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時は遡ること半年前・・・。
「ねえねえ、私、小説書いて印税稼ごうと思うんだけど」
いつものようにパソコンでゲームをしていた俺のところにやってきた妻は、子供みたいに目をキラキラさせてそう言った。
付き合いだした時からそうなのだが、この女はいつも妄想に耽っている。
常に考え事をしている為、口から出る言葉は唐突、且つ、脈絡がない。
だから、その時も俺は別に驚かなかった。
この女の思考回路が少し変わっていることは昔から知っている。
「いいんじゃない?稼いだら家のローン払ってくれよ」
「うん!てか、引っ越そうよ。もっと海の近くにさ。白い家建てるの」
海まで車で20分のこの家ではまだ不服らしい。
そんなに近かったら、車がサビついて大変だろうが・・・。
海が好きだという割りには、日焼けがイヤだと言って泳いだこともないクセして調子のいいヤツだ。
俺は苦笑いしながらも、妻の話に合わせてやる。
突拍子もない発想はある意味、この女の病気だ。
こんな時はハイハイと調子を合わせてやらなければ、俺の晩メシがなくなってしまう。
「あー、まあ、気長に期待してるよ。印税入ったら引っ越そうぜ」
「その前に映画化だよね!私、原作者として舞台挨拶に呼ばれちゃったらどうしよう!?主役は玉木宏クンにお願いしたいんだけど。ねえ、どう思う?ウチに挨拶とか来るのかなあ?」
お前、バカ過ぎるぞ・・・。
喉まで出たその言葉を、俺は必死で押さえ込んだ。
どう思うと聞かれて「お前バカかよ」なんて言ったら、明日の朝メシもなくなる事は間違いない。
まだ書いてもない小説が売れて印税が入って映画化されて、玉木君が愛知県の田舎に挨拶に来ることをマジで心配している。
どんだけバカなんだ、お前は?
「・・・うーん、玉木君が来ることはないと思うな。ホラ、ここ、車でないと来れないし。寧ろ、原作者が東京に呼ばれるんじゃない?」
「ええっ!東京?私、首都高速運転できるかなあ!?」
「・・・なんで車で行くんだよ?」
「だって、電車で行ったらさ、私の車、パーキングに置きっ放なしになっちゃうじゃん。駅前パーキング高いんだから」
「頭打ち2400円だよ。そのくらい俺が送ってやるから心配すんな」
「そっか、ありがと!でも、やっぱり車で行くわ」
「何で?この前神奈川行った時だって4時間かかったじゃん。遠いよ?」
「だって、記者会見の後、ディズニーランド行きたいしさ。首都高は運転怖いけど、千葉県なら大丈夫だと思うんだ」
「へえ、まあ、お前、運転慣れてるし、車の方が色々寄り道できるしな」
「でしょ?ディズニーランドまで行ったらさ、猫のテーマパークが房総半島にあるんだって。そこで世界最大の猫を抱っこしたいんだ。ディズニーランドからは遠くない筈なんだけど・・・」
妻はケータイで地図をググって、東京からディズニーランド、ディズニーランドから猫テーマパークまでのアクセスを検索し始めた。
こうなると「取らぬ狸の皮算用」も脱線し過ぎて、もはや単なるレジャー計画になっている。
玉木君との舞台挨拶はどーなった???
「まあ、その時はナビがあれば何とか行けると思うよ。まずは小説書いてから考えた方がいいんじゃね?」
これ以上、彼女の妄想が暴走するのを阻止するべく、俺は水を差してやる。
そうしないと、今週末は愛知県から房総半島までドライブするハメになるからだ。
もちろん、俺の運転で。
「そうだね。でもさ、ワードで書けばいいのかな?用紙の規格とかあるのかな?てか、何書こう?」
俺の言葉で我に返った妻は、今度は現実的に考え始めた。
舞台挨拶の心配してた人間が、まだ原稿用紙のことさえ考えていないとは・・・。
俺はもう、どうでも良くなってきた。
「あのさ、まず書けば?今時、鉛筆で書くわけじゃないし、データで保存しとけば後からどこにでもコピペできるだろ?」
「そっかあ!やっぱりワード?」
「ネットで書けば?ホラ、お前、ブログとかやってたじゃん。小説投稿サイトみたいなのに書けば?」
俺はさっきまでやってたゲームを保存してから、「小説投稿サイト」で検索をかけてみた。
そこでトップに出てきた「小説家になろう」というベタな名前のサイトを開いてみる。
ようやく具体的に考え始めた妻が、俺の背中からパソコンを覗き込んだ。
「えー!ここで書いててプロになった人もいるんだって」
「まあ、一部だと思うけど、稀にはいるんじゃね?こういうので書けば簡単じゃん?首都高速の心配する前にまずなんか書け!」
「うん!それがいいね!ブログみたいで書き易そうだし、これならイケるかもね・・・」
妻の顔がパっと明るくなった。
すぐに妄想モードに入った妻は、そそくさと自分の部屋に引っ込んでいった。
俺は苦笑いしてその背中を見送る。
昨今、稀に見る単細胞だ。
そのブログだって「ツジちゃんみたいにカリスマ主婦ブロガーになっちゃって出版されちゃったらどーしよう!?」って心配してただろうが!
・・・でも、まあ、そんなことはどうでもいい。
これで俺の晩飯は保障された。
その時の俺は、妻が本当に小説を書き始めるなんて思ってもなかったのだ。