#8 来訪者
──神暦38326年1月3日──
年が明けても、探偵たちの仕事は変わらない。舞い込む仕事の処理に追われるそんな昼間に、その来訪者は現れた。
エルランはその姿を見たときに、今ここにいない隊員のことを思った。それほどまでに、彼女の姿にはその面影があった。
「……すみません。第三部隊のオフィスはこちらで良かったですか」
「ええ。どうぞお嬢さん。ご依頼ですか」
エルランはそう言って、彼女をオフィスのソファに案内した。エルザも静かにエルランと同じ側に座る。
「……なぁ」
「分かってるよ。そうだろうね」
こそりと耳打ちしてくるエルザに、エルランは小声でそう答えた。足を綺麗に揃えて座った彼女は、きりりとした紫の瞳をこちらに向けて、口を開いた。
「私は、カレン・エマルといいます。単刀直入に言います。兄を……カリサ・エマルを止めて下さい」
やっぱりな、と思うより先に、何だって? という気持ちが出た。彼女が“そう”であることは外見からすぐに分かった。彼と同じ金髪と紫の瞳をしているからだ。彼が妹の話をしたことはなかった。だが、見て分かるくらいよく似ている。
「……止めて欲しいって? 何を」
「兄は今どこに?」
「さぁ。今日は出社して来てませんね。最近終業時間直前にしか来ないけど……」
「じゃあ、兄の行動を把握してないんですね」
エルランは眉を顰める。最近のカリサの行動には思うところがあった。その疑惑が確信に変わろうとしている。
「……とは言え、私も兄とはずっと連絡を取っていなかったんです。それで、この前突然兄が訪ねてきて……」
思い返すように、彼女は俯く。
「……私たちの両親はかつて、とある賞金稼ぎに殺されたんです。両親は世界的な犯罪者でしたから……。兄はそれが許せなくて、その仇に復讐しようとしているんです」
「復讐?」
「兄がかつて賞金稼ぎだったことは、ご存じですか?」
「えぇ、まぁはい。我々の担当ではありませんでしたけど、隊員の経歴くらいはある程度調査済みです」
エレメス・フィーアン。彼がその一員であったこと。……第六部隊のものであるはずのあの資料がここに紛れ込んでいたのは、もしかして……。
「その、当時一緒に活動していた一人が……兄の仇なんです」
「なんだって?」
「グレン・レオノール……ご存じですか」
その名にエルランは口をゆがめる。レオノール……なぜまた別のその名を聞くことになるのか。自分たちに持ってこられた案件で。
「……知ってる」
「その彼を殺そうと……兄は今動いているんです」
それは穏やかじゃない、とエルランは思う。エルランが見て来た限りのカリサは穏やかな人物だった。元殺し屋とは思えないような。上手く猫を被っていたのか。エルランは心の守護者だが、調査で必要な時以外は心を読んだりしない。少しでも怪しければ読んでおくべきだったかと、エルランはそう反省し────“鈍った”と、そう思った。
「お願いします。兄の復讐をやめさせて下さい。私は────復讐なんて望んじゃいません。唯一の肉親である兄と、私は穏やかに暮らしたい……。でも、そう言っても、彼は聞いてくれなくて。もう、どうしたらいいのか分からなくて……」
膝の上で両手を握りしめるカレン。一番近い存在に声が届かないというのは、やはり辛いものだろう。
「────とは言ってもだな。どうするエルラン」
エルザがそう言う。エルランは腕を組む。
「……まぁ、僕たちの言うことを聞き入れるとも思えないしね。……殺人を考えているならそれは犯罪だ。逮捕が一番手っ取り早いけど……」
うーん、とエルランは目を瞑る。
「現場を抑えないと」
「まぁ、そうだな」
エルザも頷く。そんな、とカレンは目を下げる。確かにそれではカレンの意向には添えないかもしれない。行動のタイミングを誤れば、手遅れにだってなるかもしれない。それでも、そうするしかない。────あるいは。
「……上に相談してみるか……」
「!」
「期待はしないで下さい。僕たちは縛られた中でしか行動を起こせない。……上の許可が下りれば、その縛りを緩められるかもしれない。それだけです」
「あ、ありがとうございます!」
立ち上がって、頭を下げるカレン。藁にもすがる思いだったのだろう。それだけ、兄のことが心配なのだ。
「私も……もっと、説得できないか、頑張ってみます。優しい兄なんです。本当は。だから……ちゃんと話したら、きっと……」
「彼の居場所に見当はついてるの?」
「それは……分かりません。連絡先も……」
しかしこの行動力だ。手を貸さなくても、彼女は自力で何かしらの行動は起こすつもりだろう。
「……無茶はしないように。相手は手練れの殺し屋たちです。あなたが巻き込まれてはいけない」
「はい。分かってます。でも……黙って見ていることなんて、出来ません」
固い決意を宿した目。止めても無駄だなとエルランは思う。似たもの兄妹だ。
「────何かあれば、連絡します。これが僕の連絡先です」
「あ、ありがとうございます」
エルランは名刺をカレンに渡す。受け取ったカレンはそれをしばらく見つめ、顔を上げる。
「……それじゃあ、お願いします、兄のこと……」
「ええ。隊員のことですから……なんとかします」
今日は来るだろうか。空いているカリサのデスクをエルランは見遣る。心がざわつく。それは悪い予感だった。じっとしていてはいけない。
立ち去るカレンを見送りながら、エルランは横目でエルザの方を見ると、声を低くした。
「……行こう、長官のところに」
「そうだな」
* * *
年が明けても、医師の生活は変わらない。ケレンは夜勤を終えて家でゆっくりしていた。いつまた呼び出しがかかるか分からないが、1日からの丸二日の連勤で疲れていた彼は、ソファで溶けていた。
『さすがにお疲れのようだな』
「……」
自身の内から声がする。ケレンはそれには答えずに目を瞑っている。
『ケレン殿。どうせ眠るなら寝床の方が良いぞ。体に障る』
「────呼び出しかかったら起きれないでしょ」
『これ。口に出ておる』
「いいじゃん、誰もいないんだから……」
ため息と共に声を吐き出す。内なる声もため息を吐く。
────ケレンは、その身に“精霊”を宿している。彼が生まれたその時から、内に宿る影の精霊と共に生きている。
その彼自身から、自分はこの一族を守る守り神のようなものだと聞いている。百年ごとに宿主を移しながら、ケレンたちを、その先祖を何百年も見守っているのだという。身の回りで精霊を宿した守護者に会ったことはない。隠しているということはないだろう。憑いていれば、彼が教えてくれる。精霊は他の精霊の気配を感じ取れるらしい。だから、身の回りには多分いない。兄たちはこれによって時たま独り言を言う自分に、幼いころは怪訝に思っていたものの、もう慣れている。そもそもケレンも普段は心の中で会話するようにしている。ただ、誰もいない時はこうして声に出して会話したりする。
目を瞑ったままでいると、やがて真っ暗な視界が洞窟に変わった。足元には足首ほどの深さの水があるが、濡れる感触はない。眉をひそめ、ケレンは顔を上げる。目の前に東洋風の衣服を纏った紫髪の優男がいる。髪色と同じような深い紫色の瞳が心配そうにこちらを見ている。
「……フェール。僕は寝たいんだけど……」
「すまぬ。しかしどうしても顔を見て話すべきかと思い……」
声がはっきりと聞こえる。精霊、フェールは手にした錫杖のような杖をからりと揺らす。ここは“心理の窟”と呼ばれる精神空間だ。精霊が普段いる空間である。
「最近無理をしておろう。そなた、元々体が強くはないのだから……」
「そんなことないよ。大体、フェールの言う“強い”の基準って違うんだよ。僕は確かに兄さんたちみたいに頑丈じゃないけどさ……」
「それにしてもだ。医者の不養生という言葉があるだろう。そなたが体を壊しては元も子もない」
「フェール……」
「私がいる影響で、病には強くなっておるが……それも完全ではない」
ケレンは口を結ぶ。フェールが言うことは分かる。でも、だからと言って簡単には休めないのが医者だ。
「それに。エレン殿も言っておったが気を付けた方が良い。グレン殿のことで、そなたにも悪いことが降りかかるかもしれぬ。このまま一人でおって良いのか?」
「フェールがいるじゃん。大丈夫だよ」
「私の力を当てにするな。神界ならまだしも、人界における私の力はそなたの延長線上にあることを忘れてはならぬ。……私がいることで、そなたの力は普通よりは強くなっておるが……」
その時、フェールがハッとして表情を厳しくした。ケレンも釣られてピリリとした。
「……今すぐ表へ戻れ」
「何で」
「誰か来た。見知った気配ではない。危険であれば私が出る。とにかく戻れ」
「う、うん」
意識を外に傾ける。目を開けると部屋の天井が見えた。がば、と体を起こす。ケレンには分からない。
(……どこ?)
『玄関だ』
フェールが言ったとほぼ同時にインターホンが鳴る。ゆっくりと、嫌な感じの押し方だった。フェールの警告を受けてケレンの心臓が跳ねる。彼がわざわざ言うからには良くない気配なのだろう。
(……どうしよう)
『出るな。逃げた方が良い』
(どこから)
『窓からしかあるまい』
(ここ何階だと思ってるの⁉︎)
フェールは手練れの精霊だが、ケレン自身は力を上手く扱えない。使えたとして、八階から飛び降りる度胸もない。
『私が変わる。私の力ならば……』
その時、玄関でカチャリと音がした。静かにドアが開く気配がする。隠す気のない気配。足音にケレンは体を強張らせる。
『……確定だ。逃げよ、早く』
(無理だよ!)
そう距離のない玄関からその来訪者が姿を現す。黒いコートの仮面の男。片手に刀を携えていた。ケレンは身構え、後ずさる。
「……開けてませんよ」
「開いたからな。入らせてもらった」
「どうやってセキュリティを……」
「そういうのが得意な奴がいてね。まぁ、簡単だ」
男は刀の柄を手にする。
「で……用件は大体分かってると思うけど」
「お断りします」
ケレンの胸から光が出て、目の前にフェールが現れた。仮面の奥で、男が目を見開く気配がした。
「……驚いた。憑神者だったのか」
「ケレン殿に手は出させぬよ。この私がいる限り」
シャン、と杖が鳴る。男は首を傾げた。
「見たところ魔導士だな。刀相手に戦えるのか」
「……狭いな。場所を移すか」
ブン、とフェールは身を翻すとケレンの襟首を片手で掴む。
「ちょっと!」
「目を瞑っておけ」
だん、と草履が床を蹴る。ひとりでに掃き出し窓が勢いよく開く。ケレンをすごい力で引っ張ったまま、フェールは躊躇いなく宙へ飛び出す。
「うっ、うわああああ⁉︎」
目を瞑る暇はなかった。フェールの背から黒い翼が伸びる。バサ、と一度羽ばたき少し上昇したあと、急降下を始める。そのあとを黒コートも追って来る。
「あいつ飛んでる!」
「風の守護者だろう。鍛錬を積んだものならば、飛行くらい易くできる」
ケレンを脇に抱えなおし、フェールはくるりと振り返ると、追跡者に向かって杖を向ける。影の弾が数発撃ち出される。男は軽くそれを避けると加速してくる。
「ッ!」
男が背後に抜ける。風の斬撃がフェールを襲う。翼が傷付き、空中でふらつく。
「フェール!」
「私のことは良い、すぐに治る。怪我はないかケレン殿」
「ない……けど……!」
「……降りる。どの道追いつかれる。しっかり掴まっておれ」
近くの路地に降りるフェール。ケレンを降ろすと翼が黒い塵になって消える。黒コートの男が少し離れたところに降りてくる。足元で風が渦巻いている。
「下がっておれ」
「……精霊ってさ、宿主からあまり離れて活動出来ないんだよね? 庇いながら戦うつもり?」
「それが出来ぬと思ってか若造」
「精霊とやるのって初めてだけど、楽しませてくれんだよね」
刃が怪しく光る。フェールは杖を構える。ケレンはその後ろで、静かに固く息を呑んだ。
#8 END
To be continued...
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