」
「だって、南クンは付き合い始めた時から全然、変わんないじゃない。あたしなんか、どんどんオバサンになっていくのにさ」
そうだね、とは言えずに、俺は黙ってヤツの赤くなった横顔を見つめた。
この脳天気な女の口からコンプレックスらしきものを聞いたのは、初めてだったからだ。
「・・・あたし、結婚してからずっとお家にいて、どんどんオバサンになっちゃって、南クンに養ってもらってるだけで何にも生産性のある事できないし・・・だから、小説書いて印税稼いで、少しでも南クンに認めてもらおうと思ったんだ・・・」
「だから、それは認めてるよ。あんたがいないとパンツ一枚洗った事もないだろ、俺は」
「それはそうだけど・・・」
いつか言われた一言で突っ込んでやると、ヤツはやっと笑って顔を上げた。
頬を赤く染めたその笑顔は、ほころびかけた桜の花みたいに優しくて、俺はドギマギして視線を泳がせた。
そんな顔で見つめやがって・・・。
恥ずかしいのはこっちだってんだよ、この天然女!
俺の動揺には気づかず、妻は続けた。
「あたしは何にもしないでお家にいるけど、南クンはいつも仕事で大変そうじゃん?忙しいんだから、仕方ないと思ってたけど・・・。南クン、いつの間にか、あたしの事、あんまり求めてくれなくなっちゃったじゃん?なんかブランクが開きすぎちゃって、その間にあたしはすごく年取っちゃった気がして、自分の体に自信が無くなっちゃったの・・・」
「何だよ、自信て・・・別にそんなに変わってねーよ」
「って、いうよりね、自分自身に自信が無くなっちゃったのよ。南クンは若い時のままかっこいいのに、あたしなんか・・・もう若くもないし、かわいくもないし、何にもできないし、南クンのお荷物になってるみたいで・・・あたし、南クンに愛されてる自信が今、もう無いの・・・だから、何かできる事見つけて、南クンに置いていかれないようにしようと思ったんだ」
「・・・それが小説かよ」
「うん。印税入ったら、南クンに認めてもらえるんじゃないかって思ったの」
今まで想像だにしていなかった妻のしおらしい告白に、俺は何と返答していいのか分からず呆然と見つめていた。
俺はいつも『俺様』で、ぶっきらぼうで、上手い言葉も言えない人間だけど、こいつは言わなくても分かってくれてると思ってた。
でも、そうじゃなかったんだ。
言わなくても分かってると思ってた愛の言葉を、こいつはきっと心底必要としてたんだろう。
三文小説を突然書き始めたのも、俺を経済的に支えようとした為だったのか・・・。
(逆に精神的に追い込まれた時期もあったけど)
とにもかくにも、全ては俺の言葉の足らない性格が、妻を不安にさせていたんだ。
マリリン先生の正体が誰であるとかどうとか、その時、俺の頭から完全にシャットダウンされていた。
目の前でショボンと項垂れているこの女は、俺の妻『南 真理』だ。
俺は男として、夫として、こいつを安心させてやる必要がある。
俺は立ち上がって座椅子に座ってるヤツの背中と足に腕を伸ばすと、そのままガバっと横抱きにした。
俗に言う『お姫様だっこ』だ。
小柄な俺がやるにはかなり危険が伴うが、女にしても小柄な妻相手なら何とか形になった。
突然の俺の行動に、ヤツは両目を見開いて驚いている。
そりゃ、そうだろう。
こんなのやるのは最初で最後だ。
そうだ、今こそイケメン剣士リゲルにならなければ!
「ちょ、ちょっと、南クン!?何すんの!?」
「うるさい!ここまで来て俺がしたい事なんて決まってんだろ。目の前に、こんなにかわいくてイケてる女がいるんだからな」
「や!だから、恥ずかしいって!あたし、もう若くないんだから!」
「そんなの見りゃ分かるよ。でも、それでも、あんたがかわいくって、好きでしょうがなくて、俺がしたいって思うんだからしょーがねーだろ!」
「ちょ、ちょっと!見て分かるってどーゆー意味!?悪かったわね!」
「だから、それでも好きなんだからしょうがないんだよ!あんたもいい加減、観念しな!」
俺はバタバタと暴れる妻をベッドに降ろして、いまだギャアギャアわめいている口を、無理矢理キスで塞いだ。
ビックリも最高潮に達した妻は、最初だけモガモガと抵抗した後、やがて大人しく俺を受け入れ始めた。
そして、付き合い始めた頃みたいな長いキスの後、俺達は顔を見合わせて笑った。
「あんたが好きなんだよ、真理さん。だから、へんなこと心配すんな」
「・・・うん」
今まで見てきた中で一番綺麗な笑顔で頷いた後、彼女は俺にもう一度キスをした。
次回、最終回です。




