#23 竜の激闘
ドラゴン、あるいは竜。それはかつて、セシリアはじめ神の大陸アフェル・アルスに多く生息していた。
かの有名な“英雄王”の伝説にもその記述は多く残る。人と心を通わせ、国の戦力として利用されていた歴史がある一方で、人々の生活を脅かす害獣としての側面も色濃かった。
いずれにせよ、竜は人々にとって身近な存在であったわけだが────現代の人界においては、その姿を見た者は多くない。
属性を操り、空を、大地を、海を駆ける大型生物。人々の生活を脅かしていたその生物は、やがて人類による環境の変化と共にその数を減らして行った。今や伝説のような存在だ。
だが、それはあくまで人界での話。
黒鉄竜が、グリフィンへと飛び掛かる。巨大な体躯に見合わず、素早く動いた黒き竜は、その爪でグリフィンを地面へと抑え込んだ。羽毛の生えた肩に、鋭い牙が食い込む。グリフィンは甲高い叫び声を上げた。嘴で反撃するが、黒鉄竜の鋼のような鱗には全く通らなかった。
(硬い! どうにかならないのかこれ!)
イアリ自身の精霊へと呼び掛ける。精霊の体を借りているが、意識は彼のままだった。再び噛みつこうとした黒鉄竜の頭を、前脚の爪で抑えた。
『相性が悪い。奴は闇竜族の中でも最も頑丈な竜だ』
冷静な声が返って来る。その返答に、イアリはムカッとする。
(そんなこと言うなよグリフ! お前だったら諦めるのか⁈)
精霊グリフ。イアリに憑く精霊だ。便宜上“精霊”と言ったが、正確には竜族という別の種族である。神界に暮らすため、精霊と同じように人間に憑ける。人界の竜とはまた別物だ。
『無論そんなことはない。目を狙え』
(それロレンに影響ないよな⁈)
『言っている場合か。喰われるぞ』
(炎は?)
『そんなもの奴にとって温風と変わらん』
(あぁ、もう、仕方ないな!)
思い切って、イアリは黒鉄竜の左眼を嘴で突いた。ギャアッと悲鳴を上げ、仰け反った隙にイアリはその爪から逃れた。翼を羽ばたかせると風が巻き起こる。池の上で滞空する。
〈どうだ効いたか!〉
ピャーン! という鳴き声と共にイアリは声を発する。頭を振った黒鉄竜は、怒り狂った声を上げて闇のブレスを発した。くるりと旋回して、イアリはそれを避ける。ブレスが直撃した木々が闇の塵となる。
〈……怖ッ……てか〉
黒鉄竜は吼えるばかりで、ロレンの返答はなかった。単に怒っているから返事をしない、という風ではなかった。その竜からは、ロレンらしき知性を感じられなかった。
(あいつもしかして意識ないのか⁈)
『闇竜族は凶暴性が強い。自我を呑まれているのかもしれないな』
(はぁ?)
『かと言って、竜の意識でもなさそうだ』
(……つまり?)
『暴走しているということだ』
(意味分かんねェんだけど!)
それほどに危険な力だったのか。誘発させてしまったことに責任を感じる。しかし、そこまでしてロレンは自分を沈めたかったのか。
(じゃあ……負けるわけにはいかねェな!)
『勿論だ。……だが、嵐炎竜の力では闇竜族相手は厳しい』
(何で!)
『竜族の中でも奴らは最強格だからだ』
(諦めねェって言ったよなさっき⁈)
翼を広げ、黒鉄竜は襲いかかって来た。躱すが右前脚に噛みつかれる。振り払い、ぐるりと回って頭を蹴る。大したダメージになっていないのが目に見えて分かる。ぎろりと赤い瞳がイアリを捉え、グリフィンの後ろ脚に噛みつくとブンと首を振り、投げ飛ばした。
〈!〉
バキバキと木々が幹からへし折れる。ひっくり返ったグリフィンはもがいて、翼を使いながらなんとか起き上がった。
『イアリ変われ。俺の方が上手く戦える』
(でも!)
『矜持など知らん。そもそも暴走していてはまともな決闘にもならんだろう』
(……)
グリフの提案に、イアリは悩む。本来の体の持ち主に明け渡した方が、それは上手く戦えるだろうが……。
(────────分かったよ! でも殺すなよ!)
『分かっている』
イアリは意識を落とし、グリフに体を引き渡した。心理の窟に降りたイアリは、外へ意識を傾ける。目の前に円形に外の風景が浮かび上がる。グリフが見ている光景だ。
「……ロレン……」
グリフが羽ばたく。強風が、翼を広げていた黒鉄竜を怯ませた。ぐるぐると渦を描くようにグリフは飛翔すると、風を纏った火球をいくつか周りに生み出した。それが黒鉄竜の翼に当たる。やはりそれほど効いていない。イラついたような声を黒き竜は上げて、こちらを見上げてくる。
「お前さっき自分で効かねェって言ってたよな」
『隙を作る。機動力が我々の強みだ』
「火はあまり使うな、森が燃えちまう」
『グリフィンの炎は森を攻撃しない。心配するな』
巨大な火球を生成し、それを強風でさらに強化し射出する。足にググ、と力を入れた黒鉄竜が跳んで避ける。火球は草の生い茂る地面に当たったが、風以外の影響を及ぼさなかった。
「重そうな見た目なのに素早いな」
『筋力が強い。さっき実感しただろう』
グリフの起こした風が、辺りの葉と土を巻き上げる。反撃しようとした黒鉄竜の視界が遮られる。闇の球がその口から発射されるが、グリフはそれを躱すと突っ込んだ。翼で黒鉄竜の頭を上へ払い除けながら、その胸へ突撃した。黒き体躯がまるごと吹っ飛んで池に落ちた。ざば、と黒鉄竜が首をもたげる。
『……足らんか』
「顕現状態が解けない……」
竜族の弱点。胸部を強く打たれると、竜族は弱る。憑神者ならば顕現状態が解ける。だが、グリフの全力を以てしてもそれには足りないようだった。
黒鉄竜が低く唸りながら翼を水上へ持ち上げる。闇の球がいくつか湧き出るように空中に現れ、高速で飛んで来る。それをグリフは風で打ち払いながら躱す。が、その時紛れて飛んで来たブレスが翼を掠めた。
『グッ!』
「グリフ!」
『大事ない! ……ッ⁈』
黒き竜が高速で迫り、怯んだグリフィンの胸をその爪で薙いだ。心理の窟にいたイアリさえも強い衝撃を受けた。精神が外に引っ張られるような感覚に襲われる。
「ッ……!」
『すまん……!』
グリフの苦しそうな声と共に、意識を外に戻された。と、同時に冷たい森の地面の感触と焼け付くような胸の痛みを感じる。
「がっ……くそっ……はあ……マジか」
人の身に戻った体をなんとか起こし、胸に当てた手が真っ赤に染まる。グリフの体に受けた傷がそのまま反映されている。
『すまない、もう一度の顕現は無理だ、傷の治癒に力を充てる』
(……なんとかする。頼むぜ)
竜の治癒力は高い。この傷で動けなくなることはないだろうが、痛みは誤魔化せない。脂汗の浮かんだ顔を苦痛に歪ませながら、イアリは立ち上がる。
目の前には人の何倍もの大きさがある、鋼鉄の竜が佇んでいる。目は完全に理性を失い、ただの獲物として目の前の人間を捉えているようだった。
「……おいロレン……聞こえてるか……」
言葉を投げかけると、黒き竜はグルルと唸る。だがそれはただの獣の唸りだった。
「……へッ。ったく、簡単に力に呑まれちまうなんて。精霊と仲良くやってないのか。……それで強くなったつもりかよ。俺は……そんなの認めねェぞ」
腰に差している短剣を抜いた。こんなもので対処できるとは思わない。だが、何もないよりはましだ。
イアリの構えた刃を見てか、竜の目がギラリと光る。ぐわっと口が開いたのを見て、イアリはその場から飛び退いた。
ガチン! と牙が空を切り裂く。鋭く大きな牙が並んだ口を見て、イアリはゾワリとする。ギロ、と目がこちらを向く。気が付いた時にはイアリは背を向けて逃げていた。
「無理無理無理!」
風の斬撃が通らないのは実証済みだし、こんな鉄の短剣があの鱗に通らないことも分かり切っている。分かっているのに意地で接近戦に持ち込むほどイアリは愚かではない。だからこそ今まで生き延びて来た。
「………ロレン! 頼むよ! 目を覚ましてくれ!」
背後からバキバキと木々がへし折れる音がする。狭い所に逃げ込めば多少動きが阻害されるかと思ったがお構いなしだ。
「!」
ぞわりとした感覚に身を低くする。その瞬間、背後から飛んで来た闇のブレスが眼前の木の幹を消し飛ばした。支えを失った上の部分はそのままイアリに降って来て────────気が付いた時には、イアリは足を木と地面の間に挟まれていた。
「ぐっ……」
のしのしと足音が近づく。なんとか這い出そうとするがびくともしない。おまけに足が折れているようで激痛が走る。
「……万事休す……か……」
なんとか助かる術を探るために、思考を巡らせる。そのうちに、別れ際のエレンの顔が浮かんだ。
「……へへ、俺、カッコ悪……」
そう呟いて笑った。影がイアリを覆う。竜が口を開けた気配に、イアリは覚悟を決めて目を瞑った。
────────と、その時、突如ガキィンという金属質な音を立てて、黒鉄竜の頭が地面に叩きつけられた。
「………!?」
「まったく、手のかかる弟だ……。暴走するなら顕現させるなって言ってんのに」
「……フォレンさん!?」
竜の頭を片足で踏みつけるようにして、フォレンが前かがみに立っていた。彼は体を起こすとイアリの方を見る。
「よう、無事か」
「………ハイ、なんとか」
とは言え絶対絶命の大ピンチだったのだが。
フォレンはスタスタと竜に背を向けて歩いてくると、軽々と両手でイアリの上の木を除けた。解放されたイアリは足を引き寄せながら体を起こす。その様子を見て、フォレンは首を傾げながら訊ねる。
「立てるか?」
「……無理っす」
「そうか。手当は後でする。……巻き込まれないように少し下がってな」
フォレンはやれやれといった顔をして、竜の方へと向き直った。見れば、竜がグググと頭を持ち上げながら立ち上がろうとしていた。
「フォ、フォレンさん、そいつに打撃は……」
「え? あぁあぁ、大丈夫。見てたでしょ」
「へ」
手をひらりと振り、フォレンは噛みつこうとしてきた竜の頭の下に滑るように潜り込んだかと思うと、地面に手をつきその顎を蹴り上げた。跳ねるように頭が打ち上がる。がら空きになった竜の急所へ、闇を纏った蹴りが叩き込まれた。
竜の巨躯が大きく仰け反るその様に、イアリは目を見張った。ウォォォォと叫びを上げた黒鉄竜は、やがてその身を黒い霧と化し、それが晴れた最後にはうつ伏せに倒れたロレンの体が残った。
フォレンはため息と共に足を降ろすと、ロレンのもとに歩み寄る。
「……ったく馬鹿野郎」
ピクリとロレンの手が動き、そして体を起こそうとする。顔を上げると、左目から血を流していた。グリフィンに突かれた目だ。
「兄さん……何で来たんだ……」
「外にいるって言ったのにいねェから。なんか悪い予感がしてな」
ぽんぽんとフォレンはロレンの頭を撫でる。それを跳ね除け、ロレンは顔を逸らした。
「……やめてくれよ。僕は兄さんのために……」
「俺のため? ……彼らを止めるのが?」
「っ……そうだ! だって……グレンさんが生き返ったら兄さんは」
言いかけて、ロレンは言葉を詰まらせた。兄の視線から逃げるように、ロレンは顔を手で隠す。
「……俺が、何?」
「…………兄さんは……死ぬまであの人のことを追い続ける」
ぽた、と血に紛れて雫が地面に落ちた。
「────────不安なんだ。兄さんが、どこかに行ってしまいそうで」
「……ロレン」
フォレンは優しくロレンの肩を抱く。ロレンはもうその手を跳ね除けはしなかった。
「僕は、誰よりも兄さんが大切なんだ。……兄さんがいないと生きていけない」
弱々しい声で、ロレンはそうして本音を吐露する。
「僕は……弱い。昔から変わってない……」
「……俺もだよ。俺もお前がいないと生きていられない」
「兄さんは、強いよ。僕は全然、敵わないし……」
ぐす、とロレンは目元を拭って兄の顔を見た。
「……馬鹿だな。僕は……兄さんを信じてなかった」
「俺はこんなにお前のことを想ってるのに。伝わってなかったか? 傷付いた」
「ごめん……」
「まぁいいんだ俺は。今謝るのは俺じゃないだろ?」
フォレンは視線で座り込んでいるイアリの方へ促した。ロレンは隻眼で旧友の姿を見る。イアリはただ心配そうな目を返した。
「……大丈夫か?」
「……目のこと? 気にしてない。悪いのは僕だし……」
「いや。それもだけど……暴走してたみたいだから、体とか……」
「いつもこうなんだ。ライナーの力を借りると制御が効かなくなる」
ロレンに憑いている竜の名はライナーというらしい。そいつの顔が見てみたくなる。
「……精霊と上手くやれてないのか?」
「まあ、そうなんだ。……ごめん。頭に血が上ってた。軽々しく顕現させるべきじゃなかった」
「それは……その、挑発した俺も悪かったよ。まさかあぁなるとは思わなくて」
イアリはそう言って口を曲げる。どうしても責任を感じてしまう。
「君こそ大丈夫なの? その……出血が」
「ああ……グリフが多少治してくれてるけど……」
と、その時イアリはめまいがして地面に倒れた。
「イアリ!」
「……だめかも……」
フォレンとロレンが駆け寄って来る。気が抜けたのか痛みと気持ち悪さが襲ってくる。そのまま、目が回って何が何だか分からなくなって、イアリは気を失った。
#23 END
To be continued...
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