努力できない人のこと。なんて表わす?
僕はこうこういちねんせい。
広い世界のなかで生活をするだけの、
ただのふつーのこうこういちねんせい。
だから、太宰治や芥川龍之介のように、
文豪のように、美しい文字の連なりが書けない。
でも、そんな書き方をしなくても、伝わればいいんじゃないかって。そう思うことも多々ある。
でもどうせ文字を書くんだったら、きっと
美しいに越したことはない、とも僕は思う。
じゃあ、もっと綺麗にかけるように努力しろよって?
努力ってさ、才能を超えるための手段~とか、
努力できるのが才能、とかって言われるけどさ。
努力してその際に何も無かったらどうする?
何かあるところまで努力しろって、
そんなことできるような才能は、ふつーのこうこういちねんせいにはありはしない。
きっとすごい小説家とかなら
心にぐっとくるものをかけるんだろうけど。
僕には出来ないや。
結局どんなに努力できる力があってもさ。
才能がある人には勝てない。
だって、才能がある人が努力したら、才能のない人が努力したって到底届かないよね。
こんなのはふつーのこうこういちねんせいにも分かる。
でもさ、冒頭にも言ったけど世界って広くて、そういう難しいことを理解せず、ただひたすら努力をする人がいるんだよね。
そういう人に限って、自分よりもすごくなる。
自分で言うのもなんだけど、ある程度人生は充実してる方だと思う。
でも、難しいことをなんにも考えずに、ただひたすら努力して、努力をしない才能を持つ人を追い抜いた時ってさ、
さいっっこうに楽しそうじゃない?
楽しそうって、そう思うことはあっても、行動には移さない。僕は才能がない側の人間なんだろうね。
周りに僕よりも優れた人が沢山いるのは、周りにただ才能を持った人が多いから?
それとも、僕がただ劣っているだけ??
まあ、そんなことを証明できるのは、世界をもっと知らないとダメだよね。
結局は勉強に行き着いちゃう。
だからまた僕は、勉強以外の逃げ道を探すために、また文字を打つ。
案外、世界って狭かったりするのかな?
この文を見てる人たちは結局何が言いたいんだって思うかもしれないけど
結局、とかつまり、とか簡単に要約させたがる人が多すぎるんだよ。
そんなに結果が大事かな?
僕が作ったよく分からないものから発想を展開させて自分の答えを作ってみるのも、
また醍醐味じゃない?。
って、努力する才能のない落ちこぼれた人間のことを、
ふつーって表すこうこういちねんせいが、
なんかほざいてます。