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フリマアプリで300円のメモ帳を売ったら、敬語の軍拡競争が始まった

作者: よみなぎ
掲載日:2026/09/09

「購入させていただきました。短い間ですが、よろしくお願いいたします」


フリマアプリで、三百円のメモ帳が売れた。


机の引き出しから発掘された未使用品だ。


犬だか熊だかよく分からない動物が表紙で笑っている。


たぶん何かのおまけでもらったものだと思う。


「ご購入ありがとうございます。明日発送予定です。よろしくお願いいたします」


送信。


これで終わるはずだった。


数分後。


「早速のご返信を賜《たまわ》り、誠にありがとうございます。ご発送につきましては、どうぞご無理のなき範囲でご対応いただけましたら幸甚《こうじん》に存じます」


…………。


賜《たまわ》った。


こいつ今、三百円のメモ帳で「賜《たまわ》る」を使ったぞ。


しかも幸甚《こうじん》。


一通で二発撃ってきた。


俺は改めて商品ページを確認した。


三百円。


間違いない。


三百万円ではない。


そもそもメモ帳だ。


普通なら、


「お気遣いありがとうございます」


で終わりである。


だが。


「賜《たまわ》る」と「幸甚《こうじん》」を同時投入されて、それで返していいのか?


なんか負けた気がする。


俺は妙なところだけ負けず嫌いだった。


返信欄を開く。


「お気遣いいただき、ありがとうございます」


違う。


弱い。


消す。


「過分なるお心遣いをいただき、痛み入ります。お言葉に甘えつつ、責任を持って発送させていただきます」


よし。


送信。


痛み入った。


俺は人生で初めて、フリマアプリで痛み入った。


これなら「幸甚《こうじん》」にも負けていないだろう。


勝ち負けではないが。


数分後。


通知。


「温かいご配慮を賜《たまわ》りましたこと、衷心《ちゅうしん》より御礼申し上げます。お手数をおかけいたしますが、何卒《なにとぞ》よろしくお願い申し上げます」


衷心《ちゅうしん》。


衷心《ちゅうしん》が出た。


俺はこれまでの人生で、フリマアプリの画面に「衷心《ちゅうしん》」という二文字が表示される可能性を考えたことがなかった。


意味は分かる。


心から、という意味だろう。


だが、普段使うか?


三百円だぞ。


三百円のメモ帳だぞ。


俺は返信欄を開いた。


閉じた。


開いた。


閉じた。


手持ちの武器では勝てない。


俺はブラウザを開いた。


検索。


『心から感謝 もっと丁寧』


いくつかの表現が並ぶ。


その中に、一際輝く言葉があった。


――深甚《しんじん》なる謝意《しゃい》。


…………。


これだ。


俺はフリマアプリへ戻った。


「このたびはご厚情《こうじょう》を賜《たまわ》り、誠にありがとうございます。深甚《しんじん》なる謝意《しゃい》を表《ひょう》します」


送信。


撃った。


ついに俺は「深甚《しんじん》なる謝意《しゃい》」を実戦投入した。


三百円のメモ帳に。


さすがにこれは返せまい。


俺自身、五分前まで使ったことがなかった言葉だ。


五分後。


通知。


「身に余るお言葉を頂戴《ちょうだい》し、恐縮至極《きょうしゅくしごく》に存じます。ご親切なお取り計らいに、改めまして心より御礼申し上げます」


俺は起き上がった。


恐縮至極《きょうしゅくしごく》。


新兵器が来た。


こっちが深甚《しんじん》を出したら、向こうは至極《しごく》を出してきた。


なんなんだ、こいつ。


礼儀作法の先生か?


大企業の秘書か?


外交官か?


プロフィールを見る。


評価は三件。


全部良い評価。


自己紹介なし。


何者なのか、まったく分からない。


ただ一つ分かるのは。


強い。


こいつは強い。


俺は返信欄を開いた。


閉じた。


文章では勝てない。


ならば。


俺はメモ帳を手に取った。


透明な袋に入れる。


テープが少し斜めだった。


貼り直した。


封筒に入れる。


封が曲がった。


新しい封筒を出した。


……三百円だぞ。


だが、もはや金の問題ではない。


この取引には双方の名誉が懸かっている。


二枚目の封筒は完璧に仕上げた。


まだだ。


俺は一筆箋《いっぴつせん》を取り出した。


『このたびはご購入いただき――』


手が止まった。


国書か?


三百円のメモ帳に国書を添える気なのか、俺は。


添えた。


『このたびはご購入いただき、誠にありがとうございます。お気に召していただけましたら幸いです』


よし。


発送。


さっきまで明日発送予定だった気もするが、知らん。


この戦いを明日まで持ち越せるか。


アプリの発送通知を押す。


そして本番だ。


「本日、恙《つつが》なく発送の儀相整《ぎあいととの》いましたこと、謹《つつし》んでご報告申し上げます。ご査収《さしゅう》の栄《えい》に浴《よく》しますまで、今暫《いましばら》くご猶予賜《ゆうよたまわ》りますよう、伏《ふ》してお願い申し上げます」


送信。


三百円のメモ帳が郵便ポストに入っただけである。


数分後。


通知。


「早々にご発送の手配を賜《たまわ》りましたこと、衷心《ちゅうしん》より御礼《おれい》申し上げます。謹《つつし》んで拝受《はいじゅ》させていただきたく存じます」


拝受《はいじゅ》。


まだ届いてないのに、もう拝受《はいじゅ》する気だ。


俺は返信欄を開いた。


閉じた。


もう無理だ。


俺の負けでいい。


二日後。


通知。


届いた。


「本日、無事にお品物を拝受《はいじゅ》いたしました。望外《ぼうがい》の喜びに存じます。これまで賜《たまわ》りましたご厚情《こうじょう》に、深甚《しんじん》なる謝意《しゃい》を申し上げます」


深甚《しんじん》なる謝意《しゃい》。


返された。


俺の決戦兵器を完全に使いこなしている。


完敗だ。


俺は「良かった」を付けて評価した。


ほどなく、相手からも評価がつく。


コメントあり。


最後の一撃か。


開く。


「ありがとうございました! すごくうれしいです!」


…………。


急に軽いな。


衷心は?


その直後、メッセージが届いた。


「お母さんに、知らない人とお話しするときはちゃんと敬語を使いなさいって言われたので、がんばって書きました!」


…………お母さん?


もう一通。


「わからない言葉はネットで『もっとていねいな言い方』って調べました。メモ帳、大切にします!」


待て。


俺は尋ねた。


「もしかして、お子さんですか?」


「はい! 小学五年生です。お母さんに買っていいって言ってもらいました!」


俺はベッドに倒れ込んだ。


小学生。


『幸甚《こうじん》に存じます』


『衷心《ちゅうしん》より』


『恐縮至極《きょうしゅくしごく》』


『謹《つつし》んで拝受《はいじゅ》』


『深甚《しんじん》なる謝意《しゃい》』


小学生。


俺は途中で検索した。


『心から感謝 もっと丁寧』


向こうも検索した。


『もっとていねいな言い方』


同じじゃねえか。


三百円のメモ帳を挟んで、大人と小学生がネット検索しながら敬語の軍拡競争をしていた。


俺は最後の返信を打った。


『こちらこそ、このたびは格別《かくべつ》なる――』


消した。


もういい。


終戦だ。


「こちらこそありがとう! メモ帳、たくさん使ってください!」


「はい! ありがとうございます!」


一週間後。


また商品が売れた。


今度は五百円の文庫本。


メッセージが届く。


俺は身構えて開いた。


「購入しました。よろしくお願いします」


俺は胸を撫で下ろした。


普通の人だ。


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