#84 闇の兄弟
兄は昔から強かった。だが、弱いところもあった。
心は脆くて、すぐに壊れてしまいそう。表面は笑っているが、その奥では泣いている。
ロレンにはそんな風に見えていた。本当は、自分より泣き虫なのかもしれない。
兄は強いから、いつも自分を守ってくれた。だがその時、色々我慢してるのだろうと思うこともあった。彼は必死にロレンを守ろうとしていた。それは、ロレンを失うのが怖かったからだろうと思う。でも、なぜ怖がっているのか、その理由はロレンが「弟だから」というものではない気がしていた。何か、別の理由がある。幼い頃のフォレンは、どこかロレンに冷たくもあったから。
“ノア・フリューゲル”────元“黒翼団”にいた頃の兄は、いつも誰も殺さなかった。
荒れたあの町では、いつも子どもたちの団同士の争いがあった。仲間たちは皆、時には相手を殺してしまうこともあったが、フォレンは一度も誰も殺さなかった。時々何かに取り憑かれたように、相手を半殺しにしていたけれど、ふと、その寸前になって躊躇って、とどめを刺さなかった。その隙に、別の仲間がそいつを殺す。その繰り返し。
そんな兄を見ていると、不安になった。ロレンが感じていた“片鱗”は、それだ。
そして、あの日。ディエゴたちの下から逃げた時、その正体を知った。いや、その時はまだ、正確なことを知るよしもなかったが。
命からがら、不思議な力で逃げ出して。ロレンが痛む体で彼を引きずって辿り着いた孤児院で、フォレンは何日も眠り続けた。その時看病してくれたレイミアだけに、ロレンはあったことを話した。彼女はずっと秘密を守ってくれていた。そして、フォレンの側にいてくれた。
目覚めた兄は自分自身のことも、ロレンのことも何も覚えていなかった。それを知った時、ロレンはどこか安心したのだ。あの狂った兄はもういない。目覚めた彼は温厚で、優しくて、ロレンのことを唯一の弟として大切にしてくれた。
記憶ごと、彼はそれまであった“何か”を封じ込めてしまったようだった。
────軍での騒動のあと。先に帰っていたフォレンの元にロレンが顔を出した時、彼はこちらを見向きもしなかった。ずっと意識のないレイミアに付き添っていて────それ自体は何も変わらないように見えたが────自分たちの間に、何か分厚い壁が出来ているのを感じた。彼から感じるのは、冷たいものだった。それは、あの時失われたはずのものだった。
「何考えてんだ」
「!」
エレンの声に我に返る。気が付けば随分と歩いて来ていた。魔障の気配を僅かに感じる。
兄を止めないと。でなければ今度こそ、彼は。
────その時。エレンが足を止めた。遅れてロレンも足を止めた。後ろでケレンが身構える気配がした。
「……お前、一人で追って来たのか」
エレンが唸るように言う。そこにいたのはダグァスだった。……ロレンは彼を知らないが。
「あぁ、一人だな。……そちらはどうした。相棒の姿がないが」
と、彼はロレンに視線を向けると元から細い目をさらに細めた。
「フォレンと同じ顔────なるほど、お前がロレンか。先代“ケストレル”。随分と腑抜けた顔だな」
「……兄さんよりかはね。お前は何。新しいメンバーってわけ」
「そうなるな。コードネーム“スワロー”、ダグァスという」
「ツバメね。ふうん」
ロレンは腕を組んでそう答える。メンバーには全て鳥の名のコードネームが与えられている。腐った世界からの解放、その象徴だと、ディエゴは言っていたが。
「お前も殺すようにと言われている」
「まぁ……そうだろうね」
ロレンも身構えた時、彼はさらに信じ難いことを言った。
「そう言えば、フォレンもお前を殺して欲しいと言っていたな」
「────え?」
それは、一体どういうことだ。いや、むしろその方が自然かもしれない。彼の冷たい態度を思い出す。どこかで、ずっと彼は。
「ロレン!」
エレンが叫ぶ。はっとしたロレンの目の前で、彼の棒がチャクラムを弾き返した。
「しっかりしろ!」
「う、うん」
頷くロレンの後ろで、ケレンの手に弓矢が現れる。振り向いたロレンは驚く。
「……ケレン君?!」
「僕も戦えます。……あいつを倒して早く先に進みましょう!」
ロレンはダグァスの方へ視線を戻す。確かに彼は強い。三人で協力してさっさと倒してしまう方がいいだろう。
「……分かった!」
エレンが先に突っ込んで行く。振り下ろされたその攻撃をひらりと躱したダグァスは、どこからか出した短剣をエレンの顔目掛けて突き出す。それを避け、エレンは蹴りを繰り出す。だがその姿が地面に溶けるように消える。
「! ……影の」
足元へ目を落とす。影の中から飛び出して来た刃がエレンの右足を切り裂く。
「った……!」
棒で影から出ている手を払った。短剣が飛んで、その小さな影が広がってダグァスが出て来た。
「……厄介な」
「お前も同じだろう」
「……そうだな」
エレンは構え直す。足の傷は深い。すぐには治らない。その横を、ロレンが走り抜ける。
「“闇の刃”!」
右手から生えた闇の刃でロレンは斬りかかる。ぶん、ぶんと振ったそれをダグァスは下がりながら躱すと、ロレンの左肩を短剣で狙う。少し反応が遅れた。体を捻って躱すが、少し掠る。
「っ!」
「お前、左目が見えていないな」
「!」
見破られた。鷲獅子竜に突かれて以来、左目は義眼になっていて見えない。修行の末、距離感はカバーしたが、視界の欠けは補えない。兄の方はあれでも変わらず戦っているが、自分はそうは行かない。
「………そこをどけ! 僕たちは兄さんを止めたいだけだ!」
「不要だ。俺は俺の為すべきことを為す」
短剣を構え、静かにそう言うダグァス。ロレンは拳を握りしめ、駆け出す。
「そういうの、昔から変わらないな!」
握りしめた右腕と、左腕にぶわりと鋼の鱗が生える。振り抜いた右拳を避けたダグァスが短剣を振り、受けたロレンの左腕で火花を散らす。そしてそれをパワーで弾き切ったロレンはぐるりと体を捻り、にょきりと生えた竜の尾がダグァスを吹き飛ばした。
「!」
地面に二度転がった先で、ダグァスの姿が影に溶けて消える。さらに離れたところで実体化したダグァスは目を細める。
「妙な力を使う。竜の憑神者か……興味深い」
「……お前に全部見せてる暇はないんだ!」
竜の尾が闇の塵となって消えると同時に、ロレンは地面を蹴った。竜化したままの腕で何度か殴りつける。攻撃は全て短剣に弾かれ、そして蹴りを入れたその足を掴まれる。
「!」
ブン、と投げ飛ばされたその先、エレンが伸ばした手の形をした影がロレンを受け止めた。彼がその上で体勢を立て直すと同時に、カタパルトのように影がロレンを射出する。
「行け!」
エレンが叫ぶ。竜の翼を生やし、流星が如く飛んだロレンの右の竜爪がダグァスの肩を貫き、そして闇の力を纏った左拳がその体を吹き飛ばした。
木の幹に背中から打ち付けられたそこへ、ケレンが放った影の矢が突き刺さる。膝を突きかけたダグァスの体を、そこから伸びた影が拘束した。
「……く……これは……」
ダグァスは身を捩るが、影は解けない。真覚醒したケレンの力の方が遥かに強力だった。
息を吐いたロレンは腕の竜化を解いた。そしてエレンとケレンと共にダグァスの前へ歩いて行く。
「……殺すならば殺せ」
彼は静かにそう言う。ロレンは首を横に振った。
「確かに、そうするべきなのかもしれないけど。僕はしない。お前たちとは違うから」
「…………」
「僕は兄さんを止めたいだけだ。だから今は、ここで大人しくしててもらう」
と、横からエレンがダグァスの両目を右手で隠した。何かの力が彼に掛かったように見えたかと思うと、ダグァスは脱力した。眠っているようだ。
「……何したの?」
ロレンが尋ねると、エレンは肩を竦める。
「リリーの力を借りた。……深く眠らせるのが得意だって言うから……」
『同じ影属性なのでいっぱい奪れましたよ。しばらくは目覚めないでしょう』
リリスが内からそう言うので、エレンは渋い顔をした。心なしか体に力が漲っているような気がする。エレメントを奪うと言うことは、自分のものにするということでもある。
(……別の属性だとどうなるんだ?)
『自動的に影属性に変換されますよ。ただ吸収率は低くなりますが』
(ふうん……)
ともかく、これでダグァスはしばらく目覚めないだろう。
「……急ごう。フォレンさんを止めないと」
「うん」
エレンとロレン、そしてケレンの三人は頷き合うと、フォレンたちの元へ急いだ。
* * *
戦闘の音が近付いて来た。三人は離れた木の陰に身を潜め、様子を伺う。そこではまだフォレンとディエゴが戦っていた。状況は一方的だった。ディエゴは随分とボロボロになっている。
「……あれディエゴか。雰囲気は昔のままだけど……」
「あいつ結構強かったぞ。なのに……」
エレンが言うと、ロレンは唇を噛む。
「────分かってる。でも、止めないと」
「どうするんだ」
ディエゴが地面に叩きつけられる様を見ながら、ロレンはさらに顔を険しくする。
「……兄さんの気は僕が引く」
「え」
「あいつが言ってただろ。兄さんは僕のことを……」
その先を、ロレンは口にするのを躊躇う。目を伏せ、ぐ、と飲み込むと、決意の籠った目をエレンとケレンに向けた。
「…………エレンはディエゴを助け出して。兄さんに気付かれないようにね。そういうの、得意でしょ」
「……何かトゲのある言い方な気がするけど。分かった、任せろ」
「僕はお兄ちゃんを探すよ」
ケレンがそう言うので二人は頷いた。ゼイアはそこにいるが、ここに来るまでの間にもグレンの姿は見えなかった。他にも刺客がいないとも限らない。やはり心配だ。
そして、ケレンはさっとその場を離れて行った。
「……じゃあ、行くよ」
ロレンはそうエレンに言って、木陰から飛び出した。再びディエゴへ手を伸ばしている兄へ向かって、拳を握り締め、狙いを定める。
「!」
当たる寸前に、フォレンの目がこちらを向いた。それでも攻撃は当たった。フォレンが腕をクロスして受け、ズサッと音を立てて下がる。
「……兄さん」
恐る恐る、ロレンは彼に呼びかけた。一体どんな反応をするのか分からなかった。心臓が跳ねる。襲って来るか、と身構えていると、腕を下ろしたフォレンは意外にも笑って見せた。
「やぁロレン。……こんな所へどうした?」
「?!」
いつも見せていたような笑顔。いや違う。ロレンの背中にゾワリとした感覚が走る。
「どうして俺に攻撃するんだ」
そんな笑顔のまま、フォレンは言う。ロレンは冷や汗を掻きながら応える。
「……兄さん、僕は」
「敵は向こうだろ? 俺じゃない」
「…………兄さん!」
「邪魔をするなら殺す」
「!」
何の躊躇いもなく飛び出した言葉。フォレンの顔から笑みが消える。
「消えろ。俺の前から」
「……どうして」
滲み出た言葉。悲しみと、ついで怒りのような感情が湧き上がり、ロレンは激昂する。
「どうして! 兄さんは何より僕を大事にしてくれてたのに! あの言葉は嘘だったっていうのか?!」
「お前なんか嫌いだよ、最初から。それを……忘れてただけだ。今まで。…………ずっと勘違いして……」
フォレンは顔を手で覆うと、俯き、クツクツと笑う。
「……何がおかしいんだよ」
「おかしいだろ。え? だって。俺はお前のことをずっと弟だと思ってた。でも違う。お前は弟なんかじゃない」
「何言って……」
ロレンにとって、フォレンは間違いなく兄だった。物心ついた頃からずっと側にいた。研究所にいた時だって────。
「お前は造られたんだ。あの研究所で」
フォレンはそう言う。ロレンは耳を疑う。
「……何だって?」
「お前は俺の“コピー”だ。軍の実験で生み出されたクローン体。……俺であって俺じゃない、歪な複製体なんだよ」
何を言っているんだと、そう思う。確かに自分たちは、見た目は何もかも同じだが────。
「……違うよ! 僕は僕だ!」
「もっとも、お前を産んだのは哀れな実験体の女らしいが……そのせいか、お前は少し俺より薄いみたいだな」
「!」
ふと、軍基地でクリカラに言われたことを思い出す。彼もそんな事を言っていた。……ロレンとフォレンは、同一人物と見紛うほどの魂が類似していて、それでいてロレンの方が薄い────と。そして。
「……兄さんは、一体何なんだ?」
酷く邪な魂だと、聖竜は言っていた。憑神は関係ない。フォレンのこの魔性の力。ゼイアは“闇堕ち”だと言っていたが不可解だ。そもそもこれは、昔から彼が有していた力だ。当時はこれほどではなかったが────。
そして、今まで自分が無意識に除外していた可能性に思い当たる。
自身が彼の複製なら。いや、でなくとも血を分けた兄弟であったなら────。
「……俺が、じゃない。お前もだよ。俺とお前は同じものだから。……俺たちは、悪魔と人の混血だ。人間じゃない」
「────そんな」
思いも寄らぬ事実を突きつけられ、ロレンは困惑する。
「……違う、僕は、そんなんじゃ……」
『しっかりしろ!』
内から叱責され、ロレンはハッと我に返る。自分の手を見つめ、握りしめ、そしてキッと兄を見据えた。
「……僕は僕だ。何者だろうと。兄さんみたいにはならないし、なれない」
「あぁ、確かに。お前は俺と違って弱いし。……俺みたいに身体強化をされてない」
「そういうことじゃない! ────本当に、分からないの?」
「うるさい。お前はお喋りしに来たんじゃないだろ。楽しみを邪魔しやがって」
と、ふとその時フォレンはディエゴの姿が消えていることに気がついた。
「……どこ行きやがった」
「あいつならコソ泥が盗んでったぞ」
「あ?」
離れた所でルナリアを抑えているクザファンが、ニヤニヤとしながらそう言った。フォレンは彼を睨むと、言う。
「何で止めなかった」
「だって────面白そうだし? 兄弟喧嘩」
「…………」
「何だよ。お前も殺したいって言ってたじゃねェか」
そう言ってクザファンは肩を竦める。フォレンはため息を吐いてロレンに視線を戻した。
「……それで。お前はどうする気だ?」
「どうって……」
「俺と戦う気か。このなり損ないが、俺に敵うと思ってるのか?」
ドキリとする。正直言って、勝算はない。でも、逃げる訳にはいかないのだ。
(……力を貸してくれ、ライナー)
『仕方ない。まぁ、一度くらいあいつにはぎゃふんと言わせてやりたいし』
ライナーの落ち着いた声がする。覚悟を決めたロレンは、ぐ、と拳を握り締め、構える。
「……戦うよ。兄さんのために」
「ふぅん。そうか。なら、お前をまず初めに殺してやる」
“殺す”というその言葉が、重圧となってロレンにのし掛かって来た。目の前の兄は、もう今までの優しい兄ではない。でも、きっと戻って来る。ロレンはそう信じていた。
だからこそ。ここで負ける訳にはいかない。
「……行くよ」
ロレンはしっかりとフォレンを見据え、そして地を蹴った。
#84 END
To be continued...




