11.真珠
月日は流れ、アナイスは九十歳、ジェルマンは九十数歳越えになっていた。
あれからアナイスは三人目の子を産んで、 八人の孫と曾孫三人を得ていた。
ドレスメゾン「アナベラ」は孫の一人が継いでくれた。
以前蘇生させた隣国の王族は王になってからは節制していたが、二十年前にまた危篤状態に陥り、とうに魔塔から退いたジェルマンを呼びつけた。
あと十年でいいからと、死後すぐに蘇生させた。
「三度目はありませんよ」
王家と契約を交わして取り決めた。
他人を蘇生させる寿命がもうジェルマンには残っていないからだ。
ジェルマンの現在の余命はアナイスと大差はない。
それに、いくら人工呼吸的なものだとはいえ、妻以外の、しかも醜く老いた男に口付けることも耐え難かった。
はからずも同じ男に二度までも口付けることになったが、思い出しただけで虫酸が走る。
彼は金輪際誰の蘇生もしないと誓っていた。
ジェルマンはアナイスと二人で静かな余生を過ごしていたが、最も幼い曾孫を人質に取られ、三度目の蘇生を王家に強要されてしまった。
王家の横暴さに激怒したジェルマンは、隣国の王家を滅ぼそうとしたが、アナイスが自分の余命を王へ譲渡して欲しいと訴えて、荒ぶるジェルマンを止めた。
「私はもう十分生きました。しかもこんなに幸せになれたのですから、思い残すことは何もありません」
「アナ······!」
「あなたと一緒に旅立てるならば本望ですから」
アナイスの余命とジェルマンの余命全てを王に譲渡した。
残り数週間を残して。
そうやってまた、死ぬことにしたのは、アナイスだった。
「私がこのように他人に寿命を与えることになったのは、私が昔放ってしまった楔のツケかもしれませんね」
ジャンルイはレアと離縁してから、生涯妻を持つことはなかった。
ミミがミュルジェール家に届け物をしに行った日、帰りしなに偶然彼に呼び止められて、私の所在を聞かれたことがあったようだ。
ミミは私が死んだ設定で答えたから、彼にはかなりショックを与えてしまったかもしれない。
シビルを侮辱罪で訴えてくれたりして、あの人はとても誠実な良い人だったわ。
そのジャンルイも十二年前に他界した。
アングラード侯爵家は彼の従兄弟の息子が継いでいる。
アングラード侯爵夫人パメラも、あのおぞましい噂を流した張本人シビル·クロトワ男爵夫人もとうの昔に鬼籍に入っている。
彼女達が不自然な死を迎えたことをアナイスは兄から聞かされて知っていた。
これが自分の放った楔の影響ではないと、誰が言えるだろうか。
一度死んだ私、自然の摂理に背いた私の蘇生、その私に連なる子ども達や孫達に悪影響は無いのだろうか?
アナイスが今心配するのはそれだけだった。
自分の余命を譲渡することで少しはその代償を減らせるならば、それに越したことはない。
「それなら、あの王にはさぞ大きな代償があるだろうよ」
ジェルマンは、魔法使いとしての生を悔やんではいなかったが、次の生を受けることがあれば、もう魔法使いは御免だと言った。
権力者達に利用や搾取されるのは嫌だったからだ。
「では、ジェルマン、次はどんな生を望みますか?」
「そうだな、ごく普通の人がいいね」
「そうですね、私も平凡で穏やかに暮らせる人生が良いです」
「アナ、次はどうか、自分で死を選ぶような人生は送らないで欲しい」
「はい、二度としないと誓います」
アナイスは、幸せそうに微笑んだ。
二人は同日同時刻に自宅のベッドで息を引き取った。
安らかな満ち足りた死に顔だった。
二人は手を繋いでいたが、アナイスの左手の薬指にはハート型のマベ真珠の指輪が煌めいていた。
誰かに蘇生されるのを避けるために、二人の遺灰は親族によって海に撒かれた。
遺灰を瓶等に詰めて所持するのは厳禁だと二人の遺言書には書かれてあった。
***
それから百五十年後の某所。
一組のカップルがたった今恋人にプロポーズをしたところだった。
「君の薬指のこの痣は、不思議な感じがするな」
「そうなの、ハート型みたいなのよ」
「だから、その薬指に合うかと思って、この指輪にしたんだ」
彼が求婚のために彼女に贈ったのは、ハート型のルビーの指輪だ。
痣の大きさと指輪のハートの大きさはぴったりで、その指輪をすると綺麗に痣は隠れた。
「どうしたの?」
「なんだか、この指輪に見覚えがあるような······懐かしい気がしたの。変よね」
彼女はカボションカットのルビーの滑らかな表面を指で撫でた。
「キャンディみたいで美味しそうだわ」
彼女は指輪の石を裏返そうとしている。
「ごめん、このデザインは気に入らなかった?」
彼は不安げに眉をひそめた。
「ううん、そうじゃなくて、なぜか裏側にもあるような気がしたの」
「ああ、リバーシブルかと思ったんだね?」
「そうかもしれないわ」
「実は店でもそういうデザインのものを薦められたんだ。最近そのデザインが流行っているとかでね。これも頼めばリバーシブルにできるそうだよ」
彼女は若草色の瞳を嬉しげに輝かせた。
「本当? あっ、でもそうするとその分高くついてしまうわ」
「いいよ、どうせならリバーシブルにしてもらおう」
「いいの?」
「もちろん、いいに決まっているさ」
二人は指輪をリバーシブルにしてもらうために、胸を弾ませながら腕を組んで宝石店に向かった。
宝石店はドレスメゾン「アナベラ」の姉妹店で「アナイス」という名だった。
クオリティが高い割りにリーズナブルな品揃えの店として近頃人気の店だ。
店の看板はユニコーンの背に乗ったカップルが描かれている。
「では、裏側には何の石をお入れいたしましょうか?」
恰幅の良い女性店員に尋ねられると、彼女は迷わずに答えた。
「私、真珠がいいわ。真珠にします!」
店員はマベ真珠を何点か陳列ケースから取り出して並べた。
「いかがですか?」
「素敵······!」
「只今創業記念キャンペーン中で、お揃いのリバーシブルタイプのイヤリングを半額でご提供させて頂いております」
店員はにこやかに勧めた。
「えっ?」
彼女はチラリと隣に立つ彼の方を見た。
彼は銀髪の頭を掻きながら若干苦笑気味に「いいよ」と頷いた。
しがない公務員の彼としては奮発した方だ。
「お買い上げ誠にありがとうございます。では最後に福引きがございますので、お一人様一枚をお引き下さいませ」
差し出された黒いベルベッドの箱にそれぞれ手を入れ、一枚ずつ引いた。
彼が引いたのは更なる値引きの券、彼女が引いたのは、ドレスメゾン「アナベラ」のウエディングドレス無料券だった。
もちろんオーダーメイドだ。
「ええっ?!」
母のウエディングドレスを手直ししたもので済ませるつもりでいた彼女は驚いた。
「おめでとうございます!とても幸先がよろしいですね」
「「ありがとう!」」
「ではこちらにサインをご記名下さい」
ジェルマン·サンジュスト、アナイス·ユペールとそれぞれサインすると、二人は互いの顔を見合わせて幸せそうに笑んだ。
(了)
この度も最後まで読んで下さいましてありがとうございます!
今作も死人多めで、あいすみません。
作中のプロワー伯爵家は拙作「ゼカリアの魔女」に登場するミレアの上司プロワーの親戚という設定です。