血と唇と、心まで奪われて
「……触るな」
低く、押し殺した声だった。
彼は背を向けたまま、拳を強く握っている。
呼吸も荒い。
理性を必死に押さえ込んでいるのが分かった。
彼女は一瞬だけ迷い――それでも歩み寄る。
「平気よ」
後ろから、そっと抱きつく。
彼の背中は、緊張で強張っていた。
「離れろ」
声がかすれる。
「今は……無理だ」
それでも彼女は腕を緩めない。
「大丈夫」
その一言だった。
次の瞬間。
彼の手が彼女の腕を掴み、体が反転する。
そのままベッドに押し倒され、
首筋に熱い息がかかった。
「……っ」
止める間もなく、牙が肌に沈んだ。
鋭い痛み。
そして、すぐに広がる甘い痺れ。
体の力が抜けていく。
逃げないように、
彼の腕が彼女の体を抱き込む。
血を吸うたび、
彼の呼吸が深くなっていくのが分かった。
やがて牙が離れる。
視界が揺れ、
彼女はそのままシーツに身を沈めた。
彼は、息を荒くしたまま彼女を見下ろしていた。
理性と欲求の境目で揺れている目。
指先が、そっと頬に触れる。
かすれた声が落ちる。
「……好きだ」
彼女は、ぼんやりした頭のまま小さく笑う。
「私も」
次の瞬間。
彼の手が頬を包み、
唇が重なった。
血の味がまだ残る、静かなキス。
優しいのに、
どこか奪うようで。
心臓が強く鳴る。
怖いのに。
離れてほしくない。
やがて彼が小さく息を吐く。
「……これ以上は、やめとく」
そう言いながらも、
額を離そうとしない。
夜の静けさだけが、
二人を包んでいた。




