#80 歯車──主観──
────神暦38326年6月24日────
雨上がりの朝。森の中は土の香りで溢れていた。
そんな空気の中を、エレンとアーガイルは二人で歩いている。二人の間には少し距離がある。じっとしていると落ち着かないと思って出て来たが、やっぱり落ち着かなかった。
「……あーあ」
「どうしたの。ため息なんか吐いて」
先を歩くエレンに、アーガイルもため息混じりに言った。
「そりゃ吐きたくもなるだろ。一日経って、なんかやっと……兄貴が小さくなったっていう事に、現実感が追い付いて来たっていうか……」
色々あり過ぎた。兄のことも、フォレンのことも、そしてアーガイルのことも。ひとつひとつになかなか頭が追いつかない。
「フォレンさんもゼイアが回収したままだし……」
「まぁ、あんなことになったらね」
フォレンは優しい人間だった。戦闘狂的な部分はあったが、それでも紳士的な人間だった。ケレンだってもう一人の兄のように懐いていたし。優しくて強くて、兄の良き友であった。エレンはそれを孤児院にいた9年間、見て来たし────兄の件で再会してからも、そうだった。
だからそんな彼が、あんな風に変わってしまったのはとてもショックだった。エレンでこれなのだから、ロレンやレイミアが受けているショックの大きさは計り知れない。
「……フォレンさん、憑神してたんだよな。いつからなんだろ」
これはケレンから聞いた。ゼイアも知っていたのだろうか。兄は? 誰がその事実に気が付いていたのか。憑神者はたくさんいるのに。
「君の精霊たちも気が付いてなかったの?」
「みたいだな」
『悪魔は若干精霊と気配が違うからな。……あいつ自身の闇の気配と紛れてて分からなかったんだよ』
エレボスがそう言う。リリスも同じようだった。
『……というか……うーん』
(リリー?)
リリスは少し迷った様子のあと、言った。
『私、最初にあの方を見た時、何だか違和感を感じたんです。あまりにも、強い闇の力……というか。そう、一瞬悪魔と見間違えるくらい……』
(え?)
そう言えば、人界に来てすぐリリスはフォレンを見て何か思うところがある様子だった。
『あいつの中の悪魔の気配と混じってたんじゃないのか?』
『いえ……そういう感じじゃなくて』
エレボスの問いに、リリスはその時感じたものを思い出そうとしているようだった。
『あれは……彼自身のものです。悪魔はそこに、気配を薄くして隠れていたんだと思います』
(────なんでそう思う?)
『私たち皇族は、“神眼”と呼ばれるものを持っていまして……相手の魂の様子を視られる……というか、気配を感じられるというか。兄様なら、もう少しはっきり視ることが出来ると思いますが……あの闇の気配は、彼の魂から発されるものでした』
『え、そんなの分かんの?』
『あの時はまだ、ぼやぼやとしたものでしたが……先日の彼の魂はもはや悪魔そのものでした』
(……まじで?)
本物の悪魔を(ゼイアは別として)エレンは見たことがないが、フォレンのあの様からリリスの証言は納得出来はする。彼から感じた人ならざる者の気配。
『それから、あの、もう一つ……』
(何だ)
『その。彼の弟さんのことです』
そう言えば、ロレンについてもリリスは何か気になることを言っていた気がする。
『彼からも……同じものを感じます』
(────え?)
『……血統的な悪魔ってことか? 半人半魔ってこと? ……いやあり得るのか?』
エレボスは首を傾げている。リリスは慎重な様子で続ける。
『うーん。兄弟的な相似というよりかは……私には同一人物に近い相似に見えるんですよね』
(?!)
双子じゃないのか、と確認されたのを思い出す。リリスには、そう見えていたのか。顔ばかりでなく。
『でも全く同じという訳でもなくて。ほんのちょっとロレンさんの方が薄く見えます』
『薄い?』
『はい。まぁ、今のフォレンさんからすればとても薄いですけど。私が最初に見たときは、ほんの少しの違いでした』
(────ロレンとフォレンさんは双子じゃない。絶対に。ロレンは俺と同い年だし……)
今となっては彼らは身長が同じだが、小さい時はフォレンの方が大きかった。明らかに、ロレンはフォレンの後を追って成長していて────。
「…………」
恐ろしい可能性が脳裏を過ぎる。ロレンが言っていた「施設」という言葉。彼らが抱える過去の、秘密。
「ちょっと、エレンってば」
「!」
アーガイルの声に、はっと我に帰る。立ち止まって振り向いて、ようやくアーガイルの目を見て、言う。
「─────あ、あぁ、悪い」
「ったく、すぐボーッとして」
「ちょっとエレボスたちと話してて」
そう言うと、アーガイルは片眉を上げる。
「……そんなに話しかけて来る?」
「まぁ、気になることがあると……色々」
「ふうん……」
アーガイルはまだ憑神して日が浅い。彼女たちはどんな精霊なのだろう、とエレンは気になる。あまり話さないタイプなのか、それとも……。
二人はまた歩き出した。
『あら。話し掛けても良かったの?』
『僕ら遠慮してたんだよー、邪魔になるかと思って』
アーガイルの中にイルトリアとミシュカの声が響く。
(……話したいことがあったら話して良いんだよ)
『そう? でも他の人とお話し出来なくなるでしょう?』
『僕ら二人もいるしさ!』
(エレンのも二人だけど……)
アーガイルの言葉に、ミシュカが身を乗り出すような気配がする。
『知ってる知ってる! 影の国の戦士と魔導士! 見た事ある!』
『周りに黒の軍勢が多くてちょっと肩身狭いかも。味方はミラネスさんくらいよね』
(……敵なの?)
『神界は戦争中だから。影の皇帝が変わってからは冷戦期に入ってるけど。影と闇の精霊は勢力的には敵国ね』
『光と炎の精霊は味方! まぁ、アル君に憑いたからには君の味方なら僕らの味方だけどね』
(そう……)
先を歩いているエレンを見る。敵、味方。その言葉に心が疼く。彼は、気が付いているのだろうか。そう言えば、彼は心の守護者でもあった。アーガイルはふとそれを思い出す。その力はもうほとんど残っていなかったはずだが──────長く自分といる彼なら、自分の心の内など見抜いてしまっているような気がした。でも、彼は見ないふりをしている。変わることが、怖いから。
「……エレンさ……」
「ん?」
エレンが振り向く。その直後────突然、エレンの胸から刃が生えた。
「……え?」
一瞬、何が起こったのか分からなかった。その刃が引っ込んでエレンが倒れた時、ようやく理解した。
「……まずは一人……」
いつからそこにいたのだろうか。影のように立つ背の高い男。どうしてその存在に気が付かなかったのか。
「────誰だお前」
「非情だな。仲間が斃れているというのに、動じないのか」
男は質問に答えずそう言った。アーガイルは腰に提げていた双剣を片方抜き、もう一度問う。
「お前は誰だ。何者だ」
「……恐れ喚き、逆上し、かかって来るものと思っていたが」
ふむ、と男は興味深げに目を細めると、首を傾げた。
「だが。注意が足りないな」
「……!」
不意に殺気を感じて、アーガイルは咄嗟に右に動いた。さっきまでいたその場に、双剣を持った女が流星の如く飛んで来た。
「……避けた」
「もう一人……!」
「────ホワイトアイ。殺気を出すのが早すぎる」
「うっさい!」
女は男を睨みつけると、体を起こして今度はアーガイルを睨んだ。
「なんであんたそんな冷静なわけ! 目の前で仲間死んでんのよ!」
「……勝手に殺すなよ」
「!」
声に二人は振り向いた。視線の先で、棒を支えにエレンが立ち上がっていた。胸を抑えて苦しそうだ。
「……なぜ。確実に心臓を刺したはず」
「はは、何ででしょうね。考えてみろよ」
「ズレてたんでしょスワロー。だっさ」
「─────そんなはずはないが」
女の言葉に眉をピクリと動かしつつ、男はエレンから目を離さない。
「まぁ良い。お前たちに聞きたいことがある」
男は短剣を胸の前に構えつつ、目を細めた。
「フォレン・レミエルを知っているか」
「! お前らまさか……この前フォレンさんたちを襲った」
「知っているのだな」
その時、辺りの空気が騒めいた。いや、気配だ。複数人。今まで隠れていたその気配が、エレンとアーガイルを囲んでいる。
「……!」
影を通じてエレンはアーガイルの側にやって来て背中合わせになる。木々の上から人影が降って来た。三人。先にいた二人と合わせて敵は五人。対してこちらは二人。
「おいお前」
降りて来た内の一人、顔に十字傷のあるファーコートの男が口を開いた。声を掛けた先は、エレンだ。
「────剣は確実に心臓を貫いてた。俺は見たぞ。どういうトリックだ。……お前も悪魔か?」
「“も”って何だ。……いや……フォレンさんの事を知ってるのか」
「そうだ。俺たちは奴に用がある」
十字傷の男がどうやらリーダー格のようだ。長身の男の横に来ると彼はポケットに両手を突っ込んで続ける。
「奴はどこにいる。この山に住んでることまでは突き止めてるんだよ」
「……誰が言うか。フォレンさんは渡せない」
そもそも今はゼイアが閉じ込めている。彼らが会える状態にないし、第一今のフォレンは彼らを丸ごと薙ぎ倒しそうな気がする。……敵の心配をするのはおかしな話だが、だからと言って易々とフォレンを差し出すわけにはいかない。
十字傷の男は大きくため息を吐く。
「……あのな。俺は平和主義なんだ」
「……あ?」
「だから無用な争いはしたくない。さっさと奴の居場所を言えば……あるいは連れてってくれれば、お前らの命は助けてやる」
「何言って……」
「だが」
顔を上げた十字傷の男は、眼光鋭く二人を睨め付ける。
「俺たちの名を知っているというのなら──────話は別だ」
「……知らない。何者なんだよお前らは。フォレンさんとどういう関係だ」
「そうか。あいつ、何も話してないんだな」
彼はそう言うとフッと笑った。
「フォレンは裏切り者だ。俺たちの仲間を殺して逃げた。だから殺す。それだけだ」
「……!」
「分かったか。奴は危険だ。お前らこそフォレンとどういう関係かは知らないが、差し出した方が身の為だぞ」
そう言って十字傷の男は右手をエレンたちの方へ差し出した。エレンは棒を握る手に力を込める。
「────悪いがその要求は飲めない」
「何だと?」
「渡さねェって言ってんだよ」
五対二。圧倒的不利な状況。だが引き下がる訳にはいかない。エレンは背後のアーガイルに横目で視線を送る。
「……アル。行けるな」
「誰に言ってるの。いきなり刺されたクセに」
「う……それは油断したけど」
「勿論、背中は任せて」
アーガイルはそう答えるともう一方の剣も抜いて構える。臨戦体制の二人を見て、ディエゴは目を細めた。
「そうか。そうなるのか。残念だ」
……と。その時木の陰で物音がした。その場の全員が反応する。
「────誰だ」
「……よそ見するな!」
エレンが飛び出す。十字傷の男に攻撃を仕掛ける。しかし、その間に長身の男が割って入り、彼の持つチャクラムがエレンの棒を弾き返した。
「! ……珍しい武器を使うな!」
「お前の相手は、俺がする」
両手に二つのチャクラムを構えた彼の後ろで、十字傷の男は呑気な様子で顎を撫で、何か考えていた。
「お前の顔……いや、お前ら、見覚えがあるな。そうだ、“黒影”と“瞬光”じゃねェか」
「!」
「驚いた。しかも……あぁ、なんとも妙な縁だな」
「何の話だ!」
エレンの言葉を無視するように、十字傷の男は首を横に振ると目の前の長身の男に言った。
「スワロー。ここはお前に任せたぞ」
「承知」
「! 待て……!」
立ち去ろうとする気配を感じて、アーガイルは十字傷の男へ光の力で跳ぼうとする。しかしそれより速く、別の光の筋が接近して来る。
「あら。ボスの邪魔はさせないわよ」
身を翻す。鋭いヒールの蹴りが目の前を通過する。続いてゾクリとして感覚を覚えたアーガイルは反射的に身を低くする、頭上を鉄針が過ぎ去り木の幹に突き刺さった。飛んで来た先を見ると、黒髪の男がそれを投げたらしい手を握りしめる。
「……!」
「……躱された」
「アル!」
エレンが振り向くが、すぐに長身の男の攻撃がやって来てそれに対応する。キィンという音を聞きながら、アーガイルは自分の前に立ちはだかる男女に目を配る。
「……二対一ってちょっと……」
「あら。卑怯なんて言うのかしら?」
「…………言わないけど」
いつもは自分たちが二人だ。だからこそその厄介さは知っている。と、その時。
「おらあああああ!」
「?!」
どこからが声が飛んで来たかと思うと、飛来した影と共に黒い大鎌が女を斬り裂く────いや、彼女の体から何かを引きずり出した。
「……エレボス?!」
驚きにアーガイルは声を上げる。なぜか一人エレンから出て来たエレボスは、アーガイルの目の前に着地すると女から引きずり出されて地面に膝をついている存在に向かって剣をむけた。
「────よぉ! 懐かしい気配がすると思ったら、アイテールじゃねェか!」
「……エレボス」
顔を上げたその頭には、エレボスと同じように猫耳がついていた。精霊。あの女から出て来た以上は光の精霊だろう。エレボスとは対照的な白い髪と黄色い目をしたその精霊は、立ち上がると苛立ったように尻尾を揺らした。
「……知り合いかよ!」
戦いながら、エレンがエレボスに向かって言う。主の様子にも構わず、エレボスは剣を握る方の手にぐっと力を込めた。
「知り合いも何も……同じ町で育った猫仲間だ」
「……へ?」
アーガイルは思わず気の抜けた声を出す。アイテールと呼ばれた精霊は肩を竦めた。
「あぁ、そうだ。俺たちはただの猫だった。秩序の国の王都で暮らす野良猫だった。かつて俺とお前は、共にボス猫として猫社会を牛耳っていた」
……何の話だ。アーガイルは思わずそうツッコむ。向こう側の女も同じ様子だった。
「あぁ相棒……なんて再会だ。二度と会うことはないと思っていたのに。力を求めて精霊になると決めた時、影と光に別れたその時から、俺とお前は敵になってしまった」
何だか悲しげな様子のアイテール。エレボスも耳を下げている。
「まったくだ。しかも人に憑いてなお敵だとは……クソ! お前がコイツに憑いてたら!」
と、エレボスはピンと耳を立てアーガイルを指差す。アイテールも耳を立てた。
「それはこっちのセリフだ馬鹿野郎! お前がコイツに憑いてりゃ良かったんだ!」
と、アイテールは女の少し後ろに立っている黒髪の男を指差した。
「あ?! 嫌だわそんな奴!」
「俺だってそんな奴願い下げだ!」
フシャーという威嚇音が聞こえて来そうだ。アーガイルは地味に傷つく。二匹の猫、いや、二人の精霊が地を蹴る。アイテールの手には鎖で繋がれた白い剣と槍が出現し、エレボスの剣と激しくぶつかった。
勝手に戦いを始めて目の前からいなくなった精霊を尻目に、女はため息を吐く。
「……何なの。ほんと言うこと聞かないんだから。あんたがいないと力使えないんだけど私……」
「…………カナリヤ。下がっていろ」
黒髪の男が前に出て来る。呆気に取られていたアーガイルは我に帰る。女は相棒の男をちらりと見て、目を伏せた。
「そうね。あなたに任せるわレイヴン」
一対一になった。エレボスには助けられたと思った方がいいのか。良い具合に緊張も解けた気がするし……。
アーガイルは大きく息を吐いた。正体不明の襲撃者たち。気がつくと、自分たちが交戦している三人以外の姿が消えていた。マズいんじゃないか。そう思うが自分たちはここを離れられない。ここで戦力を削ぐべきだ。
目的が定まったアーガイルは目の前の敵を見据える。そして、双剣を握り締め力強く地面を蹴るのだった。
#80 END
To be continued...
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