第三話
深夜の子供部屋。
俺はベッドの上で胡座をかき、脳内での並列魔導構築を行っていた。
「ッ……が、はッ……!」
視界が明滅する。鼻の奥から鉄の匂いがせり上がり、両目の毛細血管が限界を迎えて血の涙となって頬を伝った。呼吸をするたびに肺が焼け焦げるように痛む。
未発達な3歳児の魔力回路に、極限の演算を強いる自殺行為。
だが、止まるわけにはいかない。俺が止まれば、10年後、あのキノコ雲が再びこの平和な世界を飲み込むのだから。
「ジョセフ!! もうやめるんだ!!」
バンッ! と扉が開き、防音結界を物理的な力技で破って飛び込んできたのは、父・ノイマンだった。
血まみれになっている俺の姿を見るなり悲鳴のような声を上げ、魔法の使えないその大きな腕で、俺の小さな体を強く抱きしめた。
「お父、さん……俺は、まだ……」
「馬鹿野郎!! 魔法の訓練で血を吐く3歳児がどこにいる!!」
震える、力強い腕。
「お前が天才なのは分かっている。何か途方もないものを背負おうとしているのも……。でもな、親の前で子供が血を流していい理由なんて、この世界のどこにもないんだ!」
父の不器用で真っ直ぐな愛情が、俺の冷え切った心に痛いほど染み込んでくる。
俺が掠れた声で謝罪しようとした、その時だった。
「ジョセフちゃん!! 大変!! 鉄分が、圧倒的に鉄分が足りてないわ!!」
ズガンッ!!
部屋の壁そのものが空間歪曲魔法で消し飛び、エプロン姿の母・桜子が乱入してきた。
その右手には、近所の工事現場から引っこ抜いてきたであろう巨大な『鋼鉄製H鋼』が握られている。
「さ、桜子ォオオ!? お前、家の壁を消し飛ばした上に、そのバカでかい鉄骨はなんだ!?」
「ジョセフちゃんが血を吐いてるのよ!? 血を作るには鉄分が必要じゃない! だから一番鉄分が豊富そうなものを調達してきたの!」
「それは物理的な『鉄』だ!! 消化器系が死ぬわ!!」
「大丈夫よ! お母さんの錬金魔法と火炎魔法をブレンドして、飲みやすいスムージーにしてあげる! ほらジョセフちゃん、お口を開けて! 摂氏1500度の新鮮な鉄骨スムージーよ!」
ジュワァァァァッ! という轟音と共に、H鋼がみるみる赤熱し溶岩のように変わっていく。
父は半狂乱になって母に飛びつき、「テロ行為だ!」と叫びながら灼熱のドロドロを窓の外へ捨てようと必死に抵抗していた。
ひとしきりの大騒ぎの後。
ボロボロになった部屋の中で、母は俺のベッドのそばに座り、血に染まった頬を優しく撫でた。
いつものトチ狂った瞳ではなく、そこには静かな愛情があった。
「ジョセフちゃん。あなたが強くなりたいっていうなら、空のお星さまだって全部撃ち落としてプレゼントしてあげる」
「お母さん……」
「でもね。あなたが傷ついて泣いているのを見るのは、お母さん、とっても痛いのよ。……世界中の敵を全部吹き飛ばすのはお母さんがやってあげるから、無理しちゃダメ」
酷く無茶苦茶で、たまらなく優しい言葉。
この両親は、俺がどんな狂った決意を抱いていても、決して見捨てないだろう。
「……ありがとう。俺、もう少しだけ、自分のペースでやってみるよ」
俺は、3歳児らしいぎこちない笑顔を浮かべて、二人の手に自分の小さな手を重ねた。
この温かい両親との日々を守り抜くために。俺は愛という最強の盾を背に受けながら、静かに牙を研ぎ続けることを誓った。
――そして、季節は巡り。
俺がこの狂騒の家で己を鍛え上げること、さらに7年。
運命の歯車が回り出す、10歳の春がやってきた。




