#63 終戦
────20時57分 セシリア軍基地地下 管制室────
喧騒に目を醒ます。意識は朦朧としている。手足が冷たい。いや、もうほとんど感覚はない。今目を醒ましたのは奇跡だろう。
僅かに動いた右手が生温かいもので濡れる。それが自らの血だとレーヴェンは認識する。
自分は敗れた。分かっていた。少しでも健闘した自分を褒め称えたい。
エレンは無事に相棒を助けられただろうか。そして逃げられただろうか。それだけが気ががりだ。きっと彼はここには来ない。自分のこの結末を見届けることもない。それでいい。こんな風に覚えられたくない。軍基地で助けてくれた変わり者の兵士。それでいい。
悪に憧れた。それになりきる勇気を、最後の最後に出せた。悔いはない。
「……あぁ、でも、な…………」
口から零れ落ちる言葉。不意に心の中に湧き上がった心残りを、ついぞその口が発することはなかった。
* * *
────21時35分 セシリア軍基地 外────
イーサイルは正門の方へと歩いていた。正確には目的地は正門ではないが────指令室から消えたアルガの行き先を、彼も知らない。どこかでこの惨状を見ているのだろう。
アルガとは長い付き合いだ。同期の同僚でよく任務も共にしていた。親友と呼べる仲だった。だから、信じた。この作戦を彼が最初に宣言した時、僅かに胸に湧き上がった猜疑心を無視した。
彼が何を考えているのか、時々分からなかった。病の為に降りた父の座を譲り受けた親友は、いつもどこか自分とは違うところを見ているようだった。元帥になってからのアルガは、一兵卒だった時とは何かが変わってしまったようだった。いや。ずっとイーサイルが目を背けていただけかもしれない。時折見えた、彼の中にある炎を。
ザッと、不意に目の前に現れた気配にイーサイルは顔を上げる。銀髪が風になびいている。血に濡れてぎらりと炎を反射するエストックを見て、イーサイルは口を開いた。
「……随分とうちの兵士を斬ってくれたようだな」
「早くあなた達が兵を止めないからよ」
「残念ながら俺にその権限はない。アルガがいる限りはな」
「元帥はどこ。居場所を知ってる?」
ビ、とカサンドラはイーサイルにエストックを向けた。イーサイルはため息混じりに答えた。
「さぁな。俺が知りたい」
「ふざけないで」
「基地中探し回れば見つかるだろう。SOMAの兵士総出でくまなく。お前も一人で駆け回ってないで連携しろよ」
「……私のやり方に口を出さないで」
「まだ大人と一緒にいるのが怖いのか」
「…………」
「図星か。情けねェな、隊長にもなって……」
「うるさいっ!!」
「!」
腹を蹴られ、勢いでイーサイルは地面に転がった。咳き込む。すぐに起き上がれない。
「……ッ……この馬鹿力……」
「さっさと帰りたいの。無駄話をしている暇はないの。揶揄っているだけなら殺すわよ」
「……知らねェモンは知らねェんだから……仕方ねェだろが……………っ?!」
片手でグインと胸ぐらを持ち上げられ、壁に押し付けられる。力が強すぎる。鍛えた男の筋力でも敵わない力がこの細い体のどこから来ているのか不思議だ。
「あてくらいあるでしょう、この状況で庇うのはやめて」
「見つけたらてめェ…………アルガ殺すだろ」
「そうね。彼があくまで歯向かうのなら」
「そろそろブラハが見つけてるんじゃねェのか」
「まだ連絡はない」
「……そうか」
絶体絶命である。自分の命も、アルガの命も。いや、アルガを見つけるのに協力すれば自分の命は助かるだろうが、長年の親友の命を易々と差し出すほどイーサイルは落ちぶれてはいない。
「……なぁ。一つ取り引きをしねェか」
「何」
「お前の一族の話…………あの襲撃について。カリストも知らねェ話だ。それを教えてやろうか。その代わり、アルガのことは殺すな」
「……!」
カサンドラの目に動揺が見える。イーサイルは笑って見せる。
「どうする?」
「……教えなさい」
「取り引きは成立してねェよ。お前の承諾を聞いてない」
「教えなさい!」
ぐ、と手に力が籠りイーサイルの首が締まる。と、その時だった。
「その必要はない」
「!」
聞こえて来た声。いつの間にかそこにあった姿にイーサイルは目を見開く。
「イーサイルを放したまえ、カサンドラ」
「……あなたを探してたの」
「私なら、ここにいる」
解放されたイーサイルは地面に膝をついて咳き込む。そして顔を上げ、その名を呼ぶ。
「アルガ……!」
丸腰のアルガが立っていた。彼は穏やかな顔で、悠々とした様子でそこにいた。
「今すぐ軍を止めなさい」
「君の所の兵も暴れている」
「……両方同時に止める方法は一つだけ」
カサンドラはゆっくりとアルガに歩み寄る。アルガより小柄なカサンドラだが、その体からは強烈な殺気が放たれていた。正面から相対すれば身が竦みそうだとイーサイルは思った。だが、それでもアルガはゆったりとして構えている。
「ほう?」
「あなたが死ぬの」
「一族の過去を知らなくていいのか?」
「あなたが前にいる以上、任務の方が大事」
「なかなかの忠犬だな」
アルガは皮肉げにそう言った。カサンドラはただ無表情のまま続ける。
「あなたが終戦の鍵。二度と軍にこんなことさせないで。治安組織間の抗争は、この国の崩壊を意味するのだから」
「その仲を取り持つのが君たちの役目じゃないのかね?」
「……何が目的?」
「どういう意味だね」
「あなたの最終的な目的は、探偵の解体ではないでしょう」
それを聞いた時、イーサイルの胸が疼いた。鼓動が大きくなって耳に響く。
「……アルガ……」
「全てはあなた一人が目論んだこと。あなたはこの国を壊そうとしている。違う?」
「何を……何を言ってる! そんなことをして何の得がある!」
イーサイルはそう叫ぶ。だが、心のどこかにいた猜疑心が膨らんで行く。アルガは、彼は最初から、ずっと。
「私を殺すのならば、そうすれば良い。十分に成し得た。この先はこの国次第だ」
そう言ったアルガの隻眼が、イーサイルの方を向く。彼は僅かに申し訳なさそうな顔をした。
「悪いなイーサイル。私は君を利用した」
「……!」
「私の目的はもっと先にある。その為には力が必要だった。他にも、色んなものがな」
崩れて行く。信頼も、己の誇りも。胸に湧き上がる感情は形容し難いものだった。裏切られた。それに対する怒りと、悲しみと、何だかよく分からない感情が入り混じっている。それは初めての感情ではなかった。────二度目だ。イーサイルが最も嫌いな感情だった。
「皆を欺いてでも、私は────……」
アルガの言葉が途切れ、代わりにカサンドラが言った。
「御託は終わり。あとは向こうで喋りなさい」
アルガが崩れ落ちた。地面に血溜まりが出来る。イーサイルはただ呆然としている。嘘だ。何故。
「……恨むなら恨みなさい。これが私の仕事」
それだけ言うと、カサンドラは自分の倍の重さはあるであろうアルガを引き摺って行った。虚ろに開かれた目がイーサイルの中に冷たいものを走らせた。
「…………アルガ!」
立ち上がろうとして、出来なかった。ユーヤに撃たれた傷が悪化して痺れが出ている。毒でも仕込まれていたのか。
イーサイルは何も出来ないまま、ただ連れ去られるアルガを見送ることしか出来なかった。酷く無力感を感じて、イーサイルは地面を拳で叩いた。
* * *
「終わりましたけど」
『…………』
「総督?」
『ブラハからもう聞いた』
「……あっ、あの子……」
『全部見てたらしいぞ。結局レイネルは自分から出て来たって?』
「はい」
『しばらく何か話していたようだが、何を話していたんだ?』
「それは……」
カサンドラは基本、カリストに隠し事はしない。だが、言うべきかどうか迷った。その代わりに、彼女は訊いた。
「……総督、私の一族の話、ご存じですか」
『うん? 知ってるも何も、お前が話したじゃねェか、随分と前に……』
「そうではなくて……襲撃の件です」
『? さぁな。知らん。それが何だ』
「…………何でもありません」
彼は嘘は吐いていない。そう感じた。吐いているとしたら自分の方だ。彼との間に隠し事はしないと約束したのに。
「事態を収めたら、すぐに帰投します」
『あぁ。ブラハはどうする』
「先に帰して下さい」
『了解だ。伝えておく』
「では」
『あぁ』
ブツッ、と無線が切れる。
今彼女が立っているのは五階の屋上の縁だった。アルガは一人で連れて来た。彼女にとっては造作もないことだった。
「……急所は外したの」
独り言を、彼女は呟いた。だがそれは意識のないアルガに向けられている。
「表には秘密で、あなたは生かしておいてあげる。でも、二度と表には関われないの。……私は彼の恨みを買うかもしれないけれど……別に構わないわ。あなたは危険なんだもの、私は間違ってない」
アルガの襟首を掴み上げる。そして自分より大きなその体を掲げる。
「……その代わり、襲撃の話、聞かせてもらうけど」
大きく息を吸い込んだ。騒ぐ兵士達に聞こえるように、思い切り叫ぶ。
「止まれ!! これ以上は許さない!!」
その場の兵士全員が動きを止め上を見上げるまで、十秒も掛からなかった。
* * *
────神暦38326年5月29日 ログハウス────
「……ひっでェな……」
翌日のリビング。新聞は勿論昨晩のことでいっぱいだった。死傷者多数、元帥は死亡、軍も探偵もSOMAも諸共被害は甚大。一番酷いのは軍らしい。
そしてその中にはエレンたちのことも書いてあった。隅っこに小さくだったが。
「次の元帥は……イーサイルかね」
「兄さん! まだあまり動かないで! 致命傷いっぱい受けたんだから!」
「別にいいじゃんよ、死ぬわけでもなし」
「ドクターストップ、ダメ」
「医者の指示には従えよエレン」
グレンがそう言うが心配はあまりしていないようだった。ケレンばかりが心配している。いつも通りだ。
……だが、変化がないわけではなかった。
まず一つ目は、ユーヤがここに住み着くことになったことだ。部屋が足りないとエレンが進言したのだが、ケレンが自分の部屋で良いと言った為に決定した。今後は医療的サポートも担ってくれるわけだ。ただエレンはややマッドなユーヤにケレンが影響されないか心配だった。まあフェールがついている。大丈夫だろう。
良いことと言えば、装備の開発や義手の整備にヘルメルクの外れまで通わなくてよくなったことだ。エレンも直接要望を言いやすくなる。
「ケレン」
「あ、ユーヤさん」
ひょっこりとユーヤが階段から顔を出す。その時玄関でバタンと音がした。グレンが出て行った。……彼にとっては住み辛くなったかもしれない。
「アーガイルとロレンの方はもう終わった」
「あ、すみません、任せちゃって」
「いーよ。ていうかお前ずっとこんなの一人でやってたのか。無理するなよ」
「はは、まぁ、慣れてますから」
ケレンは苦笑を返す。まぁ、ケレンの負担が減るのもいいことだ。彼には医療面では頼り切りだ。
「僕はレイミアさんを診て来ますね。さっき目を覚ましたんですけど……また眠ってしまって」
「そうか」
ケレンは入れ替わりに2階へ上がって行く。それを見送りながら、エレンは肩を落とす。
「……フォレンさん、落ち込んでるよな」
「本人も大怪我だったんだろ。よくここまで帰って来たもんだよ」
ユーヤはそう言う。
フォレンはエレン達より先に戻っていた。エレンが帰って来た時にはケレンが慌ただしくしていた。グレンはフォレンを問い詰めているのか慰めているのかよく分からなかったが、とにかく側にいた。
レイミアは聞いたところによるとかなりの重症なのだと言う。詳細は聞いてはいないが、フォレンは自分を責めているようにも見えた。……あと、何だか少し雰囲気が変わったような気がする。根拠はないがエレンはそう感じた。
「……何か……色んなものが動いてく……」
世界は一定ではない。常に移り変わっている。
* * *
ケレンが部屋に入ると、レイミアの眠るベッドにフォレンが伏せていた。
「……フォレンさん」
「……あぁ、ケレン君」
振り向いて、力なくフォレンは微笑む。右目には痛々しい包帯が巻かれている。もうフォレンの右目は見えないだろう。
「フォレンさん、傷痛みますか?」
「あぁ……大丈夫、薬が効いてるから……」
そう言うフォレンの顔は少し辛そうだった。嘘だな、とケレンは思う。
「……痛み止め、効いてませんよね」
「…………心配いらないよ。これくらいどうってことない」
フォレンはそう言って立ち上がる。暗い。表情だけじゃない。彼が纏うオーラも。ケレンは眉を顰めた。
「……何があったんですか」
「え? 別に。敵と戦って、それだけだよ」
「フォレンさん、憑神してますよね?」
「!」
ケレンに言われて、フォレンは隻眼を見開いた。そして笑う。
「……さすがに隠せないか。まぁ……そうだね。いつからかは分からないけど」
嘘だ。彼は嘘を吐いている。でも、ケレンはそれを問い詰めようとはしなかった。それは何だかよくないことのような気がして。
その心情を読んでか知らずか、フォレンは言う。
「俺のことはいい。レイミアは。大丈夫なのか」
ベッドで眠るレイミアを、寂しそうな目でフォレンは見る。ケレンは伝えるべきことを伝えるのを躊躇う。だが、いずれは言わずとも分かることだ。
「……一命は取り止めました。でも、毒の回りが酷くて……」
「え」
「傷を受けた脚の神経は麻痺してしまっているようです。……要するに、レイミアさんは二度と、歩けません」
「……そんな」
フォレンの声は震えている。ケレンはただ彼の顔を正面から見ていた。逸らしてはいけない。彼を怖いと思っても。
「……ふ」
ガシッと肩を掴まれた。どこか焦点の合わない目でフォレンは訴えて来る。
「ふざけるな! お前医者だろ! 治してくれよ! 二度とって何だ、一生レイミアは……!!」
「僕だって治せるものなら治したい。でも、これが限界です。……僕は魔法使いじゃない。フェールの魔術でもどうにもなりません。……命があったのが奇跡なくらいなんです。それくらい、危険な毒だったんですよ」
「…………」
何も言えず、彼は固まる。口を開き、何か反論しようとしたが、やがてそれもやめ、フォレンはケレンを放すとレイミアの方を向いた。
「……悪い。八つ当たりだよな、こんなの」
優しくレイミアの額に温度のある方の手を当て、彼は言う。
「……生きてるだけで良いんだ。歩けなくても、一緒にはいられる。……ただ、俺は俺が許せない」
「フォレンさんのせいじゃないですよ」
「いや。俺のせいだ。俺が……あの時……ディエゴのことまで始末していれば……」
「?」
独り言。それが軍で起きたことと関係していることはなんとなく察した。彼の言い知れぬ変化にも。
「……そろそろ休んだらどうですか。ずっとレイミアさんにつきっきりでしょう。フォレンさんも重症ですし……」
「いや。俺は大丈夫だよ。レイミアの側にいる」
「そうですか。……じゃあ僕は部屋に戻ります。レイミアさんが目覚めたら教えて下さい」
「あぁ」
もう彼は笑わなかった。こちらの方も向かない。ケレンの胸にチクリとした感覚があった。……悲しみ。寂しさ。そういったものが入り混じった感情。ケレンは踵を返して部屋を出る。
『ケレン殿、しっかりせい』
「……うん」
フェールの言葉に、ケレンは頷く。
前に進まなければ。後ろには何もない。
#63 END
To be continued...




