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婚約破棄にも才能が要るようです

作者: 四片紫

「今ここに! 第一王子ハーヴィー・グレイヴとメアリー・コメットとの婚約を破棄する!」


 貴族学園の交流パーティーのその日。グレイヴ王国第一王子のハーヴィーはそう高らかに宣言した。流れていた音楽が止まり、華やかな空気が一変する。ざわり、と観衆となってしまった生徒たちがどよめいた。


――あぁ、やはり駄目でしたか。


 メアリーの胸に広がるのは失望だ。そうして眼前に広がるのは、己の婚約者たる第一王子が見知った女生徒の肩を抱く姿。ドレスを渡されることもなければ、エスコートの連絡もなかった時点で覚悟はしていた。

 変わってくれることを期待していたわけではないが、それでも変えることの出来なかった未来に切なさが胸を締め付ける。とは言え、これは彼らが選んだ道ならぬ道。


「身分を笠に着て弱い者を虐げる悪女め! 貴様は王太子妃の器ではない! 貴様に虐げられながらも健気に耐え忍んでいたソフィナこそ、妃にふさわしい淑女だ!」


 ぎゅっと肩を抱いてくれていた父の手に力がこもったのを感じた。そのまま温かい手が背中を擦る。

 真っ直ぐと背筋を伸ばす。己に恥ずべき瑕疵は何もない。


「婚約破棄に関しましては承知いたしました。ですが、ラングレー嬢に対するいじめについては否定させていただきます。わたくしには一切、身に覚えのないことでございます」


 視線は落とさずに。口上はよどみなく。王族であることは暴挙が許される理由にはなりえない。


――そもそも彼は、王の器ではなかったのだ。



◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 メアリー・コメットとハーヴィー・グレイヴの婚約が結ばれたのは彼らが十歳の時のことだった。コメット家は代々グレイヴ王国の王族に執事として仕えてきた侯爵家である。

 彼女が第一王子の婚約者となったのには幾つか政治的な理由がある。ただ、重要なのはこの婚約を望んだのはアイザック国王であるという事実だった。


 しかしながら、第一王子であるハーヴィーはその婚約に不満を持っていた。故に、初顔合わせとなる茶会でこう言い放ったのである。


「地味な女だな、オレにはぜんぜんふさわしくない」


 彼はこれ見よがしに溜息すら吐いて見せた。そう言うハーヴィーは華やかな金髪に鮮烈な印象を残す蒼眼と、派手な見目の美少年だった。

 対するメアリーはさらりと流れる黒髪にブルーグレーの涼やかな瞳。色合いこそ少々暗めかもしれないが、地味だなどと言われるような少女ではない。むしろコメット家は美形ぞろいなのだ。顔で王家に取り入ったなどと不名誉な噂が立つくらいには。


「もうしわけございません、殿下。殿下のお好みに沿えるよう、努力いたしますね」


 難癖でしかないそれに、メアリーはにこやかに応えて見せた。その様子も癇に障ったらしく、終始彼は不機嫌なまま茶会を終えることとなった。


 メアリーは初顔合わせから直ぐに王宮へと召し上げられた。王子妃教育のためである。とは言え、彼女は侯爵令嬢として高度な教育を受けていたため、さほど苦心することはなかった。必要だったのは、王家の歴史と外交についてくらいのものだった。

 問題になったのは第一王子の方だ。彼にも当然王族としての教育は課せられている。しかしながら彼はあまりまじめに取り組まず、何かと理由をつけては家庭教師を追い出してしまったのだ。これには流石に父王であるアイザックも彼に直接苦言を呈した。


「もう少しコメット嬢を見習ってはどうだ?」


 真面目にやれと一喝しても良かったのだが、こう言えば奮起するかと考えたのだ。結果的に、アイザック王は言葉を間違えたのである。ハーヴィーはますますへそを曲げて教育から逃げるようになり、メアリーにも茶会の度に八つ当たりするようになった。

 この時期から、アイザック王は己の執事であるルーカス・コメットに度々冷たい目で見られるようになった。己の息子をきちんと己で躾けろと、メアリーと揃いのブルーグレーの瞳が雄弁に語っていた。


 二人の婚約が成されて六年の月日が流れ、十六歳になった彼らは揃って貴族学園に入学した。

 首席として新入生代表の挨拶をするメアリーを憎々し気に睨んでいたハーヴィーは態度を改めるどころか悪化させている。更に学園側にも独断で彼女とは別クラスに振り分けさせろと命じていた。そもそも学力に差のある二人は同じクラスになる予定ではなかったのだが。


 尚入学式の日、アイザック王は健康に良いのだとルーカスにとんでもなく苦い茶を振る舞われた。口の中を無数の針で刺されるようなえぐみと凝縮された森の如き青臭さであった。執拗に勧められたおかわりは流石に断った。実際健康には良いものらしく、次の日からは同じ茶葉でもえぐみと苦味を抑える煎れ方で、日に一回振る舞われるようになった。


 さて、そうして二人の学園生活が始まった。新入生は入学テストの結果と本人の希望を元にAからCクラスへと振り分けられ、彼女はAクラス、ハーヴィーはCクラスとなる。


 Aクラスは学力の高い者が多く、それでも尚自己研鑽に励むものが多い。とは言え、B、Cクラスが落ちこぼれの集まりと言うわけでは決してない。そもそもこの学園に入学できている時点で貴族子女としてはそれなりに上澄みなのだ。家業の手伝いをしていて忙しい者などは勉学に忙殺されないためにと下のクラスを選ぶことも多いのである。

 ハーヴィーも勉強したくないという理由からCクラスを選んでいた。一応彼の成績ではBクラスも狙えたのだが。


 残念ながらこの世界は不平等であり、爵位が上の者ほど高等な教育を受けることが出来る。その為、一部例外を除いてCクラスはそのほとんどが子爵か男爵の子女だった。

 そんなクラスに雲上人である第一王子が入ったものだから、大騒ぎである。その上にハーヴィーの性格は人付き合いにはあまり向いていないものであったので。


 ハーヴィーは下から数えた方が早い爵位の彼らをわかりやすく見下していた。当然彼は王族であるので実際問題彼らよりはるかに地位が上なのだ。しかし、だからと言って傍若無人な振る舞いが許されるのかと言えば、否である。かと言ってそれを指摘できるような者も、外部に訴え出ることが出来る者もいなかった。

 メアリーだけは、一生懸命苦言を呈していたのだが。


「そのような振る舞いをする必要はないのではないでしょうか。民あってこそ、貴族あってこその国なのですから」


 そんな忠告にもハーヴィーは鼻先で笑う始末だった。これまでメアリーと比べられていたせいで卑屈になっていたが、Cクラスの中で彼は上澄みなのだ。おかしな方向へと自信をつけてしまったのだろう。


「王がいなければ国は成り立たないんだ。国をつくるのは王族なんだからな……お前も王の婚約者であって王族じゃない。貴族の一人にすぎないお前が大きな口を叩くな、不敬だぞ」


 メアリーは口を閉じ、ブルーグレーの瞳でハーヴィーをじっと見つめていた。彼は苛立たし気に一つ舌打ちを落として、彼女に背を向けてその場を立ち去った。


 その日の夜、アイザック王は不思議な匂いの香の中で一人寝する羽目になった。ぐっすりと眠れて身体は元気になったのだが、酷い悪夢を見た。笑顔のルーカスに正座でこんこんと説教される夢である。ルーカスの笑顔は男ながらとろけるような美しさであるが、アイザック王に限ってはとろけるのは脳であった。

 夢が現実となる前に彼はハーヴィーを呼び出してかなり厳しく叱った。学園の方にもハーヴィーに配慮の必要はないと告げ、国王自ら校則に『学園内では身分の差はないものとする』と付け加えた。その上でハーヴィーを一か月の出席停止処分とし、その間は王宮にて再教育すらしたのである。


 学園に戻ってからのハーヴィーは分かりやすく遠巻きにされていた。彼自身多少は反省したのか、素行については改めていた。メアリーに対する態度はほとんど変わっていなかったが。


 そんな中でも彼に近づく大らかな者がメアリーの他にもいたのである。それがソフィナ・ラングレー男爵令嬢であった。柔らかく波打つ茶色の髪に鮮やかなグリーンの瞳。目鼻立ちはくっきりとしていて、ハーヴィーと同じ系統の派手な美少女であった。

 彼女は男爵家の庶子であり、市井で暮らしていたのだが、母親の死を切っ掛けに男爵家へ引き取られたのだ。その為か、貴族としての心得が不十分だったらしい。


「キラキラのブロンドに綺麗な青い目……! 貴方って本当に王子様みたい!」


 本当にもみたいも何もハーヴィーはれっきとした王子様である。人間っぽくて素敵ねとほぼ同義なのだが、ハーヴィーはこの令嬢をいたく気に入ったらしい。何かにつけて傍に置くようになり、早々に名を呼ぶことを許していた。

 やがては人目もはばからず身体を寄せ、手を取り合うようになる。仲睦まじい様子に、ほとんどのクラスメイトは顔をしかめていた。流石に苦情を入れる者はいなかったが、噂は回り回ってメアリーの耳にも届くことになる。


 メアリーは真偽を確かめようとCクラスに足を向けた。ハーヴィーは騒めく教室の中心で堂々とソフィナの腰を抱いている。メアリーに気づいたクラスメイト達はさっと彼女に道を空けた。


「ハーヴィー殿下、ご機嫌麗しゅう」


 完璧なカーテシーにハーヴィーは顔をしかめる。彼女が完璧であればあるほど彼は惨めになるのだ。ハーヴィーはメアリーを無視してソフィナの髪を撫でた。ソフィナはくすぐったそうに笑い声をあげる。

 メアリーは根気強く声をかけた。


「殿下、そちらの方は? わたくしにも紹介してくださいませんか?」

「……チッ、ソフィナ・ラングレー男爵令嬢、私の友人だ」

「友人、でございますか」


 メアリーはハーヴィーからソフィナへと視線を向ける。一瞬だが、彼女は勝ち誇ったように笑みを浮かべて見せた。


「はい、ハーヴィー様とはすごく仲が良くって!」

「……その呼び方は、殿下が許可されたのですか? 本当に仲がよろしいのですね」


 婚約者であるメアリーですら、殿下と敬称をつけているのに対し、ソフィナの呼び方は気安すぎる。メアリーは単純に驚いてしまっただけだったのだが、ハーヴィーはみるみる眉を吊り上げた。


「苦言のつもりか? 私が誰と仲を深めようとも私の自由だろう」

「いえ、そのようなつもりは……ただ、彼女が殿下の特別と勘違いされる危険性がありますので、」

「メアリー!」


 ハーヴィーが大声を上げた。言葉を遮られたメアリーは少しばかり瞳を丸めている。


「私の交友関係にケチをつけるつもりか? 偉くなったものだな侯爵令嬢風情が」


 風情などと彼は言うが、その実侯爵と王族は間に公爵を挟むのみだ。メアリーは少し考えるように瞳を瞬かせる。


「では侯爵令嬢としてではなく、貴方様の婚約者として苦言を呈しましょう……ハーヴィー殿下の振る舞いは周囲に誤解を与えております。お控えくださいませ」


 メアリーは静かにそう告げると、再びソフィナの方へと視線を移した。


「ラングレー嬢も。婚約者のいる殿方に気安くしてはなりません。ましてやそのように触れるなど、以ての外でございます」


 理路整然と注意を受けた二人はたちまち顔を真っ赤に染め上げた。ハーヴィーは拳すら握り締めていたが、流石に衆人環視の中で暴力に訴えるほど理性がないわけではないらしい。実際彼女の言っていることは正論である。言い方が厭味ったらしいというわけでもなかった。


「……あぁ、もうわかった」


 ハーヴィーは絞り出すようにそう言った。納得したわけではないと声と顔の色が雄弁に語っている。しかも分かったと言っているわりにはソフィナから離れることはしないのだ。

 そしてメアリーの方もこれ以上つつくのは危ないと判断したのだろう。ハーヴィーが邪険にするように手を振ったのを合図に再び一礼してその場を去っていった。


 その背に燃えるような、凍えるような視線が突き刺さっていた。


 二人のやり取りの報告を受けたルーカスは、アイザック王の前でただただ悠然と微笑んでいた。アイザックは頭を抱えていたが、一つの決断を下した。


 その日以降、メアリーはハーヴィーとほとんどの関わりを持たなくなっていった。定期的に開かれるお茶会には参加しているものの、ハーヴィーが来ることはなかった。正直もう来ないだろうとは思っていても、万が一彼が気まぐれを起こした時にメアリーがいないとなれば色々と面倒なことになるのだ。結局のところ、その気まぐれが起こることは一度としてなかったのだが。

 茶会すら無断で欠席するようになった彼は、メアリーが小言を言ってこなくなったことに気を良くしてますますソフィナと親密になっていった。しかしながら、ソフィナが親密なのは彼だけではない。彼女の紹介によって、彼は二人の令息と交流することとなる。


 一人はイアン・アノジー。現宰相の息子である。几帳面に切りそろえられたチャコールグレーの髪に理知的なブルーの瞳の好青年だ。

 もう一人はジャック・レドモンド。王国騎士団長の息子で、茶の短髪にそれよりも少し淡いヘーゼルの瞳をした快活な青年である。


 彼らは将来的に王に仕える者としてハーヴィーの元に集ったのだ。その切っ掛けとなったソフィナとそれはもう仲が良かった。周りが眉をひそめるほどに。それと同時期にある噂が学園内を飛び回るようになった。

 それは『ハーヴィー殿下とソフィナ令嬢の仲に嫉妬したメアリー令嬢が、ソフィナ令嬢のことをひどく虐めている』といった内容のものだ。詳細もテンプレートに乗っ取ったものであり、足をかけられただの教科書を破られただのと巷で人気の物語と大枠似たようなものだった。その目撃者として名を上げるのは大抵イアンかジャックである。それだけで御察しと言ったところだ。


 メアリーはそれらの噂を気にすることはなかった。彼女のいるAクラスでは、そんな噂に惑わされるような子女はいなかったのだ。()()()その噂を信じている者はいないだろう。もっとも、噂通りだと都合がいい者は多くいただろうが。


 さて、こんな根も葉もない噂が出回ったとなれば次は皆お待ちかねの()()である。おあつらえ向きに、学期の最後には学園全体で行われるパーティが控えていた。



◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 そうしてお話は冒頭へと戻る。メアリーは我が父ながら見惚れるような笑みを浮かべるルーカスにエスコートされて会場へと遅れて足を踏み入れたのだ。一応念のためにハーヴィーのエスコートを待っていたために遅くなってしまったのである。

 高らかな婚約破棄の宣言と静かな同意、それから否認。ハーヴィーたちは彼女が慌てふためき悲しみに暮れるのを予想していたのか、拍子抜けしたように勢いを失っていた。


「これ以上のお話はこの場ですることではないでしょう。別室に移動いたしましょうか」


 メアリーがすっと身体を引いたのを見て我に返ったのか、ハーヴィーは片手を突き出して待ったをかけた。この劇はこれからが見どころなのだ。


「いや、この場の皆にも証人となってもらう! 故に今ここで、お前の罪を白日のものとする……イアン!」


 同時に左右後方に控えていたイアンとジャックがハーヴィーとソフィナに並ぶように前に出る。ジャックは憎々し気にメアリーを睨み付け、イアンは紙束を携えて一つ咳払いをした。


「ここにメアリー・コメット侯爵令嬢が働いた悪事の報告書があります。いずれも私とこちらにいるジャックが目撃者として証言いたします。まずは、日常的な暴言。爵位を理由に――」


 つらつらと並べ立てられる罪状とやらに当然メアリーは心当たりなどない。時折ジャックやソフィナ、ハーヴィーが相槌を打ちながら勝手に話が進んでいく。

 ふ、と小さく息の音が漏れた。メアリーの斜め上からである。そっと視線だけをそちらに向ければルーカスが口元を手で覆っていた。長い睫毛に彩られた瞳が伏せられている。娘が衆目に晒されているのに耐えられずに憂いているのだろうか。


 かと思えば、ルーカスは不意に顔を上げた。ヒッとソフィナが小さく悲鳴を零す。彼の冷たいブルーグレーの瞳が四人を射抜いていた。男三人は声こそ出さなかったものの、イアンは気圧されて一歩下がってしまった。美しいからこそ、表情をそぎ落としたその顔は人間離れしてひどく恐ろしかったのだ。


「最愛の我が娘に対する謂れなき中傷……陛下の息子とはいえ、看過することは出来ませんな」


 瞳と同じく冷え冷えとした声が響く。ルーカスは彼らと違って大人である。言葉選びも威圧の仕方も心得ているのだ。


「この件に関しては我が侯爵家より正式に抗議させていただく。私の娘は潔白だ」

「……っ、何を根拠に! こちらには証拠が……」


 気丈にも声を絞り出したジャックにルーカスが鼻先で笑った。


「メアリーには王子妃として王家の影が付いている……当然()()知らないことだが」


 そう言ったルーカスはハーヴィーへと視線を移した。恥知らずにもソフィナを腕の中に抱いたままの彼はびくりと肩を揺らした。


「勿論、第一王子であらせられる殿下にも影は配置されております。此度のことは君たちが()()()()()()()調()()()()()()()()ただ彼らに問い合わせればよかっただけのこと」


 ザッとハーヴィーが顔色を無くした。ソフィナは状況が分かっていないのか、落ち着きなくきょろきょろと辺りを見回していた。


「さて、この場でこれ以上の問答は不要でしょう。この件につきましては関係者も交えて別室で協議いたしましょう」


 パンパン、とルーカスが手を打ち鳴らした。それを合図にするように止んでいた音楽が流れ出す。同時に王国の紋章を胸に付けた騎士たちが会場に入ってきた。そうして生徒たちが空けた道を駆け上がり、彼らを舞台の上から下ろしてしまった。


「お、おいお前たち何を……!」


 当然文句を言おうとしたハーヴィーだったが、騎士団たちは統率された動きでもってあれよあれよと彼らを別室へと押し込んだ。その部屋で待っていた先客に息を呑む。


「ち、父上!」


 三人の声が重なった。父王アイザック・グレイヴとその隣には現宰相であるカルロ・アノジー。二人の後ろには騎士団団長であるジーク・レドモンドが控えていた。

 それぞれが目で息子たちを座るように促す。おずおずと腰かけた彼らの真ん中、ハーヴィーの隣にソフィナが座ったのを見て、アイザックは深く溜息を吐いた。


「お待たせいたしました」


 最後にルーカスがメアリーを伴って部屋に入り、扉を閉じた。その瞬間に、ハーヴィーが堰を切ったようにまくしたてる。


「王家を篭絡したのか、この悪女め! 何が王家の影だ、そんな者の証言などいくらでも捏造出来るだろう!」


 ハーヴィーの咆哮を無視し、ルーカスはアイザックの隣に座った。その隣にメアリーも腰を下ろす。流石に何かがおかしいと感じ始めたのか、ハーヴィーたちはしどろもどろに視線を迷わせていた。

 そんな中、ジークはすっと片手を上げた。その合図を受け取って扉近くに控えていた部下がイアンの手の中にあった書類を半ばひったくるように抜き取って彼に渡す。イアンはあっと情けない声を上げて腰を浮かせたが、結局何も言えずに座り直した。


「これが悪事の証拠だったか?」


 書類はジークからカルロの手へと渡り、嘲笑を浴びた。内容はメアリーがソフィナに行ったとされる悪事の箇条書きだった。カルロの視線を受けたイアンは縮こまり、何も答えない。


「これを作るためにどの諜報機関を利用したんだ? 調査にかかった費用は?」


 ぴしぴしと表紙を手の甲で叩きながらカルロが問う。後ろから覗き込んでいたジークも顔をしかめている。イアンがびくびくと口を開いた。


「そ、その……我々が独自に調査、したもので……」

「国から何の許可も権限も得ておらず、何の信頼もないお前たちが、か?」


 アイザックが突き放すようにそう言った。これにはイアンだけでなくハーヴィーもぐっと喉を詰まらせた。ジャックは何とか言葉を紡ぎ出す。


「し、しかし令嬢の涙ながらの訴えを無視するのは騎士として――」

「ここしばらく訓練に顔も出していない軟弱者が騎士を語るな、愚か者めが」


 父親に切り捨てられ、ジャックは深く俯いた。ハーヴィーも膝の上で拳を握り締める。

 どうしてこんな大事になってしまったのだろうかとそんなことばかり考えてしまう。ただ、メアリーに恥をかかせてやろうと、真実の愛に生きようとしただけだというのに。


「我がアイザック・グレイヴの名において、コメット嬢が潔白であることを証明する。王家の影による調査は既に為されている……異論など、あるまいな」

「っ、そもそも!」


 もはやこの件に関しては言い逃れが効くことはないのだろう。ハーヴィーはこの機会にか苦し紛れにか、ソファを蹴倒す勢いで立ち上がった。


「王家に仕えるたかが執事の一族の分際で! 次期王太子の婚約者というのがそもそも分不相応だったのです!」

「何を寝ぼけたことを言っている。そちらの男爵令嬢であれば分相応だとでも? 馬鹿げた話だ」


 前々からの不満をぶちまけて見せるが、それすらも静かに切り捨てられた。水を向けられたソフィナはびくりと肩を震わせるも黙ったままだ。

 アイザックはちらりとルーカスに視線をやった。ルーカスは不遜にも首を振る。


「我々が裁定するまでもありませんでしょう」

()殿()()()()()()()が重要なのだ……わかっているだろう」


 ルーカスは一度目を閉じ、ゆっくりと開いた。ブルーグレーの瞳が瞬く。


「コメット家の『慧眼』を以て宣言いたします。ハーヴィー第一王子殿下に王の資質はございません。これから先、芽が出ることは未来永劫ないでしょう」


 は、と言葉にすらならなかった息が漏れる。一拍間を置いて、一息にハーヴィーの頭に血が上った。


「侯爵風情が! 今! この僕に何と言った!?」

「貴方様に王の資質はない、とそう申し上げました」


 ルーカスは冷静に同じ言葉をなぞる。愕然とするハーヴィーを前に、アイザックは再び溜息を吐いた。


「お前は知っているはずだぞ……コメット家の本来の役割を」


 役割……? とオウム返しするハーヴィーにアイザックはとうとう頭を抱えた。そのままルーカスを目で促す。


「我々コメット家は代々王の裁定者として、御傍に仕えております」


 とうとうと紡がれる歴史は、メアリーが王子妃教育として随分前に習った内容……つまりはハーヴィーも同じことを習っているはずなのである。


 コメット家は王家が興るよりも前からこの地にいた一族とされている。美しい容姿と特別な目を受け継ぎ、今日までその血を紡いできた。その能力に目を付け、囲い込んだ人物こそが、グレイヴ王国を興した初代国王であった。

 それ以降、当主は王の執事として、時には王族の婚姻者として、コメット家はグレイヴ王家と密接な関係を築いていた。


「その古臭い歴史が何だと言うんだ! コイツは今、王族を侮辱したんだぞ!?」

「そ、そうです。第一王子様に向かって無礼ですよ!」


 ルーカスの静かな語り口調とは対照的にハーヴィーはいきり立つ。気を取り直したのか、ソフィナも口を挟んだ。しかし、ルーカスもメアリーも動じない。ただ静かに目を閉じて、ゆっくりと開いた。


 全ての視線を集めるような光が、そこには宿っていた。二対のブルーグレーの瞳が、淡い光を放つ。誘蛾灯のような妖しさを含む美しさは、無意識に手を伸ばしそうになる。

 二人が一つ瞬きをすれば、その光はたちまち掻き消えた。誰かがごくりと唾を呑んだ音が、やけに大きく響いた。


「彼らの目は美しいだけでなく、人の資質を見抜く力を持つ……正しくこれが慧眼というものだ」


 その美しさに惑わされることなく、彼らの御眼鏡に適った者こそが、次代の王となる。そうしてこの国はふさわしい者のみが王座に座り続け、数百年もの歴史の間揺らがずに存在し続けてきた。


「コメット嬢がお前の婚約者となったのは、お前が王太子の器ではないからだ」

「え……?」


 間抜けにもハーヴィーは口を開けて硬直する。当たり前だろう、とアイザックは追撃する。


 慧眼を受け継いだ者は必ず王家の近くに召し上げられる。ルーカスは男であったために当主となり、現王の執事として。令嬢であるメアリーは王族に嫁入りするという形で王家に連なることとなる。

 次代の王にはメアリーの弟で次期当主であるアンリが執事として仕える予定なのだ。この上でメアリーまでもが次代の王の妃となればコメット家に権力が集中しすぎるのである。それを避けるためにメアリーは王になり得ない王族と婚姻しなければならないのだ。


「慧眼に頼らずともわかり切ったことだろう。態度ばかり大きく、実力も伴っていない。サボり癖すらあり、更には婚約者がいるにも関わらず浮名を流す不誠実なお前が、どうして王太子に選ばれるなどど?」

「でも、だ、だってオレは、第一王子、で」

「大丈夫ですよ、第一王子殿下」


 どこまでもやわらかな声がハーヴィーの喉を詰まらせる。ルーカスは優しく優しく()()()()()()()()を告げるのだ。


「向き不向きは誰にでもございます故。貴方は人の上に立つにはあまりにも向いておられません……ですが、貴方には弓の才がございました。故に、メアリーとの婚姻後は国境近くの領地にて防衛に携わっていただくご予定でした」


 当然この話も婚約時に通達済みではある。しかし、ハーヴィーは与えられた訓練を厭ってしまい、この話すらもすっかり忘れていたのだ。


「もっともその才覚も相当に錆び付いておいでのご様子……領地の運営も出来るかどうか」


 ルーカスが目を細める。正しく値踏みをしている視線だった。どうしたものか、とアイザックが呟く中、不意にメアリーが口を開く。


「でも、お父様。ハーヴィー殿下には素敵なお友達がいらっしゃいましてよ」


 ねぇ、とメアリーが水を向ける先は両脇で縮こまっているイアンとジャック、ソフィナの三人だ。輝く目で静かに彼らを見つめ、にこっと笑みを浮かべる。ルーカスに似て、とろけるような美しさであった。


「幸いイアン様はハーヴィー殿下()()()領地運営の才がございますわ……ジャック様も御父君には遠く及ばないものの、()()()()()剣の才はおありのご様子。ソフィナ様は……」


 メアリーは言葉を区切り、目を細める。そうして少し考え込むように小首を傾げて見せた。


「とてもお美しくていらっしゃるもの、きっと御三方の癒しになってくださいますわ」


 ふっ、とカルロとジークが冷笑を零した。顔の造形で言えば、ソフィナはメアリーに遠く及ばない。イアンもジャックもこんな穴だらけの計画を実行に移してしまうほどに愚かだ。ハーヴィーは言わずもがな。

 しかし、この評価は慧眼を持つメアリーによるものなのだ。


「我が愚息へのもったいないほどの心遣い、痛みいる。コメット嬢の采配通り、この四人は国境近くの領土の管理を任せよう……当初の予定よりも小さい土地とした方が良かろうな。王家から監視もつけよう」

「それは……っ」


 ハーヴィーはこの期に及んで何か反論しようとしていたが、アイザックが一睨みして黙らせた。


「お前たちも、異論ないな?」


 カルロとジークも自分の息子を睨み下ろす。言葉を発することも出来ないまま、数秒が過ぎた。

 そうして采配が下されたのである。


 ハーヴィー、イアン、ジャック、ソフィナの四人は卒業を待たず、学園を退学することとなった。表向きは領地経営のノウハウを現地にて学習するためとされている。彼らは王家から配置された人員に見張られつつ、それぞれに与えられた役割を何とかこなしているらしい。


 一方のメアリーは改めて王家へと入るために第三王子ステファンとの婚約が決まった。二つ年下の彼とはうまく関係を築いていた。彼には商才があることから、卒業後は王家直轄の領地の一つを譲り受け、事業を立ち上げる予定である。


「兄上たち、何とかうまくやってるみたいだよ。君の言った通りだね、メアリー?」


 定期的に開かれるお茶会でステファンはいたずらっぽく笑った。メアリーは紅茶で喉を潤しながら微笑む。


「すべては殿下たちの才能によるものですわ。わたくしは何も」


 実際慧眼はその人が持つ才能や資質を見抜くだけのものだ。その才をどのようにして磨くか、どのように采配すればよいかまでは分からない。そしてメアリーがあの時言った言葉に嘘は一つもないのだ。


「ね、僕も王様には向いてないの?」

「……いえ、向いていないわけではございません。第二王子殿下が特別優れておいでなのですよ」


 ふーん、と相槌を打ったステファンが行儀悪くカップを揺すって琥珀色の水面を波立たせる。


「それ聞いた僕が第二王子を殺して王座に座ろうとする、とか思わないの?」

「えぇ、思いません」


 さらりと流され、ステファンは目を見開く。勿論、そんな風に考えたことなどなかったが、メアリーがあまりにもきっぱりとそう言うものだから面食らったのだ。


「ステファン殿下に人殺しの才はありませんので」


 ふは、とステファンが零れるように笑った。


 才があろうが向いてなかろうが、絶対に出来ないというわけではない。だが、この美しい慧眼に見つめられてその期待を裏切ることなど、到底出来そうにはなかった。

 テーブル越しに手を伸ばして、メアリーの目元を撫でる。僅かに赤く染まったそれはひどく愛おしく、離れがたいものだった。


「兄上には魅了を防ぐ才能があったのかもしれないね」


 冗談めかしてそう言ったステファンに、メアリーは鈴の音を転がして笑っていた。

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― 新着の感想 ―
なるほど〜〜!! 跡取りにしないための特別な結婚の契約…とは、面白い所に着地したなぁ…!と驚く展開でした。王太子になるための婚約の話はよくありますが、ならないための婚約って面白いです。 それぞれの処遇…
婚約破棄モノ、婚約破棄してくる王子があまりにもアホなのになんで今まで王太子だったんだろうってことが結構あるので、元から第一王子を王太子にする予定はなかったというのは納得感があって良いですね…面白かった…
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