第五話
第五話
光魔法が照らし出す視界は、せいぜい数メートル先まで。そこから先は、泥のように重い漆黒が口を開けている。両手を広げればざらついた岩肌に指先が擦れるほどの幅しかなく、カビと淀んだ水の匂いが、密閉された空間特有の息苦しさを煽ってきた。
頭上からは、不快な羽音と共に無数の赤い瞳孔が俺たちを見下ろし、足元では、湿った岩の隙間を這い回る何十もの爪音がカサカサと鳴り響く。時折、毒々しい斑点を持った鱗が、光の端をぬめりと横切っていった。気持ち悪いことこの上ないが、この程度のことを気にしていたら、生き残れない。
レアがおもちゃのステッキを振り上げるより早く、俺は指先で虚空を弾いた。空中で爆ぜた赤熱の炎弾が、飛びかかってきた毒蛇の頭部をチリと炭化させる。返す刀で足元を這うヤモリの群れを絶対零度で氷結させ、俺はパキパキと凍りついた骸を踏み砕きながら歩を早めた。
レアはその毒蛇の頭部を見て、少しかがむ。そして、立ち上がるとすぐに、『エロいね〜』と言いながら、進んでいく。
…???
『エロい』??
どゆこと??
ゴホン。では、俺がどうやってこの暗がりを照らしているのかだが、俺は、前世は魔法を使えなかったが、今はこの世界の基礎中の基礎の魔法の多くは使えるようになった。
その一つが、この迷宮の中で、松明代わりとして使う、光魔法だ。
俺は、自称・魔法を使えない魔法少女のレアの前で、手のひらの中の光を生み出し、そっと息を吹きかける。
すると、行くべき場所が示される。
その光の道筋を辿れば、目的地の魔導獣の生息域に着くのだ。
原理は、簡単に言うと、魔力探知だ。魔獣は魔力を持っているので、魔力の集中する場所を導き出す事ができる。
そして、もう一つ言えることがある。
その光景は、まるで、俺がエリーゼと一緒にサンドウイッチを食べたあの洞窟のようだった、ということだ。あの時は、5歳のガキのくせに、イキってたよな〜俺達。アハハ。
「ん? 誰が、イキリ散らしてるって?」
「いやいや言ってない!! 心読むなよ!!」
俺は、『ふーん』となんか言いたげな彼女に、即座にツッコむ。それはともかく、あの時は、俺は君の光に照らされていたが、今度はこのよく分からない少女を照らす番か。
しかも、その少女の後ろ姿は、君とそっくりだった。
見た目は、全く違うのに。
とち狂った言動と、懐かしい後ろ姿から、そう思ってしまったのだ。
レアは、俺と何気ない話をして、微笑んでいる。
もちろん、それでも、俺の目的は変わらない。
AIのシンギュラリティを止め、今度こそは、エリーゼ、君を殺す。
曇天の中、雨に打たれながら魔術を極めてきた俺の凝り固まった表情筋が、その時、少し柔らかくなったのが、分かった。
▼△▼△
チクタクと、電子魔法上の時計が鳴り、時報を知らせる。試験開始から、一時間ほどの時がたったらしい。
彼女は、時計のモノマネをしている。『チクタクチクタク…』と。唇をとんがらせて。昔から愛されてるとんがりコーンみたいに。
俺は、頭を抱える。
俺の周り、モノマネ芸人しかいねーよお。
△▼△▼
それから、更に30分が経った。
存在が浮いている少女でおなじみのレアは、遂に身体が浮き始めた。
俺が『は?』と、ただそのたまげた光景を見ていると、『歩くの疲れた〜』と言うのみだった。
それを見て、俺はまた頭を抱える。
「お前、魔法使えないんじゃねえのかよ…」
▼△▼△
それから更に30分が経った。
宙に浮くのが飽きたのか、彼女は地に足をつけ、歩き始めた。最初からそうすればよかったのに。
ゴホン! それはさておき、だ。
手のひらに浮かべた光魔法が、不規則に隆起した岩肌の陰影を濃く落とす。鉄錆のような赤黒い斑紋と、死んだ灰色の層が入り混じった壁面は、まるでこの迷宮そのものが腐りかけた内臓であるかのような錯覚を抱かせた。俺の光魔法の影響だろう。
そして、地面に目を移すと、水が湧いているのが分かる。その水面の上を歩く度に、ポチャンという水濁音が鳴り響く。ここは洞窟だから、こういった小さな音が、よく反響する。
前方の暗がりから、鼓膜を劈くような甲高い鳴き声がうねりとなって押し寄せてきた。黒い津波のごとく殺到する牙と爪の群れ。だが、俺が視線だけで編み上げた『火炎陣』を展開した瞬間、それらは断末魔を上げる間もなく爆炎に飲み込まれ、焦げ臭い煙だけを残して跡形もなく消し飛んだ。
「いい明かりができたな。行くぞ」
「そうだね、ジョセフのアニキ!!」
「はいはい、好きなように呼びな」
俺達は、その燃え盛るモンスターが悶絶する様を横目に、足を進めた。
俺達は光を道標にして、狭い通路で、身を寄せ合いながら、暗がりの中を進み続ける。
次なる試練の挑戦権を、その手で掴み取るために。
そして、それからさらに三時間が経った。
「ジョセフ〜。まだなの〜。私、もうクタクタだよ〜。幼児退行するぞ!!」
いや〜、疲れた。
でも、忘れるな。
「ねえ、聞いてる? 無視するの!! この人、無視するのお!! うわあん!!」
全て、前世で約束を果たした『君』を殺すためだ。
……でも。
レアからの、俺に対する熱い視線を感じる。
なんだ、そのエメラルドに輝く瞳は。宝石のように、キラキラさせやがって。本当に綺麗だな。全く、エリーゼみたいだ。
それから程なくして、俺は、頭を抱える。
何故なら、今回バディーを組んだのは、魔法を使えない自称魔法少女。
これを突破しないと、後がないのに。
魔法がないだけでなく、滴る汗を我慢する力もなく、ただ文句を垂れる少女と俺は組まされているのか。
こんな『君』と少し重なる点があるだけの少女に。
重なるだけ……の。
うん。そうだな。
俺も正直、ムカつくが、表面上だけは整えておこう。
俺は、奥歯を整え、完璧で空虚な笑みを見せる。
「それに、レアといると、なんか楽しいしな」
前世の外交の場面などで、俺が得意としていた類の売り文句だ。
だが、これも正直に言うと、罪悪感は少しある。
こんな些細なところで仮面をつける俺が、君を殺す時、君の瞳を見れるだろうか。
俺は、前世と同じで、今もなお、人を騙すことで目的を果たそうとする。
そんなこと考えていると、彼女は、俺の顔を覗き込む。
「へ〜、意外とジョセフにも可愛いところあるじゃ〜ん。私の下僕にしてやろうか♡」
「さっきと言動逆じゃん」
「あんたには断る権利はないのよ// ざぁこ♡」
「メスガキかよ」
メスガキ……
俺も現代日本の用語に毒されてきたな。
しかし、彼女は、そうやってまた頭を抱える俺に、微笑んでくれた。可愛らしく、エリーゼみたいに。
しかし、その表情の真意の裏で、よどめく黒い何か。
それは、笑顔で細まったつぶらな目というには、あまりにも作り笑いでコーティングされており、俺は微かな表情の揺れもない彼女の笑みに違和感を覚えた。
そして、その薄明かりも寄せ付けないような暗さを隠している表情は、俺を見ているようで、俺を見ていない気が……した。
まあ、このアホは、そこまで考えてないか。
こいつ、バカ丸出しのまぬけだし。
俺は、心の中で呟く。
レアのざあこ。
▼△▼△
それから、俺達は警戒を緩めないようにしながら、狭い暗がりの道を進み続けた。
その時、一匹の鼠が、俺達を見ていた。
モンスターではなかったので、俺達は気にもとめなかったが、今ならなんとなく分かる。
その鼠は、途中で鳴くのをやめた。
最後に、断末魔を上げながら、その鼠の影は、俺達の後ろをつけていた巨大な影に、踏み潰されてしまった。
しかし、呑気な俺達はその断末魔に気づくことはなく、そして遂に、その驚異は現実となる。
俺達が、狭い道を抜け、洞窟の大広間に出た後。
ーーポチャン。
洞窟の雫が落ちる次の刹那。その雫の音とは比べ物にならないほどの轟音がした。強い脚力で、岩の表面を蹴る音。洞窟の一部が崩落し、辺りに、白煙が立ち込める。
そして、突如、光魔法の出力が弱まる。恐らく、こいつの圧倒的な圧によるものだろう。何もなかったはずの赤と灰で構成される大広間の暗がりに、圧倒的な個の気配が現れる。だが、それは、魔法使い特有の空間を制圧する澄んだ魔力の重圧ではなかった。もっと泥臭く、血生臭い、剥き出しの暴力。
一歩踏み出すごとに岩盤を軋ませるような、武を極めた者だけが放つ圧倒的な「殺意」の塊がそこにあった。
俺はここまで魔力の薄く、気配の凄い存在を見たことがない。
立て続けに、轟音がした。今まで気配を薄めていたナニカが、もう一度、地を激しく蹴る。明らかに異常な轟音は、まるで天駆ける竜の咆哮のような凄みがあった。
視界がブレた、と思った直後には、男の姿はそこになかった。空気が不自然に裂ける音。身の毛のよだつ死の悪寒に脳が「躱せ」と警鐘を鳴らす。だが、鍛え上げたはずの肉体はピクリとも動かない。気付けば、万物を両断せんとする純黒の刃が、俺の頸動脈の数ミリ手前まで迫っていた。
その剣の薙ぎは、鋭い音を立て、空間ごと俺を断とうとしている。
剣士の殺気を浴びた瞬間、長年の血を吐くような修練で培った反射神経が勝手に体を動かした。それでも届かない圧倒的な速度に、俺は絶望した。
俺は、自分の運命を悟った。
「チェックメイトだ」
男はそう呟きながら、体勢を整え、俺に純黒の剣を振るう。
俺は、最後まで、無力だったのか。
ごめん、父さん、母さん。
それと、守れなくてごめん。レア。
「君だけは、生き残って」
しかし、守られるのは、情けなく呟いた俺だった。次の瞬間、耳を裂くような轟音が鳴る。その大広間の中にいた一人の少女から、強大な魔力が放出される。
「"制限解除"」




