#34 影の国の皇帝
コツコツと、足音が響いている。それを認識してなお、ロレンはしばらく目を開けられなかった。明らかにそこが自分の部屋でないことを認識した。体の感覚が感じられなかったが、徐々に戻って来る。
手足は動かせなかった。しばらくして、垂直に立たされて────────吊るされていることは分かった。ぼうっとした頭が、徐々に現実を認識する。
ゆっくりと、目を開けた。辺りには装飾の施された白い柱が立ち、遠くに大きな重厚な扉が見えた。そして、目に入ったのはすぐ近くまで歩いて来ていたライナーだった。
「おやおや、お目覚めかご主人」
「……ライナー……ここはどこだ」
「呑気だが的確な質問だ。穏やかに訊いている場合か? 見ろ、焦れ。君は拘束されてる」
くい、とライナーは笑ってロレンの方を指差す。体が痛い。まだ朦朧として重い口を動かし、ロレンは言葉を続ける。
「それは……分かってる。ここはどこかって、訊いてるんだよ」
「なんでそんな平常心なんだ。面白くない。もっと泣き叫ぶ顔が見れるかと思ったのに」
肩を竦めたライナーは、「まあいい」とパンと手を叩いた。
「質問に答えよう。ここは神界だ。精霊界。……そして僕の家だ」
そして自慢げにライナーは手を広げる。城の広間のような場所だった。だが、辺りの壁も床も、柱もボロボロだった。長いこと誰も住んでいない廃墟のようだった。
「……随分と貧相な家だ」
「なんだって? これは僕の城だ。この竜皇たる僕のね。……まぁ、確かに今は滅びてしまったけどね。そのうち再興するさ。頼れる部下だっている」
「竜皇……お前、皇族なのか?」
「そうだよ。かつてこのダグリアに栄えた闇竜族の国の皇帝だ。このシェレブは僕の領土────だった。忌まわしき精霊共に奪われるまではね」
憎々し気に、ライナーはそう語る。ぐぐぐ、と手を握りしめていたかと思うと、パッとその手を解いてまた元の笑みを浮かべる。
「でもそう、すぐに奪い返すさ! この国だけじゃない。僕は人界のことも支配して見せる。人界の竜族は減ってるみたいだが……まぁあんなものは獣だ。さしたる問題じゃない」
「……その為に僕の体が欲しいってことか」
「そういうことだ。君がもし、野心に溢れる僕との同類だったなら、共生の道もあったかもしれないね。でも、ダメだ。君は甘ったるい正義なんかを振りかざす」
ライナーはさらに近付いて来る。力なく項垂れているロレンの顎をその手で掴んで上げさせる。
「う……」
「今の君には体がない。ここにいるのは魂と、精神だけだ。ここで君を殺せば、人界の君は二度と目覚めない。目覚めた時は……それは僕ってわけさ」
「……なるほど、この前言ってたことをこんな形で、実行してるってわけか……ここなら兄さんも追って来れない」
「あのクソ兄貴はな。だが、ほかのガキども追って来るだろう。あの鷲野郎の憑神者も……きっと追って来る」
「……すぐに僕を殺さないのはなぜだ」
ロレンが言うと、ライナーは牙を見せて笑う。
「すぐに死にたいのか? 安心しろ。そんなつまらないことはしない。なんのためにここまで君を連れて来たと思ってるんだ。これはゲームだ。そう、愉しい遊びなんだよ」
と、その時ロレンの顎を掴んでいるライナーの腕が一瞬で竜化する。めきめきという音と共に鱗が生え、膨張した腕にロレンは圧迫感を感じる。
「だが口は慎め。僕の気を君が大きく損ねたら、そこでゲームは終了だ。僕の牙と爪で君の魂をビリビリに引き裂く」
「────────」
「脅しじゃない。分かってるだろ? 大人しくお友達が助けに来るのを待ってな。そういう希望は少しあった方が面白い。そうだろう?」
「……君は醜悪だ、ライナー」
「恐れ知らずだね。だがそれは誉め言葉だ。僕たちはそういうものだ。君も闇属性を持つ者なら分かるだろう?」
「……分かるもんか」
「そうかな? 初めて君に憑いた時……君の魂からは強い闇のエネルギーを感じたんだけどね。気のせいだったかな」
ぱ、とライナーはロレンから手を放すと両腕を広げる。しゅる、と腕が元の人型に戻る。
「まぁいい。どうせ君はこれから死ぬんだ。残り少ない余生をせいぜい楽しみたまえよ」
ケラケラと笑って、ライナーはその部屋から去って行った。
* * *
影の国スケアの皇都ラバーナル。その中心部に聳えるのは王宮。敷地に続く橋は誰でも通れるようになっていて、門をくぐった先の階段を登って行くとやがて宮殿の入り口が見えて来る。
そこに立っていた衛兵がフェールの姿に気が付くと、彼らは慌てて敬礼した。
「こっ……これは天狼様! お久しゅうございます」
「うむ。久方振りに帰還した。陛下はおられるか」
「はっ、勿論でございます!」
「こちらは客人である。身元は私が保証する」
と、フェールは視線で後ろのエレンを示した。衛兵は肩の黒猫に気が付くと、口を開いた。
「戦士エレボス様でございますね。そちらは……フェール様のお連れ様であれば問題ないでしょう。どうぞ、お通り下さい」
あっさり通される。内心構えていたエレンは拍子抜けする。涼やかな表情で進むフェールに続いて扉へ入ったところで、エレボスに耳打ちする。
「フェールって実はすごいのか……?」
〈神界じゃ名高き最高峰の魔導士だ。影狼族から大出世して、一族の地位も一人で築き上げた超大物だぜ。皇帝陛下のお気に入りだ〉
「マジ……?」
〈だから……俺はそんな天狼様があんな未熟な人間に憑いてることがすごく意外だったんだ〉
「……」
確かに、フェールの身の上を聞くと改めて不思議な話である。フェールはケレンが生まれた時からそこにいる。エレンもグレンも、幼い頃から見守られて育った。自分たちの守り神のような精霊だ。それが、神界ではそこまですごい精霊だったとは。
赤い絨毯を優美な動作で進むフェールの後ろ姿を見ながら、変な気持ちになってくる。よく見慣れたはずのその背中が、急に遠いものに思えて来た。
「フェール! 来るときは連絡の一つくらい入れろと言ってるじゃないか!」
突然、奥からアルトくらいの高さの声が飛んで来る。見れば、階段を端正な顔立ちの精霊が降りて来る。美しい肩まで伸びた銀髪。その身には美しく上品な装飾の施された軽鎧をまとっている。
「申し訳ありませぬ、なにぶん急用なもので」
フェールはそう受け答えする。背丈はフェールより少し低いが、兄くらいに見えた。だが、あまりにもその容姿を構成している線が細い。エレンはエレボスに耳打ちする。
「……なぁ、皇帝って女……?」
〈なわけあるか。カオス様はれっきとした男性だ。神界屈指の美男子とは言われているが……〉
身長を考慮しなければ、女と言われても納得する。じ、と思わず見ているとカオスと目が合った。
「……フェール、そっちは誰だ?」
「私の連れでございます」
と、カオスの視線がエレンから肩のエレボスの方へと移る。……や否や、彼の顔がぱぁっと輝いた。
「猫公! 猫公じゃないか! お前も来ていたのか!」
〈うげ〉
カオスはエレンの方へ駆け寄って来ると、その肩からエレボスを取り上げた。そしてぎゅうと抱きしめると頬を擦り付ける。
〈フギャーッ!〉
「ああ愛おしい。寂しかったのだぞ、近頃はお前が人界へ降りてしまって……」
と、はたとカオスはエレボスを愛でるのをやめると、エレンの方を見た。そして、何かに気が付いた顔をすると険しい目をフェールへ向ける。
「フェール、これは……」
「ええ。さすがに貴方様の目は誤魔化せませぬな」
フェールはエレンの隣に立つと、毅然とした態度で続ける。
「こちらは、人界より連れて参ったエレボスの憑神者……エレン殿でございます」
「! おい、フェール……」
あっさりと正体を明かしたフェールに、エレンは慌てる。カオスの態度からして、それがマズいことは見て明らかだった。
カオスは腕の中のエレボスを一瞬見、そしてフェールへと視線を戻す。
「分かっているな。人間を神界へ連れ込むことは禁忌だぞ」
「ええ。重々承知のことでございます。しかし、やむを得ない事情があるのです」
「事情?」
やはりフェールにはそれなりの信頼があるのか、カオスはいたって冷静だった。
「私が人界で縁を結んだ者の一人が、この神界へ魂を連れ去られました。放っておけば殺されるでしょう。彼を救うべくやって来たのです」
「……禁忌を犯しながら、わざわざ俺の元を訪れた意図は?」
「敵は闇竜族、我々だけでは少々戦力が心許なく。陛下であれば、何か力になって下さるかと」
フェールはしっかりと、堂々とした態度でカオスの目を見て告げた。信頼のおける者からそんな態度で言われては、皇帝とはいえ突っぱねにくいものなのだろう。カオスは困ったように目を逸らし、唇を噛む。
「────────フェール、悪いが……」
〈ま、待って下さい陛下!〉
エレボスがカオスの腕から飛び出し、エレンの前に躍り出たかと思うと人型に戻る。フード越しに見える耳がピンと立っているのが、背後のエレンからも分かる。
「エレボス」
「交渉の余地をください! お願いします。交換条件です」
「……何だ」
エレボスがそういう物言いをするのが、エレンには意外だった。エレボスはとても必死そうだった。耳に緊張が現れている。それは誰から見ても明らかだった。
「────俺の守護者……エレンと決闘を、して下さい」
「……何?」
「────……えっ? はっ?」
一番驚くのはエレンだ。思いもよらぬ提案に言葉を失っている間に、カオスとエレボスは続ける。
「俺と小僧が戦ったとして……それに何を求める?」
「エレンが負けたら、俺たちを追放なりなんなりすれば良いです。でも……エレンが勝ったら、俺たちに協力して下さい」
「ちょっ……勝手に話進めんな……」
あわあわするエレンを他所に、カオスは腕を組む。
「協力とは、具体的には」
「ダグリアの情報……闇竜族の国があった周辺の情報と、協力者を一人提供して欲しい。できれば腕の良い魔導士を……。あと、俺たちの無罪放免」
エレボスの耳が下がる。少し自信がなくなって来たらしい。その様子を見てかどうか、カオスは頷いた。
「────────いいだろう。条件を飲もう。その代わり、一切手は抜かんが?」
確認するように、カオスはエレンの方を見る。
「……えーと……俺まだ力使えなくて……」
「なんだそんなことか。この石を貸してやる。ポケットにでも入れておけ」
「!」
小さな紫石の石を投げ渡される。えっと、という顔でカオスの顔を見ると、彼はフンと顎を上げた。
「それで公平だ。意識せずに核を通して力を扱う人間が、それですぐ力を扱えるかどうかは知らんがな。俺のことは心配しなくていい、石は常に複数持ち歩いている」
何だかんだ言って優しい、とエレンは思う。本人にその気は無さそうだが。エレンは小さく頭を下げると、コートのポケットに石を入れた。カオスは踵を返すと階段の下まで歩いて行く。
「さぁ、さっさと構えるがいい」
言って、振り向いたカオスは腰に差していたレイピアをすらりと抜く。覚悟を決めたエレンが武器を展開するより前に、エレボスが近付いて来て耳打ちする。
「……いいか。神界の皇族は大精霊……神の血族の特別な精霊だ。俺たちとは訳が違う」
「神の……?」
「同じ精霊でも上位存在ってこと! 油断するなよ」
「したくても出来ねェよ……」
カオスからはただならぬ気配を感じる。体の無い神界ではエレボスの力を借りることも出来ない。己の力だけでやるしかない。エレボスが離れたと同時に、エレンは棒を展開させた。
「ほう、変わったものを使うな」
カオスは一瞬だけ目を見開き、そしてレイピアを構えると一声発した。
「行くぞ」
一直線にエレン目掛けて駆けだしてくる。疾風の如く突き出されたレイピアを、エレンは躱す。素早くカオスが手を引き戻し、再び突撃を放つ。避けきれないと判断したエレンは棒で受け、方向を逸らす。
「驚いた、こうも易く受けて見せるか」
「ッ!」
ビィィンと衝撃が棒を伝い、体の芯まで震える。受けてばかりいられない。弾いた勢いを利用して裏打ちを繰り出す。勿論そう簡単には当たらない。カオスはひらりと避けるとエレンの顔目掛けてレイピアを突き出す。首を曲げて避けた。当たらなかったが、ビッとエレンの頬が裂けた。
「!」
ほとんど反射で避けている。考えている暇はない。少しの油断で貫かれるだろう。死にはしないだろうが、怖い。
棒を振り、距離を取らせる。リーチはこちらの方がある。だが。
カオスがその場でレイピアをこちらへと突きつける。足元からゾワリとしたものを覚えたエレンは、その場から飛び退いた。直後、床から影のレイピアがいくつも生えて来る。その場に留まっていれば串刺しだった。
「影繋がってねェのに!」
カオスの姿が消える。一瞬気配が消え、辺りを探る。重く圧し掛かるような気配がすぐ足元に現れた。恐ろしく整った顔が間近に迫る。
「自分の影くらい守れんのか?」
「!」
咄嗟に左腕でガードした。重い衝撃がそこに突き刺さる。だが、その感触にカオスは目を見開いた。
「……何?」
「────悪いけど、本物の腕じゃないんだこれ」
ユーヤ特製の特殊合金の義手。神界での魂の姿でも、その性能は健在だ。────それなりの強度があるはずだが、しっかりレイピアがそこに突き刺さっている。
「ぐっ!」
左腕を振り払う。勢いでレイピアが抜け、僅かにカオスが体勢を崩す。
棒でレイピアを強く打ち、払う。飛んで行った先で、エレンの影が伸びて先にそれをキャッチする。カオスの胸元を蹴り倒す。棒を突きつけ、さらにはさっき奪い取ったカオスのレイピアも影で掴んだまま彼へと突きつけた。
「ッ……貴様……」
(……気ィ抜くと影奪われそうだな)
操っている影にもの凄い抵抗を感じる。しばらくすると、その力がフッと抜ける……。
「……分かった……俺の負けだ」
「!」
カオスがそう言って右手を上げるので、エレンは彼を解放する。立ち上がった彼は体を払うと、エレンの影からレイピアを返してもらって納刀する。
「……どういうことだ? まさか俺がただの人間に力で押し負けるなど……」
「──────あそこまでの抵抗を感じたのは初めてです、俺も必死だったもので……」
エレンはそう応える。刺された左腕を動かすとギシギシと軋む。勿論痛みはないが、若干機能に支障が出ているようだ。
「……どうしようこれ」
「エレン殿」
フェールが近付いて来て、そこに手を当てた。光が義手を包み、そしてそれが収まると元のように動いた。
「こういうことも出来るのか……ありがとうフェール」
「礼には及ばぬ。エレボスの無茶振りには肝が冷えたが……さすがはエレン殿よ」
にこ、とフェールは笑ったあと、彼は信じられないような顔をしているエレボスの方を見た。
「これ、エレボス」
「────────えっ、あ! えと、まじ?」
「なぜそなたが一番信じられん顔をしておるのだ」
「俺を信じて提案したんじゃないのかよ」
エレンがそう言うと、エレボスは寝ていた耳を立て、ブンブンと首を振った。
「……あ! いや! エレンの力量なら勝算はあると思ってた……けど、だって」
ふん、とカオスがため息を吐き、自分の影に一度消えたかと思うとエレボスのすぐ隣に現れる。そしてがば、とその肩を組み顔を寄せる。
「猫公。お前は見る目があるな。これほどまでに素質ある人間を宿主に選ぶとは」
「え、えと」
「良い経験をした。たかが人間と侮っていたが、なるほど……」
カオスは一人納得した顔をすると、エレボスを放しエレンの方へ歩いて来る。
「貴様、呪われているな」
「……え? あ、確かにそれは」
冥府の呪いのことか、とエレンは思う。見れば分かるものなのだろうか。
「道理でその力! 窮地に追い込まれるほどに強くなる。ふむ、珍しい呪いだ。近世においてまだそのようなものが残っているとは」
「……そんな効果が?」
「何だ、知らんかったのか。まぁいい。気に入った。是非とも我が戦力に欲しい────ところだが、今はそちらに戦力を提供するのだったな」
イマイチ会話が噛み合っていないような気がする。向こうの早とちりかもしれないが、エレンがカオスに勝ったのは事実だし、なんだかんだで気に入られたのならそれでいいかとエレンは思った。
しばらくカオスは考え込んだ後、よし、と指を鳴らした。
「では丁度良い人材がいる。すぐに来させよう。それから……その身なりでは少々目立つな。この国の精霊らしい服も用意しよう」
「そこまでしてくれるんですか」
「俺は見込んだものにはとことん手を尽くす。気にするな、天狼と猫公には世話になっているしな、その好だ」
さっきまでの険悪な感じとは打って変わって、カオスはとても好意的だった。エレンが訝しんでいると、エレボスが耳打ちしてくる。
「……陛下は強い男がお好きなんだ」
「────はぁ」
複雑な気持ちだ。
カオスがパチンと指を鳴らすと、空中に黒い球が現れ、そこから小さな蝙蝠が現れた。
「ニクス。彼女を呼んできておくれ」
蝙蝠はキッ、と声を上げるとどこかへ飛んで行った。それを見送ったカオスは、王の目をしてエレンたちの方を見た。
「では客人はこちらへ。……ふむ、名は何と言ったかな」
首で促され、エレンは慌てて答える。
「あっ、エレン。エレン・レオノールです」
「エレンか。俺はこの影の国、スケアの皇帝カオス・アナラスだ。改めてよろしく頼むぞ、勇敢なる影の戦士よ」
#34 END
To be continued...
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