第六話
その彼女の詠唱と同時だった。俺を斬ろうとした黒仮面のフードの男の斬撃が俺の体をすり抜けたのは。
俺はその瞬間を見抜き、なんとか距離を取ることに成功する。大広間の真ん中から、レアのいる側面へと距離を取ることができた。
しかし、俺の隣にいるのは、魔法が使えないはずの少女レア…なはず。
なのに、空気が揺れる。それだけではない。迷宮の洞窟自体が、大きく揺れ始めている。大広間に黒茶の石つぶてが落ち始め、辺りは揺れ、地面の水もまるで生きているかの如く、踊っていた。これだけの魔力量を、俺は見たことがない。
あの時の一回を、除いて。
かつて、俺の故郷を焼いた焔。そのキノコ雲の中にあった魔術機構。
あれに似た出力。
それを見た男の刃が止まる。そして、瞳をぎょっと横に動かし、口角を上げながら、黒仮面の男はレアに近づく。
男の口元が、三日月のように吊り上がっていく。圧倒的な力の奔流を前にして、狂ったように喉の奥で嗤っている。まるで、ジャングルで獲物を見つけた狩人みたいに、その男の瞳は細くなり、醜悪な笑みを浮かべていた。
「小娘。さては、お前……魔法使いじゃねえな?」
ーーこれが、魔法じゃ…ない?
それは、想像を絶する問い。
俺の思考が止まり、冷や汗が出始めるも、彼女は至って冷静だった。
「そういうお前こそ、私達の世界の人間じゃねえだろ。さては、外の世界から来たな?」
▼△▼△
フードを脱ぎ、無愛想に剣を振るう、黒仮面の男の一閃と交わりあうは、魔法杖を模した玩具から放たれる一発の魔弾であった。
いや、違う。少女のそれは、魔弾ではない。その真実が、俺の脳を震え上がらせる。背筋が、凍る。ここまで耳をおかしくする轟音を出しながら、目の周りの筋肉が壊死する程の異彩を放ち、焼け焦げるあの痛みを思い出させてくれる。
そんな五感を刺激する痛みを呼び起こすレア。彼女が、魔法使いではないだと!?
この世界の最強の魔法使い(母さん)を遥かに上回る魔力に似たナニカを放つ少女が、魔法すら使えない。ならば、今使っているソレは、何なのだろうか。
疑問とともに、冷や汗が止まらなくなる。
ーー彼女は、何者なのか。
そんな形容し難い冷たさが、俺の背筋を伝う。
そんな俺の滑稽な受難のことは露知らず、レアは前を向いていた。彼女の細くて小さい指から、パチン!と音が鳴る。刹那、空気が震え、空間が歪み始める。
「闇を貫く一閃の光よ。今、汝の暁光で、世界を包み込め」
彼女がその詠唱を進めていく度に、辺りの大地が隆起し始め、洞窟が崩れ始める。
「我は、誓う。この世界に入り込む異物を、排除するべく、この矢を放つ」
そして、その大広間の水たまりの雫が激しく踊り狂い、地面がひび割れていくにつれて、黒仮面の男の口元が震え始め、そして遂には、奴には似合わない大きく口を広げ、叫び出す。
「正気か!! レア!! お前は、何故、運命に抗う!!」
ーー正気か。レア。
彼女の運命というものが何なのかは、正直、分からない。レアと、この黒仮面の男が繋がっているのかどうかすら、俺には分からないのだから。
でも、この洞窟には、たくさんの受験生がいる。教職員だって、たくさんいるはずだ。その人達が生きているはずだ。
なのに、こいつは……
何故、こんな状況を自分で招いてなお、そんな顔をする!?
何故、お前は、そのような光のない顔をしてまで、他の洞窟の人達を巻き込んでまで、この黒仮面の男を倒さないといけないんだ。それだけの理由が、この男にはあるのか。分からない。何一つとして、分からない。
だが、一つだけ分かることがある。それは、彼女はそんな酷くやつれた頬で、無理に表情を作っていることだ。
その灰色の瞳には、何も映っていないのに。
レア。
お前は、その灰色の瞳の先に、何が見えているというのだ? その進む地獄の先に、お前は何を見据える?
希望か? 絶望か? それとも、諦めに似た何かか?
答えてくれ、レア、お前は……
何を心に誓い、此処へ来た?
何が、お前をそこまで突き動かすのだ…?
「ジョセフ」
俺の隣から、柔らかい声がした。レアの声だ。
俺の瞳を、彼女の瞳が捉える。彼女は、なんとか口角を上げようと、目を細めようとしている。それでも、彼女の瞳は、濡れていた。
「レア……」
彼女は、相変わらず下手な作り笑いを浮かべ、涙を拭き取ろうとする。
弱さを隠す。作り笑いが下手な癖に。
エリーゼ。君と同じだ。
「ごめんね。『今回』も守れなくて」
レアは、そんな言葉を、かじかんだ手で、大地を揺るがせ、空間を削るオーラを膨れ上がらせながらも、女の子らしく涙をふき取りながら、綴る。
その言葉を聞いた時、俺の中で、ある違和感が芽生える。
ーー『今回』も?
どういうことだ?
俺とお前が会ったのは、今回で初めてなはず。
なのに、お前は……
そんなに、瞳から溢れ出るほどの涙を流す?
無理に目を細めようとする? その灰色の瞳を、隠そうとする?
どうして、お前は、こんなに辛そうなのに、無理に笑おうとする?
その笑顔を、風圧でふっ飛ばされそうになりながら、この瞳でしっかり認識した時。
俺の脳裏に、君のあの言葉がよぎる。フラッシュバックする。てんとう虫が楽しそうに踊り、陽光がさんさんと振り注ぐ虹色のあの花畑。あの楽園で、君と誓った言葉が、俺の10年間繋ぎ止めてきた正気を奪う。
「あ…! あ!!」
俺はうめき声を上げながら、頭を抱え、地に倒れ、うずくまる。
視界がぼやける。レアを見ようとしても、ピントがずれて、うまく認識できない。
涙で、あたりが滲む。地についた手の震えが止まらない。脚が、うまく動かない。だから、立ち上がれない。
心臓が張り裂けそうだ。汗が止まらない。胸もドクンドクン、と悲鳴を上げている。
どうして。
レアが今言った、その言葉は。
ーー「ごめんね。『今回』も守れなくて」
君が、最期に言ったあの言葉と、全く同じなのだろうか。
俺はそう頭を押さえるも、その時、君の別の言葉がよぎる。
その言葉は、あまりにもシンプルで、あまりにも俺の心を突き動かした原動力だった。
ーー「大好き」
その時、俺の中で、何かが弾けた。
だから、俺は冷や汗を止めることができた。吹っ切れて、前だけを見つめることができた。
クヨクヨするな、俺。いつだって、苦しんでいるのは、俺が守ろうとした人々じゃないか。エリーゼ、君じゃないか。そして、レア、お前じゃないか。
その言葉を聞いた瞬間、気持ちより先に身体が動いていた。心臓の鼓動が上げろ。魔力を練り上げろ。脳の負荷のボルテージを上げろ。
俺が、やり遂げるんだ。
「俺が、救けないと」




