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第1話 俺は殴ると決めた



『これは勝負あったかッ!?』

 舞台上でモニターが煌々と光を放つ。その大きさは表示されるファイターが実物大になるほどだ。ここは日本最強の高校生格闘ゲーマーを決める舞台。それにふさわしい設備だ。

 そのモニターの前には向かい合うゲーム筐体が二つ。そこに座する二人の高校生。互いに顔は見えないが、画面の中で火花を散らし、にらみ合っていた。

『さぁ追い込まれた仙道せんどう選手、どう動くッ!?』

 舞台の正面右側に座る青年は呼吸すら忘れ、プレイに没頭していた。赤いグローブのファイター「黒龍ヘイロン」を巧みに操作する。

(動くのは俺じゃない……!)

 仙道の勝機は絶望的だった。対戦相手の体力ゲージが六割ほど残っているのに対し、仙道はミリ単位でしか残っていない。一撃でも食らえば即KO。たとえガードしても削られて終わってしまいかねない。

 仙道の取った行動は遠距離攻撃の連発。相手は遠距離技を持っていないため、これで少しでも体力を削りたい。

龍衝波りゅうしょうは連発ーーッ!!』

『だが通用しないッ!!』

 しかし、相手も決勝に勝ち進んだ強者。完璧なジャストガードを決めてノーダメージでやり過ごす。仙道は徐々に距離を詰められ、画面端の方へと追い込まれる。

『おおっとォーーッ!?』

 モニターに相手ファイターが大々的に表示される。

『ここでェーー、雷神虎咬脚らいじんここうきゃくーー!!』

 必殺技の発動。相手ファイターが雷を纏い、無敵状態となって距離を詰める。止める術はない。だが、避ける方法はある。

『仙道、ジャンプーーッ!!』

 直進する攻撃ならジャンプで避ければいい。そのまま背後を取り逆転。と、いきたいところだが……。

『無慈悲なアッパー入力ーーッ!!』

 当然、相手もその行動を読んでいる。直前でアッパーコマンドを入力し、対空技に切り替えていた。強烈な蹴り上げが黒龍ヘイロンへと迫る。

 だが、体力ゲージは動かない。

『空中ブロッキングーー!?』

 空中でのガードは地上のそれとは比にならないほどに難しい。純粋に入力フレームが短いうえ、空中での姿勢や距離によってタイミングが大きく変化してしまうからだ。

 無論、ここまで勝ち上がってきた者であれば習得している技術だ。だからこそ、彼らには信じがたい光景だった。

『ブロック、ブロック!! まだブロックッゥ!?』

 雷神虎咬脚らいじんここうきゃくは全部で十六連撃の必殺技だ。その半分以上を仙道は空中ブロッキングで防いでみせた。そして攻撃範囲から抜け出して着地する。

『仙道掴むゥーーッ!!』

 必殺技後の硬直時間、そこが逆転劇の開幕時間だ。相手の着地する瞬間を見計らって掴む、そしてすかさず叩きつけからのアッパー。相手の反撃、ガードを許さない速攻コンボだ。

『からの龍月輪りゅうげつりんーーッ!!』

 空中へ浮き上がった相手に空中縦回転蹴り。着地させることなくコンボを継続する。

 そして、ファイターカットイン。

 黒龍は右拳を大きく振りかぶる。その拳に青い閃光が集い、爆ぜた。

『かァーらァーのォー我龍天征がりょうてんせいーーッッッ!!!!!』

『決まるのかァーーーッッッ!!??』

 その衝撃で加速した黒龍の拳は光の線を描きながら相手へと突き刺さる。

 ガードができる体勢ではない。ヒットによって相手の体力が減っていく。残り二割、一割……。

(届いてくれッ……!!)

 熟練者であった仙道にとっても、倒せるかどうかは際どいラインだった。もし倒しきれなければ、今度は自分が着地を狩られる。

 必殺技が終了し、ファイターが落下し始める。そして画面に表示される二文字。

『KェェェOォォォーーーッッッ!!!!!』

『まァーさァーかァーの逆転劇ィーーーッッッ!!!!!』

『優勝はァーーーッ!!』

仙道龍真せんどうりょうま選手だァーーーッッッ!!!!!』

 会場全体に割れんばかりの歓声が響き渡る。その衝撃が、熱が、龍真に勝利を実感させた。

「ッッッしゃァあーーー!!!!」

 天高く突き上げた拳が震える。緊張からの解放、勝利の快感が魂すらも揺さぶっていた。

(俺が最強――ッ!!)

(この感覚、最ッ高だ……!!)

『それではトロフィーの授与に移りましょう!! 仙道選手、舞台前方へどうぞ!!』

 龍真は高ぶる気持ちを抑えてゆっくりと立ち上がる。これはライブ配信もされているグローバルな大会だ。興奮したまま変なことを口走ろうものなら炎上しかねない。

(平常心、オーケー、平常心……。)

『えー、今回はなんと!! あのお方に!! 授与をお願いしたいと思います!!』

 それに呼ばれて舞台端から姿を現したのは細身の男性。物腰柔らそうな、少し照れくさそうな足取りで龍真の方へと向かってくる。

「うっそだろォッ!?」

 龍真の動揺と同じく、会場全体が動揺に包まれる。一見すれば普通の男性。だが、この会場において彼を普通呼ばわりする者はいない。

「初めまして、梅井吉博うめいよしひろです。」

 龍真よりもずっと年上だが、梅井は丁寧に頭を下げて挨拶をした。それにつられる形で龍真は何度も頭をぶんぶんと下げた。梅井はそれを見てほほ笑むと、今度は観客席の方へと視線を向けた。

「えー、突然知らないおじさんが出てきて戸惑っている方もいらっしゃるかと思うので、少しだけ自己紹介させてください。」

「私は普段、ゲームを作ってます。代表作は……これ、ですかね。」

 梅井は振り返って後ろにあるゲーム筐体の方に手を向ける。タイトル画面に戻ったモニターには「覇王拳Ⅵ」と表示されていた。

「覇王拳は私が友人と作り上げた最高傑作です。これほど愛されていること、とても嬉しく思います。ありがとうございます。」

 梅井が頭を下げると拍手が鳴り始める。だが、彼はそれを制止した。

「今日の主役は仙道君です。その拍手はぜひ、彼のためにお願いします。」

 梅井は実況者から差し出されたトロフィーを赤子を抱くかのような慎重さでしっかりと手に取る。

「優勝おめでとう、仙道龍真君。」

 梅井の手から龍真へとトロフィーが差し出される。龍真はそこへ手を伸ばそうとするが、止まらない手汗を拭うため一度引っ込めた。そして一息吐き出して気持ちを整える。

「ありがとう、ございますッ……!!」

 龍真はトロフィーを両手に抱える。想像よりもずっと重いそれにバランスを崩しそうになるが、とっさに身をかがめて体を安定させる。この重さが夢見心地の気分に現実感を与えていた。

(こんなに嬉しいことってあるのか……?)

(俺、今日死ぬかもしれんな。)

「仙道君。」

「……!! はいっ!!」

 梅井に呼びかけられ、現実から離れていた龍真の思考が呼び戻された。

「初めて見たよ。ここまで黒龍ヘイロンを使いこなす人は。」

「友人も喜ぶ。ありがとう。」

 思いもよらぬ誉め言葉。尊敬、いや崇拝の領域まで達する相手からの。

(あ、俺今日死ぬわ。)

 これ以降のことはあまり覚えていない。そのくらい強烈な体験だった。


 大会の帰路。東京から新幹線で名古屋に帰り、そこから在来線に乗り換えてかれこれ二時間。すっかり日も傾き、夕焼けも夜に染まろうとしていた。地元に帰ってくる頃には龍真は、大会の時とは別人に見えるほどくたびれていた。

「疲れたぁ~~~、寝てぇ~~~!!」

 龍真はトロフィーを抱えながら、一歩一歩重い足取りを進める。予想よりも大きかったため、カバンに収まらなかったのだ。おかげですれ違う人の目を集めて少々恥ずかしい思いをしている。

(まぁ恥じるようなものではないんだけどな。)

 憧れの人から受け取った、勝者の証だ。恥じることなど無い。胸を張って歩こう。そう思い、顔を上げた瞬間だった。

 目の前の歩行者信号は赤。それに気づき、龍真は足を止めた。だが、その横を子供が通り過ぎた。

(は? 何考えて――!?)

 突然の出来事に龍真驚き、子供の行動に意識を集中させる。子供の視線の先には白と黒の物体、サッカーボールが転がっていた。

 嫌な予感がした。

「おい待てッ!!」

 人生において、幸福と不幸の量は同じだという話がある。それが本当かは分からないが、幸福というものが永遠に続くものではないというこは誰もが知っているだろう。

 龍真は駆け出し、子供の方へと向かう。だがそれは彼だけではない。大型トラックがそれを遥かに超えるスピードで子供へと向かっていた。

(クソッ、間に合えッ――!!)

 龍真は片手を伸ばし、子供を掴もうとする。二人とも助かるには、抱え上げて走り抜けるしかない。そう考えた龍真はトロフィーを捨て、もう片方の腕も伸ばす。

 だが、それではもう間に合わない。トラックはブレーキを踏んでいるようだが、それでも止まりきらない。格ゲーで鍛えられた動体視力が、そう告げていた。

「それでも、諦めきれねぇッ――!!」

 頭をよぎったのは大会の、あの試合だった。絶望的な状況。誰もが龍真の敗北を確信した中で、彼だけは自分を信じた。諦めなかった。だから勝利の女神はほほ笑んだ。

「届いたッ!!」

 龍真の片手が子供の背中に触れる。そして間髪入れずに全力でその背中を押した。

「俺の、勝ちだッ――!!」

 子供の身体はバランスを崩すものの、歩道へと転がり込んだ。

 直後、龍真の身体は交差点へと弾き飛ばされた。


(なんだよ、意外と痛くねぇな。)

 どれだけ時間が経過したかは分からない。だが死んではいないようだった。

(割と軽傷だったりするのか?)

 龍真は立ち上がろうとするが、身体は微動だにしない。力が入らないというよりも、手足という感覚が無かった。

(あれ? ここ道路だよな?)

(なんで真っ白なんだ?)

(まぁいいか。)

(眠てぇし、寝よう。)

 白かった視界が徐々に黒くフェードアウトしていく。

「キミッ!! 聞こえるかッ!! 聞こえるなら返事をしてくれッ!!」

 大きな声だった。眠るにはうるさい。

「し……ず……、」

「意識がありますッ!! 呼吸もまだ止まってませんッ!!」

 龍真には誰かは分からなかったが、自分を助けようとしていることは分かった。それはつまり、自分が瀕死であることを意味していた。

(あぁ、俺、死ぬのか。)

(そりゃあ死ぬよな。トラックに轢かれてんだから。)

 死を悟った龍真に後悔はなかった。優勝して、憧れの人に認められたて、自分が最強だと証明できた。それで十分。

(俺が、最強……?)

 死の間際になって、龍真に欲望が生まれた。

(轢かれて死ぬくらいの強さが、俺の憧れた最強なのか?)

(俺が憧れた強さはもっと、超人的な……ヒーロー……みたい、な……、)

 とうに五感は失われ、最後に灯っていた意識の火さえも揺らいでいる。何も考えられなくなる。

「死してなお、強さを求めるか……。」

「ならば来い、強者の世界へ。」

 不意に声を感じた。だが返事はできなかった。すでに火は消えてしまっていた。

 残されたのは赤く染まった身体と、二つにへし折れたトロフィーだけだった。



 新緑に包まれた森の中。心地の良いそよ風が木々を揺らし、木漏れ日が星のように瞬く。

 しかし、龍真はそれに気づかない。生い茂る草花が心地の良いベッドとなり、深い眠りについていたからだ。

 だが、その快眠を妨げる者がいた。

「ねぇ、生きてる?」

 木の幹の後ろから僅かに顔を出す少女。その表情は龍真に対する心配ではなく、警戒を示していた。

「ねぇーってばー!」

 少女は呼びかけるが返事はない。しかし、龍真の胸の動きから、呼吸をしていることは理解できた。

「こんなとこで寝てたら危ないってぇーっ!」

 が、やはり返事はない。

「はぁ、もういーや。」

「どーなっても知らないからぁーっ!」

 少女にとって龍真は知り合いでもなければ、敵か味方かすらも分からない。そんな相手にこれ以上の善意は向けられなかった。

 少女はきびすを返すと、龍真を置いてその場を後にした。の、だが。

(仙薬だけ飲ませておこうかな。)

(元気とは限らないわけだし……。)

 数分も経たないうちに戻ってきた。右手にはヒョウタン、左手には長い木の枝が握られていた。相変わらず木を盾にしながら様子を見る。木の枝で龍真の頬をつついてみたりしながら起きそうにないことを確認すると、ヒョウタンの栓を抜いた。

 そして、片手で多少強引に龍真の口を開かせると、ヒョウタンから滝のように龍真の口へと仙薬を流し込んだ。

「ブふぅーーーッッッ!?!?」

「ニ゛ャ゛ーーーーッッッ!?!?」

 唐突に口の中に液体を注ぎ込まれ、反射的に目を覚ます龍真。何度か咳き込んだのち、周りを見回してその犯人を探した。

「誰も、いない……?」

 四方八方、上下左右前後、あらゆる方向に目を向けたのだが、人影一つない。しかし、誰かがいたのは確かだ。口の中に残る、桃の香りがそれを証明している。

「まぁ、今はいいか。」

「それより、ここはどこだ?」

 改めて周囲を見渡すが、全く見覚えがない。森に詳しいわけではないため場所は分からないが、少なくとも広大な森であることは予想できた。

「スマホは……無い……。」

「カバンすらねぇ……。」

「てか、なんだこの格好は。まるで――、」

 とにかく手当たり次第に情報を集める、その最中だった。

「ニャァーーーー!!!!」

 聞き覚えのある悲鳴、そしてカラカラと何かが鳴る音が聞こえた。

「こっちかッ!?」

 龍真はすかさず飛び起きて音の方へと駆けた。


「なんか、妙だ……!!」

 走る龍真は自身の身体に違和感を覚えていた。それは痛みや不快感などではない。むしろ、その逆。羽のように身体が軽く、風のように前へと進んでいく。その速さは既に人間のそれではない。電車から外を眺めた時のように景色が後ろへと流れていくのだ。ゆえに、目的地にたどり着くのに時間は必要なかった。

「大丈夫かッ!?」

「ニャっ!?」

 地を滑り土煙を巻き上げながら龍真は停止する。

 彼の目に映ったのは、片足を拘束され逆さ吊りになっている少女。黒いタイツの足がスラリと伸び、重力で捲れそうになる赤いチャイナドレスの裾を両手で抑えている。豊満な胸でありながらも、童顔と桃色の髪、三つ編みのツインテールがあどけなく、天真爛漫な雰囲気を醸し出していた。

 だが、もっと注目すべき特徴がある。

「ニャぁ~~~助けてぇ~~~!!!!」

 宙吊りの彼女が抜け出そうと暴れ、振り子のように揺れる。それに合わせるように、細長い桃色の尻尾が揺れているのだ。飾りではない。明らかにバランスを取るために動いている。

 そして頭頂部。赤い布の飾りに覆われている、猫耳のようなものが存在していた。それもまた、周囲の音を聞き取るように、せわしなく動いていた。

「俺は、夢でも見ているのか……!?」

 自らの身体に起こった異変、獣人と思わしき少女、夢でもなければ説明がつかない。

「はぁーやぁーくーーーッ!! 早くしないとアイツらが来ちゃう!」

 龍真は思い出す。悲鳴とともに聞こえた、何かが鳴る音を。

(音の正体はこれかッ!)

 少女を吊り下げている縄の根元を目で追う。そこにあるのは竹で作られた警報装置、鳴子なるこだ。

(罠にかかったことを知らせる仕掛けか……!!)

(急がないとヤベぇッ!!)

 龍真は一歩を踏み出す。それと同時だった。

「引っ込んでろ、ガキが。」

「こいつは俺様の獲物だ。」

 穏やかな森に似合わぬ、威圧的な重低音の声。緊張が走る。

 姿を現したのは腹の出た肥え太った男。だが、それ見合う太い手足は筋肉の形をハッキリと露わにしている。間違いなく武人の体格だ。

「あのー……これ、解いてくれたりー……しません?」

「間違えて引っかかっちゃったー……みたいな?」

 逆さ吊りの少女は肥えた男の方にも助けを求めた。だが、なんとはなしに望み薄だと分かっているようで、恐る恐る、言葉を選んでいる様子だった。

「ククっ、間違ってねェさ。なーんも間違ってねェよ。」

 肥えた男はかがんで少女と顔を近づけると、にんまりと下卑た笑みを見せる。そして、ゆっくりと左腕を伸ばすと、無防備な少女の胸を鷲掴みにした。

灰猫フイマオちゃん、つ・か・ま・え・た♥」

 逆さ吊りで頭に血が上るはずの灰猫フイマオの顔が青ざめる。そして、龍真は理解した。この男は倒すべき悪だと。

「その汚ねぇ手を放せッッッ――!!!!」

 龍真は跳ね上がった身体能力を駆使し、肥えた男の右真横につく。

「歯ァ食いしばれよッッッ!!!!」

 振り上げた右拳が肥えた男の顔めがけて放たれる。一言で言ってしまえば、ただのパンチだ。だが、放つ衝撃で風が巻き起こり、木々が騒めき揺れる。それを直撃で受けた肥えた男は弾き飛ばされ土草を散らし、木に衝突することでようやく停止した。

(ヤッベぇ!! やりすぎたっ!!)

 さすがにこの威力は想定外だった。悪漢といえども殺すつもりなどない。

「おい! 大丈――!!」

 龍真が心配して駆け寄ろうとした瞬間、空を切る音が耳に届いた。目で見る余裕はない。彼は反射的に身体を後ろに反らせた。そして、すぐさま、彼の眼前を鋭い物が貫かんとした。

(ナイフかッ!?)

 寸前で躱されたナイフは木の幹に深々と刺さった。その反対側に投げた奴がいる。そう考え、視線をそちらに向ける。その過程で気が付いた。

(クソッ、囲まれてやがるッ!!)

 幹の陰に潜んでいた男たちがぞろぞろと姿を現す。鳴子の音は集合の合図でもあったのだ。

「よくも、やってくれたじゃねぇか……!!」

「バカなッ……!?」

 殴り飛ばしたはずの肥えた男が再び立ち上がった。あの威力だ。人間では絶対に耐えることなどできないはず。

(なるほど。俺だけ特別、ってわけじゃあねぇのか。)

(この強さが普通ってわけだ。)

「つまり……、」

「遠慮はいらねぇ、ってことでいいんだな?」

 龍真は幹に深々と刺さったナイフを軽く引き抜くと灰猫フイマオの方向へと投げた。

「ニ゛ャ゛ァ゛ーーーー!?!?」

 無論、縄を狙った。投擲されたナイフは縄をソーセージかのように切断し、灰猫に自由を与えた。意外にも彼女にそれ以上の助けは不要だった。彼女は両手で地面に着地すると、身体を前方へと大きく反らし、ブリッジの要領で立ち上がった。

(身体、柔らけぇ……!!)

謝謝しぇいしぇいニャ!!」

 灰猫は両手で拳を作ると、それを身体の前で合わせ、頭を下げる。どうやらこれがこの場所での感謝の示し方らしい。

「あ、あぁ、しぇいしぇい……?」

(もしかして中国まで飛ばされてるか俺はっ!? パスポートとかねぇぞ!?)

(頼む、夢であってくれェーーー!!!!)

 自分の置かれた状態に戸惑う龍真だが、敵は待ってはくれない。平然と、堂々と、四方から波のように拳が襲い掛かってくる。

「ハァッッッ――!!」

 だが、そのどれもが届かない。拳、肘、足、膝、龍真はあらゆる部位を駆使して強烈な一撃を叩き込んでいく。しかし、敵は一向に減る様子がない。

(こいつらタフ過ぎんだろっ!?)

 敵の数は十二人程。しかし、数発攻撃を叩き込んだ程度では平然と立ち上がって来るのだ。

「クッハッハァーーーッッッ!! 所詮ガキかッ!!」

 観戦を決めていた肥えた男が龍真へと殴り掛かる。両手を握り、ハンマーのように叩きつける技。大ぶりな攻撃で回避は容易、と言いたいが、周囲を囲まれ逃げる隙間がない。

(見極めろッ!! 攻撃の瞬間をッ!!)

 龍真のタイミングは完璧だった。寸分違わぬ行動でガードに成功した、はずだった。

「がァッッッ――!!!!」

 龍真の身体が大きく後退する。両足で踏ん張り倒れることこそなかったものの、意趣返しと言わんばかりに木の幹に叩きつけられた。

(なんつぅ、威力だ……!!)

 両腕が焼けた鉄を押し付けられたかのように熱い。骨は折れていないようだが、痛みで指が震えていた。

「どォだ、どォだッ!!」

「俺様の必殺技、轟山破岩拳の威力はァ!!」

 肥えた男は拳を見せつけるように掲げ、勝ち誇った笑みを浮かべる。

「聞いて驚くなよ、俺様の名前をッ!!」

「俺様は饕餮トウテツッ!! 四凶拳しきょうけん最後の生き残りにして、最凶の男ッ!!」

「それでもまだやるかァ?」

 周りの男たちは同調するように龍真をあざ笑う。勝てるわけがない、降参しろ、そんなつまらない言葉を口々に言った。

「なおさら、やりたくなったぜ……!!」

「来いよ、最凶ッ!! 次はテメーをブッ飛ばすッ!!」

 龍真はガードの構えを解いて右拳を大きく後ろに振りかぶる。

「今度こそ死ねェッ、クソガキィィィ!!!!」

 饕餮トウテツはその体躯に似合わぬ加速で龍真へと迫る。

「……我、龍と成りて天をく。」

 龍真には一つの確信があった。初めに切っ掛けとなったのは、自分の服装だった。両腕にはめられた赤いグローブ。何千回、何万回と見たグローブだ。さらには超人的な身体能力と格闘技能。そして、饕餮が口にした「必殺技」という言葉。全ての点が繋がり、線となる。

(きっとこの世界は夢だ。あまりにもゲーム過ぎる。)

(だからこそ、夢みたいなことができる……!!)

 龍真が振りかぶったその拳。そこに青い閃光が集中する。

「な、なんだこの技はぁ!?!?」

 その光のあまりの眩さに、思わず饕餮は足を止める。直観的、本能的に敵わないと身体が理解してしまった。

 そして、青い閃光は爆ぜる。

我龍がりょう――ッッッ!!!!」

てんせいーーッッッ!!!!!」

 その衝撃で加速した龍真の拳は光の線を描きながら、饕餮の腹部へと突き刺さる。

「グアッハァあッッッ!?!?!?」

(こッ、こいつなら、本当に――ッ!!)

 撃ちだされた弾丸のように饕餮の身体が弾き飛ばされる。その勢いで木に叩きつけられるが、その程度では止まらない。何度も何度も衝突し、木をへし折りながら減速していく。完全に停止したのは、あの巨体が豆粒に見えるほど遠くになったころだった。

 そのあまりの威力に周りの男たちは唖然とし、状況を理解できないまま立ち尽くしていた。

「まだ、やるか……?」

 その言葉は饕餮に向けたものだった。この世界の人間が相当頑丈であるのは、饕餮の肉体が形を保っていることからも理解できる。もしかすると、まだ戦う気力が残っているかもしれない。そう身構えていた。

「か、勘弁してくれっ……!!」

 周囲の男たちは今度は自分たちの番だという風に解釈したらしい。饕餮のことなど我関せずというように散り散りに退散していった。

「ふぅ、一件落着か。」

 流石に疲れを感じた龍真はその場に胡坐をかいて座る。

「てか、あの猫どこ行った?」

 ふと思うと、戦闘前に助けたっきり一度も姿を見ていない。もっとも、戦えるようには見えなかったため、ずっと居座られても困ったわけなのだが。

「道とか聞き損ねたなぁ……。」

 ゲームのようにボスを倒してクリアで街に戻る、とはいかない。そもそも当初の目的は街などの人のいる場所へ行くことだった。饕餮を倒したところで何の進捗もない。

(あのおっさん、まだ意識あるか?)

 現状で見つけられる人間は饕餮だけだ。だが遠目で見る限り、微動だにしない。あてにはならならないだろう。

(やっぱあの猫を探すしかないか。)

 先ほどまで青かった空も夕焼けに変わりつつあった。このままだと夜の森で野宿になってしまう。もしも他にもゴロツキがいるのなら、安心して眠れやしない。急いだほうがいいだろう。

「おーい、猫の人ぉー! いるなら返事してくれー!」

「にゃん?」

「うぉあッ!?」

 突如として逆さの少女が目前に現れる。鼻がぶつかりそうなほど近く、驚いた龍真は思わず尻もちをついた。

「もっと普通に出てこいよ!」

「にゃ~、そう言われてもぉ……ねぇ?」

 猫の少女は気まずそうに目線を反らす。

「お前まさか……!」

 少女の足先の方には縄が絡まっていた。

「またかよォ!!」

「罠は多い方が捕まえやすいからね~。」

「少しは反省しろ!!」

 結局、投げたナイフを探し回り、見つけるまでに日は沈んでしまった。


「痛ってェなチクショウッ……!!」

 夜の森の中で饕餮トウテツは目を覚ました。夜といえでも漆黒の闇ではない。街中では気づかないが、月明かりというものは想像以上に明るいものだ。

 龍真のあの一撃を受けてなお動くことができるのは、仙人ゆえの頑強さと回復力のおかげだ。この世界において、人は容易には死なない。

「キミ、誰にやられたの?」

「……あぁ?」

 姿は見えないが男の声が聞こえる。その声色に敵意は感じられず、子供に話しかけるような柔らかい、とらえようによっては見下しているような話し方だった。

「関係ねぇだろうが、殺すぞ。」

 饕餮にはその口調が癇に障った。ただでさえ見下した相手に敗北を喫して機嫌が悪いのだ。殺気が口から洩れる。

「俺の嫌いなタイプ、教えてあげよっか。」

 木々が風に揺られ騒めき始める。その葉の隙間から差し込む月光が、その男の輪郭を露わにした。

「ま、まさか……ッ!!」

 饕餮はその姿を知らない。だが嫌というほどにその恐ろしさを聞かされていた。

「一つ、」

 瞬間、饕餮の脇腹に鋭い痛みが走る。

「質問に答えないやつ。」

「かハッッッ――!!!!」

 蹴り飛ばされた饕餮は受け身も取れず、木に打ち付けられる。しかしそれは倒すための攻撃ではない。壁打ちのようにコントロールされ、彼の身体は再び男の前に転がる。いたぶるための攻撃だった。

「が、ガキだった……!! 赤い手袋をつけた男だッ!!」

 死を感じ取った饕餮は、必死に今できることを考える。

「どこに行った?」

「……ッ!! た、たぶん西門せいもんッ!! 西門の方だッ!!」

白虎バイフーの猫女もいたからッ……!!」

 饕餮は考えうる可能性を絞り出した。知らないなどと答えればなにをされるか分からない。

「ふぅん。確かに、可能性は高そうだ。」

 その男は考えるように顎に手を当て、目線を西の方角へと向ける。

「二つ、」

「あガァぁッッッ!?!?」

 今度はかかと落とし。後頭部を蹴りつけられ、饕餮の顔に土がつく。

「抵抗しないやつも嫌いだ。」

「十分隙はあっただろうに。」

 ほんの少し視線を外しただけ。それを男は隙と断じた。

(い、イカれてやがる……!!)

(これが本物のッ……!!)

四凶拳しきょうけん饕餮トウテツッ――!!)

「せっかくだ。キミの力も喰っておこうか。」

 真の饕餮は腰に下げたヒョウタンの栓を抜いた。

「ご賞味あれ。」

 そして、足で肥えた男を頭を横に向かせると、口へ仙薬を流し落とした。

「ウゥぁッ!! アァァァあああッッッ――!!」

 その味は最悪だった。生臭さと鉄臭さ、腐臭さえ感じる。それらが過ぎると痛みが襲い掛かる。文字通り針千本飲むような激痛。全身の痛覚という痛覚が刺激され瞳孔が限界までかっ開く。

 これは、代償だ。

「ア゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ァァァッッッ!!!!!」

 地に伏していたはずの肥えた男が消えた。

「おっと!」

 月明かりが生み出した残像が消えるよりも速く、その拳は振るわれた。空を切った音は、もはや破裂音と表現した方が正しい。

「ウゥゥゥアアアアアァァァァッッッ!!!!!」

 すかさず放たれた裏拳。歪な銅鐘を打つような、人の心をかき乱すような重たい音が森にこだまする。

「自惚れるなよ、三下。」

 裏拳は確かに命中した。だが、饕餮の髪の毛一本すらも揺れ動かない。

「殺す気ないならさ、」

「殺すよ?」

 その眼光、本気の殺意。恐怖に射抜かれ、肥えた男は一瞬硬直する。だが、その感覚も消え失せる。もはやその男は戦うことしか考えられない。

「ゴォォォォォザンンンンン――ッッッ!!!!」

 肥えた男は両手を握り、木々を見下ろすほど高く跳躍する。

 そこから重力を上乗せして加速する。だがそれはオマケに過ぎない。脂肪が抜け落ち、血走った血管が浮き出した腕。それは足よりも太く、身長よりも長く発達、いや化けた。

「ハガンッッッケンッッッッッ!!!!!!!」

 その剛腕の破壊力は龍真との戦闘とは比べ物にならない。岩どころか、大地にすら砕く一撃。打ち付けた瞬間、空気が揺らぎ、震える。

「いいねぇ、それ。」

 だが、饕餮を砕くには遠く及ばない。その殺人的一撃を、饕餮はパスされたボールのように軽々と片手で受け止める。そして、始めのように地面へと叩き伏せる。

「こんな感じ、かな?」

 饕餮が跳躍すると、瞬く間にその姿は目視できなくなる。そして、一瞬、星のような閃光が夜空を照らした。その直後、彼の身体が流星のように地上に落ちる。

轟山破岩拳ごうざんはがんけん。」

 空気を突き破る轟音は拳よりも遅かった。固く握られた両手という名の鈍器が、肥えた男の頭蓋骨を砕く。血しぶきとともに、土も、草も、花も、樹木でさえ空に放たれる。その衝撃の中、ただ一人の男だけが平然と立っていた。

「デザートが食べたいな。」

「西門、行く価値はありそうだ。」

 土煙が晴れる頃、抉れた大地の上には誰の姿もなかった。


「本当にここ、登るのか……!?」

 龍真の目の前には、首が痛くなるほど高く立ちはだかる断崖絶壁。

「だって急がないと閉まっちゃうもん。」

 戸惑う龍真を気にも留めず、灰猫フイマオはひょいひょいと身軽な動きで崖を登っていく。

「ここが一番近道なんだよ?」

「西門に行くならね。」


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