#37 闇竜の仔
「エレン! リリー!」
崖に近付こうとするイアリの肩を、グリフが止める。それを振り払ったイアリは振り向いて、叫ぶ。
「助けに行かねェと! お前は飛べるだろ!」
「谷底は闇のエネルギーに満ちた場所だ。十中八九、闇竜族の巣だ。……夜目の利かん俺が行くのはリスクが高い」
「そんなの俺が……」
「お前が竜族の相手をするのか? ライナーの竜形態に対処出来なかっただろう」
「う……」
確かに、人の身では逃げることしか出来なかった。それに、とグリフは続ける。
「お前はまだ石を使った力の使い方に慣れていない。この辺りならまだしも……闇のエレメントに満ちた場所で、いつも通り力が使えると思わん方がいい」
「…………何か違うのか?」
イアリが眉を顰めると、グリフはため息を吐く。
「核を持つものは、己の生成したエレメントを自然界に存在するエレメントと接合し、混ぜ合わせて力を使う。だが精霊は違う。石によって自然界のエレメントを集め、それを一度自身に取り込み、出力する。……プロセスが逆という訳だ。良いか、普通の場所なら無意識にでもエレメントを集められるだろうが、偏属性の空間ではそうも行かない」
「……いつも通り使おうとすると、違うエレメントが集まって来て上手く使えないってこと?」
「そういうことだ」
グリフは頷く。そして、深淵を見た。
「…………奴らならきっと大丈夫だ。エレンは不死身だろう」
「でも………」
「エレボスもいることだ。三人を信じよう」
「え、あ、そうか」
人の姿でなく猫姿でエレンにくっ付いていたので失念していた。だが、それで安心は全然出来なかった。
「……エレン…………」
イアリは不安に思って谷の方を見た。偏属性の風が吹き上げている。闇のエレメントを含んでいるらしい、嫌な感じのする風だった。
* * *
体の痛みと、冷たい感触に目を覚ます。俯せになっているのを感じて体を起こそうとしたが、腕が動かない。
「…………壊れたか……」
呟くと、微かに辺りに声が反響する。
体中に走っていた痛みが、徐々に消え失せてくる。しまいには、気のせいだったんじゃないかというくらい、痛み自体はなくなった。体を捩り、なんとか体を起こす。地上から差している僅かな光に、目が少し慣れて来る。夜目は利く方だ。辺りの様子が少しずつ分かる。
水が流れる音がしている。ここは谷川の河原のようだ。落ちてそのまま流れ着いたのか。
と、足音が二つ近付いて来る。ハッとしてその方を見ると、リリスとエレボスだった。
「! 無事だったか」
「そりゃこっちのセリフだよ。……ギリギリで影の保護術を掛けたんだが……」
エレボスはエレンの方へ近付いてくると、屈んで耳打ちした。
「……スマン。お前には間に合わなかった。俺とリリーを護るのが精一杯で…………」
「え、でも俺ほとんど無傷で」
と、言いながらも両腕の惨状を思い出す。……まさか。
「…………俺、一回死んだ?」
そう口にすると、エレボスは渋い顔をした。
「わり。お前の不死身に頼った……。正直目も当てられない状態だったが、放ってたらその通りだ。…………どこか変な所はないか?」
「生身の部分は別に…………腕だけ動かないけど」
「あぁそれなら……リリー」
エレボスは少し離れて立っていたリリスを呼ぶ。近付いて来たリリスは、心配そうな顔をして言う。
「あの、エレンさん、ごめんなさい。私のせいで……本当に、大丈夫ですか?」
「うん、ああ、特別頑丈なんだ。これくらいじゃ全然。アハハ」
気を失っていて良かったと思う。若干、着水時の衝撃が蘇りかけるが、無理矢理忘れる。
「リリーは怪我は?」
「エレンさんが庇って下さったのと、エレボスさんの魔術のお陰でなんとか。怪我も、治癒魔術ですぐ治るようなものでしたし……」
と、リリスは屈むとエレンの腕を手に取る。
「……腕が動かないんですか?」
「あぁこれ……義手なんだ。両方。治せないかな」
「無機物でしたらすぐに。ええと……すみませんが、一度上だけ脱いで頂けますか」
「…………動かなくて……」
「あ、そうですね」
「仕方ねェな……」
エレボスがなんとか脱がせてくれる。両の義手が見えた状態で、リリスは前に立つと杖を向ける。
「“フィグラ・レディトス”」
ふわ、と両の義手が光に包まれたかと思うと、元のように動くようになった。何度か握ったり開いたりして、エレンはリリスを見上げて笑う。
「ありがとう。すごいな、魔術って」
「いえ。これは魔導士が一番初めに習う魔術なんです。対象を構成するエレメントに働きかけ、ものの記憶を元に壊れたものを修復する……そういう術です」
「へえ……」
王宮でフェールが使ってくれたのも同じものなのだろうか。彼は無詠唱だったが。
「で、だ。お前が目覚める前に、少し辺りを見てきた」
エレボスがそう切り出す。エレンは立ち上がり、彼の方を見る。
「地上に上がれそうな道は見つけられてないが……横穴を見つけた。河原は途中で終わってたし、後は船でも無きゃ進めない」
「……その横穴はどうなんだ?」
「さぁ。入るのはお前が目覚めてからにしようと思って、戻って来た」
「小舟なら創れますけど……」
リリスは言いながら、上を見上げた。
「進むなら上に進みたいですよね」
「空を飛べる……生物は創れないのか?」
「使い魔程度の小動物くらいしか。私のは小さな蝙蝠ですし……」
飛べるとはいえ、人を持ち上げられるはずもなく。
「……俺が出せる翼は滑空しか出来ねェし……ってか」
ふと、落ちていた時のことを思い出す。
「さっき、翼出そうと思ったら力使えなかったんだが……」
「あぁそりゃ……ここが闇属性に偏ってるからだな」
「え」
エレボスの返答に、エレンは辺りを見回す。……確かに暗いが。
「ちゃんと意識して影属性エレメントを集めないと力使えないぞ。……ま、ここまで来れば影属性も同じくらい満ちてるが……」
「…………待て、よく分からない」
エレンがそう言うと、エレンは耳を寝かせて近付いて来る。そして顔を寄せて小声で話す。
「いーか、陛下と戦った時、無意識にやってただろ。ここでは石を経由して、周囲のエレメントを自分に一度集めるんだよ」
「……?」
「…………くっ、これだから感覚派の核持ちは」
がく、とエレボスは項垂れるとエレンの胸に指を差す。
「精神体にはエレメントを生成し続ける核がない。今のお前はただ影のエレメントで構成されてるだけ。血肉を爆散させながら力使うわけにはいかないだろ。だから俺たちは大気のエレメントを集めて使うんだよ。お前らが……影の守護者が特にいつもやってるのは、自分のエレメントを自然に存在するものに混ぜて操ってんの。……分かる?」
「…………えーと……逆ってこと?」
「そう。普通の空間なら、繋げようっていう意識で無意識に必要なエレメントを引っ張って来れるけど……ここじゃそうはいかない」
「そう言われてもな……」
いつも無意識にやっていることを、急に意識的にやれと言われても難しい。特に、大気中のエレメントの区別なんてつかない。
「……まぁ、多分ここなら大丈夫だ。いいか、闇は空間、影は平面に存在する。いざとなったらそれを意識しろ」
それだけ言うと、エレボスは離れる。そして、リリスに言った。
「とりあえず、あの横穴を進んでみないか? もしかしたら地上に繋がる道があるかもしれない」
「そうですね。他に道もありませんし」
「ダメだったら次考えよう」
エレンは上を見上げる。遥か彼方に白く空が見える。最終手段は、この壁を上り切るしかない。そう言えば、ユーヤが義手にワイヤーを仕込んでくれているはずだし、上手く使えば出来なくもないだろう。……それにしても、今さらながら精神体の体にもちゃんとそのまま義手や道具が付随して来ているのが不思議だなと思った。
* * *
横穴に入ると真っ暗だった。さすがに何も見えないので、リリスが魔術で光を出してくれる。別属性も操れるのは羨ましい。エレンはアーガイルのことが少し恋しくなる。
岩肌が削られて出来た穴のようだった。湿度が高くヒンヤリしている。壁に微かに光る苔が群生している。灯りとしては役に立たないが。
「綺麗だな……」
「……自然に出来たものではなさそうですね。地竜族が掘ったものでしょうか」
「闇竜族以外にもいるのか?」
エレンが問うと、答えたのはエレボスだった。
「ここは闇竜族の国だけど、そういう暮らしを求めた他の竜族も奴らは受け入れた。炎竜族とか地竜族とか、緑竜族とか……そういうのと混じった闇竜族も中にはいる」
「あぁ、そういえばグリフもハーフだよな」
「鷲獅子竜は本来、嵐緑竜の種なのですが……彼はさらに炎竜族と混ざっているわけですね」
「そうなのか」
彼がちょっと変わった竜であることを今知る。そういうこともあるのか。
「竜族も、引き継ぐ属性は二つまでですからね」
「見た目には完全に鷲獅子竜なんだけどな……竜族の遺伝ってよく分かんね」
エレボスはそう言って口を尖らせる。やはり精霊と竜族は別物なんだなとエレンは思った。
と、その時何かの気配を感じてエレンは足を止める。他の二人も気がついたようだった。
ザリ、と重い足音が近付いて来る。リリスが光で前方を照らす。暗闇の中に、その姿が浮かび上がった。
黒い体躯。鼻先と額、そして頭に生えた四本の角。赤い目と、獲物を捕らえる為の大きな前脚。さらには背から伸びる大きな翼。紛れもなくそれは、闇竜族だった。
「げっ……」
「こいつの巣穴だったって訳か」
「どうするんだ」
エレンが訊ねるより前に、エレボスは武器を両の手に呼び出していた。リリスも杖を構える。
「倒して突破するしかありません」
「まだ仔竜だ。そう怖くねェ」
「このサイズで⁈」
グリフより一回りくらい大きい。その爪で薙ぎ払われればひとたまりもない。
「……闇白竜ですかね。ベースは奈落竜みたいですが」
「どう見ても半分は羽毛竜だろ」
翼は黒い羽毛に覆われている。ところどころ白い羽毛も見える。なるほど、闇と光の竜のハーフというわけだ。
竜は低く唸り声を上げる。すぐには襲って来ないが、武器を構えた二人を見て威嚇しているようだ。
エレンは竜の赤い瞳を見る。そこには恐れのようなものが見えた。
「…………ちょっと待って────」
言っている間に、エレボスが飛び出す。振られた剣を、竜の前足の爪が捉えた。ギリギリと力が均衡する。その隙にリリスが後ろで唱える。
「“深淵なる投槍”!」
生成された影の槍が竜へ飛んで行く。だが、その硬い鱗に当たった途端に霧散した。
「嘘っ」
「チッ!」
エレボスが力いっぱい竜の爪を弾く。飛び上がると、竜の首目掛けて剣を振るが刃は通らない。
「かって!」
ぐるんと竜が回り、その尾がエレボスを薙ぎ払う。
「うわっ!」
「エレボス!」
ドガ、と岩壁に叩きつけられるエレボス。パラパラと小石が落ちて来る。キッ、とエレンは竜を睨みつける。仕方ない。
エレンは駆け出し、棒を展開し辺りから影を集めて長剣の形にする。上へ飛ぶと、竜は口を開けて来る。
「口の中なら通るだろッ!」
突き刺そうと影の長剣を両手で構える。が、その直後竜の喉奥に闇が集まるのを見てマズイと思った。
「いっ」
ブレスが放たれる。間一髪のところで、横からやって来たエレボスに抱えられて地面に転がる。
「ゲホッ、大丈夫か」
「助かったけど、お前こそ……」
のし、と竜がこちらへ照準を向ける。翼が威嚇するように広がり、大口が開く。
「“影縛り”!」
リリスの声と共に、影が壁という壁から伸びてぎしりと竜を縛る。
「“氷柱ノ雨”!」
天井から氷柱が伸びる。その直後、暴れた竜によって首元の拘束が引きちぎられ、闇のブレスがこちらに向けて放たれようとする。
「くっ、“イレイス・スロウ”!」
エレボスが前に立ち、大鎌でブレスを斬り払う。鎌の権能によってブレスが霧散する。そして大量の氷柱が竜へと降り注いだ。
叫び声を上げる竜。空気が冷却されたことによる霧と土埃で竜の姿が見えなくなった。
「やったか⁈」
「……やった自信がねェから言うんだろそれ」
エレボスの言葉にそうツッコみながら、エレンは霧の向こうを凝視する。晴れて来ると、そこに巨大の姿はなく、代わりに少年が倒れていた。
「子ども……」
「言っただろ、仔竜だって」
エレボスが武器を手にしたまま近付く。エレンもその後に続いた。
少年は気絶しているようだった。エレボスが剣の鋒でその顎を持ち上げる。反応はなかった。
「よし、今のうちに首を落とすか」
「! ……待てよ! 何も殺すことないだろ!」
エレンが言うと、エレボスは眉根を寄せイカ耳になる。
「何言ってんだ。一度襲って来た闇竜族は殺す。それが掟だ」
「でも……まだ子どもだ」
「ガキだからだよ。大人になったら討伐が大変だ」
「…………!」
「見た目に惑わされるな。人の姿をしてても、コイツは猛獣だ」
エレンは言葉を失う。確かに、今しがたこの竜に襲われたのは事実だ。でも、そこに伏しているのは……レストで出会ったリトと変わらない年端の少年だ。
「悪い……俺には……」
「う……」
「!」
呻き声に、エレンたちは少年の方を見た。エレボスは僅かに距離を取り、リリスは近付いてきて杖を構える。起き上がろうとしている少年に、思わずエレンは手を伸ばす。
「大丈……」
「………うわ! や、やめて! お願い……」
少し薄い色の赤い瞳が怯えを映す。少年は座り込んだまま後ずさった。
「命だけは……」
両手で庇うように、少年は顔を隠すと縮こまる。体には傷痕ひとつ残ってはいなかった。竜の体には全然通っていないように見えたが、傷付いたとしてもすぐに治ってしまうのかもしれない。
「……お前は闇竜族なのか?」
「う、うん。そうだけど……悪いことはしない! ここで隠れて住んでるだけなんだ」
「じゃあ何で襲って来た」
エレボスが武器の鎖を鳴らしながら言うと、少年はビクリとして答えた。
「そ、それは……僕の巣穴に入って来たから……竜狩りだと思って」
少年はガタガタと震えている。桃色のバンダナをして、紫色の民族衣装のような服を着ている。神界ではよく見るものだ。黒髪は長く、後ろで三つ編みに纏めていた。顔は幼く、悪意は全く見えなかった。目に映る怯えに嘘は見えない。
エレンは目線を合わせようと屈む。おい、とエレボスが止めるが無視する。
「ごめん。俺たちはお前を狩りに来たわけじゃないんだ。上から落ちちゃって、出口を探してて……」
「出口……? はないよ。飛べでもしないと上には出られない」
「そうか」
「おい騙されるな! コイツ俺たちのこと食おうとしてんだよ!」
「エレボス。見ろ、震えてる」
「ンなの演技だ、闇竜族は狡猾で……」
エレボスの言葉尻が萎む。耳がへたりと寝る。
「…………お前闇白竜だろ」
「う、うん。お父さんが闇竜族で、お母さんが白竜族なんだ。……竜伐で死んじゃったけど」
……となるとこの子は少なくとも千年は生きていることになる。それでもまだ仔竜とは。
「白竜族は特段大人しい穏やかな種族だが……その気質で中和されて……」
「エレボスさん。見たでしょう。竜形態の時彼は言葉を発しませんでした。闇竜族の特徴です」
リリスが言う。すると少年は俯く。
「体の遺伝はお父さんのが強いんだ。……闇竜族の癖に臆病だって、よく他の竜に言われる。大人たちが騒いでるのも怖くて、だからここに……」
「外の騒ぎを知ってる?」
「うん。いつからだったろう……それまで森は静かだったのに、急に大人たちが騒ぎ始めたんだ。『叛逆の時だ、皇が帰還した。我らの国を取り戻せ』……って」
「!」
「気になって、一度地上に出たんだ。そしたら……見たことのない大きな竜が、いたんだ。黒い鋼の……あれは、ここにいる誰よりも強い……」
ぎゅ、と少年は肩を抱いた。同族ですら、彼は怯えているようだ。思い出している様子の少年に、エレンは言う。
「……俺たち、その竜を追って来たんだ。そいつを倒したい。助けなきゃいけない奴がいるんだ」
「あの竜を? 無理だよ」
「無理じゃない。……その為にはまず、ここから出ないといけないんだけど……」
エレンは頬を掻く。一つ案が浮かんでいるが、自信がない。だが、それ以外にはないと断じて口を開いた。
「その……良かったら、俺たちを上まで乗せてくれないかな?」
「地上へ? ……それくらいなら、いいけど」
少年はまだ不安そうだった。そう言えば、とエレンは訊ねる。
「名前を聞いてなかった。俺はエレン。君は?」
「……ローフィリア。夜鴉竜のローフィリア」
「へえ。カッコいい名前だ。よろしく、ロー」
エレンはローフィリアに手を伸ばし、助け起こす。その様子を後ろからエレボスとリリスが見ている。二人は構えこそ解いているが、未だ警戒しているようだ。
「ほら見ろ、良い子だ」
「…………俺は知らねーぞ、痛い目見ても」
「乗せて貰えるのはありがたいですけど……でも」
迷っている様子の二人。だが、洞窟を見回して、この先へ進んでも地上へ行ける気配がないのはなんとなく分かっているようだった。戻るには、彼の力を借りるしかない。
「…………分かりました……」
「何かしようとしたらすぐに斬り捨てるからな」
敵意剥き出しの精霊二人に、ローフィリアはエレンの後ろに隠れるのだった。
#37 END
To be continued...
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