#64 始末
フォレンは両手でレイミアの手を握る。温かい。それだけで良かった。
「レイミア……ゴメンな……俺のせいだ。俺がお前と出会わなきゃ…………」
こんなことにはならなかった。両腕の間に伏せて、フォレンはそんなことを思った。
あの男。コリエといったか。彼はフォレンがいた頃の“ノア・フリューゲル”にはいなかった。フォレンが知るあの集団はごく少人数だった。ただの孤児たちの集まり。フォレンが抜けた日、少なくとも三人があそこからいなくなった。だが、コリエのように他にも新しいメンバーを集めているのだろう。
ディエゴ・アトラスという少年が、その集団のリーダーだった。彼は世界平和を謳った。この世の中を憎んでいた。彼の思想の下、国家の転覆を企む、そんな組織にいつしか成った。いや、当時はまだ組織と呼べるほどのものではなかったが……コードネームがメンバーに与えられてそれらしくはなったのだろうか。いや、フォレンが知る限りはまだそんな大それたものではなかった。
しかし、実際その手の者が軍という政府組織に潜り込んでいた。彼の目的はフォレンだけだったのか。否。そんなはずはない。彼は軍に潜むウィルスだったはずだ。内側から、その崩壊を目論んでいた。フォレンはもののついでに過ぎなかったのだろう。
「はぁ……最悪」
大きな傷を負ったのはレイミアだけではない。フォレンだって右目を失った。
「……もう戦うなってことなのかもな」
フォレンはまだ動ける。だが、レイミアはもう立てもしない。戦うのはもう無理だ。これで良かったのかもしれない。彼女には平和な日常を────と、そこまで考えて首を横に振る。いや、きっとそれは叶わない。何故なら、自分は。
『全部思い出したな』
クザファンがそう言う。フォレンは心の中で頷いた。
『はーあ、これでようやく羽を伸ばせる。良い子のフリするのも疲れるぜ。なあ相棒』
笑うクザファンに、フォレンは舌打ちする。
(俺はお前とは違う)
『何が。一緒だよ。一緒だから俺がここにいるんだよ。え? なんで俺が神界を経由せずにこんなところにいると思ってるんだ』
(……経由してない?)
『そうだよ。天界から魔界に堕とされて、魔界から神界に行こうとしたら気が付いたらお前の中にいた。……引っ張られたんだよ、お前の性質に』
そう言うクザファンは愉しそうだった。フォレンは苛立つ。
(何が言いたい)
『お前は自分が何者なのか分かってない。自分がどれだけの力を持っているのかも。記憶と一緒に俺のことも封じ込めた。いらねェ力でいる力を抑え込んで、あー勿体ねェのなんのって』
ふわりと背後にクザファンが現れる。フォレンは視線だけを彼に送る。
「なぁ。一緒に全部ぶち壊そう。手始めにあのムカつくエセ悪魔をぶっ殺さないか」
「……ゼイアのことか」
「そうだ。奴は神徒殺しで堕天したくせに、まだ天界の肩を持ってる。智天使の力まで保持したままだ。俺は天界は嫌いだ。虫唾が走る」
わざとらしくクザファンは肩を落としため息を吐く。そして徐に語り出す。
「……俺も神徒殺しで堕天した。小さな女の神徒だったよ。殺したくて殺した。血を浴びたら角が生えた。俺は生まれた時から翼が黒くて…………“忌み子”と呼ばれてた。だから、悪魔になった時は安心した。あるべき自分になったようで……」
額から生えている肌と一体化した一本角をクザファンは撫でる。そしてその手を振り下ろすと拳を握った。
「それがだ! あのエセ悪魔は自分を悪魔と認めてもいねェ。神徒を殺しておいて神徒面したままだ。いや、人相は悪魔っぽいが……あぁいう正義面は大嫌いだ。翼が黒い者を憎む顔……自分だって黒いのに」
「…………あいつはグレンの精霊だぞ。そう簡単に……」
「馬鹿言ってんじゃねェよ。お前の方が強い。倒したいんじゃないのか? あの男を」
「……」
それは、そうだ。でも、違う。
「グレンは親友だ。殺せない」
「はあ。まだ人の心が残ってるのか。昔のお前は良かった。……そうだ。あの何だっけ……ロレンのことは?」
「言うな」
ピシャリと言う。クザファンを振り向いた隻眼は赤かった。
「言うな、ロレンのことは」
「……そうだよその目だ。出来るじゃんか」
フフンと嬉しそうにクザファンは笑った。そしてカシャ、と爪の音を立てながら屈む。
「なぁ。護るのなんかやめて、壊しちまえよ、全部。楽になるぜ」
「……やめろ」
耳を塞ぐ。悪魔の囁きを、フォレンは聞き入れなかった。ふふ、と笑ったクザファンが黒い羽根と黒い塵を残して消える。と、その時目の前のレイミアの指がぴくりと動いた。ハッとして、フォレンはその手を握る。
「……レイミア! レイミア」
呼び掛けに応えた目が開く。フォレンはレイミアを抱き締めた。レイミアがハッとして息を呑む。やがて彼女の手がフォレンの背に回る。
「……フォレン」
「良かった……良かったよ」
生きている人間の温度。今はこれでいい。ここにあるのは紛れもない幸せだ。それがたとえただ一時のものだったとしても。
「一緒だ。ずっと……一緒だからな」
「……うん」
自らに言い聞かせるかのようなフォレンの呟きに、レイミアはただそう応えた。
* * *
アークテール州ファルティ。そこにある国立探偵本部。無事だったアナレ支部の探偵たちは一時的にここに身を置いていた。しばらくはここが仕事場になる。本来の仕事場であるアナレは遠いが、色々処分などが下る都合上ここにいた方が都合が良いこともある。
「……長官、大丈夫かな」
臨時に貸し出された第三部隊のオフィス。エルランは始末書を整えながらそんなことを呟く。他のメンバーは溜まっている任務の処理に行っている。こんな時でも仕事は止められない。
「心配か」
「だって、アナレ支部が軍基地襲撃を強行したのは半分僕のせいでしょ」
「自意識過剰だよ。俺が進言しようがしまいが長官は決行してたと思うぜ。やられてやられっぱなしでいる人じゃないだろ」
エルザがそう言うと、エルランは彼の方を見る。
「な、何だよ」
「……へーえ。進言したんだ。僕のために」
「あ。ちが、別にそんなんじゃ」
「ふうん。そうか。じゃあ君の意志で来てくれたんだ、僕のところに」
エルザは誤魔化すのは無駄だと観念する。エルランは心を読める。エルザは馬鹿正直すぎて心を隠せない。
「……君が来てくれて、正直僕は嬉しかったんだよ。こんな僕でも必要とされてるってさ。過去なんて関係ないって言ってくれたことも……」
「なら戦うなよ」
「仕方ないだろ。僕は契約で軍にいたんだから……軍人として履行しないではいられない」
「お前って……適当な奴だと思ってたけど結構真面目だよな」
「失礼な、僕はいつだって真面目だろう?!」
正直探偵としてのエルランに対してはエルザはサボりのイメージしかない。
「それに僕は、ずっと死にたかったんだ。心のどこかではさ。義父さんに誘われずに軍に居続けたら、今頃僕はこの世にいなかったかもしれない」
「……辛かったんだな」
「うん。でも、君が引き留めてくれたんだよ。……あの場でもね」
初めて探偵にやって来た頃のエルランを、エルザは思い出す。確かによくよく思い返せば、あの頃のエルランは少し目を離せばフラリとどこかへ消えてしまいそうな気がした。それが放っておけなくて、めちゃくちゃ構った。構った結果サボり魔が出来上がった。
「……いいかサボり魔でも」
「え?! 何でそうなるんだ!」
訳が分からないという顔をするエルランに、エルザはくすりと笑う。
「……そう言えば、ラローグは大丈夫なのか」
話題を変えようと、エルザはエルランに訊く。彼の容体は忙しくて見に行けていないが、隊長であるエルランだけが医療部に呼び出されていた。
「あぁ、なんとかね。すこしズレていたら即死みたいだったど……運が良かった」
「そうか……」
ホッとする。ラローグも付き合いの長い仲間だ。無事で本当に良かった。
「……ラローグを撃った銃弾、彼自身のものだった」
「え?」
あの違和感のあった状況。確かにあの時撃ったのはラローグだけだった。あの男の言った通り。つまり……。
「……跳弾……?」
「そういうことになる。……厄介な相手だ。反射の能力を持った憑神者ってところかな。確証はないけど」
あの男。“黒影”と“瞬光”のバックにいた人間。彼のことは第三部隊として見逃せない。いずれはきっと捕まえなければ。
「あいつ、副元帥を殺すとか言ってたけど、結局無事だったんだっけ?」
「そうだね。……完全に無事とも言い難いけど。レイネル元帥が亡くなった今は、彼が次の元帥になる。……評議会からの処分次第ではあるけど」
「あぁ……」
セシリア評議会。それはこの国の実質的な政治における最高機関だ。政府直属の機関である軍や探偵で何かあった時の最終的な処分はそこが決定する。SOMAはその仲介者でもある。
「……評議会か……会ったことないな」
「顔くらいは知ってるけど。お堅いお貴族様だ。……はぁ。長官もどうなることやら」
* * *
────神暦38326年5月30日────
ラルマ州セントラル・セントラス。セシリアの首都である。SOMAをはじめ政府の機関が多く集う街だ。その北の高台には白く大きな邸宅のような建物が建っている。伝統的なセシリアの建築様式があしらわれた二階建ての建造物。セシリア評議会が住む貴族の館、実質的な現代の王城である。
「……リズ」
「……」
「リズ!!」
高級なふかふかのソファに寝転ぶローブの男に、黒髪の男は呼び掛け……いや、怒鳴った。監査官、クロエ・リベットである。監査官とは評議員とは別に評議会に置かれた監視職である。評議会の不正を防ぐべく置かれている公正な役職だ。……実態としては全然違うが。
「……うるさいなぁ……クロちゃん」
「クロエです」
ピシャリとクロエは答える。うーんとローブの男は長い金髪を掻き上げながら起き上がる。これがセシリアの最高権力者の姿だ。名はリジェン・シベリウス。セシリアで最も権力を持つ歴史ある貴族だ。家柄だけでこの座に居座っている。シベリウスは代々恐れられるような人間ばかりだったが、リジェンにはそんな威厳はない。
「分家のクセに生意気。俺の安眠を邪魔するなんて……」
「関係ないでしょそれは」
リジェンとクロエは幼馴染だ。リベットはシベリウスの分家で、二人は遠い親戚に当たる。昔からこういう関係で育てられた。我儘で自由なリジェンにクロエは幼い頃から悩まされながら育ってきたわけだ。
「クロエさんは真面目過ぎるんですよ〜、もうちょっと気楽に行きましょ? ね?」
リジェンの隣でそう言うのは評議会の一人、フェレリア・セレスタインだ。かなりの童顔で未成年だと言われても信じそうな容姿をしている。彼女も言わずもがな貴族出身であり、リジェンに負けず劣らずわがまま娘だ。
「仕事ですから。真面目にやって下さい。あなたたちには自覚が足りないんですよ、この国の実権を握っているというこの……」
「何々〜? 新しい仕事?」
「……軍と探偵の例の件ですよ。各要人の処分について……マリエル総帥とアルカラス総督からそれぞれ申し立てが来てます」
クロエがそう言うと、後ろから新たな声がする。
「あら、仕事が早いのね探偵もSOMAも」
同じく評議員のラベット・リスカーだ。彼女はまだ真面目枠に入る。
「えぇ。……ご覧に?」
「そうね、でもここは先に議長が見ておかないと」
「俺ならもう目を通したよ」
「……え?」
意外な答えにクロエは耳を疑う。リジェンは首を傾げながら片手をひらりと振る。
「さっきノアが持って来たからさー。だから寝てたんだけど。文句ある? クロちゃん」
と、ドヤ顔をクロエに向ける。クロエはシンプルにムカつく。
「……ノアは」
「寝てるよ、多分。さっきサニアが毛布持ってったし」
この人は何もしていないようで実は色んなことをしているし見ている。こうして訊くと大抵のことは答えが返って来る。不思議だ。
「ヒーリスは」
「本屋。気になる学術書の新刊が出たからってさー、本当、分かんないよ俺には。あんなののどこが面白いんだろう……そこの本棚見てても飽き飽きしてくるしね」
壁一面を覆う本棚を見てリジェンはうげ、と舌を出す。そこの前にいつも静かに座っている姿もない。
「……一応訊きますがネルは?」
「ヒリスくんと一緒だよー」
どこまで自由なんだ、とクロエは額を抑えた。
全員の名が出たところで残りの紹介をしておく。
まずはラベット・リスカー。元々シベリウスに仕える家系の人間だ。赤みがかった茶髪と、左目の下の泣きぼくろが印象的な女性だ。リジェンのお気に入りである。いや、リジェンは女なら誰でも良いのだった。
そして、ノアことノアル・サフェス。この評議会で唯一の庶民、そして評議員権用心棒だ。刀使いでめっぽう強いが普段はほとんど寝ている。あまり好戦的な性格ではない。長い銀髪と左目の眼帯が特徴的だ。
そのノアルの世話焼きがサニア・ロベン。少々天然なのが玉に瑕だが根は真面目である。彼女は貴族ではないが名家のお嬢様ではある。やや世間知らずでクロエは少し不安になる。良い子なのだが。
そして、ヒーリス・ナット。学者の家系で評議会のブレーンだ。医学に精通している。左目の下にタトゥーを入れている癖毛の白髪の男だ。話の通じる聡明で真面目な人間だが、何しろ本の虫で時間を見つけては本屋に入り浸るのがクロエの目下の悩みだ。
そのヒーリスと大抵一緒にいるのがさらなる本の虫、ネルファス・イシュリスクである。長い前髪だけを金髪に染めており、あとは黒髪の暗い印象の男。昼夜問わずここにいる時は本を読み続けているので目の下の隈が酷い。心配になる。リジェンが嫌いな本棚の主だ。
……そんな実に個性的で自由奔放でゆるゆるな人間たちがこの国を支えているのが現実だ。そう、支えているのだ。評議会とはセシリアにおける大統領を差し置いて国の実質的な最高権力者である。本来こんなゆるゆるなお坊ちゃん&お嬢様で構成されていていいはずがない! ……と頭を常に抱えているのはクロエばかりで当の本人たちはお気楽なものである。
「もう少し自覚を持って欲しい……」
「ん? 何か言った?」
頭が痛い。しかし、この場を動かせるのは自分だけだと自負しているクロエは大きく息を吸い込む。
「……他の皆さんは読まれたんですか」
「私はリジェン様と一緒に〜」
「私はこれからよ」
フェレリアとラベットがそれぞれ答える。と、そこへ丁度サニアがやって来た。
「いや〜ノアたんぐっすりだね〜全然起きないや」
「……サニア」
「はい? 何? クロ君」
彼女もまた自分のことを「クロ」と呼ぶ。正直言ってクロエはそう呼ばれるのが嫌いだ。「クロエ」というその名の響きが気に入っているのに!
「新しい仕事です。ご覧になりましたか」
「えー? 何それ知らない」
「そうですか」
とりあえず手にしていたそれをサニアに渡す。数十枚はあるそれをパラパラとめくってサニアはふむふむと頷く。彼女の特技は速読だ。
「大体分かったけどー……どうするのリジェン様?」
「俺に訊くなよ」
「アンタが! 議長でしょうが!」
「痛!」
バインダーでリジェンの頭を叩く。頭を摩りながらリジェンはクロエを睨む。ぶーぶーと隣のフェレリアも頬を膨らませてブーイングしてくるがクロエは鋼の精神で跳ね飛ばす。リジェンはひとつため息を吐くとソファにもたれかかり頭の後ろで手を組んだ。
「えぇとね……今回の事件はSOMAの監視の甘さに原因がある。そうでしょ?」
「そうかもしれませんね」
「だからSOMAから監視員を各所に派遣しよう! クロちゃんみたいなね!」
「全然説得力がありませんが……そもそも監視以前に彼らの仲が悪いことが原因では?」
「それは俺たちにはどうしようもないよ。組織のトップ次第だ。新元帥の……ええと。エウィンか。彼とマリエル総帥次第じゃない?」
「副元帥については処罰しないんですか?」
「しないよ。だってSOMAの話じゃ首謀者はレイネル一人だ。他は全員何も知らずに国家転覆の策謀に巻き込まれた形だって……軍の処遇については叛逆者レイネルの死刑で終了だ。それでいいでしょ?」
「…………」
この人は本当に分からない。ちゃんと考えているのかいないのか。
「……いいでしょと言われましても。僕には投票権はないので……皆さんの意見が必要です」
「でも監査官じゃん。クロちゃんはいいのね。はい、じゃあ俺に賛成の人!」
「はいはい!」
女性陣の手が上がる。リジェンも合わせると四人だ。
「はーい、じゃあ過半数なので決定〜これ降ろしといてねクロちゃん」
「ちょっと! 全員揃ってないのに……」
「でも4/7だよ? いてもいなくても変わんないよ。どうせ他の皆んなも俺には反対しないしさ」
「……」
それは大概の場合実際そうだ。クロエもそれは認める。だが体裁というものがある。
しかしリジェンがテコでも動かないある意味ド堅物なのをクロエは知っている。こうなったら仕方ない。無駄な労力を使いたくない。
「……では。今日の議題は終了です。皆さんお疲れ様でした」
「わーい」
こうして甘やかすからいけないのだと、クロエは自身に向けて特大のため息を吐いた。
#64 END
To be continued...




