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三頁 訪問者

 まったく、人間という生き物はどうしてこうも愚かなのだろうか。

 先日、城へやってきた<訪問者>について、書かずにはいられない。


 品質の高い砂利が敷き詰められた庭に、静かなエンジン音を奏でながら黒のプリウスを乗りつけてきた彼――訪問者は、なんの躊躇も無く、装飾の施された玄関扉を叩いた。

 近隣の住人から<ドラキュラ伯爵>と呼ばれている我輩が、この城に住んでいるということを知っていながらだ。


 我輩が扉を開けて出迎えると、彼は青い目で微笑みながら軽く挨拶をし、名刺を差し出してきた。

 それにはこう印刷されていた。


ロイヤル不動産 代表取締役社長 アレクサンドル・ジェラール


 彼がここへ何をしにきたのか、我輩はすぐに理解した。この城を売ってくれと言うのだろう。

 八百年ものあいだこの城に住んでいるが、もう何度も、この手の輩が訪ねてきたものだ。正直、うんざりしている。この城は絶対に売らない。なぜ人間ごときに譲らなければならないのだ。


 彼らは我輩をみくびっている。人々は我輩をドラキュラ伯爵と呼ぶが、本当に<ヴァンパイア>であるということは誰も知らない。ましてや、その事実を教えたところで、誰一人として信じようともしないだろう。

 人間の寿命を超越するほどの長い年月を生きてきたというのに、誰もがそのことには目をそむけ、我輩を異常者扱いしようとする。「頭のおかしい貴族くずれの男が住んでいる」くらいに思っているのだろう。

 もちろん我輩も、人々の前では彼らと同じような素振りをするよう努める。見た目も人間に限りなく近い。ヴァンパイアは空想上の生き物である、と信じている彼らが我輩の正体を見抜けるはずもなく、ただの<イカれた紳士>という風に見られている。


「品格のあるお屋敷ですね」不動産屋の男――アレクサンドル・ジェラール――は、広々としたホールを鑑賞するかのように見渡しながら言った。堅牢な石造りの壁に彼の声が冷たく反響する。


 とってつけたような言い回しがどうも気に入らない。さっさと本題に入ってもらいたいものだ。

 聞くまでもないがね。

 我輩の返答はすでに決まっている。答えは「ノー」だ。城は譲らない。

 だが彼が言い放った言葉は、我輩の想像とはかけ離れていた。


「突然お訪ねしてすみません、ムシュードラキュロス」少しくせのあるフランス語で彼は言った。「実はおりいってご相談がありまして――」

 ドラキュロス、とは我輩が仮の人間として名乗っている名だ。<アーサー・ドラキュロス>として、フランス共和国の戸籍に登録されている。

 街から離れた平原の広大な敷地と、周囲を見張っているかのように建つ古城を所有する我輩が、ドラキュラ伯爵と呼ばれている所以ゆえんだ。


 彼は訓練された軍人よろしく両腕を後ろに組み、青い眼差しをこちらへ向けながら我輩に訴えかけてきた。

 まったく、図々しいにもほどがある。どうしたら初対面の相手にこんな提案が出来るのだろう、とつくづく思う。


 彼はこう言ったのだ。

「かつての王国の要塞を無数に建造できそうなほどの、この広大な敷地のほんの一角でかまいません。間借りをさせていただけないでしょうか。ビジネスのお話ではありません。個人的なお願いなのです」


 無神経にも、我が城の周りにある使っていない土地の一角を貸してほしいと申し出てきたのだ。

 個人的な要望だと? 不動産屋の男がビジネス抜きで、賃貸の話を持ち出したのだ。何か深い理由があるに違いない、とそのとき思った。


 そのとおりだったよ。


 彼には<クロエ>という名の、二十歳になる娘がおり、郊外にある大学へ通っている。

 そのクロエが、彼女と同じキャンパスに通う青年に、毎日のようにつけ狙われて――ストーキングされていると言うのだ。

 訴訟問題に発展し、裁判でそのストーカー男はクロエに近づいてはならないと命令が下された。だが男は警察の目を盗み、執拗に追い回してくるらしい。

 彼女の住居へ忍び込んで不気味なラブレターを残したり、不意に近づいて体を触ろうとしてきたり、時には悪質な嫌がらせまでしてくるという。


 クロエは市街地に住んでいたが、どうにもストーカー男がしつこいので、郊外にある我が敷地を間借りして小さな家を建て、学業が修了するまでのあいだ、そこに娘を住まわせてやりたいという要望だった。


 人間の女が、我が敷地内に住むだと? 同情はするが、そんなもの我輩には耐えられない。

 五十年前、愛する人間の女を失ってしまったとき、我輩がどれだけ苦しんだと思うのだ。激しい炎に心を焼き裂かれるような、地獄の苦しみを味わった。


 無知というのは愚かしいものだ。

 アレクサンドルは我輩が何者なのかも知らずに、愛娘を危険にさらそうというのだ。

 我輩が理性を失い<生き血>を欲した時、クロエはこの世を去ることになる。そうなることが分かっていながら、「わかりました」と安易に承諾できるはずもなく、彼の要望は丁重にお断りした。


 青い目を曇らせ、肩を落としてプリウスへ乗り込む彼を見送りながら、我輩は重い扉を閉めた。

 二階の自室へ戻り、紙パックの容器に入ったトマトジュースをワイングラスへ注ぎながら、窓の外に目をやった。プリウスが哀しげなエンジン音を響かせながら、遠くへ走って行くのが見えた。


 実はこの話にはまだ続きがある。また後日書くことにしよう。


                          ― アーサー・ドラキュロス






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