#66 戦いのあと
────神暦38326年6月6日────
イヴレストの山、エレンたちの住むログハウスから少し降りたところ。山の湧き水が溜まって出来た小さな池がある。少し暑くなってきたこの頃でも、ここはよく空気が冷えている。この場所を見つけてからは格好の溜まり場になっている。
「珍しいな、お前から誘って来るなんて」
エレンは棒を展開させながらそう言う。くるりと回してタンと地面を打つ。アーガイルは体を伸ばしながら答える。
「うん……あの件で思い知ったからね。もっと強くならないといけないって」
「そうだな……逃げてばかりじゃ限界もあるし」
ここにいるのは二人だけじゃない。ロレンもいる。彼も二人に便乗してやって来たが、まずは見学だ。ロレンは近くの倒木に腰掛けながら笑う。
「まあ分かるよその気持ち。ライナーと協力出来るようになって、少しは強くなったつもりだったけど……全然ダメだった。ライナーにも怒られちゃったし」
「あの力をお前が使いこなせたら、そりゃ強ぇだろうな……」
エレンは神界で戦ったライナーを思い出す。フェールのことで分かっているが、精霊は人界では十全に力を発揮することが難しい。人は精霊が憑くことによって強化されるが、宿主自身の力量に応じて精霊の方は力を制限されてしまう。精霊が憑いて終わりではない。そこから伸ばせる力は大きい。努力は怠れない。イーサイルのように本来の自分の力であるかのように扱うには、かなりの鍛錬が必要だろう。
(……お前らはどう? 窮屈?)
『いや、俺は全然。リリーはどうか知らねェけど……』
『私もあまり。むしろ調子が良いというか……』
エレボスとリリスはそう言う。精霊自身の力も個人差がある。……リリスからはフェールと同等の力を感じたが、果たして本当に窮屈でないのか。不安になる。
『あっ、あの、エレンさんはその、核の方はとても強くいらっしゃるので……! 私たちが力を使う分にはあまりエレンさんにも負担は掛からないと思います』
(あ、悪い聞こえてたか)
『いえ。あと、そういえば私の特性についてお話ししていなかったのでこの際教えておきますね』
そう言えばそうだ。精霊には各々特殊能力があったりするが、リリスのそれは聞いていなかった。……エレボスもか。
『私の力は夜に強くなります。逆に言うと昼間はあまり実力を発揮出来ないというか……』
(え、そうだったのか)
『夜の中でも満月の日が一番力を発揮出来ます。あとは……そうですね、眠りの魔術が得意です』
『あぁ、自身満々だったもんな』
エレボスの言葉にリリスはなんだかもじもじとした様子だった。
『その……私のはただ眠らせるだけでなくて……固有能力の一部で眠らせた相手から少々エレメントを頂くので……深い眠りを誘発するわけです』
『げ。そういうことかよ』
(なるほどな……固有能力ってことは俺も使えるのか、それ)
『はい。今すぐにでも使えるはずですよ』
とは言え、身内相手に使うものではないなと思う。また後で教えて貰おう。
(変身とかは?)
『ありません。……期待させたならすみません』
(いや別に……)
下手にあると言われた方が驚く。何せリリスは神界で一度もそういう力を使っていなかったし。
「エレン?」
「!」
アーガイルの呼びかけにハッと我に帰る。彼は腰に手を当てじとっとした目でこちらを見ている。
「何ボーッとしてんの。殴ろうかと思ったよ」
「……ごめんごめん。さ、やるか」
「よし」
アーガイルは気合いが入っている。────アーガイルは昔からちょこちょこ一緒に現場に出て来ることはあったが、戦いをメインにすることはなかった。あくまでエレンのサポート役であった。実際エレンの中ではアーガイルはまだそういうイメージだった。だからエレメス城で相対した時、強くなった彼にエレンは心底驚いた。彼を再び相棒として受け入れてからは、一緒に戦えるのは勿論嬉しかったが……時折心配になる。無理をしていないか。今だって、アーガイルは無理して背伸びしているように見えた。
「……アル────」
閃光。飛んで急接近して来たアーガイルの双剣による攻撃を、エレンは反射で受け止めた。キイン! と金属音が鳴り響く。回った勢いのまま空中で回し蹴りが繰り出される。光の力を上手く使っている。棒を横に倒し姿勢を低くして躱す。裏手に上へ突き上げた棒がアーガイルの顎を打つ。
「がっ!」
後ろに吹っ飛び掛けたアーガイルが光の粒子を残して消える。落ち着いてエレンは自分の背後へ手を突き出す。手応え。エレンの手がアーガイルの襟元を捕まえる。
「ぐっ……!」
「分かりやすいんだよお前」
地面から伸びた影がアーガイルの体を縛る。ぎぎ、と抵抗するアーガイルへエレンは棒の先を突きつけた。
「っ……」
「癖だよな。まぁ……他の奴には通用するかもだけど俺にはダメだ」
「…………勉強になるよ」
しゅるると影が地面へ引っ込み、アーガイルは解放される。はあ、とため息を吐くアーガイルにエレンは笑う。
「でもなかなか良かったよ。光の力は空中での機動力があるからいいよな」
「そう……だね。止められたけど」
やれやれと目を伏せるアーガイルのところへ、ロレンがやって来る。
「アーガイル君、僕ともやってみない? エレンは君のことよく知ってるけど……僕は知らないし」
「う、うん」
「エレンとは共闘の鍛錬を重ねた方がいいかもね。ほら、副元帥と二人で戦ってた時も息ぴったりだったしさ」
ロレンがそう言うと、アーガイルは少し驚いたような顔をした。その向かいでエレンは棒を畳みながら言う。
「まぁ付き合い長いからな……とは言え俺もアルとちゃんと共闘するようになってからそんなに経ってないけど」
「そうなの?」
「でも何となく分かるんだよ」
そう言って笑いかけるとアーガイルはムッとする。
「……僕がエレンに合わせてる」
「俺も合わせてる。まぁ一番一緒に戦いやすい相手だよ」
「いいなぁ……」
ロレンはエレンとアーガイルを見てそう言った。付き合いの長い相手と言えば、とエレンは口を開く。
「……ロレンはその、フォレンさんとは?」
「えぇ、兄さんとは実力が違いすぎるよ。僕も……あぁなれればいいけど」
と、ふとロレンの表情が暗くなる。
「……エレン、最近兄さんと話した?」
「え? いや……あまり」
「そう……」
俯くロレンに、エレンは首を傾げる。
「……何かあったのか」
「いや……むしろ何もないというか。ほら、兄さんてアレだろ。僕に対して拗らせてるっていうか……いつもなら真っ先に僕のことを心配してる状況だ。……今は義姉さんのこともあるけど。でも……帰って来て一度も話してないんだ」
「話してない?」
「何だか避けられてるみたいで。……変でしょ」
それは変な話だと思う。薄々帰って来てからのフォレンへの違和感はエレンにもあったが、それが確信に変わり始める。
「……フォレンさん、なんかおかしいよな」
「エレンもそう思う?」
「あぁ、なんて言うか……雰囲気が」
そのエレンの言葉を聞いたロレンは、池の方を見る。
「────なんだか、昔の兄さんに戻ったみたいだ」
「……え?」
ざわりと森の中を風が吹き抜ける。静かだった池の水面が波立った。木々のさざめきが、エレンの心の不安を掻き立てた。
────と。その時だった。風の音の中に、足音が混じっているのをエレンは聞いた。わざと気付かれるように立てられている足音だ。その方向へ視線を向ける。事実、何故そこに来るまでに気付かなかったのかという距離にその男はいた。────知らない顔だ。そう思ったあと、エレンは違和感を覚えた。いや、それより。
「誰だ?!」
状況的にエレンたちは身構えた。そこに佇んでいる男の腰には二振りの刀剣が提げられていたからだ。男は少し考えたあと右手をあげ、そしてエレンたちを指差した。
「あー……ええと。一応確認なんだけどエレン・レオノールとアーガイル・エウィン?」
「!」
「残りのお前は……知らないな。まぁいいや」
「まさか追手……」
アーガイルがそう言う。エレンたちの中の警戒度が跳ね上がった。どう見たって山で迷ったという風ではない。男はうーんと上を向いて悩んだ顔をすると大きく頷いた。
「まぁそんな感じ」
「どうしてこんな所に……」
「えっと。目撃情報洗ってたらこんな所に。いや、他にも色々したけど……面倒臭いから割愛していい?」
と、男はエレンの顔を見たあとゆるりとアーガイルの顔をじっと見た。
「……な、何……」
「…………ふぅん。お前がねぇ。そうか、似てないな」
「え?」
虚を突かれたような声を出すアーガイル。不意に男の姿が消えた。誰も反応出来なかった。気が付くとアーガイルは衝撃と共に池に吹っ飛んでいた。ボチャンという水しぶきと共にアーガイルは落水する。
「アル! てめェ!」
「あ、思ったより弱い……まぁいいや、味見といくか」
「!」
エレンの方に矛先が向く。妙な気配だった。殺気……のようで少し違う。遊び。そういう言葉が似合う。
剣が一振り抜かれる。エレンは辛うじて攻撃を受けた。重い。重すぎる。ギリギリと棒を超えて義手まで軋む。
「お前の方が少しやるか。うん、さすがだ」
「! 何……」
「その腕本物じゃないね」
押し切られる。そう思って自ら身を引き影の中に逃げた。
「そう来るか」
離れた木の下の影から出る。エレンにターゲティングしている男の後ろから、両腕を竜化させたロレンが迫る。と、男は振り向かないまま背中越しに剣でその腕を受け止めた。
「!」
「何だその腕、面白いな」
腕を振り下げるように男はロレンを弾く。
「斬れるのかな?」
「……ライナー」
ロレンは完全顕現を試みる。メキメキと腕から鱗が広がり始めたその時、池の方から一筋の光が飛び出す。男は大きく剣を振り払う。飛んで来た光が曲がって木に突っ込む。ガサッバキッと音を立てながら木の葉と枝と共にアーガイルが落ちて来た。傷だらけになった顔をグッと上げたアーガイルは双剣を握り締めてかかって行く。
「わお。やっぱり前言撤回するよ」
「さっきから……何言ってんだアンタは!」
光の加速。男に迫り切る寸前でアーガイルは何かに足を引っ張られ、地面に強く叩きつけられた。落ち葉と砂埃が舞う。それを外から見ていたエレンには何が起きたか分かる。
「……影の守護者!」
男の足元から素早く伸びた影がアーガイルの足首を捉えていた。起き上がろうとしたアーガイルをその影がさらに伸びて地面に縛りつける。
「うぐ……」
「それを振り解けるなら相手してやるよ」
「っ……」
アーガイルは力を使って脱出しようとするがピクリともしない。と、その時不意に拘束が弾け消える。
「あれ」
男はエレンの方を見る。手を伸ばしていたエレンはそれを引っ込めると叫ぶ。
「お前! 何が目的だ!」
「やるねぇ」
そう言って男は笑いながら肩に刀剣を担ぐ。エレンは考える。なんだこの異様に強い男は。それから、彼の顔を見ていると記憶のどこかが刺激される感じがする。この状況は一体なんなのか。彼の目的がよく分からない。殺すつもりはないと思う。そうであればとっくに全員死んでいる。……いや、エレンだけは死なないが、何度致命傷を与えられているか。
……と。その時だった。馴染みのある気配にエレンは思わずゾクリとした。ログハウスの方向からそれはやって来る。それに男も気が付いたようだった。やがて木々の間から漆黒の狼が飛び出して来る。
「げ」
翼を使って跳躍したそれはあっという間に男に飛び掛かったかと思うと────人の形を取り三叉の杖を男の首元へ突きつけた。
「フェール!」
鬼の形相のフェール。神界で喧嘩した時より怖い。ケレンの姿は見えない。あの走りようからして恐らくその体を借りて彼は今ここにいる。
男は目を丸くして固まっている。やがて彼は引きつった笑みを浮かべた。
「……やあ」
「────ロクでもない臭いを感じてよもやと来てみれば、何をしているジェラルド」
「え」
「えっ」
エレンとアーガイルはそれぞれ驚く。エレンはフェールが男のことを知っていることに、アーガイルはつい先日聞いた名が聞こえたことに。
「この事態への弁明はあるか。今になってどの面を提げて現れたのだ、呪いに呑まれた愚か者めが」
「フェール、お前全然変わらないな。精霊だからそりゃそうか」
「答えよ」
殺気ってやっぱりこういうものだよなとエレンは思う。事態はよく分からないが……やっぱりこの男は自分たちをどうにかするつもりなどハナからなかったのだ。
「……やだな。ちょっと遊んでただけだろ。ほら見ろ、全員無事だ」
「僕は全然無事じゃない!」
アーガイルがそう叫ぶ。フェールは目を眇めた。
「──────今すぐ往ね。妻子の危機にも現れなかった貴様を私は許してはおらぬぞ」
「事情があったんだよ! 俺にも……いや、悪かったと思ってる。今さらって言われたらそうだけど。贖罪のチャンスも無しかよ。お前は相当高尚な人生を送られて来たみたいですね天狼様よ」
「何を……!」
「フェ、フェール待てって、こいつ誰なんだ?!」
エレンがそう言うと、少し頭が冷えたのかフェールはため息を吐きながら杖を下ろした。
「……知らぬで良い。そう名乗る価値も無い男だ」
「────エレンのお父さん」
「!」
呟いたのはアーガイルだった。驚いてエレンは相棒の方を見る。彼は手を握り締めながら続ける。
「……でしょ? 父さんから聞いたんだ、アンタのこと……」
「────ふうん。いーちゃんてばそういう話もするんだ」
「い、いーちゃん??」
呆気に取られるエレンをよそに、ジェラルドは刀剣を鞘にしまって息を吐く。
「いきなり襲い掛かったのは悪かった。いーちゃんの息子だって思ったらつい手が出ちまっただけだ。殺そうとか……思ってない。ただちょっと気になる話が来たもんで久しぶりに顔でも見に行こうかと思ってさ」
「なっ……?!」
アーガイルはカチンと来る。なんだか父もエレンに対して似たようなことを言っていた気がする。
エレンは棒をしまい、ロレンは竜化を解除した。
「……ええと……親父……?」
「そうだよエレン。大きくなったな。最後に会ったのは……ケレンが生まれた時くらいだから、4つの時か。まぁ覚えてないのも無理ないな」
いや。朧げながら昔の記憶の中に彼の姿を思い出したような気がする。もっとも、背が低い幼い時分の記憶では彼の顔は残っていないが。
「……兄貴は覚えてるかな……」
「グレン? 死んだんじゃないのか」
「あ」
そうだ。そういうことになっているのだった。生き返ったイレギュラーな状況下、グレンはこの山に隠れ住んでいる。
彼にそれを言うべきなのか迷う。迷っているうちにジェラルドはフェールに言う。
「フェール。それケレンだろ。返してやってくれ、顔が見たい」
「ケレン殿が乳飲み子のうちに貴様は消えた。二度と帰っては来なかった。血の繋がりだけで父を名乗るな」
フェールは酷くジェラルドのことを嫌っているようだった。父のようにエレンたちを見守り、様々なことを教えて来たフェールにしてみれば当たり前のことだろう。
「一族の長は厳しいな……お前が代わりに見ててくれたんだろ。ありがとう。感謝してる。俺はあの後……帰るわけにはいかなくなったんだよ」
「言い訳は聞かぬ。ケレン殿にも会わせぬ……おっと……?!」
突然フェールの体が光に包まれたと思うと、その背丈が少し縮んでケレンの姿に戻った。
「もう……ゴメン、フェールは頑固だから」
「ケレン……ケレンか! お前はマーテル似だと思ってたけどやっぱり面影あるなー!」
「うわっ」
がばっと抱き締められてケレンはびっくりする。腕の中からエレンに助けを求めるような顔をしていたが、やがて離されると照れて頭を掻く。
「……ええと……父さん……でいいんだよね?」
「いいよ。何だその質問は」
「なんか実感がなくて。僕たちにとってはほら……フェールが育ての親みたいなものだから。彼が怒るのも無理ないよ。でも、何か事情があったんだよね。その辺りも含めて……話をしない?」
「ケレンお前……いい奴だな」
ジェラルドが感心したように言うと、ケレンの胸から光が出て来てすぐ横にフェールが現れた。
「当然よ。貴様とは違う」
「あっ、フェール……」
「ケレン殿、優しく接する必要などない。此奴は人の心を持たぬ。己が為なら何でも斬り捨てるぞ」
「知った口を利くなよ、心外だ。獣に言われる筋合いはねェよ」
「何。我らは影狼の仔を一族全体で慈しみ育てる。捨てることなど絶対にせぬ」
「フェール、分かってるよ、フェールが僕たちのこと大事に思ってくれてるのはさ」
「ケレン殿……」
「でも僕たちももう子供じゃない。自分の意思で、彼と話がしたいんだよ。ね?」
まっすぐにケレンに言われて、フェールは口を噤んだ。そしてやれやれと首を振る。
「……そうだな。そなた達は己で物事を考え、判断出来る。ケレン殿がそう言うのであれば私は引っ込んでいるしかあるまい」
ため息を吐き、そしてフェールはジェラルドをひと睨みし「見ているぞ」というジェスチャーをしてケレンの中に戻って行った。
「……気丈さもマーテルそっくりだな」
「母さんの話も聞きたいな。僕はあまり覚えてないから。ほら、行こう。この先に僕たちの家があるんだ」
「…………案内していいの?」
アーガイルはエレンの横にやって来てそう訊く。軽傷ではあるが擦り傷や打撲が痛そうだ。服も濡れている。戻って手当てした方がいいだろう。
「……俺も話は気になるし……悪い人じゃなさそうだ。俺たちを殺そうと思えばすぐに出来たと思うし」
「そうかな……」
アーガイルは父の言葉が気になっていた。怪物。彼はそう言った。それはこの強さを指しているのか、それとも……。
「ほら行こう」
エレンはアーガイルを連れ立って歩き出す。ロレンも駆け足でそれに追いつく。ケレンはその後にジェラルドを促して帰路についた。
#66 END
To be continued...




