名前のない夜を越えて
「……流星さ、なんでホストになったの?」
ひかりの問いに、流星は一瞬だけ、笑った。
でもそれは、皮肉とか照れとか、そういう軽いものじゃなかった。
「親父、ギャンブルで全部飛ばして消えた。中3のとき」
「……うわ」
「それから母ちゃん、昼も夜も働いてて。俺も働こうと思ったけど、高校やめてバイトしても、ぜんっぜん足りなかった」
「うん」
「ある日、歌舞伎町で声かけられて。“顔悪くないから、やってみない?”って。で、気づいたらホストになってた」
「……楽しかった?」
「最初は楽しかった。“必要とされてる”って錯覚できるから。でも、だんだん酒に負けて、嘘に疲れて、気づいたら“今日の俺、いくらの価値?”って毎日になってた」
「……やめたかった?」
「うん。ずっと。でもやめらんなかった。何かに縋らないと、自分っていう形が保てなかった」
ひかりは、どこか自分の姿を重ねていた。
縋るために人に近づいて、でも心の距離はずっと遠くて。
それを流星も、知っていたのだと思う。
「じゃあ、ひかりはさ。家出してから、どうやって生きてたの?」
流星の問いに、ひかりは少し考えてから答えた。
「最初は、ネットの掲示板。『泊めてくれる人募集』ってやつ」
「……そっか」
「ご飯食べさせてくれたり、優しいフリする人もいたけど、大体そのあとベッド誘われるの」
「……」
「嫌なことされたら逃げる。でも、逃げる場所なんてない。だから、我慢する日もあった」
「……っ」
「でも、それでも帰るよりマシだった。だって、あそこにいたら、“あたし”が壊れていくの分かってたから」
「……そういうの、全部抱えて、ここまで来たんだな」
ひかりは流星の目を見て、小さく笑った。
「うん。でもね、流星に“ただいま”って言えたとき、ちょっと救われたんだよ」
「俺もさ、お前が“おかえり”って言ってくれるとき、初めて自分に居場所できた気がした」
「……似てるのかもね。壊れそうになった場所も、逃げてきた理由も」
「だから、俺たち、ちゃんと向き合えたんだな」
部屋は静かだった。
でも、その静けさの中には、確かに温度があった。
他の誰かに語れなかった過去を、語れる人がいる――その奇跡が、心をあたためていた。