「おまえを愛する事はない」「へぇ…………」
暗い寝室。
軋むベッド。
鈍い痛み。
荒い息。
動かなくなる人影。
そして、今日夫となった男が私から離れ
「おまえを愛する事はない」
と言い放った。
初夜を終えたばかりの男が!
新妻に向かって!
この婚姻は政略上のものだ。
事前の顔合わせもなく、今日初めて会った相手。こちらとしても愛情なんてある訳がない。
けれどそれとこれとは話が別だ。
人をバカにするにも程がある。
愛さないのは、まあいい。
政略結婚で大切なのは、体面を保つ事と後継ぎを作る事だ。愛する事は入っていない。
けれどまず、そんな不確定な事をわざわざ言う事自体どうかと思う。碌に知りもしない相手を、今後一緒に暮らしてどう思うかなんてわかる訳がないではないか。
少なくとも今言う必然性は見当たらないし、言う事で起こる不利益ならばいくつも上げられる。
例えば、『新妻との心の断絶』とか。
最近巷で流行りの劇の冒頭にそういうシーンがあって、それが「男らしい」と淑女に受けているのは知っている。
けれどその劇の男は、初夜を致した直後にそんな台詞を言った訳では当然ない。
彼は、恋仲にあった令嬢の未亡人の母親と権力で無理矢理結婚させられたのだ。それに彼がそれを言ったのは、寝室に入る前。政略結婚で籍は汚されようとも、体は汚させないという宣言なのだ。
その後もあの手この手で母親が男に迫り、そこに恋人である娘も参戦して、と中々にドロドロした内容なのだが、それは今は置いておいて。
そもそもあれだ。そういう台詞は『色男に限る』というやつだ。こんな根菜と区別がつかないような顔の男が言っていい台詞ではない。
しかも、しれっと初夜を致した後で!
だからーー
「へぇ…………」
体を起こし目を細め、先程行為を終えたばかりの男を見た。顎を上げ、見下ろすように。
男は怯んだ。
「な、なんだ?文句でもあるのか!?」
新妻に睨まれただけで、どもるとは情け無い。
男の評価がまた一段下がる。
「どう思われますか?」
冷えた声で返す。
「あ、ある訳ない、よな?お、俺はおまえの夫だぞ?」
だからどうした。
その思いを込めて、男をじっと見る。観察する。
一体この男は、どういうつもりであんな台詞を言ったのか。事と次第によっては、色々と手を打たなければならない。
私はこの男に嫁いだ。それなりの広さの土地を治める家の後継ぎに。つまり、ゆくゆくはこの家の人間として、領民の生活を守る義務が出てくる。
だから頭に泥が詰まっているような次期領主ならば、ヒュッとちょいっとヤってしまわない事もない。
毒には少々心得があるし、事故に見せかけた小細工もそれなりに嗜んでいる。伊達に十八年間、貴族令嬢をやってきた訳ではないのだ。
そんな事を考えていたら、何故か男が涙目になった。
「な、なんか言えよ!だ、黙って睨むなんて卑怯だぞ!」
何を言っているのかわからないけれど、どうやら私が怖いらしい。それなら、よく知りもしない相手にケンカを売らなければいいものを。
爪を撫でながら思案する。
こんなに簡単に怯えるくらいなら、御しやすいと前向きに考えるべきか。それとも他者につけ入れられやすいと、評価を更に下げるべきか。
考えを巡らせながら丁寧に整えた爪を撫でる。
この人差し指の爪のラインが、私は特にお気に入りだ。まず曲線の角度がいい。それに厚さも。
円を描くように爪を撫でながら、ゆっくりと細く長く息を吐いた。
すると男がビクンと大きく体を跳ねさせた。顔は真っ青だ。
怯えすぎて、今は話にならなそう
とりあえず判断は保留する事にした。
まぁ結婚してしまったし、残念ながら初夜まで済ませてしまった。ちょちょいとヤるのはいつでもできるから、よく観察してゆっくり決めればいい。
そう思い薄っすら微笑むと、
「ヒィッ」
と小さく声を上げて、男は後ろに倒れた。
そしてそのまま動かなくなった。
…………どうやら気絶したようだ。
呆れて、思わず男を蹴って床に落としてしまった。落としてからやり過ぎかとも思ったけれど、わざわざ引っ張り上げるのも面倒だ。
聞かれたら自分で落ちたと言えばいいし、そもそもあの様子なら恐らく確認してこないだろう。
そう結論づけて、大きなベッドの真ん中に横たわり目を閉じた。
不本意な結婚ではあるけれど、夫をアレしてしまえば後は気兼ねなく好きにできる。そう考えれば、中々に理想的な結婚相手ではなかろうか。
最後の最後に、ほんの少しだけ男への評価が上がった。
彼のいなくなった後の世界を思い浮かべながら、私は安らかな気持ちで眠りについた。
結婚初日に、今後の方針が粗方決まってしまった模様(合掌)。